現時代における党・階級・労働組合

史上最初の労働者国家ソ連邦におけるテルミドール官僚の勝利、そしてそれを打倒しようとしたヒトラー・ドイツに対抗して結ばれた米・英帝国主義とソ連邦の同盟=いわゆる「民主主義連合」によるナチズム打倒の後、プロレタリア革命を圧殺した連合諸国により形成された世界均衡と階級均衡の下で、伝統的な労働団体(労働組合、工場委員会その他)と大衆、またプロレタリア前衛がいかなる関係を作り出しているのか、また従って現在の階級闘争は、いかなる刻印をその性格に打たれているのか? そしてこの関係の只中において、プロレタリア前衛はいかにして自己を表現せざるを得ないのか? また従ってプロレタリア前衛の党はいかにして形成されざるを得ないのか?

言うまでもなく、トロツキーFIの敗北と解体は、錯綜し、矛盾した現在の諸関係の下に潜みつつも、それら一切を総括している要石である。再建されたと自称しつつ、実は自己の敗北に無自覚であった戦後FI(第四インタナショナル)の自己欺瞞こそが、戦後世界支配秩序の繰り返された危機をついて突出したプロレタリアートをその度ごとに敗北に導きプロレタリアートの階級意識を麻痺せしめ、階級関係を固定化せしめてきたのである。我々が、第五回大会において果たすべきことは、かかる1966年夏の結党において前提とした出発点に立ち返りつつ、党と階級との生きた交通関係は、現在いかにあり、またいかに形成すべきか、かかる問題を解明することにある。

1.党建設上の諸原則

1966年夏、我々は旧JRCL(革命的共産主義者同盟)を解体し、FI(第四インタナショナル)再建のために結集した。数は50名を越える程度であったが、戦後FI、なかでもIC派(国際委員会派)打倒を通してFIの再建を展望し、また同時に革マル派をはじめとする「急進主義」諸派の寄生基盤(戦後FIの堕落と国際党の不在)を暴露した第一回大会は、真に確固たる党的結集の基礎を形成しえたものであった。

ここに至る過程において、我々は旧JR残存分子より「清算主義者」と命名されたが、これは、我々が、単に旧JRを解体・「清算」するにとどまらず、それが位置づいてきた戦後FI(なかでもIC派)全体を解体・打倒する闘争の開始を意識した故ではなく、彼らが依存あるいは依存しようとしていた「青年インター」の解散に行き着かざるを得ないが故であった。

彼ら残存分子は「党は真空状態において組織することはできず、大衆との接点を作り出さなければならない」と主張した。その言うところの「接点」とは「青年インター」であるらしかった。これに対し我々は、党は自らの組織を通してプロレタリアートと結びつき、直接に階級と結合するであろうと反論しつつ、その党の結集すべき点は何か、また言い換えれば、党が党として第一義的に果たさなければならない課題は現在何か、と彼らに問いかけた。しかし、それに対する彼らの回答は罵声とゲンコツでしかなかったのである。

我々によれば、繰り返された敗北を前衛等不在一般にかえすことはできず、そのために払われた努力の少なさを云々するだけでは許されず、堕落した戦後FI全体との闘争の意識的集中の欠如こそプロレタリア党形成失敗の根拠をなす(手近なところで西指導より阿佐ヶ谷指導まで)ということであった。

「政治的に独立した階級としてのプロレタリアート」という場合、それが現実化するのはただ国際党の形成を通してのみであり、決して一国的な、民族的な枠内における党のための闘争をもってプロレタリアートは自己を階級として形成することはできない。今日において、言い換えれば、国際共産主義運動がトロツキー主義とスターリン主義へと分裂し、さらにスターリニスト官僚が運動から脱落して以来、国際党の問題はFIの問題として提起されている。プロレタリアートの国際主義は、資本制生産の世界性に条件付けられているばかりでなく、これまでの階級闘争の結果としてプロレタリアートが国際党を獲得していることにも基礎付けられていること、したがっていかなる場合でも国際党建設の展望如何、という問題において党的基盤の統一が図られない限り、党の分解四散は不可避であること、ここに我々「清算主義者」と旧JR残存分子との分岐点が存在しているのであるが(また一切の急進派との分岐点が存在しているのであるが)、彼らにとってついにかかる問題は理解不可能な事柄であった。

「IC派内部における闘争を通してのFI再建の展望」からIC派の存在そのものを「打倒することによりFI再建を闘い取る」方向への鋭い転換は、旧JRの解体としてのみ貫徹されえたし、それまでとは全く異なった視点を持って一切を把握するよう我々に強制したのである。この転換に向けての一切の努力が、それまでのさまざまな一致点、不一致点を再整理、再統合しつつ、党を真の意味において国際党を目指す闘争の出発点に立たしめたのであった。

かくして我々は結党を闘い取ったのであるが、その後の歩みはけっして平坦なものではなかった。我々に襲いかかった最初の試練は霧山派との闘争であった。旧JRを解体し新党結成を目指す闘争の中で最も重要な役割を果たした一人である霧山により、党の基盤に致命傷を与えるごとき傾向が形成され始めたのである。それは、はじめは極めてとるに足りないもの、若干の行き過ぎと誇張にしかすぎず、論争と我々自身の闘争の前進のなかで解決しうるものと思われた。

「大衆闘争を拒否して党のための闘争へ」という霧山のスローガンは、その当時の党の置かれていた状況を注意深く考え抜くならば「極端」に誇張されていたとはいえ、誤謬とは断定できなかった。生誕したばかりの党は、まず第一に自らが何者であり、何を目指すのかを確かめつつ、その組織を打ち固めていかなければならなかったし、すべての急進諸派がプロレタリアートをその根本任務から実践において引き離そうと狂奔していた。このような場合に、霧山のスローガンは、誇張された煽動の「文句」としては許されたであろう。

しかしながら、霧山はしだいにこのスローガンを「誇張」されたものとしてではなく、文字通りに、いわばひとつの「定理」として把握し始めた。これまでにも、実践的な必要に迫られて行われた「誇張」が、絶対に動かしがたいものとして固定化される、ということがしばしば起こった。必要な単純化が過剰な単純化に姿を変え、そこに含まれていた生命力が枯渇していく実例を、我々はここでも経験したのである。

厳格な条件付きで語られていた命題が、その条件を奪い取られることにより、その反対物に転化していった。だが、この過程全体を貫徹しているのは、いかに小なりとはいえ、既に生まれ、階級とともに成長し始めている党が、階級闘争が作り出す暴風のような圧力に抗しつつ、鋭い党内闘争をもって自己を純化していく力であった。

霧山的な傾向が党中枢から生まれ、党のあらゆる努力にもかかわらず、次第に大きくなっていき、ついに党が分裂せざるを得なかったのは、日常不断にかけられてくる圧力、直接的には急進派の圧力に、党全体が未だ経験に乏しく、その力量において弱かったためであった。急進派の圧力にあまりにも直接的に対応し、その時々における党の力量如何という問題を無視して闘争の方向を決定することは、党全体を急進諸派の運動から切断するのではなく、逆に党をその敵対する急進派の運動と同一の基盤に突き落とす。

