植民地戦争とプロレタリアート

1.旧植民地帝国の崩壊

ヨーロッパを真っ二つに引き裂くUSAとソ連邦の登場は、旧来の植民地帝国(イギリス、フランス、オランダなど)を根底的に動揺せしめた。第二次世界大戦を通して世界政治と世界経済の全構造が大変動を遂げたとき、これらヨーロッパの強国はもはや第二次的な役割しか果たせないことが明白となった。

差し迫った本国支配の危機のただなかで、これらの植民地帝国の支配階級、ブルジョアジーは、かつての地位を取り戻すために十分なほどの膨大な植民地経営を捻出するべき余裕は何もなかった。かかることは直ちに危機を爆発点にまで立ち至らせるに等しく、あまりにも大きな「冒険」であった。

また、特に日本帝国主義が完膚なきまでに打ち破られた結果、アメリカ帝国主義によってヘゲモニーが独占されるに至った太平洋地域とアジアにおいては、かかる方向は決定的となった。旧帝国はなし得る限りの抵抗をもってその再建をはかったが、次々と敗退を余儀なくされ、植民地支配の再編成は必至なものとされた。太平洋の勝利者であるアメリカ帝国主義が、かかる全過程のヘゲモニーをその手に収めることとなった。

戦争末期、すでにアメリカ帝国主義は蒋介石の支配する中国に世界的強国という見せかけを持たせようと努力し始め、またソ連邦に太平洋進出の道を開くこと誘導さえしたのである。

USAによるソ連邦の対日参戦要請は、たしかになお抗戦しつつある日本帝国主義を屈服せしめるための軍事的必要性からでもあったが、予測された植民地再編成過程にソ連邦をも巻き込み、その圧力をも利用しつつ、旧植民地帝国の解体を自己のヘゲモニーの下に押し進め、同時にヨーロッパにおけるソ連邦の軍事的圧力をいくらかでも押し下げようとする試みであった。

また、中国の強国化は、かかるソ連邦の太平洋進出に対抗するための手段でもあれば、他方イギリス、フランスなど旧植民地帝国に対する圧力をさらに高めつつ、世界政治のヘゲモニーを独占するためのものでもあった。

アメリカの富と権力をもって世界にアメリカの平和を築くことにより、さらに多くの富と権力を獲得する―このためには、独立し、統一された中国こそ絶対不可欠なものとして要求されたのである。

アメリカ帝国主義の支配層のなかでも最も卓越した指導者であったF.D.ルーズヴェルトは、かかる関係を何びとよりも早く見抜いていた。ルーズヴェルトは死に至る最後まで、米ソ平和共存と独立・統一の中国の強化のために闘った。その理想主義の実現のためではなく、彼を指導者として押し上げたアメリカ帝国主義の根本的な利害のために、である。ルーズヴェルトのかかる戦後構想は、その死とともに打ち捨てられることなく、戦後25年の歴史を通して、幾多の曲折を経つつも、世界支配者としてのアメリカ帝国主義の現実的な利益として実現されてきた。それはその後継者たちの拒絶を受けながらも戦後支配体制の根底的な動揺が開始された今日、その真の姿を現しつつある。

かつてイギリス帝国は、インドを豊かな植民地として背後にもちつつ、ヨーロッパを支配した。しかし、ヨーロッパのどの国家とも特別な関係を結ぶことなく、その均衡の維持、言い換えればヨーロッパの現状維持をイギリスの平和として実現することを目的とした。イギリスの平和はイギリスにさらに巨大な富をもたらし、それは巨大な世界最強の海軍力をイギリスに与え、世界の海はイギリスの海となった。海洋は、それを支配するものに世界の富と世界を支配する権力を与える。

だが、20世紀の二つの世界戦争はイギリス海軍をして全く無力なものへと転落せしめた。それは帝国の運命をかけた大海洋戦に撃砕されることなく、その姿を消した。イギリス工業の緩慢な没落の最終段階において、ほとんど注目されることなく、ただ大西洋を隔てる強大な同盟国が巨大な艦隊を建設したことにより、ごく簡単に押しのけられてしまった。いまシティとポンドは、ドルとドルによって建設された巨大海洋軍の保護下にあるにすぎない。

こうして登場したアメリカ帝国の艦隊は、かつてイギリス帝国がヨーロッパにおいてフランスもドイツをも従属国とせず。スペインやポルトガルなどの弱小国をのみ金融上の植民地とすることで世界均衡を形成したのと同様、ソ連邦と中国には独立を維持せしめつつ、ただ二流のイギリス、フランスなどを従えつつ、世界平和をアメリカの平和として実現することに、その役割を見出しているのである。

