イラク侵攻にみる帝国主義の現状と左翼の課題

はじめに

 米英軍のイラク侵攻が開始されて1年がたった。その日世界統一反戦行動が行われたが、なによりその直前に起きたスペインの列車テロが大きく情勢を揺るがそうとしている。スペイン総選挙でブレアーと共にブッシュを最も積極的に支えたアスナールは大敗した。国内経済政策で一応の成功をおさめ、勝利が確実視されていたのだから、スペイン国民の多数が派兵に反対していたとはいえ、この選挙結果にテロが大きな影響を与えたことは事実である。次期総理となるサパテロは公約どおりスペイン軍の撤退を表明した。これは戦争の大義に疑問を抱きだした出兵諸国に動揺を与えた。ポーランド政府はもともと国民の疑問を押し切って出兵していたが故に最も動揺している政府のひとつだ。政府は米英に騙されたと最初声明を出し、その後米英の諜報機関に騙されたと言い換えた。つまり、このイラク攻撃に対しては、世界の一般市民の間ではその正当性に疑問を持つ人が多数派であっにもかかわらず、三十数カ国の政府はそれぞれの思惑でブッシュに従った。それら諸国政府の選択は、表向きは国益に基ずく選択だが、実際は唯一の大国となったアメリカへの追随、寄らば大樹の陰的選択であった。言い換えれば、アメリカと国民の板ばさみになった苦渋の選択を各国政府は行ったのであろう。

 イラク攻撃に反対した主要国はフランス、ドイツ、ロシア、中国であった。勿論北朝鮮もアメリカを非難したが、なんらかの影響力を発揮できるのはこの四カ国であった。とはいえ、この四カ国は、アメリカと事を構えるつもりはなかった。もしソ連が顕在なら、キューバ危機とは言わないまでも、もっと緊迫したやりとりが行われ、こうも簡単にアメリカの攻撃は行えなかったであろう。イラ・イラ戦争前、フセインは工業化政策をすすめ、ソ連への工業製品輸出を行っていた。それが何故イランに攻め込んだのか、一面ではシーア派を母体としたイスラム原理主義革命にたいする危機感があったであろうが、それを合図に親米政策、つまり戦争遂行のためにアメリカの援助を受けることになった過程には割り切れないものがある。フセインは米ソの対立の間をうまく利用したつもりかもしれないが、自ら落とし穴に落ちたのであろう。インドネシア共産党の壊滅とスカルノの失脚を彼は知らなかったのであろう。

 二十世紀の反戦運動は、当然反帝国主義戦争運動であり、そのバックボーンは共産主義運動であった。問題はソ連の崩壊によって、反戦運動が帝国主義戦争の抑止力でありえなくなったということである。世界の主要国家の国民のなかでは、戦争の大義を問われるまでもなく、無関係なフセインの暴政の征伐に自国軍隊を派遣することにたいしては反対が多かった。にもかかわらず、それぞれの政府が国益を人質にとると、反戦運動は単なる意思表示にとどまってしまった。それどころか、かって第二インターナショナルが社会愛国主義に転落し、戦争協力へと転落したように、フセイン征伐に免罪符を与えてしまった。 あからさまに言えば、左翼の反戦運動は、アルカイダのスペインテロほどにも情勢を動かす力はなかった。このことは、わが党を含めて、全、自称左翼勢力が突きつけられた問題である。ソ連が如何に歪曲された社会主義の教義によってつくりだされていたとしても、スターリン主義が共産主義とは全く相容れない思想体系であったとしても、ロシア革命が生み出したソ連と言う権力は、あからさまな帝国主義戦争(市場再分割戦争)に対しては抑止力であった。

 ソ連崩壊後のこの実態は、共産主義運動が、人類史にとって本当に有効な思想体系としての権威を復活するための、再出発するための地点を指し示している。

 反戦運動は勿論、労働者や女性の地位向上の戦いも、環境破壊に対する闘争も、起源は全て共産主義運動にあり、しかも、ロシア革命によってもたらされた物理的力によって社会運動としての実効性を持ちえた。それが、社会主義を標榜する諸国において最も踏みにじられ、その結果社会主義運動の衰退が起きた。これが共産主義運動に与えられた今日の出発点である。

 我々は正しかった。スターリンが間違っていた。そうした言い訳は絶対許されない。ロシア革命による共産主義運動の物理的な基地の獲得のみならず、インターナショナルな運動としての実態の獲得によってのみ進展しえた筈の運動が、なぜこのような体たらくに陥ったのか。その問題への真摯な対応のみが、未完のインターナショナルの建設、そして共産主義運動の再生への扉を開くであろう。

ODA帝国主義

 ここでは、われわれが立っている人類史の到達点について、足元を見るという必要性の提起にとどめ、グローバリゼーションとして展開する帝国主義の今日的形態について述べておくことにする。

