戦後世界支配秩序の基本的性格
その実体的基礎としてのドイツ分割

はしがき

1968年の夏、フランスとチェコスロバキアにおいてその矛盾をさらけ出した戦後世界支配秩序、その後二年を経過した今日、米ソによるSALT交渉、中東戦争の休戦交渉の開始、また独ソ両国のいわゆる「武力不行使宣言」調印などに見られるごとく、再びその均衡を回復したかに見える。

もちろん言うまでもなく、なおインドシナ戦争はいよいよ拡大し、東地中海において達成された力の均衡は、なおかろうじて維持されているにすぎない。また、これら一切を媒介し、基礎となる世界経済と世界市場の矛盾の集約点、世界通貨制度の将来はまだ暗雲に閉ざされたままである。

戦後世界支配秩序の総体としての改編がもはや不可避であることを何人もが認めつつ、しかし、そのためのプランを何ひとつ提示し得ない―われわれは何処に行くのか?

これが70年代の主要なテーマである。したがって60年代においては単に萌芽でしかなかった諸傾向が次第に開花していく、真に本格的な動乱の開始として、この「静かな夏」がとらえられるであろう。だが、ここでしばらくは、現在最後の静穏さのなかにある戦後世界支配秩序の基本的性格が如何なるものであるのか、またその根本的なモチーフが何であったのか、これを明らかにすることが、どうしても必要であると言わなければならない。

プロレタリア大衆は動き始めている。しかし、その声は未だなお低く、そして小さい。急進主義者の立ち回りから生ずる騒音に打ち消されないためにも、また彼らの腐敗した観念累積から発する有毒ガスによって窒息させられないためにも、次のことが静かに、だが力強く語られなければならない。

プロレタリアートは何処から来たのか、また何処へ行かんとしているのか?

1. ドイツ分割とドイツ・プロレタリアート

中部ヨーロッパにおける第二次世界戦争の諸結果のうち、最も重大な事柄のひとつは、ユンカーとドイツ帝国参謀本部の消滅であり、それと対比しつつさらに深刻なものは、ドイツ・プロレタリアートの解体である。それは一方ではDDR〈ドイツ民主共和国〉として、他方ではSPD〈ドイツ社会民主党〉=DGB〈ドイツ労働総同盟〉として分裂せしめられ、その生ける力の一切を奪い取られている。

ドイツ・ブルジョアジーは二度も繰り返された世界戦争の敗北を代償として、はじめて排他的な政治権力を獲得するという屈辱を味あわされた。

長い期間、彼らの肩の上に乗り長靴で彼らの首を締め付けてきたユンカーは、今や投げ出され、その姿を消した。ユンカーの農場とプロイセン国家はソ連軍によって最終的に粉砕され、もはや何人もその復活を企てることは不可能である。たとえ切り縮められた領土においてであれ、ブルジョアジーははじめて単独でドイツ国家の主体たりうるはずであった。

そして加うるに、このときドイツ・プロレタリアートの士気低迷ぶりは歴史上未曾有のものがあり、彼らブルジョアジーに最大の機会を提供していた。にもかかわらず、彼らがかかる事態を的確にとらえ、利用しぬく能力に欠けていたことは、ボンに亡命政権を樹立することに終わったのである。これは当時すでにドイツにおいてブルジョアジーが、支配階級としての能力を消耗し尽くし、ドイツをめぐる世界的な諸勢力の闘争の結果としてのみ、はじめて政治的階級としての外形を与えられたにすぎないこと、ただそれはドイツ・プロレタリアートの無気力と混迷を通してのみ実現されたことを意味している。

かつてホーエンツォレルン家の支配とブルジョアジーに対する闘争において、ブルジョアジーを上回る一切の能力を獲得していたプロレタリアートが、歴史の舞台に散乱しているとき、より散乱せるブルジョアのドイツは、なんらの内発的な力によらずしてボンに整列せしめられ戦後世界支配秩序の礎石としてセメント化されたにすぎない。

今日エルベ以西のドイツ語地域を支配しているものはブルジョアジーではない。その形骸である。それはただ、ドイツ労働運動の偏狭きわまりない愚鈍さ、頑迷な日和見主義によってのみ、解体・風化することなく保持されているにすぎない。

その「繁栄」たるや、ただプロレタリアートの解体と分裂状態の結果でしかなく、如何なる意味においてもポジティブな勢力たりえないのである。それは過去一世紀の歴史がもはや動かしがたいものとしてつくり上げてしまったのである。ドイツ・ブルジョアジーのみじめさは、ただみじめなプロレタリアートの影でしかない。

