安倍「戦後70年談話」に関する一考察

2016年2月28日 山川

「戦後70年」の昨年の8月14日、かねてより村山元首相の戦後50年談話を謝罪談話と批判していた安倍が70年談話を表明した。これまでの安倍の歴史修正主義的言動からその内容が注目されていたが、言語的には一見村山談話を踏襲した内容に見えたことで、マスコミは安倍談話に好意的であった。しかし、この時点では、安倍にとって「70年談話」は、どうでもよいものだったと思われる。それは、「戦後70年」がまた、日本が戦争を具体的に語りは始める年となったことと関連する。

 安倍は昨年4月の訪米の時、両院議会で演説し、10回ものスタンディングオペーションを受けた。何故なら、安倍は集団的自衛権を盛り込んだ安保関連法を夏までに成立させると、アメリカに約束したからだ。それは、アフガン戦争以降の中東介入による財政負担増、政治的に解決する術を見いだせない状況にあって、オバマに「アメリカは世界の警察ではない。」と言わせた「テロとの戦争」の負担増を日本に肩代わりさせることが国益と考えるアメリカに、忠誠を誓うための演説であった。

2月に「70年談話」等を検討する首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」を立ち上げた。この懇談会の座長代理の北川氏が3月のシンポジウムで、「安倍首相には侵略を認めてもらいたい」と発言した。この発言は、安倍の歴史認識を懸念し、一昨年12月の靖国参拝に「失望した」アメリカへのメッセージでもあった。これらの関係者の発言から、「70年談話」の内容が、この時点である程度推測されてはいた。この北川の発言が功を奏し、アメリカ議会での演説が可能になった安倍には、8月7日に出た「21世紀構想懇談会」の答申を蔑にはできない。むしろ、アメリカ議会演説と『70年談話』を取引したと言っても過言ではあるまい。と同時にこの答申は、日本会議等国内の安倍支持層を説得する道具でもあったであろう。右翼団体からの「70年談話」批判はほとんどなかった。

アメリカ政府が容認し、マスコミが好意的に受け止めた「70年談話」に問題はないのか。

①「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

抑圧者は被抑圧者から自由にはなれない。また歴史は過去と断絶されて今が在るわけではない。日帝時代、植民地支配した朝鮮人民から未だ自由になれないで苦慮してきたのが、戦後日本の一つの姿であった。韓国は1965年の日韓基本条約締結にあたり、対日賠償請求権を放棄した。これは、韓国の本意ではなく、冷戦体制下、特に朝鮮戦争後「防共ライン」国家群として、フィリピン等と同様に米国からの要請があったからだ。その後も日韓間の戦後処理課題を表面化させてこなかった。しかし、ソ連邦崩壊後の1991年に「従軍慰安婦」問題として、1997年には「朝鮮人強制連行」問題が、韓国人民による日本の戦争責任追求として提起され、過去の出来事に対し、日本の今の世代が「関わりない」と言えない事実が顕在化された。その流れの中で出てきたのが、1993年の河野談話であり、翌年の村山談話であった。しかし、日本の戦争責任を追及されることは戦後の日本支配層にとって、自らの存在を問われることであった。つまり白井聡の言う「永続敗戦レジーム」危機である。日本人自身による戦争責任追及に蓋をしてしまった。

従軍慰安婦問題は、2015年12月29日に日韓両国で合意がなされたが、当然にも国家間の合意に元従軍慰安婦をはじめ朝鮮人民の反発は強い。反面、日本人の反応はどうだったか。日本人は、加害者としての戦争責任追及に蓋をするような合意に反対すべきだ。しかるに、韓国への猜疑心発言(「最終的かつ不可逆的な解決」合意を韓国は守るのか等)さえみられた。

戦後70年、慰安婦問題の表面化から25年近い年数が経過した今、日韓両国の合意がなされた背景に何があったのか。経済問題で中国との外交関係を強化していた韓国は、安倍政権発足後、その歴史認識に反発し同じ批判的見解を持つ中国との関係をより強化した。米国は、中韓の経済的接近は容認しても、歴史認識という政治的課題での中韓接近には危機感を募らせ、この問題の解決を迫ったのであろう。それは、安倍の靖国参拝に不快感を示し、「70年談話」を骨抜きにする飴(安倍の米議会演説)を提供した米国の対応の一環である。安倍が2015年11月2日の日韓首脳会談後に「従軍慰安婦問題の早期妥結に向け、交渉を加速させる。」と表明し、持論(「日韓基本条約で解決済み」)を撤回したのは、従軍慰安婦問題解決を迫る米国への回答であった。

