ホームページ開設にあたって

 ソ連邦が崩壊して十年以上が経過した。『堕落した労働者国家』ソ連邦が崩壊しようとしていたとき、ソ連邦の労働者はこれに抵抗して大規模な闘いを展開するのではなく、プロレタリア独裁が、腐りきったスターリニスト官僚体制と共に消え去ってゆく過程を受け入れた。それは、堕落した官僚独裁体制を拒否するため、労働者国家自体の崩壊を受け入れざるを得なかったほどに後退 した地点で、ソ連邦の労働者は闘いの再構築を迫られていたことを示していた。

 ソ連邦がブルジョア的再編の反動の嵐の中に投げ込まれたとき、“政治革命が始まった”と述べた「トロツキスト」が存在した。政治革命? それは誰がどのような闘いによって準備したのか? 誰が誰と闘っていたのか? そして、「第四インターナショナル」は何処にいて、何をしていたのか!

 永続革命論を貫く最も重要なテーマはプロレタリアート、とりわけその指導部の完全なる政治的独立性である。第四インターの時代は、スターリニスト官僚との関係如何が問われる時代であった。この、もっとも重要な点において、戦後再建されたと称する『第四インターナショナル』(戦後FI)は破産していた。戦後FIは、ソ連邦内部ではスターリニスト官僚と闘い「政治革命」を、と主張するが、一歩その国境を出ると帝国主義と対立するスターリニスト官僚を支持せよと叫んだ。彼らにとってスターリニスト官僚は死活を賭けて闘う相手ではなく、あいまいな同盟者でしかなかった。あいにくなことに、スターリニスト官僚の方は、彼ら善意の同盟者をあいまいに扱おうとはしなかった。

 1968年、パリで、プラハで、プロレタリアートはヤルタ‐ポツダム体制に闘いを挑んだ。アジアではベトナムで、中国で。戦後FIは支配秩序の再構築のために「闘う」スターリニスト官僚の良き理解者であった。

 1980~1981年のポーランド労働者の闘いは、それに先立つ闘争の結果を色濃く反映していた。「反官僚革命」は、スターリニスト官僚対「全住民」の構図に流し込まれた。…「官僚と闘おう、ブルジョアジーと共に!」

 ポーランドの敗北はベルリンを経過してソ連邦を揺るがした。

 戦後、幾たびもプロレタリアートは帝国主義とスターリニスト官僚が構築した支配秩序に闘いを挑んだ。しかし、「指導部」は闘いの前に既に屈服していた。

 戦後FI統一書記局(US)派日本支部を構成していたグループ(「労働者の旗」=MELT)はそのホームページでこう述べている。「革命へと向けた客観的条件が成熟しているのなら、主体も成熟するわけである。主体が革命に向けて準備されていないということは、客観的条件もまた成熟していないととらえるべきであった。やはり『死の苦悶の資本主義』という前提が間違っていたのである。」――これこそパブロ主義の主題そのものである。パブロ主義の克服のための検討を通して、ついに純粋パブロ主義に行き着かざるを得ない戦後FI諸派の悲劇、これが我々の理論的総括の対象であり、トロツキーFIの再建を自らの任務として設定せざるを得なかった直接的理由である。

 資本主義は今自ら積み上げてきた腐敗の重さに耐えかねて「死の苦悶」にあえいでいる。これに対するプロレタリアートの闘いは、ソ連邦の崩壊という深刻な打撃の後で、様々な回り道を余儀なくされている。反グローバリズム、反戦闘争、環境問題。過去にもまして問われているのは、階級の政治的独立性、何よりも『指導部』の独立性である。永続革命論は、我々の手に引き渡され、それはますます重要な武器である。

 わが党のホームページ開設に際し、まず戦後世界におけるプロレタリアートとスターリニスト官僚の関係如何にテーマを絞って過去の論文を掲載するところから始める。ソ連邦崩壊以後の今日なお、再建されるべき「国際指導部」の内容とレベルについて大きな意味を持つものである。

2003年11月 / 中央委員会