IS「イスラム国」問題とはどのような問題か?

岩内 悠造

はじめに

イラクやシリアで残虐な行為を行い、世界中で問題にされているイスラム過激派イスラム国についていろいろのことが語られている。そのなかで特にナンセンスと小生が思うのは「インターネットの駆使、上手な宣伝、勧誘」という論調です。反イスラム国側はインターネットだけでなく、マスメディアを駆使して反イスラム国宣伝を行っている。しかも圧倒的な物量で。それでも世界各地から若者がイスラム国に参加し、世界は残虐行為を止められない。

ロシアのプーチンは、ウクライナ問題で対立するアメリカが右往左往している姿を冷ややかな目で見ているだけで、この問題の解決について国際社会に協力する姿勢を示していない。

ただ、イラクとシリア内戦でイスラム国が勝利すれば、確実にカンボジアのポルポト政府の再現となることはあきらかです。なぜなら、イスラム国は、外部世界からの訪問者だけでなく、一旦イスラム国に参加し、離脱を試みる人たちをも処刑し、恐怖支配体制を採っているからです。そしてそのことに対してとっているプーチンの態度は無責任極まりない。

何故イスラム国に若者が曳きつけられるのか。プーチンは何故そのように対応しているのか。それらの問題がわからない限り、今の世界、その現状を理解することはできないだろう。またそれを理解しない限り、何が解決かということすらわからない、と考えます。

バックグラウンドとして語られるのは格差社会。たしかに急速に進む格差の拡大があります。しかしそのようなことはこれまで何度もありました。ある時は貧困層の反乱で革命が起きたり、恐慌がおきて富裕な者が無一文になったり、戦争で社会資本が消し飛び、すべての国民がどん底から這い上がったり。そういう現象の現代的表現であれば、イスラム国は歴史の進化の一現象として評価できます。しかしそれでいいのか?

全く敵意のない人間も捕らえられ、処刑される。ボコハラムに至っては、関係ない市民を拉致し、人間爆弾にしてテロを繰り返している。さらに同調者が、世界のあちこちで無差別テロを繰り返している。小生は、そこには歴史的にも現代においても、正義など全く認めないのですが、それを認める者が現に存在する。したがって、彼らの正義感が間違いであることを認識させる必要があると考えます。そんなのめんどくさい。やっつけてしまえという考え方もありますが、それが誰にも出来ていないのが現状です。またやっつけてしまっても、また出てきます。

日本人ならほとんどの人が知っているオウム真理教。その教祖麻原彰晃は、妄想性人格障害者でありかつ稀代の詐欺師です。それが自滅したにも関わらず(彼は裁判で潰されたのではなく、その前に自滅している)なおその妄言を信仰する者が多数います。古来宗教家は、受難をステータスにしており、権力によるオウム真理教摘発は、彼らの側から見れば、ステータスを高める受難だから非常に始末が悪い。イスラム過激派も、おそらくこの受難の論理で、参加者を縛っている。

とりあえず、自分自身がそうした受難理論に陥らないためにこの一文を書いてみました。

第1章は、イスラム国を生み出した政治情勢についてであり、かなりの方に理解していただけると考えています。

第2章は、現代の宗教とは何か、という章題のとおり、歴史的に変化してきた宗教の現代の姿について述べています。

第3章は、文明とともに生まれた宗教は、集団で生活する人類の存在様式に宗教発生の根拠があり、教義は、集団の、今日で言う憲法から生活の仕方までを伝聞形式、つまり情報として、独立して投影した物であるということ。集団が大きくなり、文字の発明で表現が抽象的になり、それを司どる職能集団、宗教家が発生する。その職務は集団のリーダーであり、かつ秩序維持に従事する官僚となったこと。そして秩序を守るために社会の実態と教義の倒錯が起き、宗教が非科学的精神分野と評価されるに至ったこと。にもかかわらず、人間社会の基本原理をその発生の時から語り継いでいるために、宗教は力によって人類社会から駆逐することはできない、ことを述べています。

第4章を読んだ方は「は?」この筆者の頭の中はどうなっているのだ?と思うかもしれません。それがイスラム国とどうかかわるの?頭がおかしくなったんちゃう!そうかもしれません。宗教やイデオロギー、共産主義活動家をも取り込んでしまう「受難」の論理から自分自身が逃れるための、小生の限界だと、一笑に付していただいてけっこうです。

第1章 イスラム原理主義発生のメカニズム

・・・・簡単に言えば、冷戦時代の社会主義運動、民族主義、宗教、反帝、反戦等の政治潮流の反米統一戦線が、盟主のソ連が崩壊することでコントロール不能に陥り、それぞれの潮流が純化、暴走、拡散しつつある状態である。これは、多民族、多宗教国家であり、第二次世界大戦中は連合国側と同盟国側に分裂していたユーゴスラビアが、チトーの死によってアイデンティティ(巨人チトーの求心力)を失い、泥沼の内戦に陥ったのと同じ現象である。ソ連崩壊から4分の1世紀も経過してそれはないだろうという意見もあるだろう。だが出来上がった社会秩序の崩壊と再形成の時間的進行は、諸条件によって大きく変わる様相を呈するのが実態である・・・・

イスラム過激派。イスラム原理主義。この二つの言葉は、イスラム国、タリバン、ボコ・ハラム、アルカイダ、その他、などのグループにたいして張られたレッテルである。それぞれの単語は、こうしたグループの持つ特徴にたいして、少し違ったニュアンスで用いられる。

原理主義というと、いかにも宗教の教義にたいして忠実で、教祖(イスラムでは預言者)の教えを厳格に守ろうとすること、と理解することが出来る。だが実際には、そうしたグループにとって原理主義は方便に過ぎない。

イスラム国出現の直接の契機は、フセイン政権を倒すためにアメリカが始めたイラク戦争である。この戦争は、二つの要因によって激しい反米主義を生み出した。特にフセイン政権の支持母体であったイスラム教スンニ派は、敗戦によって、スンニ派の大統領フセインに保護されていた生活基盤を失い、しかもアメリカが後押ししたシーア派政権から疎外された。この、シーア派政権に対する生きるための闘争と、アメリカへの憎しみが結びついて、初めは自爆テロを含むゲリラ、テロ闘争であった。そのころこのグループは、ブッシュのアメリカによって、フセインがその後ろ盾と決め付けられたアルカイダに接近し、イラク・アルカイダと呼ばれた。

イラクからの米軍の撤退は、イラク国内の諸勢力の力関係を変えた。シーア派政府。自治区を獲得したクルド民族。スンニ派を中心とした「反米反シーア派政府」勢力、の三つ巴が生まれた。そのなかで、権力の空白地帯が生まれ、「反米反シーア派政府」勢力の中で最も過激な部分が支配地域を拡大し始めた。このグループの戦術は、9・11テロに示されるような過激なテロを継承しており、したがって過激派と言う呼び名で特徴付けることはふさわしい。

ただ過激なテロだけの運動は何も生み出さない。したがってどのように同情すべき事情があったとしても、その行動が絶望の極みでしかないこと、しかも彼らが憎んだ米軍の無差別爆撃と同じことをやっているだけだ、ということは誰にでもわかってしまう。結果は、平安を望む住民や外部社会に、逆に憎むべきアメリカへの期待が膨らむだけである。(#1)

自爆テロが何を訴えるか。見方によっては「そこまで追い詰められていたのか」という同情を生むこともありえる。だが世間は、テロの巻き添えを食った無関係者への同情と犯人への憎しみとさげすみの感情のほうが、テロリストに対する同情よりはるかに大きい。何より、誤解だとはいえ、「アメリカは世界の警察だ」という作られた世界神話を覆すのは至難の業であり、ましてテロでその神話を覆すことは出来ない。もっとも、テロリストに同情の感情を抱く者は、自爆テロ犯人と経験を共有する環境にある者であり、したがって世間の感情だけで自爆テロの種がなくなるわけではなく、むしろ連鎖は続くと見なければならない。