ここで党の力量という場合、単にその党員数、組織の結束力、あるいは大衆に対する影響力等々ではなく、我々にとってそれは世界政治における党の威信と力であり、計測不可能なポテンシャルな力も含めてのそれである。かかる点を抜きにして一切を考え始めることにより、霧山派はついに自己以外のあらゆるものを解体すべきであるという命題に捕捉されるに至ったのである。

プロレタリアートの闘争は、それ自体としては反帝と反共の枠内にあり、それを再生産している(ここまでは我々と一致する)。それは戦中戦後の革命の敗北の結果であり、特にFIの敗北と解体によって基礎付けられている(ここでも一致)。霧山と霧山派によれば、FIの再建はかかる関係全体を変革することではなく、ブルジョアジーもプロレタリアートも共にどこかへ片付けてしまうことであり、従ってFIと現体制全体が敵対しているということになった。

我々にとって、FI再建は反帝と反共の対抗関係に閉じ込められているプロレタリアートを我々と共に解き放つことである。再建されたFIが、現実に世界政治の領域で活動しているという経験を持たないなかで、(FIは再建されたが、未だ日本人だけの組織である)、「全世界の自己以外のもの一切を解体せよ」などという結論をいかにして下すことができようか? こうして我々は霧山派に打ち勝ち、創立大会の基盤を防衛し、1967年の第二回大会を開催することができたのである。

2.急進諸潮流の寄生基盤

第二回大会の後、我々はより一層厳しい急進派との闘争に直面させられた。

ベトナム反戦に対するアメリカ帝国主義の急速な介入拡大とそれに促進されたアジア・太平洋地域における諸均衡の差し迫る崩壊の危機は、直接に日本帝国主義の歩まんとする軌道に重大な衝撃を与えずにはおかなかった。

巨大な闘争の到来が予感されるなかで、深まりゆく日本帝国主義の矛盾、その深い亀裂のなかから急進派の噴出が始まっていた。

頭をもたげつつあった急進諸派は、一つには、既に「60年闘争」におけるスターリニスト官僚の堕落の公然化、またそれにかわるべき新たなプロレタリア前衛党の登場の必要性に規定されつつも、だが二つには、かかる任務が未だ何びとによっても果たされることができずにいる、ということによってわが国の政治の舞台に登場してきた。

急進主義諸潮流の登場は、わが国に独自の現象ではなく世界的に共通な現象となり、再びまた、自己を押し上げんとしつつある世界プロレタリア前衛とその党・FI(IS派=国際書記局ばかりでなくIC派も含めて)の革命党としての無能力・無責任さであり、急進諸派はそれに寄生しつつ繁殖を遂げつつあることも同時に明白であった。

このような意味において、我々と急進主義との闘争は、わが創立の時点におけるそれよりも、一層の具体性をもって貫徹しなければならないものとして我々に課せられてきたのである。我々はこの課題を果たすべく、霧山派の諸君とは全く異なった方法を持って闘争し、その闘争のなかで自身の弱さ、踏み越えるべき限界を突き出し、実践においてそれを克服せんとしてきた。我々は与えられているわずかの経験をこねくり回し、途方もなく肥大させることにより、豊富な現実をほしいままに裁断する傾向と手を切ったばかりであった。我々は同時に、急進主義諸潮流が発生し来たった根拠、その基盤を一、二回大会を通じて確実に把握していた。こうして我々はFIの旗を掲げて直接に大衆の中に入り込み、闘争を繰り広げんとしたのである。

このなかで、改めて我々が突き当たった問題は、革共同全国委員会黒田派の性格如何という問題であった。黒田派は、FIの闘争の歴史のなかでいかなる位置を占めているのか、従ってまた、FI再建に向かう我々にとって、黒田派との闘争はいかなる意義を持つものであるのか、ということが明らかにされなければならなかった。

我々は、創立大会において既に黒田派を第一の敵として感じ取ってきた。また創立大会は、黒田派が寄生する基盤(彼らの党としての存立がはじめて可能になる)を、戦後FIの堕落として把握してきた。しかし、ひとたび我々がFI再建のための闘争を全力を尽くして開始するや否や、そして我々が党としての基盤を強固にしはじめるや否や、黒田派が現実の階級闘争において何らかの意味を持ちえたのは、じつは彼らもまた戦後FIのIC・ISへの分裂抗争と結びつきえた限りであった、という事実が浮かび上がってこざるを得なかったのである。

黒田派をして「60年安保闘争」の敗北後、共産同解体のヘゲモニーを掌握せしめるのを可能としたこと、また、西指導下のJRCLを圧倒しつつ、一時期(ほんのわずかの間であったが)、その展望の下に新しい前衛党建設をなし得るかに見えた(見えただけであったが)のは、彼らがどのように強弁しようとも、事実上「IS派打倒をIC派と共同して行うことにより、FI再建を目指す」としてきたが故にほかならなかったのである。黒田派は、かの「黒田哲学」によって結集していたのではなく、実はかかる点においてその立党の基盤を獲得することができたのであり、それを意識することができなかった彼らは、ひとたび現実の階級闘争の荒波にもまれるや、直ちに分裂の喜劇を演ずることになったのである。

しかし、真の問題は、黒田派や急進派の発生・伸張を許容してきた戦後におけるFIの存在そのものである。FIは1953年にICとISに分裂し、さらにIC派は、1961~63年にかけての内部闘争を経て、G.ヒーリーを指導者とする「左派」とアメリカSWPを中心とする「右派」に分裂した。

この分裂は、高揚せるプロレタリアートの闘争に革命的に応えるためのものであったのか、否か? むしろ、プロレタリアートの闘争が戦後FIの堕落せる基盤を白日のもとにさらけ出さんとする時、それを左翼的な言辞とポーズを持って、繰り返し隠蔽してきたのではなかったのか?

パブロ主義と闘争することを通じてFIの再建の基盤を獲得したと称するIC派こそ、戦後FIの根本問題をもっとも悪質に隠蔽し続けてきたのではなかったのか? 1966年に開催されたIC派の国際会議こそ、かかるIC派の性格を完結させたのではなかったのか?

我々は、急進派、なかでも黒田派との闘争の性格を、単にそれだけの次元においてではなく、国際党再建のための闘争の次元へと押し上げることをもって、1967年秋から68年夏にかけての闘争を総括し、それをエネルギーとしつつ、第三回大会へと結集していったのである。

3.危機の中で情勢に押し流されたアーディー派

こうして獲得された第三回大会は、さらに一層重大な位置に我々が立たされていることを示した。

第三回大会は、ちょうどフランス五月闘争の直後に開催された。フランスの闘争は1960年代世界帝国主義の矛盾が、わずかな手直しなどでは、到底解決し得ないことを明るみに出した。それに引き続くチェコスロヴァキアにおける闘争とモスクワ官僚の直接介入は、三回大会当時の党が置かれていた状況を端的に示していた。