ヨーロッパ分割の固定化を基礎とする米ソ共存、独立・統一の中国の維持強化、この二つを主要な柱とするアメリカ帝国主義の世界支配は、不可避に旧来の植民地制度の再編成をもたらす。それはあらゆる抵抗を押しのけても、時にはアメリカ帝国主義の政治委員会の意志を粉砕してでも進行する。世界の中心舞台、ヨーロッパにおける現状の凍結はその周辺部における激動を作り出した。その過程はなお現在でも継続し、しばしばかろうじて維持されている世界均衡を転覆せしめる直前にまでもっていった。

そして、この激動の過程は同時に、昨日までは絶望的な貧困と欠乏にあえぎ、底知れぬ無知と停滞のなかにあった植民地・後進国の大衆をして終わりなき反乱へと決起させていく過程でもあった。この反乱を何びとも鎮圧し、壊滅せしめることはできない。また、これをコントロールすることも至難である。植民地大衆の帝国主義世界支配を打倒せんとする膨大なエネルギーは、現在のところ、プロレタリア世界革命からスターリニスト官僚によって切断され、全く無駄に使い果たされている。それは時にはプロレタリア革命の前進を阻むために利用さえされている。

終わりなき反乱――それはプロレタリアートの革命と結びつかない限り、バーバリズムの源泉でありバーバリズムとしてのアメリカ帝国の礎石ともなりうるのである。

2.植民地革命と階級闘争

植民地大衆の反乱だけでは帝国主義の世界支配を打倒することはできない。また、現在においては、それ自身、一つの独立的な運動として存在し続けることもできない。以下にその存在意義が大きく、その放出するエネルギーが莫大なものであろうとも、独立的な植民地革命というものは、文字どおり机上のものでしかない。それはただ、プロレタリア世界革命の連鎖の内部にのみ位置づけられるのであり、そこから切り離された植民地諸民族の「独立」はプロレタリア革命の敗北、ないしは中断の結果でしかない。プロレタリアートとその党は、植民地大衆の闘争が「帝国主義に打撃を与えるが故に支持する」のではなく、その闘争に独自の旗と組織をもって積極的に介入し、その闘争のヘゲモニーの獲得のために闘争するのである。言い換えれば、獲得するために支持するのであり、自己の力をもって帝国主義を打倒するための補足的な条件をつくり出すために介入するのであり、決して植民地大衆の反乱に依存することではない。

植民地大衆とは何よりもまず第一に農民である。彼ら農民は意識するとしないとにかかわらず、例外なく世界経済と世界市場に引き込まれている。だが、このことは彼ら農民を均質の社会階級として結合するのではなく、むしろ逆に、彼らをしてますます分解せしめずにはおかない。農民は世界的な生産と交通に結びつけば結びつくほど、その一部が他の一部に対立せざるを得なくなる。彼ら農民のうち、この関連を理解しうるより上層の集団はもはや農民でなくなり農民ブルジョアジーに転化する。もっとも、ここ植民地において、富裕な農民はほとんど例外なく地主あるいは高利貸しとなり、かつての仲間の生き血を搾り取ることにより、さらに致富の道を歩もうとする。

農民のとめどもない分解は、飢饉、内乱、その他の事情により多数の流民をつくり出し、さらに流民の群れは飢饉と内乱を拡大する条件となる。彼らは世界市場との接触点であり、交易の中心地である大都会に集積され、ルンペン・プロレタリアートを形成する。

また、教育を受けながらもそれにふさわしい職業を見出しえないプチ・ブルジョアジーが植民地には多数つくり出される。彼らは農民とも、ルンペン・プロレタリアートとも違って、世界において何が起きているのかを、おぼろげながら理解できるが、しかし、彼らは自分自身が全く無力であることを思い知らされ、深い不満を抱かざるを得ない。植民地において訓練された近代的プロレタリアートがいまだ形成されていないならば、これらプチ・ブルジョアジーは自己と自民族と農民の悲惨を同一のものとして当然にも考え始め、広範な農民反乱の社会的政治的雰囲気をつくりはじめ、次にはその組織者ともなっていく。