 先進資本主義国による世界の分割は、最初産業革命による生産力の飛躍的拡大に伴う原料の確保を目的とした領土拡大から始まった。プランテーション農業に象徴される植民地主義である。これが帝国主義の最初の形態であった。この時代、植民地確保の先頭に立ったのは産業資本家とその私兵であり、政府は進出した自国産業と国民の保護のために、その後ろからついていった。経済学的には自由放任主義の時代である。

 植民地確保が進むと、産業の生産力は一層拡大し、販路の確保競争という新たな競争の時代を生み出した。各国の産業資本の政府に対する要請は、植民地の防衛にとどまらず、自国市場の防衛、および市場拡大のための影響力確保へとエスカレートした。つまり本格的帝国主義時代への突入である。そしてこの時代から、政治と資本の関係は複合的で相互浸透的な関係になった。あるときは政治が先行し、またある時は経済利害が政策合意を左右するという時代になり、結論的には経済への政治、政府権力の関与が不可欠の時代になった。

 帝国主義のイメージは、この植民地時代を引きずっている。アメリカのイラク侵攻に対し、それに反対する多くの批判者の根拠は、埋蔵量世界第二の石油利権の確保を目指すものだ、というものであった。このてんでは、フセインもまたそう叫んだ

。そうしたアメリカ批判が正当性を持つと考えられたのは、第二次世界大戦までの、領土の割譲というのが一定の正当性を持つという考えが否定され、民族自決の原則が国際社会の合意事項となったからである。あたかもアメリカが第二次大戦までのアナクロな直接支配を復活させようとしている、という批判がアメリカ以外の諸国と市民の支持を獲得できると思ったのである。

 このような帝国主義批判は、いまでも最も普通の方法である。たしかにそのような考え方は「国益」という発想に直接結びついており、理解しやすい特徴をもっている。半世紀ほど前まで、特に日本帝国主義の戦略発想はそうであった。したがって、反帝国主義という場合に、その対象となるモデルがかっての日本帝国主義になるのも、無理からぬところもある。そして日本の領土拡大とそれに対する連合国の抑圧にたいし、日本は領土拡大を目的としていなかったとか、生きるための止むを得ない選択であった、などという論争が今も行われているのだからいたしかたないところも、認めざるをえない。

 しかし、そこで反帝国主義をその政治的立場とする陣営にとって注意しなければならないのは、それが民族主義と利害を共有するということである。民族主義は被支配側にあるときは反帝国主義であるが、支配側に立った時は、帝国主義の最も先鋭な政治勢力になる。左翼が今日の衰退に陥った根拠の一つに、帝国主義との闘争で、安易に民族主義への迎合をしてきたことがある。

 それはさておき、資源、原料の利権確保すなわち帝国主義という発想は、帝国主義的戦争が市場の確保を巡る、その再分割戦争の時代に移ったときから正確な理解ではなくなっている。しかも、帝国主義時代の経済の特性は、金融資本主義時代である。産業資本主義から金融資本主義への資本主義の主勢力の転化である。したがって帝国主義時代の市場とは、資本市場そのものである。かって収奪の側面のみが強調された植民地は、資本市場として見直すことで、はじめて先進資本主義による植民地の位置づけがあきらかになる。そのことが、領土の再分割戦争から、世界自由貿易体制の確立へと、帝国主義的市場再分割の形態を変化させたのである。

 日本は今世界第二の経済規模を誇る経済大国である。帝国主義国に順位をつけるとすれば第二位の巨大帝国主義国である。確かに軍事費も大きい。しかしGDP比では軍事費は小さくその内容も帝国主義と呼ぶには貧弱である。さらに憲法により、交戦権を放棄している。経済規模において帝国主義でありながら、実態としての帝国主義としての自覚は政府にも国民にも全くない。だが資本輸出量を見れば、例えばアメリカ国債保有額などを見ても郡を抜いている。そのほか直接、間接投資は、プラザ合意による円高以後一気に拡大した。実数は知らないが、今なお世界有数の産業製品輸出国でありながら、それら産業の業績は、製品輸出額より為替の変動に左右されるほうがおおきい。つまり金融取引の手段としての産業という位置づけが妥当な経済体質が今の日本である。

 資本輸出のなかで意外と見落とされているのがODAであろう。これは先進国による政府開発援助という表向きの建前がある。日本はODA大国でもある。インフラ整備などの開発援助には、その受注を日本の企業がするというひも付き援助でもある。これはケインズ主義的財政出動の外延的拡大にほかならない。