以上、安倍の妥協的姿勢の背後には、常に「アメリカの影」が感じられるのであって、日本の戦争責任を否定しつつ、米国に迎合することで政権の延命を図る小賢しさしかない。

そればかりではない。植民地支配時代に収奪した企業の富の蓄積は、戦後復興の原資でもあった。朝鮮半島等植民地に進出した企業、特に新興財閥企業は、植民地投資を積極的に展開した。1938年の朝鮮における会社数の57.7%、資本金の88.4%は日本関連企業である。代表的なものとして満州では満州重工業開発(戦後は日産自動車)、朝鮮では軍需日本窒素肥料(戦後は新日本チッソ、旭化成)があげられる。(表2)も含め、新保博彦著「戦前日本の海外での企業活動」大阪産業大学経済論集第9巻第2号、P6~P9の表を参考》

(表1) 1930年、植民地等海外進出していた払込資本金500万円以上の企業36社

企業名=筆頭株主名 持株比率 出先 戦後関連企業・個人 資本金
(100万円)
売上高
(100万円)
資産
(100万円)
大連取引所信託=昭和証券、3.1


15.0 0.3 16.4
上海製造絹糸=鐘淵紡績、68.2
10.0
27.6
日興紡績=谷田豊三郎、5.9
15.0 1.5 18.2
日華紡織=日本棉花、4.9 ニチメン→双日 11.0 2.5 30.4
内外綿=川邨利兵衛、6.3
16.0 20.1 46.5
朝鮮紡績=山本條太郎、3.5
5.0 0.3 8.6
裕豊紡績=東洋紡績、98.0 TOYOBO 5.0 0.9 7.8
京城電気=第一生命、5.0 第一生命 15.0 3.3 20.3
台湾電力=台湾総督、34.8 当時:児玉源太郎 34.5 4.3 64.1
金剛山鉄道=服部金太郎、10.1. セイコー 12.0 0.8 22.7
朝鮮京南鉄道=秋本豊之進、12,2
10.0 0.3 21.5
南朝鮮鉄道=富国徴兵、14.5 富国生命 20.0 0.0 23.3
南満州鉄道=大蔵大臣、50.0
440.0 188.1 1115.6
朝鮮鉄道=東洋拓殖 10.3 国策会社 54.5 1.6  83,5
樺太鉄道=富士製紙、54.3 王子製紙 20.0 1.0 30.0
北樺太鉱業=三菱鉱業、16.8 三菱マテリアル 10.0 1.6 11.8
北樺太石油=日本石油、10.1 新日本石油 10.0 5.6 17.6
樺太工業=大川合名、11.8 本州製紙 70.0 15.9 136.0
熱帯産業=三井八郎右衛門、30.9 三省物産 6.5 0.1 7.0
大日本製糖=集成社、4.4 大日本明治製糖 51.4 42.4 128.2
明治製糖=福田興業、3.1   〃 48.0 36.8 83.6
台湾製糖=三井物産、 4.7
63.0 26.5 126.1
塩水港製糖=塩糖製品販売会社、9.8
29.3 14.5 107.0
新高製糖=高島直一郎、23.4
28.0 3.6 38.1
帝国製糖=山口誠太郎、4.2
18.0 3.4 39.1
台南製糖=福田政之助 7.5
10.0 6.6 21.8
南満州製糖=南満州鉄道、2.5
10.0 0.1 14.4
日魯漁業=昭和証券、6.8
40.0 23.6 75.1
東亜煙草=大正生命、6.5
11.5 0.6 15.1
東洋拓殖=大蔵大臣、6.0
50.0 8.5 255.0
東亜興業=日本興業銀行、13.5
20.0 1.7 72.8
中華企業=中華興業銀公司2.8