これら全体は、帝国主義に付着して肥え太っている都市のブルジョアジー(および寄生地主あるいは大農園所有者)と鋭く対立する。

植民地において都市ブルジョアジーと寄生地主、さらに植民地支配機構に寄生する腐敗した特権分子とは切り離しえず、しばしば同一人、同一の家族をなす。したがって、大衆は植民地制度打倒の闘争において強力なブルジョアジーの指導を受けることは不可能であり、むしろブルジョアジーにはじめから敵対することにより闘争に入り込む。そしてブルジョアジーは大衆の闘って得た成果の一番良いものを掠め取るためにだけ行動する。

植民地大衆はプチ・ブルジョアジーの導くままに、帝国主義支配に対して闘争を開始するが、その限界にただちに衝突する。急進的な指導部は行き詰まりのまま自滅するか、狡猾なブルジョアジーに買収されるかして、既得利益を擁護する側に回る。この場合、指導部、プチ・ブルジョアの党は旧来の支配機構と融合し、腐敗分子、投機的な出世主義者によって占められることになり、植民地支配の最も醜い部分へと転ずる(エジプトのワフド党、さらに典型的なのは中国国民党がこの道を歩んだ)。

しかし、ここに最後の勢力がひかえている。植民地といえども、ゆっくりと、また跛行的でもあるが工業と近代的交通網は建設されざるを得ない。それはとりもなおさず、植民地に近代的なプロレタリアを生み出さざるを得ない、ということである。そして彼らが自分自身に目覚めるとき、政治的に独立的な階級としてのプロレタリアートに自己を形成せんとするとき、これまでの世界階級闘争の全経験にたすけられ、一挙にして最も尖端的な位置に立たされることとなる。彼らは世界プロレタリアートの援助により、プチ・ブルジョア急進派を運動の首座からたたき出そうと試みざるを得ない。そしてそのとき、かつての急進派は闘争の敗北を待たずして、最も反動的なブルジョア政治家、帝国主義の手先に転落する。党派としての彼ら急進派がどれだけ進歩的であるのかは、プロレタリアートと階級としての独立性いかんに反比例しているのであって、決して急進派の階級的基盤としてプチ・ブルジョアジーがどれほど帝国主義に抑圧され、収奪されているのか、その客観的な程度いかんによってではないのである。

帝国主義を打倒する闘争においてヘゲモニーを把握した植民地プロレタリアートは、闘争を中途でとどめることなく最後まで押し進めざるを得ない。だが、植民地においてはほぼ例外なく極少数派としてのプロレタリアートは、世界プロレタリアートの全面的な援助なくしては、その位置を維持することはほとんどできない。言い換えれば他の階級としての農民を同盟者として闘争し続けることはできない。植民地プロレタリアートはプチ・ブルジョア急進派とはもちろんのこと、階級としては異なる農民大衆とは別個の存在であり続けること、そして世界プロレタリアートと一体であり続けることによってのみ、帝国主義打倒のヘゲモニーを把握し続けられるのであり、その結果として植民地大衆を解放する唯一の勢力たり得るのである。

これらのことは、すべてロシア十月革命とその後の世界史的な諸事件のなかにおいて検証されつくしたことである。もしそれを否認しうるとすれば、十月革命も、その後の歴史も存在せず、そこにかかわったプロレタリアートの闘争は存在しなかったことになるであろう。

十月革命は「独立の農民等」という可能性が存在しないことを最終的に立証した。農民がその独自の革命的伝統をどれほど強固なものとして保持していようとも、プロレタリアート革命の時代においてはなんら独自の役割を果たしえないことが、ロシア社会革命党の消滅をもって確かめられた。

十月革命において、プロレタリアートのボリシェヴィキ党は、時に農民反乱を打ち破ることによって史上最初の労働者国家を防衛し、労働者国家を生死をかけて防衛することにより農民を地主と白衛軍から擁護しえた。ボリシェヴィキ党は、自己の階級的基盤であるプロレタリアートの利害に最後まで忠実であり、それに敵対する農民党と非妥協的に闘争することにより農民を同盟者として獲得しえたのであった。それは単にロシア十月革命の歴史上のエピソードではなく、世界階級闘争の歴史において、最も重要な問題の一つがボリシェヴィキ党の惨苦に満ちた実践において解決されたことを意味する。

世界共産主義運動は巨大な農民大衆をもはや「反動的大衆」(ラサール)としては扱わないが、いつ、いかなる場所においても農民大衆から独立していることを追及し、それを通して打ちひしがれた小農民の未来を準備する。