たしかにアメリカの戦争は実に醜く、その首謀者ブッシュについては、いずれ歴史は厳しい断罪を行うであろう。だがそれに対しイスラム国の行っていることはまったく同情の余地はない。むしろブッシュの行為を正当だと思わされている部分の思い込みに確信を与えるだけである。そこに至った境遇には同情できても、行為自体は許すことの出来ない非道極まりない行為なのである。

そういうことだということを、イスラム国自身が十分理解している。だから彼らは自らの正当性を宗教に求める。自らがもっとも真面目な求道者であるように吹聴し、教義を語り、宗教家や信者の反論を押さえ込み、そして自爆などの行為が宗教への忠誠心の証だとして自爆テロなどの非人間的行為に追い込んでいく。そこに宗教を道具として使う行為を原理主義として規定することが出来る。

まとめれば、自らの利益に敵対する者に対する戦いに宗教を利用することが原理主義である。したがって原理主義はイスラム独特のものではない。他の宗教でもありえるし、実際起きている。ここで一つ補足しておきたいことは、原理主義者の反権力闘争に対して、権力者も「原理主義的」対処を行う場合が多い。相手が何故そこまで追い込まれたかなどの事情を一切斟酌せず、行為だけを法的に裁くことが正しい、と決め付ける方法である。(大岡裁きがあれば、世の中はもっとうまくいきそうなものだが。絶対正義など無いことは世界中の誰もが知っている。ところが利害が絡むと人は絶対正義を振りかざす。特にアメリカの裁判制度では、利害が絡むと絶対に自らの非を認めてはいけないそうだ。その手法がアメリカの外交戦略にも浸透してしまっているようだ)

今日イスラム原理主義と呼ばれる現象は、イスラム国の場合、本質は反米反シーア派ゲリラの最も過激なグループが、その勢力拡大のために原理主義の戦術を採用し、その結果その敵とする対象が、アメリカとシーア派政権に限定する条件を突き抜け、最初はアメリカとシーア派政権の同調者に、次にそれを批判しない者に、そしてついにはイスラム教以外の全ての者にエスカレートしてしまった、という状態である。戦いは敵を増やしては勝てない。「敵を分裂させるのが上策である」という単純な原理から見て、宗教の原理主義は最初から逸脱しているのである。(オウム真理教は原理主義の一種である。はじめは被害者の会の坂本弁護士殺害や警察庁長官狙撃など、直接敵対する部分をターゲットにしていたが、最後には無差別テロにエスカレートして自爆した)

国との関係は基本的には地域間の関係であり、領土をめぐる争いは常にある。しかし同時に地域間には貿易関係、つまり経済関係がある。したがってもし武力紛争(戦争)が起きても、相手を殲滅してしまうという事態は、よほどの物理的力の差がないかぎり起きない。その場合、弱者が戦争をしかけることはなく、せいぜいゲリラかテロで溜飲を下げるぐらいである。そうした争いは、本来は現実的であり、協力関係に簡単に転換する。

だが、思想の関わる争いでは、戦争を統率する総指揮官は、常に戦争の根拠を国家や宗教や民族に求める。勝つための手段として、兵士の敵愾心を掻き立てる手段が愛国心や民族や宗教だからである。古くは十字軍の時代から、世界史上の戦争はその形を取る。日本は、幕藩時代の地方分権国家から中央集権国家への転換を、国家神道という宗教に依拠して勇猛野蛮な日本軍を作り上げた。

多民族国家、多宗教国家アメリカは、自らの戦争への正当性を、民族や宗教に求めることが出来ない。それをやればアメリカは内戦の泥沼に陥る。宗教に代わるのが国家主義である。表向きは、民主主義、人道主義、国連憲章、世界の警察としての誇りなど、現代社会の価値観を掲げているが、実際に戦う兵士たちに対しては、たとえば日米戦争での爆撃機のB29乗組員に対し、日本人は野蛮で道徳心が無く、女子供も全て戦闘員(兵士)だから殺しても罪の意識を持つ必要は無い、と洗脳して原爆投下や大都市無差別爆撃を行わせた。その手法は、ベトナムやイラクでも継承されていることが調査であきらかにされている。アメリカの前線の部隊は、戦争と言う政治を行っているのでなく、ただ戦闘のプロとして相手を殺害、撃破するためにだけ組織され、兵士の洗脳が行われている。その結果は、アメリカ社会でベトナム戦争やイラク戦争からの帰還兵の、異常に多い精神を破壊された元兵士の存在で証明されている。つまり宗教的正義感はつくれない代わりに、攻撃対象の人格を徹底的に否定する処方をとっている。そして戦闘に関わった自らの兵士の人格も否定している。

このように、国民を戦争に駆り立てる精神分野での手段として、今日でも宗教が極めて大きな位置を占めているという現実がある。これが21世紀にはいって、世界的な、極端な秩序破壊の犯人が生み出される構造である。

一方でアメリカを憎むイスラム原理主義が生まれれば、反対では、表には顔を出さないがアメリカ政府をたくみに動かすキリスト教原理主義があることも留意しておく必要がある。さらにその争いの中で日本人が不当な殺され方をすれば、日本民族原理主義(日本の国家主義)が必ず台頭する。

このように、戦いによって、憎しみあうことで原理主義が生まれる。そしてそれは、環境だけがその要因ではない。宗教という存在自体の中に、それを生み出す原因がある。そのことに目をむけ、克服しないことには、宗教は永久に、争いが起きたときに台頭し、人類社会を混乱に落とし入れ続ける。まるで人類社会の混乱こそが宗教の揺篭なのかとすら思われる。

この論文の後ろの章で、小生は、宗教は死滅しつつある国家だ、と定義し論証する。その死滅しつつある国家としての宗教は、かつては人類社会の平安のための理念であった。だが現代ではその役割は終わり、社会ではなく、個人の社会観・人生観として生き残っている。個人が宗教的倫理観を人生の道標とすることを誰も否定すべきではない。だが、宗教として、教団として生き残るための悪あがきは止めたほうが良い。

日本社会では厳然たる基盤を築いている仏教は目立った布教活動はしないが、街角や家庭訪問で熱心に布教活動をしている宗教団体はけっして少なくない。その決まり文句は「悩みはないか」「満足しているか」「こうすれば救われる」である。それだけを見ても、宗教が人の世の混乱を揺篭にしていることが一目瞭然である。そしてそうした活動家は、「人を救えばあなたも救われる」と教えられて(実際には洗脳)熱心に布教をしている。こうした数珠繋ぎの伝播方法は、無限連鎖講、つまりねずみ講と全く同じ方法である。そして宗教に関わる者は、この方法こそが原理主義を生み出さ出していることを認識すべきである。

(#1)

エジプト政府は、エジプト人キリスト教(の一派)徒多数を虐殺したリビア内のイスラム国を名乗る過激派に対して報復爆撃を行った。さらにエジプト政府はアメリカに支援要請を行った。つまり国際社会では、多くの国家が、アメリカの支援なしに秩序を維持することが困難な状態にある。

エジプト軍のリビア領内への爆撃は、リビア政府が完全な統治を行っておれば、とんでもない行為であり、リビア国家への布告なき戦争行為である。だが中東では、イスラエルなどはたびたびこうした越境攻撃を行っており、パレスチナやシリアのゴラン高原などは占領すらしている。しかもそのことに対して、中東諸国はゲリラでしか対抗できない状態である。もっともイスラエルも、いわゆる帝国主義的侵略を目的とはしておらず、それが戦線の拡大をもたらし、自滅への道であることを知っているから、身近な脅威の抑止というレベルの攻撃に留めている(#2)。

イスラエルとパレスチナ関係であきらかなように、イスラエルはパレスチナと停戦合意をしながら、パレスチナ政府の統治能力を信頼しないから、何度も攻撃を仕掛ける。

中東地域で言えることは、多くの国家で独裁が存在している(いた)ことである。独裁政府の中には、かつてのフセインのように、自国民に対してでも毒ガス攻撃を行ったところもある。そのくらいこの地域の国内治安は不安定だということである。

