大阪府知事、市長ダブル選挙の結果と橋下ブームについて

はじめに―橋下という人物について

民主党政府が当初全国的に喝采を浴びたのが仕分けである。ただしその仕分けは、その後諸々の利権の前で尻すぼみに終わった。その仕分け人と同じスタンスにいるのが橋下である。目下の所は突破力のある仕分け人というところか。本当に突破力があるかどうかは今後、結果であきらかになる。ただ、今までのところで突破力を評価できるのはこだわりとしたたかさである。そしてそのしたたかさの根拠は、失うものが無いからであろう。独裁者とか核武装論者とかいう印象を彼自身が作ってきたことは事実だが、それらは今の所、彼のゆるぎなき思想として固まったものではない。そうした固定観念を彼にとっての抵抗勢力に抱かせることにより、反橋下、反維新の会を幻影との戦いに導いている。戦術家として、弁護士という職業によって培われた能力が大きく働いている。

先の衆議院選挙で民主党に大勝をもたらした選挙民の現状に対する閉塞感と変化を求める雰囲気は続いている。衆院選後、民主党政権では何も変わらないと気がついた選挙民の、旧政権政党支持への回帰が起きたかのようなその後の選挙結果が続いたが、そうではなかった。選挙民の意識は、民主が駄目ならもっと変化を!という方向に動いた。もしそうであるなら、一部にある、今回の結果は大阪の特殊性だ、という見方は当たらない。むしろ全国的な傾向だと看做さなければならない。そしてその根拠は、つまり閉塞感という情況は首都圏の一部を除けば全国に存在する。特に自動車産業の中心地、中部・東海地方はその傾向が強い。また大災害に見舞われた東北は、閉塞感以上の雰囲気が支配していると思われる。

さらなる変化を求める民意が、共産党などのかつての革新派を全く無視してしまっている、ということも大きな問題である。かつての左翼が況対応力を失ってしまっているという現状が、選挙民によって示された。

55年体制と呼ばれる時代の国会の対立構造は、自民党と社会党が議席のほとんどを占めた。その関係は二大政党制のような政権交代が現実に存在すると言うより、野党は与党の暴走を抑止するだけの位置と役割をもった批判勢力でしかなかった。そうした関係は、結論として暴走を抑止する効果は認められたが、政権の腐敗を抑止できなかった。その結果「政権交代可能な制度」ということで小選挙区制が導入され、実際、政権交代可能な政党関係が築かれた。それは、批判勢力としてではなく、政権能力を持った野党の成長であった。とは言え野党の政権担当能力は未成長で、政権交代後日本の政治が右往左往していることは見てのとおりである。そして、かつての批判勢力としての野党は、圧倒的な選挙民によって不要と判断された、と言えるだろう。

かつて抑止力だった勢力について

市長選挙で候補者擁立をやめた共産党が、知事選挙ではやめなかった理由についてはいくつかのことが考えられる。
どちらも見送れば、党としての大義名分が失われ、求心力が低下する。
立候補をやめても維新の会の勝利は変わらないと読んでいた。
反維新の中心候補、前池田市長倉田氏を支持する合理的理由がない。つまり平松市長候補者は一応「非右翼・リベラル」であるが倉田は純保守である。

共産党がこの結果をどのように総括するのかは非常に興味深いが、はたして、「国政、地方行政について明確な改革方針を打ち出し得なかった」と総括するかどうかが核心である。根本は、かつての左翼、革新勢力が「反・保守反動、市民の権利擁護、福祉切捨て反対」などの旗印の下、現状維持派化、つまり保守化していることが最大の問題である。

共産党が平松を応援した理由は「反独裁」であった。それは選挙民によっては全く支持されなかった。そして、選挙によって圧倒的票数を獲得した維新の会にたいしては、「独裁」との批判は全く当てはまらなくなった。

維新の会が圧倒的支持を受けた理由は、今更語る必要はない。そのことに向き合わず、橋下の危険性だけをどれだけ宣伝しても無意味である。そうではなく、維新の会を支持した層が何であるか分析すれば、今後情勢がどう進むかある程度の見当はつく。とはいえ、維新の会支持層はすべての年齢層、社会階層にわたっており、今後はそこが問題となるのだが。逆に維新の会に反対票を投じた「層」は明確である。