また、共産主義運動は単一の世界党として独立することにより、植民地大衆の抑えがたい熱望が達成されるよう支援する。ウクライナにおいて、また中央アジアにおいてボリシェヴィキ党は、かかる任務を多大な犠牲を払いつつ遂行しようとしたのである。

またさらに、西方におけるプロレタリア革命の一時的敗北とロシアの経済的・文化的後進性により台頭したスターリニスト官僚との苛烈な左翼反対派の闘争は、十月革命の全経験を理論的により深く総括するものであり、十月革命が実践において成し遂げたことを広大な展望のもとに示す闘争であった。かかる左翼反対派の闘争は、世界階級闘争の最高度に凝縮せるものとしてスターリニスト官僚と最後まで闘いぬいたのである。第二次中国革命をめぐる左翼反対派の闘争は、かかる十月革命の理論的総括に基礎付けられていたのであり、なんらかの非歴史的な抽象概念(たとえばプロレタリア党建設のための闘争からひきはがされた『永続革命論』一般)からではない。

そして左翼反対派はスターリニスト官僚との闘争を通して、世界共産主義運動に新たなものを与え、かつその核心的なものを現実に確保したのであった。

世界プロレタリアートとともに、自国の農民大衆とは別個に、これがスターリン派との闘争において左翼反対派が到達していた水準であり、その後の闘争はただただ、ここからのみ出発できるのである。

抑えがたい力に押されて進出せる植民地大衆に接近し、その利益を最後まで追求せよ!

しかし、そのためにこそ、プロレタリアートの独自の利害による、独自の旗を掲げ、独自の組織を建設せよ!

たとえ、農民はじめ一切の他階級が一時的敗北によって分散後退しようとも、その独自の組織によって闘争を継続せよ!

かかる到達点を何びとも無視することはできないのである。

3.中国におけるスターリニスト官僚の勝利

「スターリニストとボリシェヴィキ・レーニン主義者との二つの共産党分派の間の闘争は、……階級闘争へ転化する内的傾向をはらんでいる。中国における事態の革命的発展は、この傾向をその結論に、つまりスターリニストに率いられた農民軍とレーニン主義者に率いられたプロレタリア前衛との間の内乱に導くかもしれない。

 実際に、中国のスターリニストのために、このような悲劇的事態が、もしも起こるとしたら、それは左翼反対派とスターリニストは共産党の分派ではなくなり、それぞれ違った階級的基礎をもつ、敵対的な政党となったことを意味するだろう。

 だが、そのような展望は果たして不可避であろうか? 否、私は決してそうは思わない」(トロツキー)

歴史はあまりにも苛酷である。右に引用した言葉は、1932年9月、中国左翼反対派に向けて述べられたものであるが、このトロツキーの予測とは逆に、現実の歴史は、1949年から50年にかけて勝利したスターリニストと中国共産党が、プロレタリア前衛を踏みつぶし、中国トロツキスト運動を壊滅せしめるというものであった。

勝利せる中国農民軍の先頭には、スターリニスト党が立っていた。彼ら農民軍は、都市を占領するやプロレタリアートの政治的独立性を粉砕し、プロレタリアート前衛の小さな核を破壊した。同時に、都市の文明は農民軍の位階に沿って差別と分裂をもたらし、特権的な官僚とそれに対立する大衆とがつくり出された。この分解を押し止めるには農民軍の「平等主義」は、あまりに弱かったのは当然であった。プロレタリアートの解体状況、ブルジョアジーに対する妥協、スターリニスト党の支配は、官僚の専制以外に何ももたらさなかった。

この農民軍は、スターリニスト官僚を通して労働者国家=ソ連邦と結びついていた。この同盟を背後としつつ、農民軍は中国ブルジョアジーを抑圧し、帝国主義の再度の介入、干渉から自己を防衛しようとした。同時に、経済再建のためにはブルジョアジーを動員、保護を加えることを必要とし、その再建過程とともに開始されたプロレタリアートの形成を抑圧し、変形しようとした。

あらゆる条件は、原始的な農民軍をしてその勝利以前より発展させてきたコース、スターリニスト官僚と癒着抱合するというコースを通ってボナパルチスト的官僚機構を発達せしめることに向かわせたのである。