情勢が極度に危機的であり、かつFI再建の闘争の展望が危機的であるとき、革命的党もまた重大な危機に直面させられる。巨大な大衆の高揚の圧力の中で革命的党が不可避的に直面するこの危機を、単に「客観情勢の成熟と主体的条件―前衛党―の未成熟の間のギャップ」一般の問題に還元してしまうことはできない。それは「党主体」の危機そのものなのである。フランス五月闘争の中で、「ヴォア・ウブリエル」(アーディー派~現在フランス最大のトロツキスト組織である「リュット・ウブリエル/労働者の闘争」の前身~編集部注)が直面した危機こそまさにそのような危機であった。アーディー派は、戦後FIの再建過程において、その日和見主義的性格を受け容れ難いとして参加しなかったグループであり、IC派に対しても「パブロ修正主義はFI崩壊の原因ではなく、その結果である」という点において鋭く批判しつつ、「FIはもはや存在せず」との前提に立ってその再建を提議してきたグループであった。

そのようなアーディー派が、五月闘争という大衆の巨大な高揚の下において、単に急進化する、あるいはその影響力を拡大し得なかったというのでなく、フランスにおける毛沢東派の運動との結びつきすら見せつつ、当面する危機的状況を克服するために、すべての革命的党派がそのセクト性を捨て団結・統合するよう訴えるという、党主体そのものの危機に陥ったのである。

フランス五月闘争の中でアーディー派が直面した危機は、明日我々が直面するであろう危機でもある。それ故に、この問題は我々にとって、決して打ち捨てておくことのできない、どうしても教訓化しなければならない問題なのである。

「FIは存在していない。だから誰がFIの政党であるかについて争うのは止め、FI再建のために、ともかく同じテーブルにつこうではないか」~一口で言えばこれがアーディー派の組織論である。

彼らは戦後世界におけるまったく孤立した少数派であったことは事実である。さらに言うならば、極めて少数であった戦後トロツキスト運動の周辺部において活動してきた少数派であった。そのこと自体何ら問題ない。問題はFIが崩壊しその再建こそが最も重要な課題となっているとき、誰がその課題に取り組むのか、誰がその主体たり得るのか、ということである。アーディー派か、それとも他の何者であるのか?

いかに少数派であろうとも、このように問題を自らに提起し党とその全メンバーを訓練しない限り、国際党としての実体を作り出していくことはできない。たとえそれがいかに苦難に満ちた道程であろうとも、この点において全党の統一をとり続けない限り、党の基盤そのものに次第に亀裂が広がり、ひとたび重大な闘争に直面させられるや否や、党は情勢の圧力に圧倒され粉砕・解体されてしまうであろう。

誰がFIを再建するのかという問題は、いかにして、いかなる綱領によってか、という問題を不可避的に提起する。戦後世界の帝国主義支配の本格的な動揺の再度の開始が、誰の目にも明らかになった現在、我々はこの問題に答えなければならない。これが第三回大会が我々全体に課した任務であり、この後二年間にわたる苦闘がはじまったのである。

4.党的結束力の源泉はどこにあるか

第三回大会から第四回大会にいたる二年間は我々にとって実に苦難に満ちたものであったが、新たな政治的経験を蓄積しつつ、着実な組織的伸張を遂げてきた期間でもあった。この期間に我々は、当面の敵である急進諸派が大衆の高揚に呑み込まれ、党的結集の意志すら磨耗せしめていく中で、単に党建設の必要性一般を主張したり、あるいは激発する闘争の課題に党建設を接ぎ木するのではなく、あくまでも党全体の意思統一の基準を国際党建設の展望いかんに求めつつ、それによって形成される党の全力量をもって急進諸派を解体せしめる闘争を展開してきた。

創立大会より第三回大会までに獲得されてきた我々の全力量は決して十二分とはいえないにせよ、よくこの間の闘争に我々をして耐えぬかしめ、第四回大会へと全党を押し上げることを可能にしたのであった。

我々は現代世界の綱領的把握の深化に全力を集中しつつ、同時に3大会までの全内容において急進諸派との闘争を展開してきた。これは言葉にするにはあまりに容易であるが、現実の組織活動を通してみた場合、決して簡単なことではなかった。「現代世界の綱領的把握」と一言で言ってしまえるであろうが、我々がそこに置かれている状況は、国際党不在の二十年によって形成された世界に、あまりにも未経験な我々が直面している、というものであった。この問題の討論過程は、それ自身が引き起こす内部対立に、情勢の圧力と我々自身の未経験さが重なり相乗作用して、生じている対立の性格が十分明らかにならないうちに、党を分裂に導きかねない危機を内包していた。この危機を回避するためには、単に政治的熟達という資格条件のみでは決定的に不十分であり、これまでに獲得されてきた党の基盤の強固さと生命力の根強さを土台としつつ、何が明らかにされるべきかについての一致~展望における一致が不可欠であった。

もし、第三回大会までに獲得された成果が存在しなければ、分裂抗争する急進諸派の動向に一対一的に対応し、我々自身もきりもみしつつ、解体されていったことであろう。大衆的な高揚が後退の局面に移行したとき、急進諸派の散乱的な退却と同様に我々も退かざるをえず、たぶん、我々はその姿を永遠に消したに違いない。

だが、我々はこの困難な時期に、断固として党の独立性を堅持しぬき、直接に大衆にFI再建の今日的根本的意義を訴えつつ、三回大会までの全内容をその意思統一の基準としつつ、全党をFI再建のための綱領的基礎の明確化、その深化に向けて集中せしめることができた。その結果として、かなり大きな組織的拡大を実現し、さらにその強化をも闘い取ったのである。

第四回大会が成果とするものは、その「政治報告Ⅰ・Ⅱ」として公表された文書の内容に尽きるものではない。むしろ、そこに表明されている現代世界政治に関する我々の見解が、いかなる方法によって獲得され、鮮明化されてきたのかという点こそ重要なのである。

言いかえれば、党と党組織はいかなる方法、いかなる精神により形成されるべきなのか、この点をめぐる、これまでになかった全党組織の政治的経験の基礎の上で、はじめて「見解」がまとめられ意思統一をなし得たことこそが、最大の獲得物であり、成果なのである。それを土台にして「政治報告Ⅰ・Ⅱ」が党全体のものとして生命力を持ち、またその結果として我々の組織的な前進が実現してきたのである。それが忘れられるならば、第四回大会の成果はすべて分断せしめられ、我々は再び戦後FIの諸グループの一つへと転落せしめられるであろう。

第四回大会を前後して、我々は、組織的な前進への重要な契機をつかみ取ることに成功した。それは四大会を作り出す力の一つともなり、また、その後の前進への力ともなった。それは、A、B両県委員会の突出的な前進であり、それに依拠しつつC地方委員会の飛躍的な強化が勝ち取られたことであった。それは単に、両県委員会の量的拡大を実現しただけではなく、C地方における党の構成を質的に転換せしめ、また、それを通して党全体の構成をいかに転換させるか、という問題を次に提出せしめたのであった。

党の実体的基盤を“労働者”に転換するということは、単に党員の出身階級別の数量的比較の問題ではない。それは、党の中核が誰によって、またいかにして形づくられているのか、という問題である。いわば、物量的に言って、党構成上どこに一番の比重がかかっているのかという問題である。

かかる問題を我々が実践上の問題として提出せざるをえなくなったのは、確かに状況の圧力ではある。情勢が我々に強く要求していることである。しかしながら、我々がここで見なければならない点は、それは我々自身の前進の結果でもあるということである。