アラブの春は、この地域の独裁政権を次々と打ち倒した。その結果生まれた政府は統治能力に乏しく、多くの国が無政府状態に陥っている。

エジプトでは軍出身の独裁的大統領が失脚したが、民主的選挙で生まれた政府は、イスラム原理主義の元祖といわれるムスリム同胞団によるものであった。ムスリム同胞団自体はイスラム国のような、アナーキーな凶暴集団ではないが、反近代化ということでは同じ価値観を有している。言うならば、イスラム国に反欧米の戦いを迫られれば、明確に否定する思想的立場を持っていない。そしてその原理主義をエジプトの統治で貫こうとすれば、エジプトはいずれ無政府状態に陥ったであろう。だからエジプト軍がクーデターでムスリム同胞団政府をたおした。

このクーデターに欧米諸国がどう関わったかは知らないが、とりあえずエジプトは周辺国のような無政府状態陥ることだけは回避された(テロは続いているが)。

この地方の政治情勢を混乱したものにする歴史的起源には二つの要因がある。

一つはトルコ、イラク、シリアで問題となるクルド人問題、いわゆる民族問題である。それは第一次大戦後のオスマントルコの分割が、欧米諸国の利害だけで行われた結果、多民族国家がつくられ、それが国内民族問題として引き継がれた、という一般に認識された問題である。

二つ目は、原油産出により急速に近代化が進んだことが社会情勢を不安定にし、独裁政権が生まれる条件となった。原油獲得を目指す先進諸国は、中東の特権階級に取り入り、それがこの地域の特権階級がさらに強大な権力を手にする原因であった。それはすなわち独裁体制が生まれる原因である。

エジプトは古代から栄えた地域であるうえに、スエズ運河が作られ、観光地としても旅行者が多数訪れて、中東諸国の中でも最も開かれた地域であった。そのため主権意識も強く、ナセルによるスエズ運河国有化など、第2次世界大戦以前の西欧帝国主義に対する、政治経済の自立運動が最も早くから始まり、この地域の民族主義運動を先導した。反面、民主主義や男女同権などの西欧思想の波及も早く、民族主義と、宗教の反近代化主義が絡み合って、運動は矛盾を含んでいた。旧宗主国との対立というところで一致しつつ、近代化をめぐっては民族主義と宗教は激しく対立していた。その衝突を抑止するのが軍であり、常に軍と深く関わる独裁体制が生まれた。そうした関係の中で、ムスリム同胞団、つまりイスラム原理主義の源流が生まれた。エジプトがいち早くイスラエルとの和平を行ったにもかかわらず、9・11テロ実行犯の主犯がエジプト人であったのは、この事情の反映である。

イランではパーレビーがアメリカと親密な関係を結び、近代化を進めていた。イランは当時世界第2の産油国ではあったが、大国であり、国家の経済基盤は石油だけではなかった。農業や漁業も盛んで、サウジや他の小国のようなモノカルチャー国家ではなく、したがって広い分野における経済政策が必要であった。パーレビーが行おうとしたのは、原油輸出に頼らず、石油資源を加工品として輸出することで国家の財政基盤の強化を目指すという政策であった。もっともそれは、国民の生活レベルの向上だけが目的ではなく、独裁者という立場は自ずと彼自身の利益の一層の拡大という、不純な動機を隠すことは出来なかった。そして彼は、その政策に反対する勢力を厳しく弾圧した。

イランの近代化に反対する勢力としてはイスラエルが考えられる。だがパーレビーがアメリカと親密な関係を築くことで政策を進めようとしていたので、イスラエルが公然と妨害したとは考えにくい。もっとも、イランとアメリカの親密な関係を嫌うソ連が何らかのかかわりを持ったのかもしれない。だが実際にパーレビーを追放したイラン革命が勃発したわけだから、国内に相当激しい反パーレビー運動が生まれたのであろう。それは反イスラエル(反米)と反近代化が複合したものである。

「別個に立って共に討つ」と呼ばれたイラン革命。革命派の一方は、民主主義派・自由主義派といえるところの市民階級と労働者階級、進歩主義と左翼グループ。もう一方はパーレビーに弾圧されていた宗教グループ、である。そのなかでいわゆるプチブル急進主義・学生のアメリカ大使館人質・占拠事件が発生した。

本来は反パーレビー闘争だから、たとえパーレビーと深い関係にあるとはいえ、国際慣例上も学生の大使館占拠は、政府にとって許されることではない。戦争状態であっても、相手国大使館員は保護し、送還するのが国際社会のルールである。たとえ学生が跳ね上がってやったとしても、政府には、それを警察力で鎮圧してでも、国際的義務を果たす責任がある。だがイラン政府はそれが出来なかった。反独裁と反近代化が共に戦う。その一致点は、共闘を達成したあと、反米民族主義へとエスカレートするしかなく、結果として学生弾圧は両陣営の共に討つ根拠を根底から覆すからである。

パーレビー後の民主主義派政権は、民族主義と手を結ぶことで、宗教派と民族主義の結びつきを強める役割を果たした。結果として大統領選挙でホメイニに敗北し、シーア派による原理主義の台頭を許し、非宗教陣営の中心人物は亡命することになった。ここにイスラム教国家イランが生まれた。

イスラム原理主義国家となったイランは、そのアイデンティティの核心の一つである反米主義を貫き続けた。一方隣国の、一般には世俗派と呼ばれる近代化路線のイラク・フセインは、イスラム原理主義波及に強い警戒心をもった。根拠の一つにフセインはスンニ派に属し、一方イランのホメイニはシーア派である。反近代化派のイラン政府がイラク国内シーア派と結び、フセイン政権の脅威となることを警戒してイランに戦争をしかけた。もちろんアメリカはフセインを援助した。

それまでの国際関係は、パーレビーのイランがアメリカと親密な関係を結び、一方イラクはソ連と結んでバース社会党と自称し、社会主義者であることを表明していた。

イラン・イラク戦争では、アメリカの支援を受けたイラクは国力を高めた。その結果、イラン、イラク双方とも核開発を始めた。おそらくその最大の理由は相互の脅威であろう。だがここで一番脅威を感じたのはイスラエルである。このイスラエルが介在しなければ、アメリカはそれほど重大な取り扱いはしなかったであろう。もっぱらソ連との関係調整ですんだはずである。

イスラエルが脅威を感じることで、アメリカはイラン、イラクの核開発に厳しい対応を迫られた。ボタンの掛け違いは、フセインのクーウェイト侵攻であろう。小国クーウェイトは大国の庇護なしには存在できない。それにしてもフセインは何をどう考えたのかわからないが、クーウェイト併合で得るのは石油利権だけであり、国際関係では自殺行為であることはあきらかであった。そしてこれでアメリカとの対立は決定的となり、イスラエルの核施設爆撃をアメリカが容認する状況になった。

さらにリビアのカダフィ政府も核開発に手を染めた。地理的にはなれているとはいえ、イスラエルを取り巻くイスラム系国家群の核開発抑止力如何がアメリカの国際的地位を脅かす要因となったわけである。

イラン、イラク関係、イラク国内対立ではイスラム教シーア派とスンニ派の関係が重要であった。しかし9・11テロはもう一つの関係を付け加えた。イスラム原理主義である。アメリカはそれまで意図しなくてもシーア派とスンニ派の対立のどちらかに肩入れしてきた。しかし原理主義者にとって、アメリカ自体がイスラムの敵となった。アメリカを標的とするテロが敢行された。

アメリカ・ブッシュはこの時点で大きな間違いを犯した。クーウェイト侵略を妨害されたフセインの犯行と確信してしまった。イラクが大量破壊兵器を隠し持っているというガセネタを信じてしまったのはそのためである。アメリカの9・11テロに対する報復は、フセインを倒すための口実探しになってしまった。そして9・11にフセインが関わっていないこと、核兵器開発は断念していたことがわかったのは、アメリカがイラクに侵攻し、フセイン政権を倒した後であった。