全体としての歴史発展の水準は農民軍に新しい王朝の創建を許さないどころか、中国にブルジョア民主主義共和国の創立をすら許さなかった。ただプロレタリア世界革命との合流、結合のなかにのみ展望が与えられるにもかかわらず、スターリニスト官僚は農民軍を堕落した労働者国家に寄生する自己の下におき、その展望を断ち切るよう導いた。プロレタリア党指導部の危機のなかで、勝利せる中国農民戦争は虚偽の共産主義の旗の下にプロレタリア革命の道を立ち塞ぐボナパルチスト支配をもたらした。農民軍はスターリニスト官僚を政権に押し上げたが、スターリニスト官僚は農民大衆から独立的に、ほしいままに振る舞う自由を保持しており、プロレタリアートは厳しく抑圧され、ブルジョアジーは厳格に統制されており、一切の民主主義的権利は官僚の全能を阻むものとして存在していない。

全能の官僚はブルジョアジーを抑圧し、プロレタリアートを粉砕しようとし、さらに農民に迫害を加え、階級闘争の展開そのものを力づくで押し止めようとする。この官僚の政権の基本的性格は、その主観的意図のいかんを越えて決して農民的ですらない。もちろん、それはプロレタリア的な性格ではいささかもない。

もし仮に、ほんのわずかであれ、労働者的性格が見出されるとするならば、ただ労働者国家としてのソ連邦との結びつきの程度である。だが、そこにはスターリニスト官僚が介在している。またあるいは、ソ連邦を含めた世界プロレタリアートにとって有利な方向において力の均衡を崩した程度においてである。

しかしながら、スターリニスト官僚と癒着した中国農民軍の勝利は、全世界においてスターリニスト官僚の威信を増大せしめたのであり、官僚から独立的に闘争しようとするプロレタリアート前衛の意志に重大な打撃を与えずにはおかなかったし、プロレタリア大衆の解体状況をさらに深めずにはおかなかったのである。

それは同時に、開始された植民地大衆の反乱のなかで、スターリニスト官僚がプロレタリアート前衛を押しのけ、それにとって代わりうる巨大な政治的財産となった。言い換えれば、中国におけるスターリニスト官僚の勝利の後においては、植民地・後進国におけるプロレタリアートは、その闘争の出発点から中国官僚との全面的な、目的意識的な闘争を余儀なくされることを意味した。それなくしては、反乱に立ち上がりつつある広範な大衆を獲得することはいうまでもなく、自己の隊列すら保持できないことを意味する。

世界一の人口と最古の文明を持つ中国が統一され、強大となり、その人民の生活がたとえわずかであれ向上することは、たしかに、それ自体は進歩的で偉大な事柄である。

その勝利に至る物語は文字通り偉大である。その達成された成果(統一と独立)は世界史的な出来事であり、その将来への帰結は未だ予測することも困難である。

しかしながら、中国の独立と統一は、その達成された形態において、現実には世界プロレタリアートにさらに大きな困難をもたらしたといわざるを得ない。

それはプロレタリアートをして、自らの敗北を代償として、農民大衆あるいは植民地大衆との、また彼らを基盤とする革命的民主主義との同盟から切り離されることを強制したのであった。プロレタリアートの孤立と分散はより深く、その前衛の混迷はより一層深められた。東ヨーロッパにおけるプロレタリアートの敗北に次いで加えられたこの打撃は、スターリニスト官僚から独立的であろうとする当時のプロレタリア・ミリタントにとって、どれほど衝撃的であったのか、それを推測することは決して困難ではない。

そしてさらに、もっとも鋭敏なプロレタリア政治家にとって、中国におけるスターリニスト官僚の勝利が、世界支配者としてのアメリカ帝国主義の基本的利害にほとんど打撃を与えないものと知ることは、どれほど苦痛であったのか、想像に余りあるものがある。

官僚の勝利は、それ自体プロレタリア前衛の敗北を意味する。同時に、官僚が帝国主義支配の基本構造の再編成のなかでプロレタリアートを打ち破り、その威信をこれまでになく高めつつ、アメリカ帝国主義の支配的地位をなんら脅かさずに事態を収拾したことは、さらに苦痛な敗北であった。

かかる現実の歴史における敗北を自己を偽ることなく直視し、なお革命的であろうとするものにとって、農民戦争とプロレタリア革命の関係いかん、という問題が嵐のような植民地再編成のなかで提出されたのである。