15.0 0.1 15.5
台湾銀行=宮内省、5.1 昭和天皇 15.0 19.2 439.9
朝鮮銀行=朝鮮総督府、3.8 当時:宇垣一成 40.0 11.1 512,6
朝鮮殖産銀行=朝鮮貯蓄、5.9
30.0 13.3 345.4
正隆銀行=安田保善社、22.2 安田不動産 12.0 2.6 95.4
合計
1,270.7
463.3
4,094.1


(表2)1940年植民地等進出の払込資本金1,000万円以上の企業 46社

企業名=筆頭株主名 持株比率 出先 戦後関連企業・個人 資本金
(100万円)
売上高
(100万円)
資産
(100万円)
朝鮮無煙炭=三菱鉱業28.8 三菱マテリアル 20.0 2.2  42.0
北樺太石油=日本石油4.9 ENEOS 20.0 9.2 37.6
朝鮮石油=日本窒素肥料30.0 旭化成、新日本チッソ 20.0 21.5 46.1
昭和製鋼所=満州重工業開発77.5 日産自動車 200.0 78.0 406.5
本渓湖煤鉄公司=満州重工業開40.0 日産グループ 100.0 2.6 280.2
日満アルミニウム=  昭和電工 20.0 9.0 28.0
大連機械製作所=進和商会 7.0
30.0 3.9 53.2
朝鮮窒素肥料=日本窒素肥料99.9 積水ハウス、信越化学工業 70.0 55.0 206.9
満州化学工業=南満州鉄道51.5
25.0 12.2 45.6
北鮮製紙化学工業=王子証券51.8 王子製紙 20.0 6.3 24.6
裕豊紡績=東洋紡績99.4 東洋紡 30.0 13.2 74.7
上海製造絹糸=鐘淵紡績65.4 クラシエグループ 15.0 145.7 100.0
内外綿=中谷合資7.6 新内外綿 33.0 59.7 109.8
同興紡織=谷口豊三郎5.9 ドーコーボウ 15.0 8.8 43.4
日華紡織=倉敷紡績53.3 クラボウ 11.0 8.7 32.1
上海紡織=豊田佐吉 トヨタ紡織 12.0

満蒙毛織=東洋拓殖83.7 トーア紡コーポレーション 20.0 38.7 71.4
日満亜麻紡織=三井物産16.5
12.0 4.5 21.2
台湾製糖=三井物産4.7 三井製糖 63.0 48.3 180.9
明治製糖=第一生命5.8 大日本明治製糖 58.0 56.4 158.2
大日本製糖=藤山同族4.7 藤山愛一郎 74.4 67.7 166.4
塩水湾製糖=新栄産業13.6 塩水湾製糖 60.0 30.3 155.6
南洋興発=東洋拓殖51.2 国策会社 40.0 14.3 78.4
旧帝国製糖=
27.0 9.0 51.6
満州製糖=大日本製糖11.8
10.0 3.3 22.6
満州電業=満州国貯金部18.7
160.0 37.7 374.2
台湾電力=台湾総督15.5 当時:長谷川 清 77.4 10.7 201.0
京城電気=第一生命12.7 韓国 23.0 9.6 46.9
朝鮮水力電業=日本窒素肥料100.0
150.0

南鮮合同電気=大光興業12.2
21.7

西鮮合同電気=平壌府19.7
17.8 8.0 45.2
南満州ガス=南満州鉄道37.1
20.0 2.4 32.3
朝鮮鉄道=東洋拓殖10.3
54.5 3.8 92.1
朝鮮京南鉄道=秋元英吾14.1
10.0 1.9 24,8
大連汽船=南満州鉄道100.0 新和海運 25.7 23.5 92.1
朝鮮郵船=殖産銀行39.9 昭和郵船 10.0 7.2 19.8
満州電信電話=満州国特命全権大使27.8 当時:梅津美治郎 100.0 50.8 200.7
日魯漁業=日魯株券保全 1.4 マルハニチロ 53.8 41.7  104.7
東亜煙草=華北東亜煙草23.6 双日ジーエムシー 30.0 3.1 59.5
満州重工業開発=満州国政府50.0 岸信介、 450.0 45.9 1,503.5
南満州鉄道=大蔵大臣50.0 当時:河田 烈 1,400.0 799.2 3,628.1
東洋拓殖=大蔵大臣3.0 国策会社 50.0 22.5  568.5
台湾銀行=内蔵頭5.0 当時:岩波武信 30.0 28.6  834.8
朝鮮銀行=朝鮮総督3.8 当時:南次郎 40.0 50.1 2,053.4
朝鮮拓殖銀行=朝鮮貯蓄銀行8.0
60.0 39.5 1,113.4
満州中央銀行=満州国政府100.0 椎名悦三郎 30.0 40.3 1,852.6
合計 3,635.6 1,934.7 15,284.6