職層では公務員と教員。年齢層では60年安保世代以上の、戦後民主主義と平和主義に絶対の価値を見出す世代。これが反維新の会の主力である。65歳以下の団塊世代ですら、反維新派が多数ではないと思われる。

橋下は、公然たる核武装論者である。かつ、独裁的手法でその政策をごり押しする。そのことに対し、戦後民主主義世代は危機感を抱いている。橋下は、府知事に当選した時、憲法九条に抵触するだけでなく、国是ともいえる非核武装に反対するも者が地方自治体とはいえそのトップの座につくことに矛盾は無いか、と問われ、「知事で居る間は、核武装の主張は封印する」と答えている。このことを、平和主義者は忘れていない。それが反維新の会派の「反独裁」キャンペーンとなり、共産党の平松支援となった。この問題は、平和主義者にはきわめて刺激の強い問題だが、平和ボケ?した一般市民にとっては別段どうってことは無い問題である。したがって、元々争点になるわけが無く、維新の会の提起する刺激的な改革案が支持されるわけである。

つまり、小泉的選挙戦術で議会多数派となり、その政策を進めようとする橋下と維新の会への独裁批判と橋下が核武装論者であることを理由にした反戦主義者の取り込みは、今回の選挙では争点にならなかった。

一方、増税に反対し、勝ち組、特権層と看做されている公務員への闘争宣言による弱者支援のポーズは、共産党より橋下と維新の会のほうが迫力があった。

もう一つの見方

日本の、特に平和と民主主義に価値をおく世代は60年安保世代以上である。共産党の活動を見ていると、60年安保世代とは言わないが、50歳代以上と思われる世代が多い。それは日本が一億総中流と呼ばれた時代に、各政党が福祉充実を訴えて選挙に臨んだ時代の、自営業者を含む現役であった世代である。特に60年安保世代以上は、年金支給額引き下げが始まって間もない期間までに年金受給者となった世代で、現状維持に利益の保証を見出している。そうした階層が一番熱心な支持層である共産党が保守化しているのは当然のことかもしれない。

共産党の場合、福祉を守るとして、弱者の立場にあることを強調しているし、日常の弱者救済に具体的事例としては取り組んでいる。しかし、福祉切捨ての根本原因である財政問題について、具体性の見える政策提起が無い。埋蔵金についてはいくつかの政党が指摘しており、それもどうやら行き詰まりを見せている。共産党独自には、軍事費カットと企業の内部留保の増加を取上げるが、企業では、経営者と労働者の間に対立が構成されるのでなく、経営者と正社員に対する非正規雇用・下請けという分断が作られ、正社員もまた内部留保の擁護者になっている。つまり共産党は、資本家と労働者階級という対立を作り出し得ていない。

橋下と維新の会の重要政策に、公務員条例と教育基本条例改定がある。これは具体的には、勤務評定による低評価者を首に出来る、というのが中心である。今までも、不祥事を起した者に対する懲戒処分規定はあった。ただそれが厳正に行使されているかどうかについてはかねてから「身内に甘い」という評価があった。そこで甘さ辛さの誤差を生まないために、制度そのものを変えるとの主張の下に提起されたものである。

この提起が、高級官僚の特権、公務員の不祥事の続発、そして公務員平均給与が600万、民間平均が400万という格差感と重なり、公務員制度改革が選挙民の支持を得る目玉となった。だから逆に公務員は反維新の会の中心勢力となった。結局公務員は、年金受給層と同じく、保守派市民階層としてこの選挙に関わることになった。

大阪都構想の内実

維新の会が提案する大阪都構想については、そう簡単には進まないという意見も多く出ているが、それ以上にいまだ明確な青写真があるわけではない。都構想の原点である二重行政について具体的な事例が作業対象とならないかぎり、その合理性は評価できない。つまり都構想反対という理念そのものが現実感を持って成立しない。したがって維新の会勝利後、各政党は一斉に都構想について検討すると表明している。平松の間違いは、実体の無い都構想に対し「大阪をバラバラにするものだ」と決めつけて批判を行なったことである。

水道事業については橋下知事、平松市長時代に一度突っ込んだ協議が行なわれたが不調に終わった。これが橋下が二重行政解消を唱えて維新の会結成へ向う契機でもあった。不調に終わった理由は大きく二つある。