4.植民地大衆、スターリニスト官僚、そしてプロレタリアート

今日、植民地大衆の反乱は、多くの場合、スターリニスト官僚のヘゲモニーの下におかれている。そうでない場合でも、カストロ主義者、ナセル主義者に見られるごとく、一度世界政治の舞台において発言しようとするならば、スターリニスト官僚に援助を乞わざるを得ず、その次元においては官僚のヘゲモニーの下に帝国主義の世界支配の再編成過程に次第に巻き込まれていかざるを得ない。植民地大衆は自らの意思に反して、アメリカ帝国主義の世界戦略のなかにそのエネルギーを吸収させる結果に陥る。言うまでもなく、大衆の踏み込んでいる迷路は、さしあたり、その敵の敵としてのスターリニスト官僚のみが見出されるからであり、昨日、あるいは今日、闘争に立ち上がった植民地大衆が世界階級闘争の歴史を知りようがないためである。そしてそれはプロレタリア前衛が世界政治の領域においてスターリニスト官僚に打ち勝ち得ないことの結果である。

今日、闘争に決起しつつもなお分散的なあくまで地方性を脱皮し得ない植民地の農民大衆を結びつけるセメントの役割を果たしているのは、スターリニスト官僚によって組織されている都市の急進的なプチ・ブルジョアである。

決起せる大衆はスターリニスト官僚の隊列内に絶えず急進的な傾向をもちこむ。スターリニスト官僚は、その結果として絶えず「左へ押しやられる」。言い換えれば、官僚はときには気が向かないにせよ、帝国主義との闘争に立ち向かわざるを得ない。

スターリニスト官僚に圧力をかける急進派の意図はまじめなものであり、現実に根拠があるものである。帝国主義の克服しがたき矛盾は、否応なしに、時と場所を選ばずに大衆を立ち上がらせるからである。その圧力により、スターリニスト官僚はその許容しうる限界を越えざるを得なくなるように見え、現に越えさえもする(たとえばインドシナの場合)。

しかし、彼ら官僚が「反帝国主義」闘争において受けつつある圧力は、よく訓練され、よく組織されたプロレタリアートの圧力ではなく、他の階級(スターリニスト官僚にとってすら)である農民、あるいは都市のプチ・ブルジョアジーの急進化である。

官僚はプロレタリア前衛の大胆で首尾一貫した政策よりも、他の階級の世論に絶えず影響され、屈服してきたし、またプロレタリア大衆の前では居心地の悪さ、後ろめたさを感じざるを得ないが、プチ・ブルジョアジーの前では威張り散らした上で命令し、服従させることができるし、他方プチ・ブルジョアジーに溶け込み、プロレタリアート内部にその影響を絶えず持ち込もうとする。彼ら官僚はプロレタリアート前衛からよりも、急進化したプチ・ブルジョアジーのその時々の気分に影響を受けやすいのである。

こうしてスターリニスト官僚が急進化したプチ・ブルジョアのとりことなり、帝国主義に反対する大衆の反乱の先頭に立ち、そのヘゲモニーを握り、それと一体化することはあり得る。

しかし、このように形成された運動を革命的民主主義的な性格をもつものと呼ぶことは絶対にできない。たとえ、この運動が自らを革命的あるいは民主主義的と称しようとも、労働者民主主義と敵対する運動をそのように呼ぶことはできない。革命的民主主義は、実はコミンテルンとソ連邦の堕落、プロレタリア世界革命の一時的敗北、その党指導部の解体の危機の結果として窒息死している。スターリニスト官僚によってヘゲモニーを握られるに至った「民主主義」は、全く民主主義的な性格を失い、官僚の専断的な支配の下にある。

また、それは世界政治の領域においてみるならば、官僚は大衆のとりこなのではなく、その反乱を自己のカースト的な特殊利害のなかに閉じ込めていっている。官僚は一方では帝国主義との取引のために植民地の反乱を扱い、他方ではプロレタリアートの政治的独立性を解体するためのエネルギーとして扱っている。

なるほど、きわめて限定された一国的な規模においては、スターリニスト官僚が「革命的民主主義」そのものとなっている場合があり得るかもしれない。しかし、その「革命的民主主義」は、それ自身活動する領域においてすら、プロレタリアートの独自の利害を認めず、(認めるものはトロツキストだ、弾圧せよ)、その独立的な活動に流血の弾圧とテロルを加えるばかりではなく、世界政治の舞台においても同様な働きをなすのである。