考えてみれば、この問題は創立大会の時から存在していたといえる。しかしながら、四大会終了後、何ゆえかかる問題がはじめて提起されなければならなかったのか。それは四大会までの我々が、党をプロレタリア党として形成することにおいて不十分であったが故であるのか。

我々は現代において労働者党というとき、それはとりもなおさず国際党でしかありえないと確信してきた。そして、今日の労働者党不在の根拠を、その組織化のための努力の不十分さにあるのではなく、何よりもその方法上の誤謬にあり、その誤謬は既に単なる誤謬ではなく、重大な闘争の局面においては敵階級へと移行するまでに固定化しているものと捉えてきた。そしてまた我々は、労働者党組織化の闘争は、まず第一に国際政治の領域におけるプロレタリアートの敗北の問題を掘り起こし、その根底に存在する堕落した戦後FI諸派を解体しFIを再建する闘争として展望しなければならない、としてきたのである。

我々は、かかる点をいささかでもあいまいにしようとする傾向と仮借なく闘ってきた。それは、我々をして最も差し迫った実践上の課題から分離させることにより、党の労働者的性格、党がプロレタリア党であろうとする意志までをも粉砕するであろうことを正確に見抜いていたからである。この点において、我々は何ごとをも譲らず何ものをも容赦しなかった。

このような我々全体の闘争が、A、B両県委員会の闘争として結実したのであって、党主体とは無関係な運動の干満、また高揚と後退との関連の下においてのみ、今日の問題が現れたのではないのである。もし、このように問題の性格を把握したならば、おしまいである。

我々は前項において述べた点について、さらに別の角度から検討してみるべきであろう。現実の階級闘争の変幻ただならぬなかで、急進諸派が漂い、溺死するのに反して、何が故に、国際主義者がやがて闘争全体のヘゲモニーを掌握できるかについて、我々の限られた経験の検討においてすら見出すことができるからである。

A、B両県委員会のこれまでの闘争は、誤解を恐れずに言うならば、まったくそのスタイルにおいて異なっていた。その相違のみについて注目する者には、決して同一の綱領的基盤にある同一の組織であるとは見えなかったであろう。根無し草であるが故に、その日その日の必要事に直接対応するスタイルによって他と自己を区別することしかできない急進派の目から見るならば、絶対に同一の潮流とは映らなかったであろう。

しかし、党が党であるのは、闘争のスタイルいかんによってではない。いかなる急進派といえども、少なくとも現実の階級闘争のなかで、何らかの主張をなすためには、ただスタイルの良し悪しを持って“自己主張”とすることはできない。彼らが現実に存在し得るためには、階級闘争と共産主義運動の歴史において、いかなる位置を占めているのかを明らかにするか、さもなければ、そのこと自体を否定しなければならない。言いかえるならば、彼らが生存し続けるためには、彼ら自身が小ブルジョアでしかないことを隠蔽し続けるか、それとも最初から公然と小ブルジョアであることを認めた上で一切の問題を立てるのか、そのいずれかを選択するしかないのである。例えば、全国委員会両派は、いかに彼ら自身強弁しようとも、彼らの基盤は旧IS批判(西指導批判と内容抜きに等置された)と、彼らの言うところのキャノン派IC(SWP)との連合である。旧ブントはただFI批判をトロツキー解釈として展開したに過ぎない。

これら急進諸派の諸君には“スタイル”に好みがあり、それの相違によってすべてが決定するかのように思い込んでいる。なぜならば、もし事柄の本質がスタイルの相違でないとしたら、彼らの拠って立つ基盤があまりにも弱々しいことが明白となろうから。

彼ら急進諸派にとってスタイルこそ組織論であり、したがって生命力の源泉である。我々FIにとって組織論とは国際党組織論であり、党的結束力の源泉はスタイルの同一性にあるのではなく、FI再建の展望にある。

それぞれの党組織の置かれている状況の相違、その能力、政治的力量、性格等々の相違は、それぞれ異なったスタイルを要求するであろう。それが許容されず、全党組織が同一の闘争スタイルを要求され、それが完全に正当であるとされるのは、ただ党が直接に蜂起へと向かいつつあるときだけであろう。

平時においては、階級はその内的結合において著しく不均質であり、階級内部のそれぞれの部分の発展のテンポも、また著しく不均等である。この点に、革命にとって党が不可欠の道具であるという主要な理由のひとつがある。それ故に、党のそれぞれの部分がプロレタリア大衆と結びつこうとするとき、いずれもが、同一のスタイルをとることは不可能である。だが、革命的情勢の下では、この“不均質”は、そこに党が介在することによって、急速に克服され得る。そしてまさに、この不均質がほぼ克服されたときこそが“蜂起の瞬間”なのである。この瞬間に、さまざまな経路を辿ってさまざまな形態で組織されてきた全国各地のプロレタリアートの闘争は、党指導を通して、ただ一つの目標に向かって、すなわち権力獲得に向かって統合されるのである。

確かに、闘争スタイルの相違の根底に、実は党の基盤にかかわる対立が隠されていることはあり得る。しかし、対立はこのようなときでも根本的な問題が表に現れ出てはじめて、対立として意義を持ってくるのである。しかも、「対立」が根本的な問題における対立へと深刻化したときには、スタイルの相違は第二義的な問題となってしまっているのである。

5.過渡的綱領継承の方法やいかに?

我々が闘争スタイルの問題を注意深く取り扱わなければならないとはいえ、しかし第二義的なものとするとき、そして、まず第一に国際党再建に取り組まなければならないというときに、まず問われることは、国際党組織論の内容如何ということである。今日この問題は、過渡的綱領をいかに継承すべきか、という問題として提出されているのである。

我々は「過渡的綱領」を「指導部のテーゼ」としてその核心を把握する。しかし、これがこの言葉の限りにおいて理解されるならば、アナーキストやそれに近い部分を除き戦後FI諸宗派を含む多くの党派がこれを承認するだろう。今日「指導部の危機」について云々しているのは我々だけではない。

我々にとって「指導部の危機」とは、指導部としての国際党の危機、その不在であり、その再建がようやく開始され、それに我々が取り組んでいるという意味においてである。

急進主義諸派にとって「危機」は外にあって、国際指導部建設の問題は自己の日々の闘争の外延にあり、国内的な民族的な闘争の連絡調整機能より始め、次第にその実体を備えてくるかのごときものである。急進主義諸派にとって、国際党は闘争の結果としてのみ形成され得るものなのである。彼らのこの問題に対するアプローチは完全に転倒しているのである。

我々にとって「指導部の危機」とは、トロツキーFIが敗北し、解体されたことをもって現世界支配秩序がその全均衡を作り出し得たし、現在においても、それは揺らぎ出して、はいない、ということである。IC派打倒のスローガンは、FI再建のために設定された特殊な党派闘争の環を表現しているのである。