《(表1)(表2)、新保博彦著「戦前日本の海外での企業活動」大阪産業大学経済論集第9巻第2号、P6~P9の表を参考》太字は、表1と表2、双方に記載された企業。
([出先]欄:朝=朝鮮、満=満州、上=上海、台=台湾、サ=サイパン、マ=マレイシア)

この10年間の変化(資本金約3倍、売上高約4.5倍、資産額約3.8倍)をみれば、いかに植民地住民からの搾取が行われたか一目瞭然である。

また、筆頭株主をみれば戦後も日本産業の中心的位置を占める企業名や個人名がある。

以前から歴史修正主義者は、このページの表の二番目の「朝鮮水力電業」が朝鮮の電気事情を一変させた事実を捉え、植民地統治時代の「正の側面」を強調、「負の側面」を隠蔽する論を張ってきたが、これだけ多くの利潤を得ていたわけであり、例え敗戦で現地資産の多くを失ったとしても、これらの施設等が朝鮮半島の戦後復興に寄与するのは当然であり、それをもって植民地支配を正当化することは出来ない。しかも植民地支配時代、これらの開発のほとんどは被支配地人民の要請によるものではなく、企業活動の要請に寄るものであった。その開発の時点で、朝鮮総督府等のどのような協力があり、現地住民の強制立ち退き等があったのか、どのような公害があったのか。これらの証拠は、従軍慰安婦問題同様、日本政府、朝鮮総督府等による敗戦時の公文書焼却行為で闇の中に葬られた

更に、「あの戦争と係わりのない世代」が戦後生まれの者であるのならば、岸信介の孫である安倍は、岸を引き合いに出し自らを権威付けする言動はやめるべきだ。満州国の官僚であった岸は、戦後GHQにより戦犯として逮捕され、巣鴨刑務所に拘留されていた。しかし、東西冷戦の激化は、GHQの占領政策の重点を革命防止(資本主義社会の防衛)に変更、岸ら多くの戦争犯罪者を釈放し公職復帰を認めると同時に、共産党員らを公職追放(レッドパージ)した。東西冷戦は、戦争指導者、国政に関わった政治家、官僚や植民地からの搾取で富を蓄えた企業を免罪し、何らの責任を追及されることもなく、その地位や富を継続させた。このGHQの占領政策は、1952年の独立以降も日米安保条約によって継続されてきた。安倍が首相であるのも岸のお蔭であり、彼が祖父を「尊敬する」と言えば言うほど、「あの戦争には何ら関わりない、私たちの子や孫」は存在しないのだ。「永続敗戦レジーム」を体現しているのが安倍に他ならない。

戦後世代はこれら戦前の様々な財産を引き継いで、現在の生活を営んでいるのであり、無関係ではありえない。戦後民主主義を評価する戦後知識人や左派陣営は「日本は敗戦により、新しく生まれ変わった。」と「新しい日本」と「過去」との断絶を強調してきた。もし、それが日本の戦争責任追求と相まって主張され、実践されていたならば、少なくとも隣国関係や日米関係、沖縄問題等において、今日のような状況には至らなかったかもしれない。また、憲法9条下での自衛隊容認にはじまり、集団的自衛権容認の安保関連法制定までいたらなかったであろう。そうであったのならば、憲法9条は現在のような条文だけの存在に成り下がらず、世界各国が目指す一つの指標として、国際的存在基盤を持ち得たかもしれない。そうであったならば、ノーベル平和賞ももらい、世界文化遺産にも登録されたであろう。現在の状況で、「憲法9条にノーベル平和賞を」とか、「憲法9条を世界遺産に」と宣うこと自体、日本の戦争責任追及を放棄した、日和見護憲運動でしかない。