フセインが倒された後のイラクには、それまで抑圧されていたシーア派政権が生まれ、シーア派政権はフセインの母体であったスンニ派を迫害した。

問題はこの地域では、独裁政権が普通である。その根拠は、民族対立、宗教対立など、社会の不安定要因があふれているということである(もっとも小国の場合は権力者の相対的地位が安定しており、それも独裁の要因である)。フセインのつくりだした、国内諸勢力に対して圧倒的軍事力を持つ政府に変わる軍事力を有する権力が樹立されない限り、治安維持はできない。ところが、そういうところからオバマが米軍を撤退した。たちまちイラク国内の軍事バランスが崩れて、スンニ派過激派が原理主義者と手を結び、義勇兵を招き入れて、シーア派政府、クルド自治区、イスラム国という三つ巴の内戦が勃発した。

この地域では、アラブの春とともにこの地域の独裁政権が次々と倒された。後にはとくにイスラム原理主義を標榜する勢力が暴力的介入と支配を始めて、無政府地帯が広がった。シリアでは隣国イラクからイスラム国が介入して勢力範囲を広げた。シリアには、反アサド勢力に協力を呼びかけて介入した。そしてアサド政権に弾圧されてきたシリア人の多数がイスラム国に加わった。結果としてイラクとシリアにまたがる広い地域をイスラム国は支配するに至った。

今日の中東の混乱した情勢を作り出した張本人はアメリカである。とくにブッシュは最大の責任者である。尻拭いをまかされたオバマは、ある意味では気の毒だが、尻拭いを完全にしなかった責任がある。だが、だからといって今アメリカだけを責めても解決はしない。むしろ、無政府状態からの脱出のために、エジプトのようにアメリカに援助を依頼しなければならないような状況があることを認めざるを得ない。

中東においてイスラエルの存在の大きさについて述べたが、本当の根源はそこにはない。この地域の国内、国際情勢に関わって、常に冷戦体制における、米ソの利害関係が要因となっていることを見逃してはならない。アフガン、イラン、イラク、シリアなど全てにおいて、米ソ、そして今日では米ロが関わっている。しかも冷戦時代なら、米ソはそれぞれ自陣営諸国をコントロールできた。しかし今では、相手が困っているのを高見の見物をしながら、国連総意の決定だけを妨害している。これは要するに、冷戦時代が、自国の利害達成が大国間の非戦と、そのための大国の援助が貧困国の民生の安定を少なからず叶えたことと比較するに、自国主義に世界が陥っていることを示している。

イラン革命の構造は、民族主義、宗教主義、自国主義に社会が巻き込まれていく状況を見事に示した。そしてこんにち、一部の先進国を除き、軍事独裁、民族主義独裁、宗教独裁が確立されていない地域、国家は無政府状態に陥っているか、反政府武装勢力との内戦を余儀なくされている。

アメリカへの依存は混乱の再生産である。なぜならアメリカは、介入した地域の安定を取り戻すまでの継続の力がないからである。したがって介入してもすぐに放り出す。中国やロシアは自国の治安維持だけで精一杯であり、アメリカが立ち往生するのを裏でほくそ笑んでいるだけである。

冷戦体制での米ソのコントロールが、冷戦終結と共に不能となった。このような状態を予言した人物がいた。

トロツキーは、第二次世界大戦の勃発に際し、次の時代について「革命かバーバリズムか」と想定した。

マルクスは「人類の歴史は階級闘争の歴史である」と見抜いた。そしてそれはいずれ資本階級と労働者階級という二大階級の闘争へと収斂されるだろう、と述べた。これは、自律的にそうなるというのではなく、マルクスの著作の多くを読めば、労働者階級は団結して、諸々の歴史的階級闘争を資本家と労働者階級の闘争に収斂しなければならない、という主張である。労働者階級の勝利か、あるいは両階級の共倒れになると述べる。それは、労働者階級の勝利がなければ、人類は、過去の歴史によってもたらされた諸々の対立に引き裂かれてしまう、ということが、トロツキーによって、現実的問題として語られたのである。

何故そのような事態に立ち至ったのか。冷戦の中で人類は、マルクスの提案した階級闘争を忘れ、民族主義、自国主義、宗教主義に陥ったからである。なによりマルクスの提案を実現すべく樹立されたソ連邦が、その国家防衛のために民族主義と自国主義によって世界の階級闘争を変質させたのがそのはじまりである。これを労働者階級の、共産主義運動の敗北と呼ばず、なんと呼べばいいのか。今日の世界的混乱は、20世紀の共産主義運動の敗北の結果もたらされている。この状態に、共産主義者は、世界の労働者階級に何を呼びかけるのか。

アメリカの大統領府のポリシーは、世界の中での「強いアメリカ」と「国益」の間で行き来している。民主党と共和党という2大政党の間で大統領が交代する度に、アメリカの国際社会への関わりが変化する。その結果、軍事介入した先々の社会をかき乱し、放り出して無政府状態を作り出す。にもかかわらず国際社会は秩序回復をアメリカに依存する。この状態を武器商人(ユダヤの陰謀という人たちもいる)たちの策略だ、というのは簡単だが、そう言っただけでは何も解決しない。基本はアメリカの介入を許さない、ということだろう。ということは、不用意に社会秩序を破壊する行為は、この、アメリカの介入を許すことになる。しかしそうなると、場合によってフセインのような暴虐を認めることになる。

アメリカの、自らを世界の警察と自称する思い上がりは、あきらかに世界にアメリカへの憎しみを生んでいる。その中で、反米闘争をもっとも先鋭に闘っているのがイスラム原理主義である。冷戦時代にはソ連の立っていた位置にイスラム原理主義が立っている。したがって、反米か親米か、と言う選択を迫られた時、多くの若者がイスラム国に屈服する構造がある。冷戦時代以前には、労働者階級の闘いというよりどころがあったが、それが失われた結果である。

反米か親米か、という選択肢。それもまた冷戦から生まれた基準である。その実態として存在する政治的選択肢に囚われない政治思想上の基準が確立されない限り、たとえアメリカの軍事力による治安回復がなされても、事態は繰り返され続けるだろう。

(#2)

イスラエルのみならず、現代の世界には、軍事力で他国を征服し、支配しようという思想によって武装した国家は存在しない。それはアメリカも同じである。ヒトラーのゲルマン帝国建設の野望のような発想は、世界最強の軍事大国アメリカも持ってはいない。ただ第二次世界大戦後のアメリカは、ソ連がそのような国家戦略を持った国だと思っていた。

一方ソ連はソ連で、帝国主義国は、すきあらば軍事力で他国を制圧し、支配しようとしていると考えていた。(このソ連のような帝国主義観は、21世紀になってもあらゆる陣営の思想を支配している。現実の社会の様々な軋轢に不安を抱く若者が、領土を失ったことで全人類を境界線のこちら側にいると感じさせる宗教(後述)に心のよりどころを求め、また、反米主義に参加することで連帯感を実感できる、という自らの実在感がもたらされることで引き寄せられている)

国家のアイデンティティにおいて明確にそれを否定した日本は、実際に70年間武力を行使することなく、その分が民生に使用されることで、平均的には豊かで安全な社会をつくってきた。それに対し、戦争放棄を明確にしない諸国は、自らの外交戦略でもたらされる恐怖心から戦争に関わり続けてきた。現実に、ヒトラーの野望が潰えて以来、一つの帝国、一つの民族、一つの文明による支配は人類史とは相容れないことが地球社会の合意事項となっているにもかかわらず、他者を信頼できないことによる不幸は続いている。

イスラム国は、まさにその隙をついて、宗教国家の再現を目論んでいる。しかも広大な規模において。まちがいなくそれは早晩破滅するが、そうした反現代的政治集団が登場したという事実は、現代の国際関係に深く影を落とすであろう。

中国が単純にその支配領域の拡大を、もし目論んでいたとしても、それはたちまち国際社会の包囲網に閉ざされてしまう。そういう風に見えたとたんに周辺国は中国の進出を意識した外交を展開する。そしてそれは、中国から見れば、日本帝国主義が野望を蘇らせようとしているように思ってしまう。この対立は、実はその間にいるロシアや北朝鮮にとって実においしい事態である。駆け引きは、あたかも味方するように振舞う奴こそ疑わねばならない。

