安倍政権の本質(その2)

2014年11月12日 田代 直樹

アベノミクスの成果を解散総選挙で問う??


  一体アベノミクスとは何なのか? デフレを脱却し、円安を目指す金融緩和の一の矢、公共投資で需要を掘り起こす財政出動の二の矢、成長戦略の三の矢。実は二の矢、三の矢は付け足しに過ぎず、実際にも効果は出ていない。公共投資の財政出動はGDPの二倍という財政赤字を考えると副作用の方が大きいし、消費税増税が大前提とならざるを得ない。三の矢の成長戦略に至っては「女性」と「地方」である。スローガンだけで全く具体性が無く、とても戦略と呼べるような代物でない。サハリンから北海道に石油、天然ガスのパイプライン敷設の方がよっぽど具体的かつ現実的である。ということで、アベノミクスというのは実効的には金融緩和のクロダノミクスのみである。

 では金融緩和を見てみよう。麻生政権下の2008年、リーマンショック後に米国FRBは国内の企業救済に大規模な金融緩和を実施する。ドルが急速に下がり、続いて欧州中央銀行もFRBに追随し、ユーロが下げる。結果、円は超円高となる。シャープ、ソニーを始め電機、自動車などの輸出産業は大打撃を蒙り、海外に工場移転する。この製造業の海外移転が今日にも重い足かせとなっており、円安でも輸出が増えない元凶となっている。当時日本経済は既にデフレで、失われた10年から脱却できないでいた。経済成長は鈍く、そのため日銀は景気浮揚策として、すでに相当額の金融緩和政策を実施していたのである。サブプライム問題が発生する2007年には、円は120円までになっていた。

 リーマンショック対策に、オバマ政権とFRBは実際に通貨戦争(通貨の切り下げ)を仕掛けたのである。しかし、そのやり方はルールを変えるというものであった。不況対策の金融緩和は通貨政策と呼ばないというルールである(つまり通貨政策としてのドル買い、円売りの為替介入はアウト)。欧州中央銀行、中でも財政健全化が国家戦略のドイツは反対したが大勢には応じきれず、通貨戦争(金融緩和)に突入した。通貨戦争は武器を用いないというだけで資本主義、古くは帝国主義時代の戦争である。当時の日銀総裁白川は、一つには上で述べたようにすでに相当額の金融緩和政策を実施していた事、第二に金融緩和という名を替えただけの通貨戦争はやがて世界の資本主義を破滅に導くに違いないという日銀の伝統的思考により通貨発行額を増やさなかった。また、当時の自民党政権、及びそれに続く民主党政権もこれを放置した。米国、欧州がすでに戦争状態の通貨戦争で戦っている時に、一人日本だけが「世界の資本主義を破滅に導く」という理由で通貨戦争に参加しない事は、結果サンドバック状態となり、リーマンショックが米国発であったにもかかわらず、日本経済は失われた20年に沈んでいった。社会主義日本ならともかく、資本主義日本であるなら、たとえそれが地獄の底へつながっていようが参戦せざるを得ない。サムスンは勝利し、シャープ、ソニー、パナソニックの企業戦士は殉死したのである。革命的敗北主義は労働者階級のみの戦略である。日銀黒田総裁は通貨戦争に参戦し、円安、株高となり成功した。しかし、通貨の切り下げは本質的に国内の労働者の労働力を安く売り飛ばしている事であり、労働者を含めた消費者から国家的搾取をしている事なのだということは言っておかなければならない。

 そしてここに来て、円安による物価高、消費増税によって消費マインドが落ち込み経済の失速が明らかとなった。三党合意の消費税10%の再増税は絶望的となった。アベノミクスの化けの革が剥がれたのである。原発再稼働への道は一部作られつつあるとはいえ、TPP頓挫、米軍基地の沖縄辺野古移設が焦点の沖縄知事選の敗北、APEC、日中、日韓関係の修復と北朝鮮拉致問題の未進展、経済から外交まで安倍は八方塞がりとなり、解散総選挙という賭けに打って出たのである。憲法九条改正が困難と見るや集団的自衛権の閣議決定にすり替える。増税が不可能と見るや解散に走る。一言で言えば安倍政権には「姑息」という言葉が似合う。この理念なき政治集団、安倍自民党。以前の自民党は腐っても政権党だった。今のこの自民党は一体何なのか。

  「安倍自民党に投票するな!」は当然であるが、それに代わる選択肢が議会政党の中には存在しない。「選挙をボイコットせよ!」という主張さえも現実味を帯びつつある情勢に入ったともいえるのだ。

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