2. ドイツ労働運動の堕落

今日のドイツのみじめさは、他ならぬプロレタリアートの無気力、無能力にもっぱらよっている。

ラサールによってうちかためられたかつてのドイツ労働運動の偉大な巨姿はすでになく、その水準は今日最低である。その堕落の深さたるや、自己のみじめさを自己満足にすり替え、それに抗議するものを抑圧し、追放するまでに至っている。

その頭領の一人であるブラントは、かつての軽蔑すべき敵ビスマルクを外交政策上の師とすると言う。だがビスマルクの弟子ブラントはユンカーとプロイセン国家の利益を守り、ヨーロッパ革命に対抗するためにツァーリズム・ロシアに対して卑屈になれるだけ卑屈になった。今日、もはや死せるブルジョアジーがわずかに残された可能性をもって甦るためにこそ、腐ったわら靴〈スターリニスト・ロシアとの外交関係の調整〉をドイツ労働運動につかませようとしているのに、わがブラントはそれを拒否するだけの自尊心を持ち合わせていない。

あるいはDDRの役人どもは、その工業化の成果を語るかもしれない。だが、それは何処においてか? それはユンカーどもがしがみつき、最後まで手放そうとしなかったプロイセンの一地片の上においてではないのか? しかもそれはソ連軍とソ連国家警察の庇護の下に、とほうもない浪費のあげくの果てに、である。

今日、DDRの役人どもは、数百万のプロレタリアートの恐るべき辛苦の上にうちたてられた彼らのみじめきわまりない「成果」を全世界に受容させようとしている。だが、なにをひきかえにか? ドイツ・プロレタリアートの永久的な分裂を代償に、である。それがいわゆる「両独交渉」の真の意味でないと誰が言いうるのか? ただこれだけが彼らの存続を可能としつつ、同時に全世界と、特にヨーロッパにおける現状維持を図るアメリカ帝国主義の利益と合致するがゆえに、である。

またSPD=DGBは、ただドイツ・プロレタリアートの幻滅のうちに、それをおおいかくす保守的な慣習のうえに生き延びたにすぎない。彼らはナチズム崩壊の後、彼らの組織を「昔どおりに」再建し、それで終わりとした。ナチズムに対する屈服も、それに起因するヨーロッパと全世界の大激動、その中での世界プロレタリアートの敗北につぐ敗北、そしてその結果としての第二次世界戦争もまた、SPD=DGBにとってはただ過ぎ去っていくのを待つべき嵐であったにすぎない。

彼らは、次第に深まり行くドイツの分裂に対し、またDDRとその背後の力であるスターリニスト官僚支配下のソ連邦とも、闘うことも支持することもできず、非歴史的な存在に自ら落ち込み、たえず誰かの手によって引きずり出されなければ、その体面も維持できないまでに転落した。そして彼らは帝国主義に引きずり出され、むち打たれつつ、プロレタリア大衆のDDRにスターリニスト官僚に対する憎悪を培養基としつつ、戦前にも増して巨大な官僚機構を築き上げたのである。

無気力、無関心、そして無恥なSPD=DGB官僚機構の、激変する現実世界に対するあまりに鈍重な反応こそ、かの有名な、そしてすでに死んでしまっている『ゴーデスベルク綱領』に他ならない。

3. ヨーロッパ中部に登場したスターリニスト官僚

ドイツ・プロレタリアートのかかる解体状況は、帝国主義とスターリニスト官僚によるドイツ分割を可能ならしめ、かつ、それを基礎として戦後の帝国主義世界支配秩序の再建を可能ならしめた。そして、この状況は今日においてもなお基本的には維持され続けている。

ドイツ帝国主義の完全な破壊という歴史の危機をついて、革命か反革命かが根底から問われるべきとき、中部ヨーロッパに登場したのはプロレタリアートとその前衛党ではなく、実にそれを粉砕しつつ勝利したスターリニスト官僚であったことは、その後の一連の事象に重大な影響を与え、かつ、現在に至るまで深刻な問題を投げかけている。

