安倍政権の本質(その1)

2014年10月25日 田代 直樹

「戦争をしない為にも集団的自衛権は必要」は安倍の偽らざる真意


左翼党派は、安倍は日本を戦争のできる国にしようとしている、と非難する。当の安倍は国会の質問で事あるごとに「戦争をしない為にも集団的自衛権は必要」と言い続けている。必要か必要でないかは別にして、これには大多数の国民も信じていない。これは安倍の偽らざる真意か。それとも自らの右翼的思想を現実化するための方便か。

 集団的自衛権の現実の課題として尖閣の問題がある。しかし、尖閣の問題を領土問題にすると国際政治が見えなくなる。より本質的には階級関係が見えなくなる。
 軍事シミュレーションをしてみよう。ある日、突然に中国の人民解放軍の艦艇が、勿論軍艦である、が尖閣諸島に上陸する。軍事施設を建設するかもしれない。日本は黙ってはおれない。自衛艦を派遣し、アメリカにも日米安保条約に基づく軍事行動を依頼するであろう。アメリカは軍事行動の選択肢ではなく外交的仲介を選択するだろう。アメリカは即軍事行動を起こさない。アメリカの領土ではない(まして人の住まない岩礁でしかない)のだし、尖閣の領有権問題は二国間の問題であるからである。自衛艦と人民解放軍の艦艇が局所的に戦火を交えるかもしれない。また、航空機同士の戦闘もあるかもしれない。しかし、中国が本気で、核心的利益として尖閣を防衛したなら、日本の世論も、マスコミもこぞって中国を非難し、政権に実力奪還を叫ぶだろ。大衆は我先に愛国者ぶりを競い合うであろう。安倍をはじめ、自民党は混乱の極地に陥るだろう。日本の実効支配が、中国の実効支配になってしまうのだから。
 この時に明白に判明するのが「アメリカは日米安保条約で日本を守ってくれない」というリアルポリティークであり、中国の現実的脅威である。つまり、歴史をたどれば、吉田ドクトリン(戦後保守本流)とは「日本がアジア・太平洋地域の軍事的脅威にはならないことによって、この地域の平和を維持する」ことを基本的条件とし、「日本の平和はアメリカの核の傘で守る」とする立場であった。これが憲法九条の真の内容であったし、この点において平和主義者は保守主義者とも利害を共有することができた。しかし今日、中国の経済的台頭と軍事的脅威の増大を前にして、この『基本的条件』は現実性を喪失し無力化したのである。加藤、古賀などの古参議員は退場し、戦後保守本流は亜流へと転落した。安倍が戦後レジュームと言ったのは、この事である。安倍はこのことを最も恐れている。日本の平和を維持し、国益を擁護するために何が最も必要なのか。安倍が考えたのが抑止力の強化である。中国(人民解放軍の暴走もありえる)に軍事的冒険主義を思い留まらせる程の日本の軍事力増強と、アメリカとの軍事同盟の緊密化である。安倍にとっては集団的自衛権と日本の米軍基地はアメリカを人質とする不可欠の条件である。

 日本国憲法、特に九条は日米安保条約に分かちがたく結ばれている。それとともに国連、IMF、GATTなど、戦後世界支配体制の支柱に組み込まれた一つなのだ。だから、安倍の改憲に対して、平和主義的護憲では立ち向かえない。現在の世界情勢は、平和主義では平和は守れないのだ。安倍は右翼石原とは異なる。思想の根っこは同じかもしれないが、政権を握っているから、安倍は右翼だが自民党の右派的政策しか実行出来ない。だから、安倍は安倍なりに平和主義者であろうとしていると言える。
一方アメリカは中国をどう見ているか。最早、中国の経済成長は止められない。中国の経済的優位は揺るがない。しからばアメリカは中国と現実的対応を考える。少なくとも軍事的、政治的優位を維持しつつ。

中国と戦争状態になった時、我々はどう叫ぶのか?レーニンの革命的敗北主義である。即時停戦! 安倍自民党政権打倒! 尖閣がたとえ中国の実効支配下になったとしても即時停戦なのだ。

次回ではその中国、習政権に迫る。


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