急進諸派にとっては、我々の方法は理解困難であり、転倒しているように思えようが、転倒しているのは彼ら自身である。「トロツキーFIの敗北を通してはじめて構築可能であった現支配秩序全体と闘争を開始しなければならない」と我々が断言するとき、抑圧され孤立したまま閉じ込められてきたプロレタリア前衛の意識が解放され始め、彼ら前衛の本来の姿であるところの世界性への道が、自己自身へと立ち返っていく道が、開かれるのである。

戦後革命の敗北の後、繰り返された帝国主義の危機の爆発のたびごとに、全力をあげて闘争せんとしたプロレタリア前衛が、なおその闘争の頂点において四散していき、再びまた沈黙を余儀なくされたのは、プロレタリア前衛が自己と共産主義とを結びつける党が、トロツキーFIの解体(そして戦後FIの堕落)によって存在しなかったが故である。いま三たび、これが繰り返されるのを避けるためこそ、分散し孤立して原子化されているプロレタリア前衛を再結集するための集約点としての、FI再建のための闘争に集中しなければならないのである。

急進諸派の諸君に言って聞かせる必要があるかもしれない。君たちが主張するように既成指導部は裏切っており、闘争を抑圧している。しかし、それを可能にしているのは、諸君も密かに感じているように大衆が闘争しようとしないからだ。特に政治的経験豊かな、資質優れた部分がなかなか闘争しようとしないからだ。なぜなら、彼らは諸君が痴呆だということを知っているからだ。諸君の主張するところに従うならば、バーバリズム、あるいはスターリニスト官僚の勝利に行き着くことがはっきりしているからだ。彼らが闘争しようとしないのは、彼らが慎重すぎるほど慎重であり「臆病」あるいは日和見主義者であるのは、革命の組織が現在、存在しないからだ。―少なくとも、諸君がそうでないことを知りぬいているからだ、と。

既に急進主義諸派は、あるいはそれと同一水準にまで転落している戦後FIの諸宗派は言うかもしれない。特にIC派は「過渡的綱領」を単純に「指導部の危機」のみに還元してしまえば、その内容は空虚なものとなり、党をセクト主義的な国家資本主義論者のそれにおとしめるだろう、と。

だがしかし、それはあまりにも「見事」に的を射損じた批判といわざるをえない。なぜならば、「過渡的綱領」から我々が活動している現在までの間には、トロツキーFIの敗北と解体という歴史上の事実、しかも単純なものとして片付けるわけには行かないプロレタリアートが経験した事実が横たわっているのである。

これは現在の階級闘争全体に深刻な影響を与えてはいないだろうか? 「過渡的綱領」の諸規定は、そのまま現在の我々によって採用できるであろうか。

例えば「賃金と時間のスライディング・スケール」のスローガンについて考えてみよう。今日このスローガンは、スターリニストと改良主義者に簒奪されてしまっている。我々が宣伝・煽動する場合、「本来」のスライディング・スケールとスターリニスト・改良主義者のそれとを区別できるであろうか? 我々はスターリニストと改良主義者についての暴露から闘争を始めるであろう。すなわち、実現されているスライディング・スケールが何らプロレタリアートの物質的諸条件を改善しはしないことから、その大衆的暴露から闘争を開始するであろう。

我々は「過渡的綱領」の新解釈を試みようとは思わない。我々にとって必要であるのは、トロツキーFIが活動した時代と現在を分け隔てているものは何か、という点に関する解明である。

6.トロツキーFIの時代と我々の時代

トロツキーFIの時代は、ソ連邦におけるテルミドール官僚の勝利、ドイツ・プロレタリアートの敗北、ナチズムによるその殲滅とともに始まった。この時代は、プロレタリア世界革命の指導機関として組織された第三インタナショナルが、その本来の役割を果たしえずに死に至り、目前に迫る世界戦争を防止するには、未だ残されている歴史上の獲得物に依拠しつつプロレタリア世界革命を実現するしかないという時期だったのであり、それ故に、未曾有の歴史の危機が指導部の危機と融合して現出した時期だったのである。

言いかえれば、FIの建設と革命に向かうプロレタリアートの前進とが、時間的、地理的に単純に平行して進むものではないにせよ、闘争の一局面ごとに直接に関連しあうことが可能でもあれば、同時に絶対的にそのことが要請されている時期だったのである。つまりこの時代は、自己の組織化の問題を権力獲得の問題と結合させて闘争しなければならないという意識性の時期、あるいはその意識性の獲得が全体の階級意識の集約となる時期だったのであり、このただなかにあってトロツキーFIは闘争したのである。

また、さらに指摘しなければならないのは、トロツキーFIが第三インタナショナルから継承したものが何であり、かつまたそれは我々の時代とはいかに異なっているのか、という問題である。

トロツキーFIは、確かに第三インタナショナルの敗北から生誕した。しかしFIは、その最良の部分を左翼反対派に結集し獲得した。FIが第三インタナショナルから継承したカードルは数的には極めて少数であった。だが、FIは、ロシア十月革命と第三インタナショナルの最高の指導者であり内戦の中での赤軍の建設者、当時最もタフネスで明敏な世界政治家であり、革命家として比類ない威信を持つトロツキー自身を獲得したのである。トロツキーはこれまでの革命的プロレタリアートの全経験を自身に凝縮させつつ、FI建設へ(第三インタナショナルの再建から)向かったのである。こうしてトロツキーFIはその指導者を通して、その数量をはるかに凌ぐイニシアティブを、世界政治の領域において発揮する力を備えていたのである。

だがしかし、トロツキーFIの敗北(戦後革命における)と解体(敗北の総括とそれに基づく再武装の放棄)は、情勢を、また闘争する主体の側の条件を大きく変換せしめてしまった。指導部の危機と革命の危機とが同時進行し、かつ同時的に解決されるよう要求されていた時代は、プロレタリアートの前から過ぎ去った。

我々が現に活動している時代はFIの再建それ自体が目的化されている時代である。言うまでもなく、FI再建はプロレタリア世界革命遂行にとっての手段である。だが、プロレタリア世界革命―プロレタリアート独裁の樹立―は社会主義社会建設のための手段であって、それ自体が目的ではない。社会主義社会の建設は、十月革命以後、遠い未来の任務ではなく、プロレタリアートの現実の、実践的な任務になっている。それはテルミドール、プロレタリア世界革命の一時的中断ということにより、従来よりも、はるかに複雑なものとなっているに過ぎない。我々の綱領的内容は、このことを土台にして作られている。

目的と手段は相互に排除し合い相互に転化する。だが、問題は、その基本的な性格において、我々の党の発展段階にあるといわなければならない。

7.高揚する大衆闘争のなかでの党主体の危機

大衆は既にいたるところで反乱を開始している。それは拡大し深化するばかりであろう。我々はそれを肯定し、有利になってきたと感じている。だが同時に、我々はそこに巨大な危機がやってきているのを見出すのである。問題は大衆の反乱の波にどう乗るかではなく、また乗れるか乗れないか、でもない。来るべき波はたとえ我々が拒絶しようとしまいと我々を捉え、高々と打ち上げるであろう。この時、この怒涛のごとき大衆の進撃のなかで、党としての結束力を徹底的に試されること、そしてその結束力は何によって獲得されるのか、ということこそが我々にとって問題なのである。