ヒトラー・ドイツ軍を打ち破り進撃しつつ、ソ連軍は東欧諸民族に「ブルジョア」民主主義を押し付け、旧来の社会秩序の崩壊を機として開始されるであろうプロレタリアートの奔流をせきとめようとした。しかし、それはブルジョアジーの存在しないところに(何故ならば東欧のブルジョアジーの主要部分は対ドイツ協力者として逃亡していたから)ブルジョア政府をつくろうとする試みであり、結果として全く反民主主義的な政権を諸民族に押し付けるものでしかなかった。それはただ、プロレタリア革命の絞殺の上にたつ、ブルジョア抜きの最後のブルジョア政権の樹立であり、スペイン人民戦線政府の再版であった。スターリニスト官僚を頂点とするボナパルティスト的ブルジョア政府-このような性格を持つ政権がソ連軍の巨大な力を背景として急速につくり出されたのである。

かかるスターリニスト官僚の行動は、アメリカ・イギリス帝国主義との協定にもよっていたが、同時にスターリニスト官僚のカースト的利害にも基づいていた。スターリニスト官僚にとって、プロレタリア大衆の自主的組織一切がその存立を脅かすがゆえに、また、プロレタリア革命の拡大は彼らの基盤を根本的に揺るがすがゆえに、いたるところでプロレタリア革命の萌芽を踏みつぶしつつ、ソ連軍はベルリンへ、ベルリンへと進撃したのである。

スターリニスト官僚は、プロレタリア革命にとって疑わしい同盟者ではないこと、むしろ公然たる敵であることが東欧において示された。それは理論的可能性の問題としてでもなければ、少数派の警告としてでもなく、現実の歴史がそれを示したのである。

そして、かかる時、ヒトラーを打倒せるソ連軍はエルベ右岸にまで到達し、さらに数ヶ月の準備があれば、ソ連軍は数週間以内にパリを『解放』しうるかに見えた。さらに、その後背部において絶え間なくソ連邦を脅かし続けてきた日本帝国主義は打倒される寸前にあった。

プロレタリア革命を打ち砕きつつ進出せるソ連軍は、十月革命を起源とするソ連邦をして、世界政治のうえでかつてない地位にまで押し上げた。今、歴史上最強最大のソ連邦陸軍は、バターをナイフで切る如くヨーロッパを切り裂き支配しうる位置にソ連邦を置いたのである。かつての孤立せるソ連邦は、いま中部ヨーロッパ、かつてのプロイセンの地に依拠して全ヨーロッパを指呼のうちに臨み、きわめて深刻な影響力をもつに至ったのであった。かかるソ連邦を抑制しうるものは、ただその同盟者であり、ソ連邦よりもはるかに巨大な力を戦争を通して築き上げたアメリカ帝国主義、核兵器体系と金を独占せるアメリカ帝国主義、あるいは戦争のもたらした荒廃と社会の全体的な危機を利用して開始されるべきプロレタリア革命、このいずれしかなかったのであった。

4. ヨーロッパ革命におけるソ連軍

中部ヨーロッパに強大な軍事勢力としてのソ連軍があらわれたことは、ヨーロッパ革命にとって徹底的に考え抜かなければならない問題であった。払われた莫大な犠牲と出血に蒼ざめながらも、勝ち誇るソ連軍は西方における革命に介入しうる能力を所持しているものとして、ベルリンに駐屯している。これは開始されんとするヨーロッパ・プロレタリア革命にとって、果たしていかなる意味をもっているのか? それはほとんど考慮するに値しないファクターであるのか?

ソ連軍はその占領地域において階級闘争を抑圧し、取り除こうとした。ブルジョアジーを支配者としての座から追放しながら、プロレタリアートが独立的な政治勢力たろうとするならば即座に弾圧した。無政府状態に押し付けられたブルジョアジー抜きのブルジョア『政府』は、所有者の存在しない工業その他の生産手段を自らのものとした。ドイツ軍とともに逃亡した地主の所有地は、小農民が我がものとした。プロレタリアートは結集を再開するや、ただちに暴力的に沈黙させられスターリニスト官僚の支配下に解体させられた。

今や、中部ヨーロッパに登場せるソ連邦は単一の、切り離しがたいものとしてのヨーロッパ革命にとって、ひたすら反革命的力としての役割を果たしていた。

残忍で破壊的な戦争と、それに引き続くヒトラー・ドイツの打倒は、西ヨーロッパを完全に鋤き返し混沌とした無秩序とむき出しの階級対立の中においており、フランス、イタリアなどにおいて諸階級は武器を手にして対峙していた。