日本人自らによる戦争責任追及がない限り、アジア諸国の人民が納得する謝罪は出てこないことは確かであり、沖縄の基地問題も、沖縄が完全な自治権を勝ち取るか、独立しない限り解決することはできない。

②「自由で民主的な国を創り上げ、法を重んじ、ひたすらに不戦の誓いを堅持してまいりました。」

このフレーズの文言には、安倍が2020年東京オリンピック誘致のプレゼンテーションで、福島第一原発の放射能について、アンダーコントロールしていると言ったことと同質の嘘とその嘘を誤魔化す言葉に溢れている。このような嘘と誤魔化しを平気で行うことが出来るのは、事実に対する謙虚さが無く、独りよがりの発想しかしないからとしか言いようがない。

「自由で民主主義な国」なんて真っ赤な嘘である。戦前の天皇制国家は元より21世紀の今日まで、この国に自由と民主主義が存在したことがあるのだろうか。もし存在するとするならば、一部の富裕層、支配層にだけ受け入れられる自由と民主主義ではないか。集会・デモすら規制され、自衛隊批判のビラを播いたり、政権批判の落書きを描いただけで逮捕され、「日の丸・君が代反対」と主張すれば、懲罰を与えられたあげく、長時間の撤回闘争を余儀なくされる。政権に批判的な言論人は、政府の圧力に自ら屈した報道機関の自主規制で排除される。

学生はアルバイトと就活に追われ、政治的な行動をすれば「就職に支障が出る」と周りの大人ばかりか、そのような状況を打破するのが勤めであろう国会議員までもが言う。そもそもアルバイトをしなければ学費も払えず、卒業と同時に何百万円もの奨学金借金を背負わされ、運良く就職できても25年間もローンを払わされる人生を強要する政治は民主的なのか。運悪く就活に失敗したなら、不安定雇用・低賃金労働者にしか道がなく、奨学金借金の返済が滞れば、信用販売会社のブラックリストに載せられ、クレジットカードさえ作れない。多数の若者を「貧困ゲーム」に駆り立て、小間使いのようにこき使い、考え行動する時間を与えない国に民主主義が育つわけがない。「それでもデモも集会も出来る。」「それでも仕事があるだけましだ。」というのは、奴隷根性を植え付けられつつある証拠である。

単純多数決で作られる法律は、現体制を維持するための道具でしかなく、人民の生活、幸福を実現することよりも国益を優先させる。最たる実例は、①企業減税分を国債発行で賄い税金で負担する税制、②多数の非正規労働者を作り出し、労働条件は雇用主と個人の契約関係とした、双方の力関係を無視した労働法制、③政府行政情報は秘密にし、国民情報は一元管理しようとする住民管理、④現体制に批判的な団体、個人が集まることすら許さず、権力側の盗聴はやり放題にし、町中に監視カメラを設置する治安法制、⑤個に応じた教育、評価は「興味・関心・態度」を絶対評価で自主性尊重と言いつつ、その基礎となる個人の思想的基盤に修正主義的歴史観、滅私奉公的道徳観を強制する教育法制、⑥日米安保条約の下、憲法の保障する権利を無視する基地・安保法制など。

こうして列挙してみると安倍政権は、自民党の「日本国憲法改正草案」を先取り、実体化していることが分かる。つまり、法律で改憲しているのだ。

7月の参院選で改憲を争点にすることを表明した安倍に対し、安倍の雇用・福祉等弱者切り捨て、原発再稼働、治安強化等の内政、米国一辺倒の安全保障、TPP、武器・原発輸出等国益重視外交を批判し、これらの課題で闘っている団体・個人を連携させ、選挙しか頭にない既存政党を乗り越える闘争を構築しなければならない。

③「だからこそ我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」

このフレーズこそ、安倍が70年談話に込めた意思が反映されている。マスコミの多くは、村山談話のキーワード「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」が散りばめられた70年談話を好意的に受け止めていたが、それは単なる、まさに「言葉」に対する評価でしかない。安倍は、『(自由、民主主義、人権といった基本的)価値を共有する国々と手を携えて「積極的平和主義」の旗を高く掲げ』というフレーズで70年談話の思想を表現した。