府営水道は直接市民に水を供給しているわけではない。府下の各自治体はそれぞれ水道事業部を持っている。独自に水源を持ち、必要な水の量を確保出来る自治体もあれば、府水道局から供給を受けているところもある。基礎自治体は市民に供給しているわけだが、大阪市水道局と府水道局が統一されれば、そこから水の供給を受ける他の自治体にとって、同格の水道局から水を購入することになる。その結果、府水道局から水を買うことで得ていた特典が失われる可能性がでてくる。つまり府と大阪市の利害関係から、大阪市と他市との利害関係に代わり、力関係の作用が強くなる。そこでの交渉は、府市交渉から、大阪市と他市との交渉となる。

橋下が都構想を打ち出すきっかけがこの問題である。大阪市水道局が他市水道局に水を売るという構造を回避するために、都水道局が各基礎自治体水道課に水を供給するという形が必要だと考えた。

いずれにしてもこの形は、大阪市にとっては水道利権が府(都)に取上げられることになり抵抗が強かった。橋下が大阪市を「ぶっ壊す」と思いはじめた根拠はそこにある。

そのうえ、大阪市の現業では、同和行政に関係する部門が多い。

かつて同和地区の中には貧困者が多かった。したがって格差解消のために、ということで自治体の雇用に関して同和地区出身者が特別枠をあてがわれていた。戦後一時期までは、その政策は合理的であった。貧困と差別で義務教育を受けていない人も多く、その解消には政治的配慮が必要と認められた。

ところがそうした特権が利権となり、地方自治体の現業部門を支配するようになった。この、一般に同和利権と呼ばれる問題が、水道事業一本化の前に障害となったことも否定できない。

かつて同和利権に手を加えることは時として暴力的抗争を生んだ。関西では八鹿事件や矢田事件で知られている。

近年有名になった同和利権に絡む事件は、新大阪駅駐車場運営会社が市有地を格安で提供されていた事件と、BSEにからみ、国産牛肉を輸入牛と偽り、市の焼却炉で国の補助金を受け取って償却した事件がある。どちらも警察権力が介入して起訴し、裁判で有罪となり、事件は終息した。この両事件は、どちらも暴力団が絡んでおり、警察は、暴力団が関係すれば、同和利権であっても手をつけることは明らかになった。しかし暴力団がらみでなければ、民事として介入しない。したがって依然として同和利権が実際の公共事業に深く絡んでいることは事実である。

大阪市では、水面を清掃する部署で、収拾した金品を私物化したり、わざわざゴミを撒いて収拾することで仕事を作る行為が内部告発で摘発された。この事件では、平松市長は処分だけでなく、刑事告発をし、さらに部門閉鎖などの処置を行なった。

この事件は、綱紀粛正という意味では平松市長は毅然たる行動を示したが、宣伝効果としては公務員の腐敗を広く世間に知らせる効果のほうが大きかった。そして平松が実績として宣伝しても、制度改革が必要だという橋下の主張のほうが説得力があった。

市営地下鉄、バスの民営化についてはJR民営化の真似だろう。持ち株会社にして黒字の地下鉄と赤字のバス事業を分社し、地下鉄の黒字をバス会社の赤字補填に回しつつ、バス部門の合理化を行なうという手法である。国鉄民営化と同じ問題が出てくるだろう。

図書館、体育館などについては基本的に基礎自治体による運営が基本だろうが、他自治体住民利用も考えられる。しかし、だから府立が必用だという理屈にはならないだろう。他に方法が無ければ、他自治体住民の利用も、当該自治体住民利用と同じ条件を提供するなどは、運営方法で対応できることである。

大阪港と大阪南港の一元管理は合理的ではあるが、これも各種利権がからみ、一筋縄でいく問題ではない。ただ実現できれば大きなリストラ効果を生む。ただしそれが、橋下が描くアジアのハブ港の地位回復に結びつくとは考えにくい。日本の人件費、円高、日本の貿易金額の増加量がその根本理由である。

二重行政の解消という主張は、このようなわかりやすい事例で説明され、それが大阪都構想を選挙民が支持する結果となった。

都構想という抽象的問題であるかぎり、各利権集団の対立を覆い隠しているということが、今回の維新の会の大勝の根拠である。具体例としての課題が俎上に上がった時、利権対立が顕在化し、政治対立は複雑なものになる。そうした対立と利権抗争、権力闘争の中で維新の会、あるいは橋下がどのような方向に進むかは目下の所断定する根拠はない。可能性としては強権政治家化し、一部で言われているファシズム化する可能性は無視はできないだろう。