ソ連邦の進出は、その危機をさらに深めざるを得なかった。いったん、プロレタリア革命が開始されるならば、巨大なソ連軍は呑み込まれてしまうのであろうか? あるいは、東欧におけると同様、プロレタリア革命を粉砕するために投入されるかもしれない。またあるいは投入された後、ソ連軍とプロレタリア革命が融合してしまうかもしれない(言い換えればソ連軍が解体してしまうかもしれない)。

もし帝国主義に公然とあるいは隠然と鼓舞され、西ヨーロッパにおけるプロレタリア革命をソ連軍が粉砕したならば、これ以上の悲劇的なことはなかったであろう。この場合、ソ連邦において官僚の支配的地位は転覆され、軍部独裁から公然たる反革命の開始への道が切り開かれたであろう。それは十月の遺産の完全な清算とバーバリズムへの確実な道となったであろう。

もしその反対に、ソ連軍がヨーロッパ・プロレタリア革命に融合し、革命の軍隊として再生するならば(その自己解体が最後まで進むならば)、ブルジョアのヨーロッパとともにスターリニスト官僚の没落は疑いなかったであろう。そして、このプロレタリア革命とソ連軍の再生・結合は、ただスターリニスト官僚との全面的で徹底的な、最後までの闘争によってのみ準備されえたであろう。

革命の先鋭な危機にあって、その意識における危機にあって、スターリニスト官僚との闘争や如何として問われていた。プロレタリア前衛の意識はここに集中され、当面の闘争がいかなる結果に終わろうとも、はじめて次の展望が切り開かれるものとして、問題は形づくられていた。

だが、帝国主義とスターリニスト官僚は、かかる危機を乗り切るために自己保存の本能を働かせ、長い、一連の押しあいへしあいの中にプロレタリアートを流し込み、ヨーロッパにおける均衡―ドイツ分割に基礎付けられた均衡を回復することに、一時的とはいえ成功したのであった。

かくして、プロレタリアートは回り来た第一の機会を逃し、敗北を喫したのである。

5. 東欧の階級闘争とソ連邦

ソ連邦においてスターリニスト官僚はプロレタリアートから「委託」されて国有財産を管理している。東欧においては、それとは異なってスターリニスト官僚が「運用」している国有財産を「委託」しているのは、ブルジョアジーである。スターリニスト官僚は、いずれにおいても専横にふるまい、非能率的なやり方によって経済的資源を浪費し、食いつぶしている。彼ら官僚の「計画経済」はソ連邦においても東欧においても、その無制限な統制されることのない機構の基盤である。官僚自身は、両者〈ソ連邦をも東欧諸国をも〉同一視している。たしかにあらゆる現象は、それぞれに共有されているかのように見える。そして、このような官僚の「同一視」は、公然たるプロレタリア革命の敵から、すべての急進主義諸派、戦後第四インタナショナル諸派までいきわたっている。

しかし、プロレタリア革命に起源を持つソ連邦と、その圧殺の結果として東欧諸民族に押し付けられた諸国家を同一のものとみなすことは、次のジレンマに直面させられることになるだろう。すなわち、ソ連邦においてすでにプロレタリアートの独裁は転覆されたのか、あるいはスターリニスト官僚に革命家としての能力があるのか。言い換えるならば①官僚はすでにプロレタリアートから完全に自立して他の階級、そのようなものとして支配階級となり、新しい社会制度をソ連邦の外部に拡大したのか、②何かの例外的事情〈この場合にはプロレタリアートの解体状況と客観的な社会危機との特殊な結合〉により、官僚が軍事的・警察的な手段を持ってブルジョアジーを打倒し、歪曲されているとはいえ、プロレタリアートの独裁を樹立したのか、このいずれかをとらざるをえなくされるであろう。

だが、前者をとるならば、政治的に独立した階級としてのプロレタリアートの革命的能力を根本から否定することにならざるをえず、また後者の場合、スターリニスト官僚はプロレタリアート大衆を代行してプロレタリア革命を遂行しうるし、革命はプロレタリアート大衆の自発的行動を欠いたまま始まり、終わることが可能であるという結論に導かれざるをえない。もしそうであるならば革命家はスターリニスト官僚と協力し、その内的改革に努めるべきであり、彼らとは別個の党を組織することはセクト主義でしかない。今日の急進主義諸派がみずから「セクト」と呼ぶことは何ら根拠のないことではない。彼らがスターリニスト官僚とその行動に「反対」することにとどまっており、同時に別個の小組織を維持している限り、それはセクトの域を脱することはありえないのである。