大衆の反乱は1956年ハンガリーにおいて、また68年フランスとチェコスロヴァキアにおいて極限までに到達した。その最も高い頂点においてプロレタリアートは分解し始め、敗北への道を歩まざるを得なくされた。もちろん、これは巨大な闘争であり、巨大な政治的経験であり、従って、その教訓はプロレタリアートのものとなっている。しかし、革命をやってのけるだけの意志と能力、また威信を持った党の不在は、これら大衆自身の敗北の経験のあとにはじめて明らかにされたのではない。これらの敗北によってプロレタリア党建設の任務に就かされたのは、元のスターリニスト、改良主義者、あるいは急進主義者である。ここでは政治的に未経験な若い世代については言うまい―それら若い世代のミリタントがはじめて自己の任務を自覚したのは当然だからである。

党の不在、それは戦中戦後の革命の敗北のなかで既に実証されている。今日問題は、不在一般ではなくして、かかる状況を克服すべく組織されたFIの問題如何、として提出されているのである。

我々は未経験な労働者の自然成長の過程に対応することによって、党を形成していくのではない。これまでに到達した最高の水準において獲得された意識性から闘争を始めるのである。党不在の宣伝一般では、プロレタリアート、中でもその前衛は見向きもしないであろう。そして逆に問い返すであろう。諸君の国際党路線は何であるのか、また諸君は世界政治の領域において一体いかなる闘争を行おうとしているのか、それはスターリニスト官僚に、どのように対抗し打倒するのであるか、と。

我々の現時期における主たる目的は、大衆を獲得すべき主体の獲得である。それは国際政治におけるプロレタリアートの集中すべき任務の明確化を通してプロレタリア前衛を党に結集することである。もちろん、党の発展は有機的に順次に進んでいくものではない。発展の現段階は、その前に止揚した段階を自己の契機として含みつつ、次の段階へと飛躍すべき契機を内部に成長させつつある。しかし、党は自己の発展段階を人工的に飛び越えることはできない。状況の圧力は絶えず党に飛躍を強要するであろう。もしこの圧力に屈したとするならば、党は死への跳躍を成し遂げたことになるであろう。例えば旧JRの加入派のように、また霧山派のように。

8.党・階級・労働組合―急進諸派の逆立ち

我々は、結党以来五年間の闘争において、急進諸派からの「FIはFI自体の組織を自己目的化し、大衆闘争をやろうとはしない」という「攻撃」を受けてきた。これに対し、我々はただ嘲笑をもってこたえてきた。我々左翼反対派とトロツキーFIを正統的に継承するものにとって、「大衆闘争」をするか否かは問題ではないからである。

我々にとって、敗北したとはいえ、再びプロレタリアートが攻撃を開始する地点は、かつて到達した最高水準からである以上、闘争を組織する主体如何、これこそが問題なのである。その主体として獲得された国際党―トロツキーFI―の敗北が現在の諸条件を決定しているのである。したがって、その克服のための闘争こそが今日のまず第一の実践上の課題なのである。

国際党なしには、階級全体の交通は不可能である。言いかえれば、大衆自身の生きた討論をもってする意思形成、意思統一は不可能である。国際党が不在であるとき、大衆は自分自身の交通手段を失っているのである。階級として政治的に独立したプロレタリアートはただプロレタリア世界党を通してのみ実現しうるのだ、という我々の主張を、別の角度から言うならば、かくのごときものなのである。

急進諸派にとって、まず最初に組織されるべきものは大衆である。我々にとって、まず第一に組織されるべきものは共産主義者である。共産主義者がどれだけ自己自身を組織し得たのか、それにしたがってプロレタリア大衆自身が自己を組織するであろう。その表現形態、その組織形態が、果たしていかなるものになるかは、まったく予測がつかない。それを決定するのは大衆自身であり、プロレタリアート前衛はそれに従うよりないのである。

急進諸派は、自己に盲目的であるが故に、大衆に代わって、その組織形態、その闘争形態までも決定しようとする。思い上がりも甚だしいと言うべきであろう。もし党が、真にプロレタリア党であろうとするならば、自ら自身に踏みとどまろうと闘争しなければならない。言いかえれば党主体を維持し強化し続けなければならない。そのような党でなくして、なにゆえに大衆が自身の決定を通して政治的に前進を遂げることができようか。

急進諸派にとって、到底理解し得ないのは党主体の強固な形成が、大衆の自己決定拡大の前提でもあれば結果でもある、という点である。それを日常の闘争のうちにおいても、またプロレタリアートの歴史的経験のうちにおいても、見出そうともしなければ、見出すこともできないのである。急進諸派においては、党と階級の生きた交通関係は内的には把握されず、外部から、固定化され、転倒されたものとして把握されるにとどまる。それは党が獲得されるべきものとしてではなく、結果として与えられたものとして捉えられているからであり、党と階級の関係を観照するにとどまっているからである。

党と階級との交通形態を、急進諸派が観照的にしか捉えられないのは、彼らがその出発点において、これまでのプロレタリアートの歴史的経験とその理論的総括としての共産主義運動から遠く離れていることに根拠付けられている。

彼らはまず第一にソ連邦における党と階級との関係について、それがいかなる新しい経験をプロレタリアートに与えたのかについて考えてみようとはしないのである。プロレタリアート独裁の歴史的経験について、検討を加えることにより、問題を考察しようとはしないのである。

また彼ら急進派は、テルミドール官僚が左翼反対派を打倒し、追放、粉砕した後に、いかなることが党と階級との関係において生じたのかについて、決して触れようともしないのである。

さらにまた、急進諸派は、第二次世界戦争後にプロレタリア革命が敗北し、トロツキーFIが解体した結果、プロレタリアート前衛にいかなる任務が課せられたのか、従って、プロレタリア前衛は、階級といかなる関係を現実において取り結ばざるを得ないのか、について何も知らないのである。

急進諸派は、この課程においてプロレタリア大衆の自己決定権が次第に奪われていくことを見出すのであるが、それは同時にプロレタリア等の敗北であることを決して見ようとはしないのである。確かにプロレタリア党の敗北は、階級の敗北の結果である。しかし、党主体の側にとっては、党の敗北なのであり、党の敗北を通して階級は敗北へ導かれるのである。

テルミドールの過程は、ソ連邦共産党(ボリシェヴィキ)が、激烈な分派闘争のなかでソ連邦国家に対する統制力を失っていく過程であった。それはまた、党が官僚に屈服していき、党自身が官僚化していく過程であり、解体されていく党を擁護せんとする部分が左翼反対派として組織され、党の改革を通してソ連邦を防衛せんとした過程でもあった。左翼反対派の敗北の一歩一歩ごとに、プロレタリア大衆の行動の自由が奪われていき、労働者国家ソ連邦はプロレタリアートの統制を受けなくなっていったのである。

ソ連邦におけるプロレタリアート独裁の経験は、プロレタリアートの党が敗北する深さにおいて、独裁はその堕落を深めるのであり、党は支配党であるとき、いっそうの独立性を要求されるのであり、その独立性は結局のところ、その党の国際党としての強さ如何にかかっていることを示した。