 ニューディールに象徴的に表される国家プロジェクトは、国内経済への国家資本の投資である。国家資本はあらゆる階級から集められた税金である。その投資によって行われる事業はゼネコンが受注する。仕事は順次下請けにながれ、最後に労働者に流れ着く。そのことで消費が生まれ経済の循環が完成するという理論である。形式的には投下された国家資本は労働者に流れ着くことで全国民に行き渡るとされている。しかし実際は、ゼネコン元受は、受注額の2分の1を抜いて下請けにまわすといわれている。その比率で下流に流れていくので、最後に本当の必要経費、材料と労務費が実際に投下された資本の何%になるのかはわからないが、その差額は諸々の関係者によるピンはね(政治資金)や金融機関に支払われる金利などである。資金の流れを見ると、ODAはこの構造と全く同じである。ただ下請けや労働者が国内でなく、現地の企業や労働者だということである。

 アメリカのイラク攻撃は、このODAのからくりを見事に暴露した。実は過去のアメリカの戦争も実態は同じだか、攻撃の理由がそれを隠す役割を果たしていた。

 湾岸戦争ではク-ウェイト復興事業から最大の戦費負担をした日本は締め出された。そこにはアメリカの露骨な日本資本への警戒心が示されていたが、フセインがしかけた戦争でありクウェイトの救助という表紙によって、その裏で進められた関与諸国間の資本戦争の実態は目立たなかった。アフガンもアルカイダ征伐への同情から、世界の一般市民の関心は逸らされた。しかしイラク戦争は、戦争の大義のでっち上げがあきらかになると共に、そのからくりがあきらかになった。

 アメリカは、イラク攻撃にともなって生じる直接の戦費で、軍事産業に巨大な利益を与えた。そのうえ、復興支援援助のために巨額の予算を組んでいる。インフラ復興のために、ゼネコン、パイプライン建設会社、通信設備会社が受注に成功している。それらの実際の業務はイラクの現地企業にマル投げされ、現地企業の技術力など対応出来ないところは、先日犠牲者の出た韓国企業など、出兵した諸国の競争入札に低価格で受注した企業に発注される。アメリカの戦争に協力するいくつもの政府の決定の根拠でもある。

 

問題は元受のアメリカゼネコンが下請けに回す金額である。受注額の10分の1。これが現地企業の受注額である。マスコミにこのことを暴露されたブッシュは、イラクを解放したのはアメリカだから当然だと開き直った。しかしアメリカ国民の税金(実際は国債で集められた資金だが、いずれ税金で償還されるから税金として間違いはないであろう)から支出される復興援助資金の90%が元受企業の収入となるのである。復興援助というフィルターを通して、アメリカ財閥がアメリカ国民の資産を収奪する構造が明白である。

 はげたかファンドといわれるアメリカの投機資本は、破綻して我々が紙切れとしか思わない企業の株からも利益を上げる。ロシアや東南アジアなどの経済状態の悪いところにも資本投下する。そのことでルーブルやバーツが上がれば売り抜けて利益を上げる。そうした手法をファイナンシャルテクノロジーというビジネスとして合法化し、弱者から絞り上げるのである。問題はそうした手法を合法化した世界金融資本にとって、ODAや復興支援などは、自国政府による国家資本の投下であるだけに、海外への直接投資よりはるかに安全なビジネスだ、ということである。

 

そしてイラク戦争は、それまでのODAと異なり、破壊して復興するという、一粒で二度おいしい資本市場の開拓という金融テクノロジーの開発の次なる地平への到達をあきらかにした。これは一面では、資本市場開拓が領土的囲い込みから開放経済構造(自由貿易)へ進化し、グローバルスタンダードの強制で金融独占のノーガードでの殴りあいによる市場再編成を成し遂げつつある世界経済が、金融独占のさらなる利益を生み出す市場として、自国が投下した国家資本にしか求められないという状況、つまりたこの足を食うしか生き延びられない状態にまで到達したことを意味していないだろうか。帝国主義は自滅への最終章をめくり始めたとはいえないだろうか。

 ソ連崩壊以後、無人の荒野を突っ走る世界巨大財閥、アメリカ帝国主義。それを止めるのははたして反グローバリズムなのか。反米反戦闘争なのか。実は巨大財閥は世界を一つの活動の舞台として国境を取り払おうとしているようにみえる。しかし本当は彼らをガードする国境から開放されることはなく、それがアメリカに出現しつつある要塞都市に表現されている。打倒の対象はその姿を現しつつあるにもかかわらず、それに対する、共産主義という背骨を失った攻撃は境界線のこちら側にまで無差別の攻撃をしかけていることを見ておかなければならない。自爆テロを続けているのは、アルカイダや狂信的民族主義者だけでなく、帝国主義そのものだ。それを止めるのは、共産主義者のインターナショナルな運動の復活以外にない。反戦運動。環境運動。民族の独立と自由を求める運動。人権を守る運動。その中心に未完のインターナショナル=第4インターナショナル結成のための運動を打ち立てなければならない。