このジレンマは、ただ次のような把握によってのみ解決することができる。すなわち、東欧諸民族をとらえた事態は、旧来の社会機構の全体的な崩壊と、そこから開始されんとしたプロレタリア革命を帝国主義に公然あるいは暗黙のうちに支持されたスターリニスト官僚が粉砕し、かつ、その再建と管理を引き受けることになったのだ、と。

現在、東欧諸国においてブルジョアジーは全く微弱である。その政治的・社会的要求はそれとはっきりわかる形では表明されえないでいるし、ブルジョアジーの政党は解体されている。しかし、それよりもプロレタリアートは無力な状態につき落とされている。このようなゼロに近い階級と階級の力の均衡のうえに、官僚は全能の存在として立っている。ここでは階級闘争の展開を暴力によって抑圧することが、階級闘争であると官僚は宣伝にこれ努め、言いくるめようとしているのである。

だが、官僚の意図いかんにかかわらず、ここでは階級闘争が消滅したのでもなければ、また弱まったのでもない。それは、帝国主義の巨大な圧力がスターリニスト官僚機構を通してのしかかり、その自由な発展を封殺しているだけにすぎない。階級対階級の闘争は、ここ東欧においては、その直接性において官僚対プロレタリアートとしてあらわれざるをえない。したがって、ここ東欧においては、プロレタリアートの闘争はスターリニスト官僚の支配を払いのけることから始まらざるをえない。それはソ連邦におけるのとは異なって、政治革命ではなく、社会革命―プロレタリア革命の開始であり、ブルジョアジーの公然たる政権復帰と闘いつつ、階級として独立的な存在への自己結集を図るべき、単一のヨーロッパ・プロレタリア革命への道である。

自己を生み出し、自己がそれを支配するにいたった労働者国家ソ連邦とは階級的性格を異にする諸国家群の頂点を占拠したスターリニスト官僚、またそれによる官僚の東欧支配は、この上もなく奇怪かつ醜悪で、矛盾に満ちている。

プロレタリア革命の拡大と同時に、ブルジョア反革命をも恐怖するスターリニスト官僚は、ソ連邦と東欧諸国家との階級的基盤の相違を保持しつつ、東欧をソ連邦の安全保障上の忠実な防壁とするために、東欧のプロレタリアートから一切の自立性を奪い取ることの総仕上げとして、ついにソ連邦加入の権利をも取り上げてしまった。

これは帝国主義との協力にもよるが、同時にスターリニスト官僚のカースト利益のためであり、それは結果として東欧諸民族を「奴隷化」するものであった。官僚はポーランドを併合しないという帝国主義との約束を守ってきたし、これからも守るであろう。ただしその奴隷化状態を事実において帝国主義に認めさせたうえで。その併合は世界均衡の転覆に導くに違いないし、さらには、それはポーランドにおける社会革命を不可避とするであろう。その場合、官僚は統制しがたい、誇り高く独立的なポーランド・プロレタリアートをソ連邦の内部に見出すであろう。スターリニスト官僚の支配的地位は根底から動揺させられるであろう。

まして、ドイツ・プロレタリアートの一部分であれソ連邦に加えることなどは、スターリニスト官僚に到底なしえないことであるだろう。ドイツ・プロレタリアートはまたたく間にモスクワ官僚よりも有能であることを証明し、ヘゲモニーを要求し、首都をベルリンに移すよう要求するであろう。これはスターリニスト官僚の存立基盤を完全に解体せしめることとなるだろう。

これこそ、スターリニスト官僚の東欧支配の基本的性格を決定したものであった。ソ連邦に加入させず、みかけは独立国家としておきながら、帝国主義の強大な圧力を利用しつつ自己の完全な支配下に置き、同時に帝国主義の対抗上の防壁とすること、そのためにはプロレタリアートの革命を徹頭徹尾鎮圧しなければならない。これがスターリニスト官僚の東欧支配の矛盾に満ちた根拠をなしているのである。

かかる事態は、同時にソ連邦内の少数民族の権利停止、『奴隷化』を不可避とした。

これは、ソヴィエト・プロレタリアートの感情をひどく損なうものであるがゆえに、勝利したスターリニスト官僚の支配をますます残忍で冷嘲的なものとし、ますます奇怪なものとした。さらに戦争は粛清に加えてプロレタリアートの基幹部に重大な打撃、容易には回復しがたい傷を与えていたが故に官僚の支配に対する組織的な闘争の展望をますます絶望的なものとしたのであった。言い換えれば、東欧におけるソ連邦の支配権確立は、ソ連邦におけるテルミドール官僚の力を弱めるのではなく、より矛盾を深めつつもなお強大化したのである。