左翼反対派とスターリニストとの闘争の全過程を貫いているのは、実にコミンテルンの指導の問題である。ソ連邦の内政をめぐる諸問題、例えば工業建設のテンポとその規模をめぐる問題も、実はコミンテルン指導の問題と分かちがたく結びついていた。それを理解しえぬ部分がスターリニストとなり、あるいはスターリニストに屈服していったのである。かかることが、左翼反対派の敗北を通して明らかにされたのである。

急進諸派のうち、アナーキズムにますます近づきつつある部分は言う、「党は堕落する」と。我々は彼らに答えて言う、「我々の言う党とは国際党なのだ」と。

プロレタリアートの歴史的経験から自らを断絶させている急進諸派は、当然のことながら、日常の生活の中においても党と階級との関係を把握できない。彼らは大衆の高揚が「結果として」党の強化をもたらすことを見る。そして、そこから「大衆の高揚」をつくりだし「結果」を獲得しようと考える(もっとも、多くの急進諸派にとっては「高揚」それ自体が目的であるのだが)。

彼らは大衆の要求を取り上げ、それを激発させようとする。大衆全体か、あるいはその一部であるかは別にして、ともかく激発させようとする。そこに作り出された分岐の線に沿って自己の組織を拡大しようとする。八千円賃金引上げ要求に対し一万五千円要求であり、また半日ストライキに対して一日ストライキ、あるいは座り込みストライキである。彼らは、このような大衆の「高揚」あるいは激発のなかで、初めて少数派であることから脱出できるであろうと想像する。そして、その向こう側に蜂起がやってくると想像する。

その不毛さに気づかされるや、大衆の要求獲得の闘争を、直接に蜂起によって行おうと「深化」する部分が分裂する。なぜならば、大衆の「高揚」は有機的に段階を追ってなされるのではないことに、彼らの想像力は耐えなれないからである。

彼ら急進諸派は、彼らの存在が既成の指導部の交渉力を強化していることに気づかない。まずはじめに彼らの騒動による圧力によって、次に一揆的行動に対する批判による組織強化によって。

彼らは、はじめから党のための闘争を組織しようとはしない。それは闘争のある段階において、多分その破局において現れるであろうし、その時こそ、党への組織化がなされるべきであろうと考える。つまり、指導部は裏切るであろう、というわけである。

しかし、プロレタリア党の闘争は、すでに指導部が裏切っている、という点から開始されるはずである。そして、その根拠を大衆になし得るすべての手段を尽くして明らかにすること、それが闘争である。最も重要なことは、既成指導部にとって代わる意志と能力を所持していることを現実に示して見せることである。それは、あれやこれやの闘争形態の問題でもなければ組織形態の問題でもなく、「大衆闘争」の指導能力でもなく、もっと広大な政治の問題である。

急進諸派は「既成指導部」との闘争を、最初から最後まで政治的な闘争、権力をめぐる闘争であることを忘れている。彼らがいかに「大衆闘争」に熱中し、その技術に習熟しようとも、ほかならぬ大衆は、彼らを決して政治勢力としては認めないであろうし、また、彼らは既成指導部の交渉力強化に利用されるにとどまるであろう。

9.労働組合はなぜ、いかにして「体制内化」されたのか

急進諸派は、労働者大衆の日常生活の次元において次第に非政治化され、労働組合内少数派に転落していかざるを得ない。そしてこのことから急進諸派は、現在の労働組合運動が「体制内化」されていることにその関心を奪われていく。いわく、「労働運動の帝国主義的再編成」に反対せよ、等々。しかし彼らにとって「労働運動のスターリニスト的再編成」は存在しないらしい。また、既成の労働運動がこれまでも「体制内」にあったことは問題ではない。

労働運動は今日はじめて体制に組み込まれたのではない。まず最初には、第一次世界戦争において、労働組合が戦争に協力するという形をもって体制内化され、次にはスターリニスト、プロスターリニスト言うところの「人民戦線」から、第二次世界戦争においては「反ファシズム闘争」の掛け声の下に労働組合は完全に「体制内化」されたのである。彼ら急進諸派は、このことが世界階級闘争の現実のなかでいかなる問題を提起しているかについてまったく無関心なのである。

まず、第一次世界戦争中に見られた労働組合の戦争協力については、よく知られているので簡単な視点のみ、すなわち、第二インタナショナルの崩壊と無関係ではありえなかった、という点のみを指摘しておこう。

次に、「人民戦線」において労働組合がファシストといかに「闘争」したのか、という点について言うならば、労働組合は「現状維持」の立場から(ファシズムは労働組合を解体しなければ自己を維持できない)、政治の領域において形成された溝に沿って受動的に自己を擁護したに過ぎない。

民主的連合諸国における労働組合の戦争協力も、その延長線上にある。バーバリズムの襲来からわが身を守ろうとする労働組合は、旧世界秩序を維持する側に身を移したのである。連合国とともに、ソ連邦とともに、スターリニスト官僚とともに、革命的プロレタリアートを粉砕して、バーバリズム(ファシズム)を打倒せよ!

このような現状維持を目指す労働組合運動は、戦前、戦中、また戦後における自国政府に対する協力(戦争遂行と復興のための)により、なるほど大きなものを獲得したといえよう。何よりも、彼ら自身の存在の公認、合法性の獲得であり、それを基礎とするさまざまな諸利益の獲得である。ファシズムを打倒し、バーバリズムを封じ込めるためには、今や労働組合とその諸権利を容認しなければならない―これが実は「体制」、帝国主義のとらざるを得なかった方法であった。

また帝国主義は労働組合運動の体制内化とともに、労働者国家ソ連邦をも世界政治において、いわば「体制内化」したこと、この両者は緊密に結びついていることに急進諸派は注目しないのである。「協力」の前提となっているのは、両階級の力の均衡と、世界政治におけるプロレタリア指導部の欠如である。

主要なブルジョア国家において労働組合運動が全面的な攻撃を受けることは、直接にソ連邦の危機につながらざるを得ない。その合法性の取り消し、解体はファシズム以外できようがない。同時に、主要なブルジョア国家において、個々の資本家がいかに労働組合の解体を熱望しようとも、それが容易に現実のものとならないのは、ソ連邦の存在の故であり、バーバリズムへの恐怖の故である。

労働組合が「体制内化」されたのは今日ではない。また昨日でもない。最も重要なことは、それがいかなる階級闘争の結果であるのか、ということを理解することである。

10.戦後世界における労働組合の地位と役割

戦後世界における労働組合の地位と役割は、ある程度まで戦後世界における労働者国家=ソ連邦の地位と役割に似ている。もし、全世界をひとつの巨大な国家に見立てるならば、戦後のソ連邦は、その中で最大・最強の「労働団体」としての位置を占めているともいえるのである。

現代世界において、厳しい階級対立が、ソ連邦の内的堕落とテルミドール官僚の力を通してその出口を塞がれつつも、その対立そのものが、帝国主義とスターリニスト官僚の相互依存と対立の関係の内部でのみ再生産されることにより、世界秩序が維持されている現在、全世界の労働組合がこれと無関係であり得るはずがない。むしろ、労働組合とその運動は、この関係のひとつの契機として組み込まれているのである。