世界人類社会は、一つの国家、一つの民族、一つの宗教、一つの文化によって支配することは不可能であることが証明されている。にもかかわらず、現代社会は、被害妄想に陥り「外敵」への武装が内的安定の方法だと言う観念に支配されている。

そうした妄念から離脱しない限り、今陥っている混沌の社会状況に、実態も理念も縛り続けられざるをえない。

第2章 現代の宗教とは何か(時代、環境で宗教は変わる)

まず「国」という言葉の定義からはいる。

たとえば現代の国家は、地理的領域をもち、社会的各種のメカニズムとそれに配置された人々、それをコントロールするための約束事=法体系を持った共同体である。この現代の『共同体』は内部に利害の対立する諸集団・対立しあう諸階級をもち、この対立をあたかも超越するかのように幻想の共同利害を「国家」として独立させている。マルクスが見抜いたように、この「国家」は階級支配の装置であり、「約束事」(たとえば所有権は不可侵の人権)は支配階級の現実的利害を歴史的に反映させている。だからマルクスは、幻想の共同体としての「国家」は人類社会の本質的存在ではなく、死滅すべきものとしてみなした。その上に自他共に国家として公認されるためには、それを国家として認証する他国があって、国際社会において国家としての主権が認められる。

他方、国という言葉は、この現代における国家という意味だけではなく、古代から現代まで、国の形、規模が多種多様であるように、なんらかの共同体の全てを総称するような広い意味合いを持っている。さらに広げて地理的領域を持たなくても、国家が持つような約束性と法則性を持っていれば、抽象的な、あるいは空想的な共同体現象についても、国というイメージを適用されるとするとわかりやすくなる。

地理的な領域を持った国は、まず小さな地域で発生し、合体や膨張を繰り返しながら広い領域を形成する。其の進行にしたがって中央集権性が強化されていく。合体される前の国は、それぞれの発生地域の気象や地形により、それぞれの文化とルールを持っているが、合体し広領域化した国は、中央集権化によってルールの統一化が進む。それは、たとえば今日の家庭内ルールが、文章化されたものではなく、口約束とか、暗黙の了解という形をとるように、発生した初期の国のルールもそうであった。したがって記録に残されるのは、歌、踊り、せいぜい壁画であったが、文字が発明され、統一化され中央集権が進むと、ルールブック、つまり文章化された「法」がつくりだされる。

現代の宗教は、マルクスの言を借りて言えば、「死滅しつつある国家」である。現代では、いわゆる先進諸国では「政教分離の原則」が国法の原則として決定されているので、現代人は国家と宗教は全く別物、宗教は個人主権に拠るものと思っているが、実はそうではない。

ローマ帝国は4世紀にキリスト教を国教とした。これは、それ以前のローマ帝国が、多種の民族と文化をあるがままに統合し、それらを統一する国の上の国、つまり帝国であったのに対し、中央集権制強化の段階に、つまり古代ローマから中世のローマへの時代の変容を表している。中央権力の強大化に即した法制度、国家のアイデンティティとして宗教の地位が確立されたのである。日本史では飛鳥から天平にかけて、大和王権は仏教による国づくりを決定する。このことを見ても、宗教は国の一分野であり、経済ではなく社会システムを統括する思想であることがあきらかである。

中央集権制には本質的な欠陥が存在する。国が地理的に広い領域を保有するにしたがって、多様な自然環境、つまり多様な農業的生産様式を包摂し、そのことは多様な歴史、つまり民族性と文化を包摂することになる。宗教と言う側面から見ると、その典型が多神教国古代ローマ帝国である。

そして中央集権制は其の多様さを全て容認し包括することは出来ない。そもそも戦争は、現代では先に定義した現代の国家間の武力衝突だが、人類史の初期では生活環境(地域)の奪い合いを根底にもつ、民族と文化の衝突だからである。

中央集権制が有効であるのは、異国との衝突の時だけであり、それ以外は、一旦確立した中央集権制は(特に平時では)たえず分裂圧力を受け続ける。

中世の中央集権国家が分裂圧力を受け続けるということは、宗教も同じ圧力を受け続けるということであり、それが宗教現象としては宗教改革という形をとることになる。国が革命という形を取るように。

中世では、中東からヨーロッパにかけては、この改革の過程でキリスト教の分裂とイスラム教の発生がある。それ自体が、段階を追った古代帝国の分裂、つまり複数帝国の文明圏における並存の時代を経て、近世の王国の乱立、近代の国民国家時代へと流れていく。

一方大航海時代にはじまるグローバル化、世界貿易時代の開始は、人と経済の交流を促進し、宗教的中央集権制の不寛容さは現実離れしてくる。貿易に携わる人は多様な文化、多様な宗教、多様な国のルールに適応することを覚え、初期には中央集権的宗教と衝突するようになる。だが、国としての宗教は現実に適応しなくては生き残れない。だから今日では世俗化と呼ばれるような現象が起きる。

宗教界内部ではこの現実対応、歴史への妥協を堕落と評価する部分が繰り返し生まれる。それが今日原理主義と呼ばれる宗教の落とし児に根拠を与える。これは宗教が既存体制の中で権威となり、権力をにぎることで、官僚体質化するためだとおもわれる。国の中枢、宗教の中枢はその地位の維持のために、意外と柔軟に現実対応を模索するが、下級官僚化した部分は、其のことによって地位と権威が失われる危機感から、理念の原則の遵守に固執するのであろう。

明治維新で、元来は鎖国(実は中央政府による貿易独占)を始めた幕府が開国をめざし、尊王派が攘夷を主張した関係によく似ている。この場合、反中央集権派の維新派は、王政復古と共に、敵である幕府の制定した鎖国政策でもその遵守という原理主義的対応を行っている。しかも、地方分権構造を持った幕藩時代の古代帝国的幕府政権を打倒したかっての属国連合(薩長)は、中世ローマ帝国のように国教(国家神道)の制定を行うことで、近代的中央集権国家、すなわち国民国家建設に取り組んだ。それはその時代の国際環境には、属国がそれぞれ独立した軍隊を持ち、それぞれの外交を行う形式での幕藩体制では全く対応できなかったからである。

生まれた大日本帝国は、古代ローマ帝国とは構造が全く違う、中世以後の強い中央集権制を持つ帝国主義国であった。

近代から現代になると、人類の生産活動の中心は農業から工業に移り、それに従い従来の国境を越えた人の往来が爆発的に進む。そのまえに植民地支配、未開地の開拓のために人は地球上への第2の拡散の時代を迎えた。21世紀になると、人類の活動の範囲は、現代の国境を、まるで壁を通り抜ける透明人間のように移動する時代になりつつある。つまり国の概念が変わる時代にさしかかっている。歴史も宗教も文化も交じり合う国へと向かっていると捉えるべきだろう。しかしそれは一気には進まず、何世紀もかかる現象かもしれない。

中世の、宗教をアイデンティティとし法とする宗教国家は(近世の、例えて言うなら日本の武士階級のような、土着でありながら周辺の国との摩擦のために設置され、権力機構へと成長し、内なる勢力へと成長した社会勢力との、内なる権力闘争の中で)、やがて武士階級のものへと変質して行った。ただ武士階級同士の争いの中では、織田信長のように既存の国家のアイデンティティ、法制度を、宗教ではなく重商主義によって置換してしまおうという革命家もいたが、旧支配階級と手を結び、そこに自らのアイデンティティ確立を目指す部分も居た。