ソ連邦は強大な国家としてヨーロッパ政治の中心舞台に登場した。その巨大な足は分裂したドイツの一方を踏まえて立ち、あわせて東欧全体をおさえている。だがその強化とは反比例するかのように、その革命的性格は弱められた。

スターリニスト官僚は労働者国家としてのソ連邦に寄生し、それを支配している。その強化は、その基盤が掘り崩されることと同一である。そして、東欧支配権の確立と結びついて押し進められたソ連邦国家におけるプロレタリアートのよりいっそうの弱体化は、スターリニスト官僚をしてますます東欧の防壁、とくにDDR(ドイツ民主共和国)にしがみつかせることとなった。

東欧における転覆―ブルジョアジーの公然たる復帰は、それだけにとどまらず、ソ連邦とスターリニスト官僚の決定的な危機を生み出さざるを得ない状況をつくり出した。スターリニスト官僚は行き着くところまで行き着いてしまった。彼らはDDRの維持すなわちドイツ分割をソ連邦の維持=安全保障と同一視している。東欧諸民族は、このフレーム・ワークのなかに閉鎖され、その自由な発展の道は全く断ち切られた。抑圧され続けているその諸矛盾はいよいよ深まりゆくが、歴史発展の袋小路のなかで、次第にその生命力を枯渇させていきつつある。その奴隷状態よりも悪い現状から解放されようとする力は、ますます制御しがたくなりつつある。

だが、チェコスロバキア介入を正当化せんとしたブレジネフ・ドクトリンは東欧における一切の革命的変化を拒絶するものであり、ヨーロッパの現状を断固として擁護することを明らかにした。

それはスターリニスト官僚がヨーロッパと全世界において、一切の既得利益を守ることの宣言であり、ヨーロッパ革命からの最終的絶縁の宣言である。

我々は、スターリニスト官僚がプロレタリア革命を粉砕し、帝国主義の反革命を黙認し、あるいは援助するのを目撃してきた。今や残されているのは、彼ら官僚が西ヨーロッパのプロレタリアートの闘争に直接に介入し、それを粉砕することだけである。

もし、それが不幸にも現実のものとなったとき、労働者国家としてのソ連邦の階級的基盤が決定的な打撃を受けることとなるだろう。

西ヨーロッパにおいて革命的プロレタリアートの行動が直接に東欧諸民族の解放に希望のたいまつを掲げるとき、スターリニスト官僚は自己のカースト利益のために、いかなる危険な行動に出るか、全く予測しえない。これが現在における問題である。

6. 「十月の遺産」は防衛されたか

これまで、我々は現世界支配秩序がドイツ分割に基礎付けられていること、そしてプロレタリアートの闘争は不可避的にこの均衡全体を転覆せざるをえないし、また逆にこの均衡がいささかでも揺るぎだすやいなや、プロレタリアートの支配秩序に対するトータルな反乱が開始されることを、繰り返し指摘してきた。

この指摘は決して偶然、我々の頭脳の中にひらめいたのではない。それは我々の世界党建設の闘いの道程において強いられたことなのである。

このような世界情勢の基本的な把握は、いかに我々の闘争が客観的には限定されていたとはいえ、その枠内においてはぎりぎりまで考え抜かれたうえでなされた。

また、それは一切の急進主義者の中途半端さと、その端緒において鋭い分裂をもつくり出したのである。

それは、スターリニスト官僚がヨーロッパ労働運動の再建と再統一の道をふさいでいることを誰の目にも明白にする。官僚は自己保身から始めて、ついにドイツ分割とソ連邦の維持とを硬く結び付けてしまうことにより、ヨーロッパ革命とソ連邦との関係を明白ならざるものに転じてしまった。かかるソ連邦は果たしてプロレタリア革命にとって重大な障害物となったのではないか、という問題をも提出するのである。