改革を迫られる根本の原因は財政危機である。国政、地方行政に関わらず、政治の中心課題は財政危機である。財政危機は社会不安の原因である。したがって、財政危機によってもたらされる政治の基本姿勢は、絶対に軍事費削減には向わない。ところが地方自治、地方行政の問題である橋下行政は、軍事費に関しては全く関与の権利を認められないしその力も無い。橋下がその改革案を是が非でも押し通そうとすれば、国政レベルでの挑戦を避けられない。

つまるところ財政危機に対する対応は、福祉削減と各種住民サービスの削減にならざるをえない。したがって、その分野での利権対立の顕在化が、今後の情勢の決定要因となっていくと看做さざるを得ない。

大阪の場合、公務員利権と同和利権は深く絡み合っている。つまり公務員利権削減は同和利権削減となる。ところが同和利権には暴力団が深くいり込んでいる。同和利権と暴力団利権の深い関係は、各種同和団体が主導しているとは思われないが、同和側の脇の甘さは歴然としている。公務員がその職務、権利ゆえに厳しい綱紀を求められるのと同じで、政治的に配慮された特権を享受する以上、同和団体もまた社会への責任を自覚すべきである。ところが、かつて耐え難い差別を受けてきた見返りとして、無条件の権利だとして政治的配慮を受けている。それが暴力団につけこまれる原因であることを理解せずに。

港湾や公務員・同和利権に暴力団利権が食い込んでいる以上、その改革には警察権力の動員は不可避である。それでも、改革派元官僚と呼ばれる野田氏が言うように、橋下は、文字通り命をかけざるを得ない。場合によっては、彼が命を投げ出さない限り、その改革は実現不可能である。多くが自民党議員団から移った維新の会メンバーにその覚悟があるかどうかは今の所判断できないが、もしあったら、彼らは確実に今後の日本政治を動かすグループとなる(選挙目当ての維新の会参加もかなり居るのではないだろうか)。

ちなみに、同和利権に敢然とメスを入れたのは共産党であり、特に羽曳野の津田市長は解放同盟系労働組合を動員した圧力に屈しなかった。そのような同和利権に対する不屈の戦いを橋下が出来るかどうかは注目しておく必要がある。

反維新派の保守性についてはすでに述べた。そのうえで、平和と民主主義に最大の価値を見出す階層が、もはや少数派であることも事実となった。このこと自体は今後の日本政治の進路にいくつかの可能性を予感させる条件ではある。例えば九条改憲に危機感を持つことの現実的根拠となる。だが日本の政治にとって九条改憲が中心課題かどうかというとそうではない。九条改憲を巡って日本の世論が二分されるという情況は簡単にはこない。日本政治の対立軸は財政危機であり、そこをはずして九条護憲を政治課題の中心に置く政治行動は、今、単にボケているだけではなく、年金利権防衛の保守派の対応であることが明らかになった。共産党が今回のダブル選挙で鼻にもかけられなかった理由はこの点にある。財政危機と改革に対し、企業の内部留保増加を理由とした福祉切捨て反対でしかなかったからである。軍事費削減は、大阪都構想以上に国政の方針の根幹に迫る問題である。今直ちにその問題が現実の政治対立となる可能性はない。党の理念としてあったとしても、選挙を巡る政策としては無力である。

財源問題については共産党は増税に反対する。根拠の一つに企業の内部留保増加を上げる。これは賃金抑制が続いている中での企業利益の増加を捉えての法人税率アップの主張である。もちろん出来ればそれはやるべきである。だが企業の内部留保と個人金融資産1400兆円というのは別次元の問題である。どちらが先かといえば、個人金融資産に手をつけるほうが先でなければならない。内部留保については、それが賃金に回されたとして、それは個人所得の増加と個人金融資産増加が主な効果である。主要な問題は、内部留保が新規投資に向わないことこそが問題なのである。その理由は、新たな投資機会が少ないこと。経済情勢の不安定による、企業経営リスクが高いこと、である。そして今、パナソニック、トヨタというトップ企業が国内生産の縮小やむ無しという声明を発した。つまり企業の内部留保は、企業生存をかけて、海外投資に向う資金である。現在の世界経済情勢の中で、個別企業がその潤沢な資金を海外に向けることで、日本の景気回復の機会は失われる。それらの企業を「売国奴」とののしっても何の効果も無い。