日本で言えば武士階級、ヨーロッパでは領主たちの争いは、農業を主要生産様式とする社会の領土争いであり、その対立の一方と手を組むことで、宗教国家は博物館入りしたにもかかわらず、宗教は生き延びた(日本の天皇制のように)。宗教は領地を失い、国としては不完全な物になったが、其の生み出した物は法として次世代以後の国に引き継がれた。だから宗教は、革命によって葬り去られることなく、死滅しつつある国家として現代に生きている。そして宗教国家の官僚たち、つまり現代の宗教家は現代社会でも上流階級としての地位を与えられている。むしろ宗教は、領地から解放されることで、宗派的対立を除けば、一つの人類という枠組みを獲得し、人種や民族や国籍で引き裂かれ、苦悩する人たちに、連帯と安住の場所を与える存在となった。

宗教的「法」が革命的時代の進化にも関わらず生き残るのは、その本質は国(共同体)内部の生活様式、社会システム、倫理観、つまり価値観を規定しているからである。人類が個として生きる生物ではなく、共同体を形成して営み、分業によって共同体も個人生活も進化させる動物だからである。現代法で規定される諸々の義務、そして「汝殺すなかれ」という、群としてしか存在できない人類の「法」の基本原理を示した古代宗教法の最高理念は、どのような時代の流れ、環境の変化にも変わらない、人間存在の原理だからである。

宗教は新たな時代に徹底して逆らわなかったから生き延びることが出来た。新たな時代の支配者から、生きる場所を提供された。また逆に、新しい時代の支配者は、宗教国家時代の民衆(本当の主権者)、農民の支持を得ることができた、とも言える。そして新時代の権力者は、旧時代の権力者にたいし、政治への口出しを禁止した。それが政教分離である。

領土を持った国家ではなくなった宗教は、世界貿易の繁栄に乗って世界布教へとその居場所を変えた。そのことで、地理的国境を障害としない国家、宗教世界を作り出した。これが、今日でも宗教が資本主義社会の中で強大な経済力を保持し続ける条件を作り出した。

宗教が地理的領域を持った国家であるあいだは、宗教はその住民の生活を保障しなければならない。それが出来なければ住民の餓死や逃亡と共に宗教者たちも滅亡してしまう。だが領土なき国家では、宗教は住民の生活を保障する義務から解放される。宗教家(宗教国家では官僚)は、国から独立した信者の自主的な奉仕(納税)の利益だけを享受し続けることになる。

宗教国家の宗教の社会思想は、現代社会思想論では社会主義に分類される。つまり国の統治理論であり、それは現代の個人主義とは対立する。明らかに分配に関して平等という理念が根底にある(神の下の平等)。それが国の利害でもっとも大切なことであり、個人はそれに従わなければならないというのが宗教の倫理観である。それは間違いなく資本主義社会の自由主義的個人主義とは対立する。ところが、住民の平等の保障と言う義務から解放された宗教は、宗教家たちの莫大な蓄財をも保障することになった。その財力によって新たな時代にも、特権階級として存在し続けることができた。

商人階級から生まれた資本階級は、初期には中世的王国の権力者を利用し、その活動領域を広げた。つぎにはその財力で王国の支配者をコントロールするようになり、資本階級のコントロールを受け入れない支配者は革命によって放逐したが、そうでない場合は同盟者として容認した。したがって今日でも、先進資本主義国にも共和国と王国が混在する。

資本階級の台頭が遅れた地域では、旧時代の封建的階級関係が残されていたが、世界展開した資本主義はそのまま資本主義システムに飲み込んでいった。相手が国王であろうと宗教的指導者であろうと、資本階級に商品を供給し、また市場を提供し、敵対しない限り、初期の商人が国王の兵隊を利用したように利用した。

後進地域の領主や豪族は、資本家と貿易することで莫大な富を手にした。彼らが支配する国は、形態的には国家(王)独占資本主義であり、富が、賃金としてより、領民への分配として行われることで、一見社会主義的でもあった。それを社会主義と錯覚したのがフセインであり、彼は他の中東諸国のように王政を採らず、しかし実際には他の王政と同じ武力独裁体制を行い、その特権層をバース社会党と名乗った。

この例外はあるが、ほとんどは王政を名乗って特権を持ち続けた。そこには、前工業化社会の、労働者階級の存在が希薄な、したがって資本階級も力を持たない、あるいは国王自体が資本家化した社会があり、その支配者は宗教と手を結び、およそ前近代的特権を享受する社会(国)が維持され続けた。

国王をいただく特権階級は、特に産油国では莫大な富を独占し、実際にはその生活意識は資本階級化している。その階級の利害は、実は国民生活とはほとんど干渉しない。国際的資本主義経済の中で利益を得て、国民はその王族のためのサービス産業に従事することで分配を受ける。ドバイやUAEなどの小国は、実態は一族国家で国民は一族としての分配を享受する。これが独裁が住民との重大な摩擦なしに存在している理由であるが、同時に独裁者は、反抗に対する抑止力としての軍事力を一方的に所有しており、しかも兵は、独裁者の傭兵という実態がある。

第3章 宗教が生き残る理由と絶滅する理由

文明の発生期から、古代社会では宗教は人々の生活様式の中から必然的に生まれてきた。今日、多神教という言葉で分類されている現象とは何かというところからはいろう。

文字が発明される前から行われていた伝承の形は、親が子に直接伝える、つまり教育が基本である。それだけなら見習えばいい。だが伝えるべき対象が多数なら、この一子相伝方式は無効であり人口の増加には対応できない。したがって言葉での伝承、動きでの伝承、記録での伝承が行われる。それは今日でも歌、踊り、壁画として残されている。

残されている内容は、其の時代の生活の「投影」である。つまり生活の方法と共同体内の守るべきルールなどである。収穫の喜びで沸きあがった時には、その喜びをもたらした自らの行為を歌や踊りとして再現し、おそらく手柄を自慢しあったであろう。しかもそれは伝承の、つまり人類の文化の進化にとって欠くことのできない要因であった。人々が感謝し喜びを伝えたのは、神にたいしてではなく、人であり自然そのものであった。

日本では祭りの時に奉納するのが、そうした伝承の内容である。つまり「五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄」という言葉はそのことを最もよくあらわしている。そのなかでも日本の神社で、御神体として祭られるものに性器を模したものが多く、神楽に男女の行為そのものを演じる演目があるのは、子孫繁栄にかかわる事柄であり、人類社会のもっとも重要な作業の一つだからである。

つまり生まれたての小さな国の内的ルールブックは、今日では多神教の宗教行事として理解されているが、其の時点で人々は宗教とは全く意識していない。

其の時代人が生活資料をつくる生産様式は狩猟採集と農業である。特に農業技術の進歩、栽培種類の発見などによる多様化は、国の人口の増加をもたらす。人口の増加は国の地理的領域を拡大する。やがて国は分裂し拡散する。それぞれの地域に拡散した国は、それぞれの地形、地質、気候に応じて生産力を発展させ、それらがそれぞれに伝承される時、それぞれの文化がうまれ、今日民族と呼ばれる現象も発生する。ついでに、極北、熱帯という人類の生活圏の拡大では、環境に適した資質の遺伝による、今日人種と呼ばれる現象をもたらした。人類が渡り鳥のように毎年極北から熱帯まで移動する生活を行っていたらこうした現象はおきなかった。人類の生活の最大要因、農業という生産様式、つまり土着することが、全ての、人類の分化、分散化の原因であり、多神教現象、つまり価値観の多様化の原因である。だがそれはまた、人類文明の発展、生産力拡大の基本、分業の発生と切り離せない現象でもある。

このように、現代では宗教の一種に分類される多神教は、発生期の国の生活様式の伝承の方式であり、人の生活、国の営みと不可分の、知的現象なのである。そしてその内容の多くが、時代を超えて人類の生活様式を貫く法則であるから、宗教が生き残るのである。

国は創成期から今日まで、形も内容も変化し続けている。しかし共同体として営まれるための内部ルールは、その根本は維持され続けている。それと同じで、宗教も、時代と共に形は変化しており、宗教国家は死滅しても、宗教で伝承される内容は生き残るのである。