労働組合はファシズムとの闘争に勝利し生き延びることに成功した。それは世界政治における諸力の闘争の結果であった。この過程から労働組合はより強大になって抜け出してきた。それは無視することのできない、かつてのように簡単に解散したり、踏み潰したりすることのできない存在に成長した。再建された民主主義は、労働組合運動の存在を抜きにしては機能し得ない。同時に労働組合は、労働者大衆が統制することのできない、抑圧的なものとなった。

労働組合官僚は、その機構の力によって資本家と交渉する。大衆は交渉の結果について一般投票によって賛否を表明する。しかし、交渉の過程、その内容について大衆は介入することはできない。職場における大衆自身の闘争は、資本家からも組合指導部からも抑圧される。いったん職場闘争が開始されるや、直ちに「組織問題」が現れる。組合は職場闘争を回避する限り、合法性を維持できる。資本家は労働組合のオルグを職場から排除しないが、職場の大衆が組合活動をすることは弾圧し排除する。職場において労働者は何の決定権も持たない。このようななかで、組合機構は労働者自身にとって抑圧的、敵対的なものとなるが、労働者大衆は組合の破壊、組合からの脱退は獲得された成果を破壊することになるのではないか、と感じている。

かかるジレンマは、しかし表面的なものでしかない。今日の階級均衡の下において、資本のかけてくる分裂攻撃に対して、組織を維持しようとする労働組合の防衛本能は、労働者大衆を現状維持の泥沼に引き込む。危機を衝いて進出しようとするプロレタリアートの本能は、現状を変革しようとしてこれと衝突する。現在の階級均衡が崩れていくとき、大衆は巨大な前進を遂げるであろう。だが、今日ここに形成されている均衡を崩すのは何であり、また誰であるのか、ということが現在の最重要問題である。現在なお、この均衡が維持されているのは、大衆が不活発であるが故であるのか、それとも我々の責任であるのか?

労働組合が今日「体制内化」しているのは、この階級均衡が維持されているからであって、労働組合指導者の日和見主義、保守主義の故ではない。そして、この階級均衡は一国的に形づくられているのではなく、世界政治の領域において形成されているのであり、それを支えとしつつ、帝国主義の支配秩序が構築されているのである。だから、このような均衡にすべての労働組合が依存しているという意味では、どんなに反共的な労働組合指導者であっても、その意識を超えてスターリニスト官僚の存在に依存しているのである。

労働組合が例外を除いて、その職場組織を破壊されつつも、なお強力な交渉力を持ちえている秘密は、ここに隠されている。労働組合の丸ごとの否定・破壊は、バーバリズムへ、現代の議会制民主主義の破壊へと直接に導くであろうし、またソ連邦の打倒に導くであろう―現支配秩序は、プロレタリア革命の方向へではなく、バーバリズムへ向かって崩壊するであろう。だが、バーバリズムの危機は、不可避的にプロレタリア革命をも促す。だからこそ我々は常に、労働組合に対する攻撃に対して、党のための闘争を持って応えるのである。

現在、世界政治の領域において、プロレタリア大衆が労働者国家=ソ連邦から離反している程度に応じて、その日常生活において大衆は労働組合から離反している。

プロレタリア前衛と労働者国家との敵対、プロレタリア前衛と労働組合の敵対は極めて厳しい。「本来かくあるべきものが、その反対物になっている」現実の関係は、しかし、直接にその逆転を正すことによるのではなく、プロレタリア国際党のための闘争を通じて、その結果として正される―これが我々の基本的な立場である。

現在のソ連邦は単に堕落しているばかりではなく、プロレタリアートの革命を粉砕することにより、強大なパワーとして世界政治の舞台に登場してきた。ヨーロッパのプロレタリア革命は、かかる現実ソ連邦と対決しつつ自己を押し上げていかなければならない。

現在の労働組合は労働者大衆の根本目標はもとよりのこと、その日常生活における利益をすら擁護しきれないし、そうしようとする大衆の自己決定を押しつぶし、現状維持のために大衆を抑圧し続けている。革命に向かうプロレタリアートが、かかる労働組合をいったん解体しなければならないのは自明のことである。だが、それは階級闘争の結果である以上、この問題を一方の当事者である我々共産主義者党の問題と切り離して捉えることはできない。

創立大会の後、党が未だ成長を遂げていないとき、霧山はそこで作られている党と階級との関係を限定して捉え、それを遠い将来にまで延長して投影してしまった。だが、この関係は現実の党の発展において変革されていくはずのものである。国際党の建設がまだ開始されたばかりであり、世界政治の領域において何の力も獲得していない段階において、党が階級と取り結ぶ関係は、特別な様相を帯びるであろうことは自明である。なおそのとき、党にとって未解決の問題が存在することは当然である。党が実践における第一の課題としたFI再建が果たされていないとき、そしてそこに全党を集中しなければならないとき、その段階で帯びざるを得ない諸特徴を固定化せしめたまま一般化するならば、党は抜け道のない迷路へ踏み込んでしまうだろう。

確かに現在の労働組合の闘争は反動的であり、現在の労働者と資本家との対立は、そのままの形では現秩序を維持し、再生産するだけである。霧山は、かかる諸関係を党の成長とともに、我々自身の闘争を通して変革可能なものとしては把握しなかった。反対に、霧山はこれを永遠に不変のものとして把握し、さらに第三インタナショナル敗北後の時代の根本に存在するものであると一般化した。かくして霧山は、「マルクス主義の破産」の上に「第四インタナショナル」を基礎付けたのである。

だが、労働者党が誕生したばかりであり、ようやく自分自身の闘争を開始したばかりの状況のなかで、これまでの階級闘争の敗北に基礎を置く労働組合の闘争が、全く現状維持的であり、反動的であるのは当然ではないだろうか。共産主義者はそれを隠す必要はないし、むしろその反動性を暴き出すことは義務である。だが、そのとき「労働者国家はこうあるべきだ」という視点から現実の労働者国家=ソ連邦を批判するのではなく、労働者国家堕落の根拠を、階級闘争の歴史的結果として捉え批判するのと同じ方法、同じ精神をもって、現実の労働組合運動を批判し、自己を鍛えることによって、階級全体を政治的に高めていかなければならない。

伝統的な労働団体が、反動的であることをいくら煽動しても十分とはいえない。それはプロレタリア指導部の敗北と解体の結果である。それ以外に何もその根拠とすべきものは存在しない。だから、我々はかかる根本任務の解決に取り組むのであって、我々以外の全てが反動になったのだ、というドグマに立つのではない。

当時、霧山の予測するところでは世界は現状のままであろう、ということであった。確かに、現在我々は当事よりは経験を豊かにし、また組織は強化されたが、なお新たな段階に入ったと断言できるまでには至っていない。したがって基本的には世界も、また党も「現状」のままである。

しかし、それは変革可能であり、また我々はその変革のために闘争しているのである。現代は過渡期である。それは我々が生まれ、そして活動しているがゆえに、はじめて過渡的な性格を持っているのである。プロレタリア国際党が解体されている現代世界は、我々が登場していく一局面ごとに揺れ動きつつ、全ての関係を変えていかざるを得ない。そのような意味において現代は過渡期なのである。

(1970年8月 第五回大会政治報告)