財政危機克服は、部分的改革では出来ない。全分野の改革が必要である。

収入部門では、増税は必用である。支出部門では、ある程度の福祉削減はやむをえない。問題は、そうした犠牲を伴わない危機克服の特効薬としての景気回復と経済成長が語られるが、その条件が失われ、それを誘引するための財政政策が巨額の国家の負債を作り出したということを認識すべきである。成長は、徹底してきり詰め、借金を清算した時から始まる。その負担をだれが負うのか、ということが争点なのである。

現在提案されている増税案は、資産家、富裕者、特権層に有利で貧困層に負担を強いるものになっていることは間違いない。そして、非特権層が増税に反対するのに便乗して、特権層はチャッカリと増税を逃れている。

求められる増税案とは次のようなものである。

累進所得税の累進率を高める。相続税率を上げる。遊休資産に対する課税強化。金融資産に対する資産税新設。消費税率アップと貧困者に対する戻し税制度新設。健康保険、全年金保険料の累進制と上限撤廃。脱税にたいする刑罰の強化。

企業所得税は外国税制とのバランスが重要であり、減税せざるをえない。企業増税は雇用を人質に取られることによって、富裕層と貧困層の対立の構造が覆い隠される。

格差。それは市民の貧富の差だけではない。国家と自治体の負債が1000兆円。個人金融資産が1400兆円。この格差こそ本丸である。箱物財政とばら撒きでこの個人金融資産が形成され、財政危機が醸成された。この不均衡の是正こそが財政危機解決の基本である。これは、緊縮財政や無駄の廃止、埋蔵金の掘り起こし、福祉切捨てでは物理的にも解決できない。箱物行政や天下りで、一見合法的に、しかし本質的にはお手盛りや公共事業という迂回をつうじて、不正に個人資産に移されたマネーを公共に取り戻すためには、増税は合法手段であり、それしかない。

福祉削減については分野が広く、一部しか提案は出来ない。年金支給額の物価スライドが停止されていて、2.5%高く支給されているという問題について、3年ないし5年で解消するということが決まりかけている。問題は低所得者にとって影響が大きいと言うことである。その前に、年金支給額については別の問題がある。

報酬比例分の年金支給額の上限は、年金財政危機の進行と共に引き下げられている。国民年金、基礎年金は定額方式だから支給額も定額となっている。一件合理的だが、それゆえに受給額の格差が大きく、生活の足しにならないという理由での不払いが多く、それが年金財政危機の大きな原因の一つである。

年金は、現役年齢を超えた高齢者の生活保障であるから、民主党がかって提案した最低保証年金は正しい。そして支給金額上限設定も正しい。

この支給額上限が、受給開始時点での金額で固定されている。たとえば厚生年金の場合、現在は、上限は月額25万ぐらいである。上限が25万に引き下げられた後でも、その時すでに受給していた人は25万を越えていれば、その金額を受け取り続けている。そういう人は先に死ぬので、いずれ今の上限以上の金額を受け取る人は居なくなり、その時点で制度矛盾は解消されるが、その間、年金財政危機の改善は引き伸ばされる。したがって上限が引き下げられた場合は、既受給者の上限も引き下げるべきである。そうすることで低年金者の受給額の物価スライドによる減額を低減する資金を捻出すべきである。

年金財政危機の主な原因は、少子化高齢者増だと言われているが、それだけではない。現役世代の低収入化もまた大きな要因である。今唯一雇用数が増加している介護労働者の月収は1年ほど前引き上げられたが、それでも月額15万ぐらいである。年収にして、多くて200万前後となる。それで生活せよというのだから高額年金受給者も既得権に居座るべきではない。

公的年金支給額抑制については、単純に物価スライドさせるのでなく、月額換算15万を越える分の30%カット。20万を越える分の50%をカット。上限を25万。と言うような方法で行なうべきである。

医療保険については全国一率の広域制度にしないと、基礎自治体では維持できない。後期高齢者医療保険のような改革が必要となるだろう。

公務員給与については、民間給与との比較で人事委員勧告が出され、かつては右肩上がりに引き上げられてきた。しかし民間給与が下がり年収600万と400万という格差が出来た。これは公務員給与の年功序列制度によって格差が開いたわけだが、平均給与の格差縮小は必要である。高級官僚の平均給与引き下げの方法を考える必用がある。