我々は農民戦争一般、あるいは植民地大衆の反乱そのもの自体が「反動的」であるといっているのではない。

また、そこにスターリニスト官僚が介在しているが故に、ただそれだけの故に支持し得ない、と考えているのではない。

また、現在においては革命的民主主義なるものは、ただ反プロレタリア的存在でしかないと断定するが故にだけでもない。

あるいはまた、それが他階級の運動であるが故に、それに無関心あるいは敵意を抱くのではない。

あるいはベトナム南部解放戦線とその武装勢力が我々を敵として取り扱うが故に、その対抗措置として彼らを敵として取り扱うのではない。同様に、すべてのジャングルや山岳地帯の戦士たちがそうであるが故に、敵であると考えるのではない。

我々は、植民地大衆の反乱が「帝国主義に打撃を与えているが故にスターリニスト官僚を助けている」ことを、プロレタリアート大衆とその前衛に明らかにしようとするにすぎないのである。

そして、プロレタリアートをして、かかる事態をもたらしたものが何であるのか、それに意識を向けさせようとするのである。

そして我々がなさんとしていることは、再び植民地大衆を同盟軍として獲得する方法と手段をプロレタリア大衆が自らのものとするよう、闘争することである。

今日、植民地大衆はスターリニスト官僚のヘゲモニーの下におかれている。あるいは、それに強くひきつけられている。誰もこの事実に目を閉ざすことはできない。また、プロレタリアート前衛にその目を閉ざすよう説教するものは、自らも破産するばかりでなく、いまようやく政治的経験をふみ始めたプロレタリアートの若き兵士たちに重大な災厄をもたらすであろう。

この事実は、プロレタリア前衛がスターリニスト官僚との闘争において、一時的な敗北を喫したことに根ざしていると、我々は繰り返し指摘する。ただそのことの結果として、植民地大衆はスターリニスト官僚にひきつけられているのにすぎないという点を、我々は再びまた繰り返して指摘する。

明日といわず、今日すでにスターリニスト官僚は植民地大衆の熱望を踏みにじり、帝国主義に対して彼らを売り渡している。明日の裏切りは今日のそれよりもさらに大がかりで汚れているだろう。

だからこそ、我々は植民地大衆の反乱とは別の道を歩むよう、彼らの一時的な前進あるいは後退とはかかわりなく、独自の旗と組織をもって闘争するよう、ただそれだけが植民地解放への道であることをプロレタリアートに訴えるのである。

5.再び世界政治の正面舞台で

アメリカ帝国主義による植民地制度の全面的な再編成、スターリニスト官僚のその過程への介入がプロレタリア世界革命の敗北(その集中的な表現としての第四インタナショナルの解体)を前提としてなされた時期は、決して平和的なものではなかった。そこには、たしかに現代世界史の唯一の積極的な勢力たるプロレタリアートが登場することはなく、時代が自己自身を生み出し、形成していくというダイナミックな情景は見られない。しかし、悲惨で残忍な、暴力的で血なまぐさい過程であり、一つの事件は次々と新たな事件をつくり出していった。それはこれまでに耐えがたきを絶えてきつづけた植民地大衆にとって、もはや決起する以外にないことを知らせた。

プロレタリアートが敗北しているなかで、植民地大衆は展望のあるなしに関係なく、帝国主義打倒の闘争に立ち上がらざるを得なかったのである。

しかしながら、これら闘争する大衆とプロレタリアートの自然な同盟は、スターリニスト官僚の介入によって断ち切られた。植民地大衆は事態の不可避な結果によって、スターリニスト官僚の庇護の下に入り込まざるを得なかった。そして、スターリニスト官僚は敗北の打撃から立ち直ろうとするプロレタリアートに対する追加的な打撃を与えるよう、植民地大衆を動員したのである。

これに対し、スターリニスト・フランス共産党の対アルジェリア政策の日和見主義はどうであるのか、と問うものがあるかもしれない。なるほど、フランスのスターリニストはアルジェリア解放民族戦線の闘争に対して、およそ冷淡な、全く日和見主義的な態度をもってした。フランス共産党はアルジェリアのフランスからの分離・独立について、ドゴールの政策を追認したにすぎない。だが、この「例外」はスターリニスト官僚の徹底的な裏切り性を暴露する証拠としてあり、またその全体としての世界政策の連鎖のなかにおいてとらえるとき、より明白なものとして告発しうるのである。スターリニスト官僚は、フランスとアルジェリアにおいてプロレタリア革命に敵対して帝国主義と共同行動をとったばかりでなく、インドシナにおいて、さらに中国においてそうしたのである。

中国の統一と独立がスターリニスト官僚によってなされたことは、東ヨーロッパにおけるスターリニスト官僚の支配の確立と組み合わせられたとき、果たして如何なる感動をプロレタリア大衆に与え得たであろうか?