自由、民主主義など「基本的価値を共有する国々」とは、明らかに中華人民共和国を排除したものだ。むしろ、仮想敵国とした表現である。中国を仮想敵国にすることによって、冷戦体制崩壊後の米国の日本離れに歯止めを掛けたいのである。当然、我々は中国人民を中国と一括りにして排除はしない。

そして安倍の言う「積極的平和主義」とは、「集団的自衛権によって日米同盟を強化し、米軍の武力を後ろ盾にすれば、日本を攻めようとする勢力(国)も躊躇するから、戦争のリスクが減る」というものだ。70年談話を発表してから一月後の9月19日、集団的自衛権行使を中心とした安保法案を強行採決した。安倍としては8月14日時点で強行採決も視野に入れた予定通りの行動であったのであろう。これにより、「ひたすらに不戦の誓いを堅持してまいりました。」という「不戦の誓い」の平和の質は、180度異なる「武力」による平和の質に変換された。それはまた、戦後70年、日本国憲法が施行されて68年目に、「9条があるから日本は戦争にまきこまれない。押し付けだろうが9条は良い。9条を改憲派から守れるなら、専守防衛のための自衛隊はしょうがない。」としてきた護憲派の思いや運動を、その曖昧さ故に足元をすくわれて、全否定されたことを意味した。

もし、尖閣諸島で日中の小衝突が起きたなら、昨年8月30日の国会前12万人集会、9月19日の強行採決時の国会周辺での反対派の熱気も一挙に逆転する可能性は大きい。野坂昭如も言ったように、一夜にして出来た民主主義、平和主義は、一夜にして「中国を許すな」「自衛隊戦え」的ものに変わりかねない。「戦争反対!」集会を行っても、千人集まるだろうか。何故か。答えの一つは、首切り覚悟のストライキも流血事態のデモも、もう40年近く経験していないからだ。私たちの多くは、何かを守るために何かを失う覚悟はあるだろうか。多くの若者に、何かを失っても実現したい理念や理想があるだろうか。教育制度の変質で日常的な議論の場は奪われ、企業体制の中で抵抗する力を奪われてきた40年の歳月が、安倍的存在を生み、安倍的政治を登場させた。フランス革命もロシア革命も、体制側の弾圧に耐える力、実現すべき理想が人民の中に共通項としてあった結果であろう(マスコミの言う「アラブの春」も犠牲者は出たが革命ではない)。比較して、私たちの前にある民主主義はどうだったか。平和憲法はどうであったか。昨年の安保法制化反対闘争においても、「民主主義守れ」「憲法守れ」「9条守れ」は、シュプレヒコールでは在り得ても、それが全てでは駄目なのだ。小泉内閣がイラク派兵を決めた時、護憲派を「一国平和主義」と揶揄したのに、「一国平和主義で何が悪い」的反論すら出てこない護憲運動では、世界も振り向かない。「平和」も「革命」も一国では成就しないのだから。


今回の安保法制で問われたものは、「戦争法」と一括りされるものではなく、安全保障の問題だ。そこでは、日米安保条約が問われるべき問題としてあったはずだ(沖縄問題との関連させた運動なのか)。そこでは、国連憲章における日本の位置付けも問われもしよう(日本は国連にとっては、今も敵国なのだ。敵国とされている国を集団的自衛権で守る国はどこだ)。そこでは、かつての侵略国のいう集団的自衛権とは何かも問われるはずだ(ポーランドとかが掲げるなら歴史的によくわかるが)。そこでは、隣国との外交のあり方も問われるべき問題として出てきたであろう。(中国封じ込めの時代錯誤的発想なんて、米国でさえ持っていない)

これらの問題が問い直されてこそ、例えば、沖縄問題にヤマトンチューが真摯に向き合うだろう。日米安保維持のために現状を強いるか、負担軽減のために米軍基地を受け入れるのか、はたまた、沖縄の完全自治権(または、独立を)を支持するのか、更には、日米安保そのものの廃棄に至るのか。沖縄問題の新たな地平が拓かれない以上、安倍は沖縄県人から自由にはなれない。

闘いは共産党が目指す野党連合政権の安保関連法廃案だけではない。我々は、特定秘密法、共謀罪、盗聴法改悪、非常事態条項が、安倍の言う「積極的平和主義」を支える「治安維持法」であると位置付け、闘いを構築しなければならない。


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