一神教の発明は貿易、つまり多種の文明、多くの国の間の交流の結果である。しかもこの貿易という分業に従事することで、そこから生まれる生活様式を持った集団が発生した。その分業自体が、航海術などの交通手段を特殊に進歩させた集団だったからである。そして多くの共同体間の交流に従事するためには、それぞれの内的ルールに対応する工夫が必要だった。そこから生まれたルールこそユダヤ教だった。一対一の貿易は物々交換で十分であるが、多角的貿易のためには統一した価値尺度が必要であり、一神教と通貨の発明は、その時代に生まれた文明の表と裏の関係である。

古代ローマ帝国は、多種民族、多種文化、多種多神教の共存の様式であり、原生国家の統合体として、原生国家間の争いの末にうまれた国の上の国である。最初は、争う、あるいは貿易関係を発展させる原生国家間の関係が、帝国内部の関係に変化する。そのことで新たな内部ルールが必要とされる。インター民族、インター文化、インター多神教の統一ルール。経済における通貨の登場に対応する政治分野での統一ルール、それが一神教の必然性であり、中世ローマ帝国がキリスト教を国教と定めた。帝国の統括者にとって、統治のための「法」が必要なのである。それは、多神教のもろもろの神の上に立つ神の存在を生み出した。

ローマ帝国の歴史が示すように、多神教帝国の古代ローマと、キリスト教を国教とした中世ローマはあきらかに其の中央集権制の強度において異なっている。ローマを中心に、異文化、異民族、異宗教をそのまま容認し、中央政権の足元の繁栄のために、ローマを中心に作られた道路。それを強固にするために地方に作られた準ローマ。それは中央政権のルールの全領土への浸透を目指しながら、同時に分散化を開始している。

一つの価値観、一つのルールへの求心力の強化、それが一神教の役割であり、しかも外に敵をつくることで其の役割は頂点に達する。ところが其のことでおきる分散化、中央権力の経済的行き詰まりによる求心力の低下を避けることは出来ない。かつての宗教帝国の名残はローマ法王庁(バチカン市国)として残されるが、ローマ帝国から分離した独立王国が、宗教的権威からは自立した王政国家を作った。そしてそれら諸国家は、権力は宗教的権威の外に生まれるが、宗教によって体系付けられた国家のアイデンティティと内部ルール(法体系)は維持される。そしてそれはそれぞれの国家に適応した宗教へと修正される。其の過程で宗教分野では宗教改革という運動が関与する。

神という概念も一神教の登場で異次元なものへと進化する。多神教時代の神は、其の姿こそ想像上のものであるが、そのもたらす物は人類の生活に直接関わる物であったが、一神教の神は超自然の存在となり、自然を支配する絶対力と定義されることになった。多神教時代の多様な価値観を統一したルールに押し込むには、そうした力が必要だったと思われる。

それにしても人間の空想力は無限の可能性を持っているといえるだろう。今日、宗教について、人は自らの力の及ばない、その本質を理解できない現象を神の力と信じ、恐れあがめた、という説明があるが、本当にそうだろうか。神も何も知らない子供がそうした現象に出会った時、それを神の仕業だと思うだろうか。残念なことに、神と言う概念について、今日では全く知らされずに大人になることは不可能である。したがって実験は不可能だが、この宗教に関する、神に関する仮説には賛成できない。多様な価値観と生活習慣を支配下におさめた帝国が、インター民族の支配ルールを実行するための架空の権威のために、神の上に立つ神を作り出したと見なすべきだと考える。

現代世界では、宗教国家、民族国家は少数であるか、世界的影響力はきわめて小さい。その現代の国家は、国民国家と規定されている。そして国民国家の内部ルール、アイデンティティと法は、憲法と法律という概念でつくられている。

宗教が生き残る形は、その内容とともに、社会的メカニズムの一分野、つまり宗教界として物理的に残っている。そのことについて説明しないと、宗教が生き残る理由の完全な説明にはならない。だがこれは簡単に説明できる。

内容的には、時代がかわっても、宗教が積み上げてきて進化させ、伝承してきた人類の、国のルールの根底にある原理は変わらない。しかし宗教と言う形は国の形の変容とともに変化する。実際には宗教国家という権力様式が時代にそぐわなくなった時、宗教はその繁栄の頂点をすぎてしまった。しかしそのとき築いた社会的メカニズムの一分野、階級としての地位の大きさから、その後登場した武士階級は、宗教勢力との同盟によって支配階級へのし上がった。前にも書いたように、宗教勢力を革命によって解体しようとしたのは、おそらく日本の織田信長だけだろう。近代ではスターリンがそれに近いことを行っている。

そして歴史的には、今日もなお宗教が暗黒時代を作り出したと理解され、反宗教家が宗教を敵視する原因となる事件が発生した。宗教は、自らの権力、権威、つまり利権を守るために、神を持ち出して、科学研究を抑圧した。今日では誰もが見抜くこの愚行をなぜ宗教が行ったのかといえば、もはや宗教国家の衰退期に、その地位と利権の喪失に恐れおののく宗教界、つまり宗教国家の官僚の、今日の概念で言えば「官僚主義」なのである。そのことが、宗教が国家として死滅し始める状況を現代のわれわれに教えてくれる。

商人階級の台頭、武士階級の商人からの借金による地位の低下が新たな時代の幕開けとなる。商人たちは貿易で得た財貨を元に、しかも産業革命で始まった工業化時代にのって、資本主義時代が始まった。そこで台頭した豪商、つまり資本家と武士階級の力関係は変化し、やがては国王国家は資本家の傭兵へと成り下がる。宗教界、武士階級、台頭する資本階級は、それぞれの風土の中で対立したり手を組んだりして国の治安を保っていくが、やがてフランス革命によってその関係の方向は決められた。

いまでもヨーロッパ社会では、特に革命が起きなかった地域(国家)では武士階級は貴族として生き残っている。宗教と同じように、死滅しつつある国家の残照として。なにより、新たな時代の支配者、資本家階級にとって、そうした旧社会の支配階級は、何が何でも消し去らなければならない存在ではなかった。逆らいさえしなければ、その存在を利用することで、国内部のあらゆる階級に対し、その国的アイデンティティの根拠を示すことができた。これが今日、宗教界が生き残っている理由である。

宗教界が時代の流れを認識し、その人類社会での存在意義を認識し、まさに教祖たちが教える平等思想を守り、その地位身分から得られる財貨を私物化せず、それを守るためにガリレオ裁判のような蛮行を行わず、謙虚であったら、唯物論者が宗教を敵視することはなかったはずである。

唯物論で中世の反動的宗教界の支配と戦った後世の思想家の中には、現実の社会における政治情勢とは別に、観念的原理主義を振り回して宗教の権威を守ろうとする宗教家(官僚=原理主義者)が、自らの信奉したマルクスの思想に、政治的に敵対するのを見て宗教そのものを敵と考えてしまった。つまり共産主義運動にとって、宗教は物理的空間さえ共有できない存在と規定して攻撃した。その結果宗教と共産主義は、人々の頭の中で、共に天を頂けない存在であるという先入観を植え付けてしまった。そのため、武士階級や商人階級が宗教界と築いたような協力関係が作り出されていない。これは、国のあらたな時代の形でのルールづくりの大きな障害となっている。

宗教は、もし共産主義時代になっても、その生まれた持ち場を失ってしまうことはない。憲法や法律が、国の、より全体的なルールを司るのに対し、宗教は個人の関わり方というきめ細かい分野で有効であろう。しかし存在全体としては、ますます死滅しつつある国家としての傾向が進んでいくだろう。そのかわり、科学の分野から、心理学や精神衛生学という様式で、かつて宗教がカバーした人類生活の分野をカバーするようになるだろう。

宗教の原理主義は、彼らがそれを体現しているとおり、宗教の自爆である。

宗教は、多くの宗教家や信者が言うとおり、殺人を容認していない。それは当然のことで、宗教と今日理解されている人類社会の現象自体が、共同体を営む集団の「五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄」のための内部ルールブックであるから。だがそこでは外部を想定していない。共同体は拡大し、やがて分裂して外部が生まれる。このお互いの外部との関係が宗教のルールブックにはない。なぜなら人類を個に分解してしまえば、国境を取り払って、地球上の人類を一つの集団、一つの共同体の内部の存在としてしまえば、宗教のルールは、宗派、民族、男女、身分、職業、大人と子供の違いなく適応可能だからである。