ただし、これらの問題にかかわる金額は円高の現在を基準としており、円安になれば日本市民の生活がたちまち破綻する可能性もある。

維新の会の圧倒的な勝利は、情況を明白にしたという点に関しては意味があった。閉塞感と言われているが、公務員や各種利権に対して、個人事業者、非正規雇用労働者、低賃金労働者、失業者などの不満が非常に高まっていることが明らかになった。問題は、そうした不満が、かつての左翼、革新と言われた政党ではなく、維新の会支持へと動いたことである。

維新の会は各種既得権に対する闘争を宣言することで大勝利した。本当に全ての既得権を解体して利権構造の再編をするならさらに支持を伸ばすであろう。ただし今までは、既得権剥奪の対象は主に公務員に向けられている。同和利権については目下?である。そして富裕層の税制上の特権については何も語っていない。ということは、貧困層への再分配の見直しによって貧困層救済の体裁をとるだろうと予想される。公務員のリストラと給料の引き下げで、少数は貧困層側に追いやるのだろうが、富裕層と貧困層の対立という社会構造そのものは無視されているので、橋下が作り出す政治的対立は格差社会を明確に映し出さない可能性のほうが高い。つまり、一部富裕層、一部特権層を敵として描き出し、それへの闘争として全市民を動員したヒトラーの手法へと発展する可能性を否定できない。特に維新の会が国家の政権を獲得して、なおかつ福祉削減が十分行なえない場合、もしくは福祉削減で貧困層を敵に回した場合、核武装論を持ち出して、対立を対外関係に転化し、民族主義へと変質するとしたら、それこそ悲劇の再現となる。

一方で、二十世紀の「共産主義運動」が一国社会主義に陥り、当面の闘争に勝利する為に民族主義と手を結び、国内権力闘争には勝利したが、何百万、何千万という犠牲者をだして、密告と独裁による支配という共産主義の神話を作り出し、その結果、今日の情勢でも、貧困者が共産主義に期待しない情況をもたらしていることを忘れてはならない。

今日の閉塞感の根源が過剰な福祉支出ではなく、格差社会にあることを暴き出す改革の方針を提案することで、対立を富裕者と貧困の構造に純化させるしか、共産主義運動の真の目的を大衆に周知する方法は無いと考える。目下は、橋下の核武装論とかファシズムの危険性で対立を構成しても勝ち目は無い。既得権擁護はもちろんとんでもない。

財政危機は現実であり、不合理で非情な状況の培養基である。ギリシャ国民が「われわれに責任は無い」と主張しても、国際金融資本が彼らに慈悲深く接することはありえない。同様に、企業経営に責任が無い労働者が日々路上に放り出されている現実を前にして、「資本とはそうしたものだ」と言って自己満足して終わらせることはできない。そうであれば、財政破綻に対して「増税反対」で富裕者を喜ばせるのではなく、低所得者の非課税を保障した増税を提起すべきである。

福祉削減については、受益者が全て弱者と仮定したとしても、高額受益者は生活困窮者に対して分かち合うという考えで制度改革を進めるべきである。

カジノ頼み?

最後に、「景気が良くなれば」と言う話が良くされるが、大阪は今好景気の最中にある。JR梅田界隈ではデパートの新規出店や売り場拡張が進んでいる。それが客を呼んで人通りが増えている。

南の玄関口天王寺、安倍野地区でも駅周辺の再開発が進み、リーマンショック後の人通りの減少は完全に払拭された。

都心部では高層マンションブームで人口が増えて、一旦撤退したスーパーの都心開店が増加している。

名古屋では駅周辺に大型家電量販店出展が続き、家電戦争が勃発している。

これらは、日本の経済体質が生産輸出国から輸入消費国へと変質したことを示している。このブームは、サービス業の雇用増をもたらしているものの永続はしないだろう。そして、消費増加で資産家の資産は時間をかけて引き出されるであろうが、その間に貧困者の生活は破綻してしまう。バブル崩壊以後のデパートの倒産と統合により閉店が相次いだのと同じ情況が来るだろう。日本では、投資機会が生産や流通でなく、消費にしかないことの証明であり、蛸足食い経済の実態を表している。

橋下は、世界が大阪に投資する情況を作り出すと言っている。その考えは正しいが、現状以上に投資を呼び込む方策があるのか?行き着く先はカジノ?

(文責・岩内)