ソ連邦はなお労働者国家である。それはなお反革命によって転覆されてはいない、と今日我々が言うとき、それは明らかにL・トロツキーの語るのとは、その陰影を異にする。

ソ連邦は残酷きわまりない戦争、それ自体バーバリズムの発現でもあれば、その敵が文字通りバーバリズム=ナチズムであった戦争に打ち勝ち、勝利者として立ち現れた。最大の信じられない犠牲を支払い、人類文明のこれまでの成果をすべて破滅に投げ込もうとする凶暴な力、ナチズムと最後まで闘い抜き、それを粉砕した。それはたとえ何人が見ようとも、またいかに悲惨きわまりないものであろうとも、確かに真に英雄的な闘争であった。そして「十月の遺産」は防衛されたのである。バーバリズムとしてのナチズムは、主としてソ連邦によって打倒され、人類は破滅の淵に落ち込むことをまぬがれ得た。それは、これまでの人類史が到達しえた最高の成果である労働者国家ソ連邦の力が存在したが故であった。しかし、その勝利はバーバリズムへ向かう根源的な力を最終的に打ち負かしたことでは決してなかった。破滅の淵そのものは消え去ったのではなかったのである。

「十月の遺産」の防衛を通して人類文明が救い出されたこと、それはしかしながら楯の一面でしかなく、まさにこのことを通して新たな問題がプロレタリアートの前に提起されたことを知らなければならない。ソ連邦が防衛され、維持されたこと、それは他方ではその西方におけるプロレタリア革命の絞殺と分かちがたく結びついている。ソ連邦が勝利を獲得し、さらにそれを打ち固め得たこと、それはプロレタリア革命の絞殺(たとえばポーランドにおける)を前提条件とするとともに、またその結果でもあること、ここにこの上もない問題の複雑さがある。

なお、さらに一歩進めて言うならば、「十月の遺産」がプロレタリア革命を圧殺しつつ、さらに強化されて立ち現れたという現実、これが我々の眼の前において展開していること、これをいかにとらえるのかという問題が提起されているのである。

西方におけるプロレタリア革命にとって、第二の核武装国家として強化されたソ連邦が実に巨大な脅威を与え続けている―かかる直接的な把握をいかに止揚するのか、ここに実に緊急の課題が存在するのであろう。

我々にとって主要なテーマは、西方におけるプロレタリア革命かそれとも「十月の遺産」としてのソ連邦の擁護か、かかる二者択一を迫られるかもしれない、という悲劇的事態そのものである。そして、かかる事態を不可避ならしめている基礎には、ドイツ労働運動とソ連邦の関係の歴史の帰結が存在するのである。

7. 闘争の展望

第一回大会において、我々は「ソ連邦擁護」のスローガンを直面せる階級闘争のなかではむしろプロレタリアートの階級意識を解体・麻痺せしめるものとして撤回した。

たしかに、それは現代世界を余すところなく客観的に把握し、しかる後に下されたものではなく、戦後再建されたと自称する第四インタナショナル諸派、なかでも国際委員会派(IC派)との闘争が我々をしてそこに押し上げたのだといえよう。日々の実践がIC派としての限界を全く露呈せしめたとき、そこに新たな党と、その綱領を獲得せしめるべき闘争に飛躍せしめたのである。

我々は「ソ連邦擁護」のスローガンを撤回した。そのスローガンは何よりもヨーロッパ革命の展望を危殆に落とし入れるものとしてとらえられた。戦後第四インタナショナルの勝利ではなく、その敗北を前提として出発せざるを得なかった我々は、危機を危機としてとらえることをどうしても求められていた。

ソ連邦におけるテルミドールの勝利にヨーロッパが、したがって全世界が深くからみつかれてしまったこと―これこそが第二次世界戦争の諸結果がプロレタリアートの階級意識に不断に浸透してくる最も重要な直接的な形態なのである。階級と階級意識が形成されていく端緒に、ソ連邦のテルミドール官僚との闘争の問題如何が、投げ込まれる。

かかる点を戦後のトロツキスト運動は把握しきれぬまま、転落を開始した。それはプロレタリアートの敗北と後退、深刻な混乱を反映し、さらにその大敗北の渦の中にトロツキスト運動自身まきこまれ、自ら独立せる世界党としてはついに壊滅したのであった。

前項において報告は、かかるプロレタリアートそのものの危機がソ連邦の擁護か、ヨーロッパ・プロレタリア革命か、この二者択一が迫られるかもしれない、と述べた。しかし、それはなお正確を期して言うならば、現在開始されつつある重大な戦闘において、もし我々が敗北をこうむるならば、かかる二者択一は不可避とされるであろう、という意味である。

四分の一世紀にわたる沈黙をプロレタリアートは次第に破り始めている。なお一層、情勢は困難であるだろう。しかし、過去にしばられていないプロレタリア・ミリタントが成長し始めていることは、巨大な展望を我々に与えている。