だが宗教には外部関係ルールがないから、一旦外部化したものに対しては、獣的凶暴性が発揮できる。それが宗教の持つ本質的限界である。見方を変えれば、相争うグループの正当化の根拠に宗教が利用された時、信じがたい凶悪な犯罪が生まれる。もし本当の宗教指導者が宗教の限界を理解し、人類社会の争いに対する宗教の利用を断固として阻止するために行動するなら、今日も続く人による人の虐殺という現象は大幅に抑制されたであろう。

イスラム原理主義について。

宗教は、人類の社会(共同体)内部のルールブックである、と述べた。そのルールの多くは、今日の憲法や法律のように抽象的な文章ではなく、今日では判例と呼ばれるたとえ話で記されている。それぞれの共同体のルーツ(アイデンティティ)と例え話で構成されているともいえる。ルーツが今日の憲法、例え話が法律に対応している。

イスラム教のコーランは、この憲法と法律全体を総合したルールブックとなっている。だがそのことで、最初の製作者の一人、ムハンマドが想像しなかった理解が生まれてしまった。

「目には目を、歯には歯を」という文言で知られる、イスラム教をもっとも特徴付けるといわれる文言を例に上げよう。これは、現代の刑法における量刑理論に相当する文言である。目的は、犯罪抑止と刑罰の限度の制限である。まさに、罪を犯したら相当の報いを受けるよ、という警告と、処罰する側に対しては、過剰な処罰を戒めている(#3)。ところが、かなり多くの人が「あだ討ち免許状」と理解している。しかもイスラム教徒ですら。このことが今日のイスラム原理主義者の残虐な行動の根拠である。彼らが、いかにムハンマドが伝えたかったことを理解していないか、そのことでイスラム教自体を自爆に追い込んでいるか、そのことを明確に伝えることの出来る指導者が現れない限り、イスラム教は歴史的に汚名を背負い続けることになる。

(#3)

・命には命を,目には目を,鼻には鼻を,耳には耳を,歯には歯を,全ての傷害に同じ報復を。 

・しかし報復せず許すならば,それは自分の罪の償いとなる。

アルカイダ、タリバン、イスラム国、ボコ・ハラムなどの中東のイスラム原理主義者によって起こされた無政府状態は、国連が一つになって解決に取り組めるような状態ではない。そしてウクライナ問題も同じである。直接米ロが対立しているからではなく、アメリカ政府、ロシア政府共に、外見上はそれぞれの陣営と見なされている内部に複雑な対立があるからである。

ウクライナ、ロシアそれぞれに過激な民族主義者勢力が、それぞれの政府に圧力をかけ続けている。ウクライナを支援するアメリカ国内にも、過激な「主義者」がいる。プーチンもオバマも、それをコントロール出来ない。プーチンとオバマが何らかの妥協をおこなったとしても、それがたちまち自国内での権力喪失につながりかねない。民族主義、自国主義(国家主義)が、諸国の外交を内側から揺り動かす状況が生まれており、したがって国際間の摩擦の収拾が出来なくなくなっている。国際社会が二つの陣営に分かれて争う世界大戦という事態が生まれるかどうかはわからないが、それに匹敵する社会的混乱は続くであろう。

そしてその根底には、諸国の国内での格差拡大による階級対立の拡大、価値観の分散化があり、それを統合する思想の没落がある。

第4章 最後に

現在のカレンダーには4種類の周期が書き込まれている。

1、    日。昼と夜の周期。当然地球の自転の一周の時間に基づく

2、    月。つきの満ち欠けの周期に基づく。

3、    年。春夏秋冬の一周期。地球の公転時間に基づく。

4、    週。7日周期の由来は何か?

7日という一週間の周期はユダヤ教に由来するとされている。7日のうち1日を休息日(安息日)と定めるのはユダヤ教に由来し、ユダヤ教では土曜日、キリスト教は日曜日、イスラム教は金曜日を休息日としている。ではそもそも7日はどういう意味をもつのか。

日本には三寒四温という言葉がある。特に冬季、天気のおおよその繰り返しの周期を表わしている。この周期は日本だけのものではなく、世界中どこでも天気はこの周期で繰り返す(多分自転の関係で)。しかも冬だけでなく。おそらく多くの人が、一旦ハイキングでも予定していた日曜日に雨だと、日曜日の雨が繰り返すことに、なんとなく気がついている人は多いだろう。これが一週間を7日とする根拠である。

人類が食料を手に入れる方法は、狩猟、漁猟、農業である。それらの作業は屋外作業であり天候に左右される。そのことから、雨の日には作業を休むという習慣が自然と行われていたのであろう。

文字や文明が生まれる前の人類の共同体でも、狩猟、漁猟、農業などの作業は共同作業であり、そこにはリーダーがいた。リーダーになるのは天気や季節の変化を読む能力に長けた者、つまりそうした現象の法則性を良く知る者であった。当然その人物が共同体のルールも作った。そのリーダーの最も重要な任務が、天気を読むことであったと思われる。そしてそのことは、カレンダー作りが、ローマ帝国皇帝によって行われたことにもつながる。

ユダヤ人の場合、貿易を生業とする生活様式を自立させ、土着する農業民族とは異なる文化を作り出した。しかし、貿易業務の作業形態、航海と隊商は、農業以上に天候の影響を受けた。したがって天気の7日周期が業務に及ぼす影響は、農業社会より大きかったのかもしれない。そのためその周期の普遍化、すなわちカレンダー化を行ったと思われる。

現在日本ではローマ帝国で発祥した太陽暦と日本古来の旧暦(太陰暦)がつくられている。太陰暦は月の満ち欠けで特定の日を認識し、その周期(約29日)を一月とするカレンダーである。太陽暦の1年に太陰暦を融合させて、およそ12ヶ月を1年とする現在の太陽暦が作られている。

この太陰暦は、潮の満ち干に連動しており、漁業者には欠くことのできない、いわば漁業カレンダーである。もし人類の主要生産様式が農業でなく漁業であったら、カレンダーの主流は太陰暦になったであろう。主要生産様式が季節に縛られる農業だからこそ、カレンダーの主流は太陽暦になった。

このことからも、宗教は人類の生活様式の中から、必要な自然の法則性の認識と文字の発明によって生み出されたことがわかる。

工業が天気、季節、地域による気象条件の違いを無視した生産活動を可能にした。それだけではない。日夜、休息日に関係なく生産活動が可能になった。その結果人類の生産力は爆発的に拡大し、その結果人口爆発を招いた。

資本家階級は、欲に任せて、今でも人を無制限に労働に駆り立てようとしている。そして人は、肉体の健康だけでなく、精神の健康までも病んでいる。

マルクスが提案したのは、資本主義のそうした人間破壊を防ぐために、資本階級の欲望のためでなく、人類社会が継続していくためだけに生産する社会の建設であった。そのマルクスの提案に依拠したロシア革命が起きると、人類は、労働者の諸権利を守る、そしてなにより8時間労働をグローバル標準とするルールを作り上げた。

しかしソ連崩壊と共に、労働者階級の諸権利は次々と失われ、資本家階級の限りなき欲望を野放しにする社会が復活しようとしている。

人口爆発は、過去の人類社会の対立を蘇らせ、民族や宗教、人種の間の戦争を復活させている。しかもそれすら資本階級の欲望の狩猟場とすることで、さらに生産活動の時間は拡大されつつある(戦時下の労働強化)。24時間、365日の労働に追い立てる資本の欲望、資本主義のカレンダーは、確実に人類破滅を招き寄せている。

工業化社会における生産力の拡大にたいしては、資本家階級のカレンダーでないカレンダーをつくることが出来なければ、人類社会の初期に、宗教と言う形で作り出した秩序、価値観をも全て失うことになるだろう。

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