官僚が一切の自立的な労働運動に対する敵意をもって行動し、エルベ右岸に駐屯するソ連軍がプロレタリア革命に脅威を与えているとき、中国におけるスターリニスト官僚の勝利が、プロレタリア大衆に何らの感動も与えなかったのは、あまりにも当然ではないだろうか?

いま巨大な中国国家がモスクワ官僚と結びつき、その背後を固めているとき、スターリニスト官僚から独立して、時にはしばしば官僚に反対してでも、プロレタリア革命を成功に導くことは可能であるのか?

これが毛沢東政権の勝利が、ヨーロッパのプロレタリアに投げかけた問題であった。

我々はすでに、東ヨーロッパにおいてスターリニスト官僚がプロレタリア革命を押し止め、東ヨーロッパ諸民族を出口なき袋小路に追い込んだのを見た。ドイツとヨーロッパは分裂させられ、ヨーロッパ問題とはソ連邦の安全保障の問題であると無理に置き換えられてしまった。テルミドール反動の不吉な影は東西いずれのヨーロッパにも覆いかぶさり、ヨーロッパ・プロレタリア革命はソ連邦における特権的官僚カーストとの闘争を、その第一義的任務として引き受けざるを得なくされていた。

かかるヨーロッパの全体としての状況は、植民地大衆の世界労働運動からの離反を生み出した。プロレタリア大衆が、これまでにない困難な、いずこからも援軍が期待できない困難な情勢に直面させられた。それは冷厳な事実であった。

ソ連邦が自分たちの革命を援助しないばかりか、粉砕する可能性がはるかに高く、また植民地大衆がスターリニスト官僚につき従っているとき、中国が官僚の支配するところとなり、テルミドール官僚の威信と力とがこれまでになく強まっているとき、さらにアメリカ帝国主義がかかる反動を利用しつくし、ますます強化されつつあるとき、プロレタリア革命には如何なる展望があり得るのか?

この問いに答えるのはあまりにも重苦しく、あるものはスターリニスト官僚に身を委ね、またあるものは帝国主義=社会民主主義の陣営に加わることにより、自ら革命家であることを断念した。そして圧倒的に多数のものは、政治的無関心の泥沼に次第に沈み込んだのである。

しかし、現在、かかる大衆の心理状態はすでに過去のものとなりつつある。

モスクワ官僚と北京官僚の分裂抗争は、世界プロレタリアにかけられていた重圧を著しく押し下げ、プロレタリア大衆のなかに再び政治を復活させるきわめて重要な契機をつくり出した。ここに、スターリニスト官僚の決まりきった、腐敗したメニューばかりでなく、無数の選択の可能性が生み出された。

もちろん、言うまでもなく新しい危険もここにはかくされている。しかし、それは見通せないものではない。今日は昨日と全く断絶しているわけではないし、その新しさは連続もしているのである。

北京官僚の世界政治への登場――これは突然ではない。我々は彼ら官僚がどのように興起し、そして何をなしたのかをすでに見てきた。彼らは今日、世界政治における第一等の地位を要求し、全世界の解放者であるかのような顔をして振る舞っている。とりわけ、植民地大衆のかけがえのない指導者であるかのような態度をとっている。だが、北京官僚はその大言壮語にもかかわらず、アメリカ帝国主義の世界戦略の枠組みの内部でのみ、行動可能とされる基盤に立っているのである。

中ソ分裂のなかで、北京官僚がいささかでも革命的であるかのような幻想がつくられている現実の根拠は、昨日までの歴史が形づくってきたものであるだけに、北京官僚の言動は、プロレタリア革命の将来にとって危険である。

近代的工業、交通産業のプロレタリアートの革命的無能力についての宣伝とともに、北京官僚とそれに率いられた農民戦争が、新たな帝国主義打倒のための希望であるとでもいう虚偽がまきちらされはじめた現在、北京官僚との闘争は、実に、共産主義運動史全体を死守しうるか否かの闘争であり、この闘争に打ち勝たない限り、あるいはまた、この闘争の勝利的展望を切り拓かない限りは、たんにプロレタリアートの明日がないにとどまらず、全人類の明日が危ういものとなるにちがいないのである。

(1969年8月 第四回大会政治報告Ⅱ)