歴史は不可逆である。言い換えれば、プロレタリアートにとって後退はありえないということである。再び開始される闘争は、かつて到達した最高の水準においてのみ可能であり、いかに事態が紛糾をきわめ、混乱していようとも、意識において最高の水準に達した地点へと集約されざるをえないのである。

未だなお世界の運命も、またソ連邦の運命も決定されていない。我々は未だそのように断定すべき権利を持ってはいない。

世界階級闘争のより一層の深化のなかで、第四インタナショナルのための闘争が飛躍的に強化されるなかで、ソ連邦内部において官僚打倒の力がプロレタリア世界革命と合流する方向で組織される可能性は残されている。一切の反対勢力を絶滅ないし社会の暗い割れ目に追い込んだ世界的強国としてのソ連邦にかわり、非公然ではあれ、またあるいは必ずしも首尾一貫しないとはいえ、強力な反対勢力が活動を開始すること、これは世界的な事件であるだろう。それは世界階級闘争の質的変化をもたらさずにはすまないだろう。西方におけるプロレタリア革命の息吹が活発となりつつある現在、そして西方の革命運動の胎動が東欧のプロレタリアートを通してソ連邦内部に伝えられるとき、スターリニスト官僚はその支配の脆弱さをただちに暴露されるだろう。それはかつて考えられたより、はるかに巨大な可能性をもっているに違いないだろう。

官僚に対する闘争は、これまでの歴史の結果として、今日、主として右翼から開始されている。文学者をはじめとするインテリゲンツィアの抵抗は、官僚に対するプロレタリア大衆の根深い敵対を反映しているが、それを表現したものではない。むしろ、大衆から切り離されていく官僚の分解を表現している。増大しつつある余剰生産物のうちから、ますます多くの部分をとりこみたいという願望、その分配方法をめぐる闘争がプロレタリアートの沈黙とともにその背後に隠されている。

今日のソ連邦には自由がない。とりわけ「表現の自由」が存在しない。だが、問題は何故に自由がないのか、ということである。何故に官僚が文学作品の価値を決定しうるのか、それは単なる偶然であるのか? それは官僚の悪しき意図や無知の結果なのではなく、主としてプロレタリア世界革命の中断と停滞の結果ではないのか? 知識人がなお断固として批判的であることをやめないならば、社会制度を批判の対象とせざるをえないだろうが、それがヨーロッパ・プロレタリア革命との連帯を踏まえないならばブルジョア反革命の溢水点となる以外ないし、これまでの経過は次第にそれを近づけつつある。

これに対し、左に向かう大衆の動向は、なお我々に伝えられていない。1950年代のはじめ「真実のレーニンの活動」グループが壊滅させられた後、さらにまた、このグループが強制労働収容所の内部において生き残りの政治犯と結合して組織したヴォルクタ収容所におけるゼネラル・ストライキ(1953年)が勝利のうちの敗北を喫して以来、強制労働収容所の全面閉鎖により全ソ連邦に分散してしまって以来、プロレタリアートの闘争は全く非組織的なものとしてのみ存在しているようである。

我々は、現在のところ何も知るところがない。だが、今日ブルジョア的な自由が存在しえない点をめぐって始まったインテリゲンツィアの運動をして、大衆の希望とすることはできず、次は主として世界階級闘争の展望に決定的にかかっているものとしてとらえるのである。世界階級闘争の進展に鋭く反応しつつ、ソ連邦内に強力な左翼があらゆる困難を克服して復活したとき、らせん状に自己を押し上げつつある世界プロレタリアートは一つの階梯を昇りきったと言うことが可能であるだろう。

しかし、現在、我々はより深まりゆく危機に直面している。現在我々はソ連邦内部に第四インタナショナルをつくり上げるべき手段を持ち合わせていない。ポーランドにおいても、ボヘミアにおいても、その他においてもまた然りである。

このとき、我々はこの現実から出発し、立ち上がりつつあるプロレタリアートに警告しなければならない。

そして、いずれにせよ、闘争の展望はただただ、我々自身の強化によってのみ切り開かれるのであり、自己の旗と組織を信ぜよ、それ以外は絶対に信頼するな―かかる方法によってのみ、闘争に立ち上がりつつあるプロレタリアートに呼びかける以外ないのである。

(1969年8月 第四回大会政治報告Ⅰ)