ソヴィエト同盟の危機と永続的な不安定に向かう世界情勢

第十三回大会政治報告(1990年9月)

闘争の舞台となった党大会

ソヴィエト共産党第二十八回大会は左翼反対派が敗北した第十五回大会(1927年12月)以来、実に63年ぶりに複数の政綱を掲げる諸分派、諸傾向間の闘争が展開される大会となった。階級間の、また階級内部の苛烈な闘争が警察のテロルによって弾圧され、抑圧された上で、退屈きわまりない儀式としてとり行われる党大会の時代は終わった。みせかけの満場一致のかげに、いかなる階級の利害が隠されているのか、それを探り出すべき時代は過去のものとなりつつある。スターリニスト流の「民主集中制」は現実の諸力によって打ち砕かれ、その諸力が大会のなかになだれ込んだのである。

このような意味において大会は画期的であった。だが、大会に登場したいかなる諸傾向も、首尾一貫した、自己が立脚するべき階級の利害を表現した綱領を提示し得なかったことも、全く明らかであった。

急速に分解しつつある改革派、同じく分解の途上にある保守派の間に、巨大な沼地=日和見主義者が存在し、きわめて少数の書記局分派(ゴルバチョフ派)がこの沼地派をひきつけ、操作することによってヘゲモニーを維持・再編成し、とりあえず事態を収束した――これが大会の結果でもあった。

著名な保守派の指導者とされたリガチョフは闘争を放棄して年金生活に入り、改革派の指導者エリツィンは党外に去った。ゴルバチョフ派は政治局をかざりもの化し、実質的な権力中枢を大統領府に移転し、中央書記局を沼地派の凡庸な指導者であるイワシコに委任したが、ゴルバチョフ自身は書記長に留任した。このような大統領=書記長制は、スターリニスト官僚支配の危機の深さを示すとともに、大会が到達しえた政治的水準の低さ、その中途半端性をも示している。危機は自らの内部に解決すべき方向を発見できぬまま、指導者ゴルバチョフの一層のボナパルチスト的純化をもって終わったのである。

ソヴィエト同盟の情勢全体の性格は権力の問題を日程にのせている。いかなる階級、いかなる党派、いったい誰が権力を掌握するのか。この問題が危機的な情勢の根底に横たわっている。あれやこれやの政綱、プログラムが情勢にマッチしているのか、これが問題なのではなく、いかなる傾向の代表者が権力をとるのか――28回大会の中心問題はこれであり、危機は党の危機として表出されており、すべての政綱は党再建の方向性を示すものとして提出されなければ無意味であった。

だが、改革派も、保守派も、その一切の傾向は、情勢をこのようなものとしては把握し得ないゆえに、ゴルバチョフによって、あやされ、分解させられ、後退せざるを得なくされた。ボナパルティストはボナパルティスト的にしか、自らの危機に対処できないにしても、である。

改革派の分解

大会がなんらの方向性を打ち出しえないまま(ゴルバチョフ指導という点だけを除いて)終幕した後をうけて、先ずは改革派の両極化が公然と進行し始めている。現在のところ、新聞報道は混乱しており、詳細な点については判然とはしていないが、およそ次のようであるらしい。

国防上、対組織犯罪(ソヴィエトマフィア)対策上を除き、また通貨、金融、財政政策上の諸問題を除き、経済上の諸権限を同盟は十五の構成共和国に譲渡するという急進派のシャタリン案に対し、穏健派はゴスプラン、ゴススナブ=国家資材・機会供給委員会をあくまで維持しようとして対立し、穏健派の指導者であるルイシコフ同盟首相の地位が政治的焦点となっている。

ルイシコフ案の採用は現在の危機を日延べするにすぎず、急進派のプランの採用は予測しがたい混乱をもたらしかねない。ゴルバチョフは急進派案に傾斜しつつ、その不可避的な混乱に備えて大統領全権経済委員会(ゴルバチョフと各構成共和国の最高指導者で形成する)の設置を要求し、事態を乗り切ろうとしている。この期間は最初の百日間とされているが、自体の成り行きはその設置を間違いなく永続化するであろう。

現在、九月十日から開催されている最高会議を舞台として闘争が続いているが、おそらくはルイシコフは打ち破られるであろう。仮に一時的に勝ち得たとしても、さらに急迫化する諸矛盾の激化の中で、中央計画官僚は破産せざるを得ず、通貨発行の独占を中心とした金融政策実施を除いて、その権限は失われることになるだろう。外国貿易の国家独占は緩和され、外国資本の輸入は「調整」されたものとなろう。中央計画当局から「解放」された企業、企業集団は原材料の入手先と製品の販路を容易に発見できず、運輸(鉄道と道路)の隘路、電話網の絶望的な立ち後れは、混乱を途方もないものとしよう。銀行を仲介とする決済と信用のシステムの欠如は市場に原始的で野蛮な性格を刻印するであろう。物価高と失業の同時的で爆発的な進行は避けられない。

急進改革派は「市場」経済移行に必要な現実的・物質的諸条件を無視して、無責任にも破滅へ突き進もうとしている。

危機に臨んで、プロレタリアートの独裁が秩序整然と退却する望みは絶えた。全面的に発現する価値法則の暴風雨のなかで、1920年代よりはるかに高次の発展段階において、またはるかに深く官僚的腐食が進んでいるプロレタリアートの独裁は、よくその試練に耐えられるであろうか?

問題は、国有財産制度・計画経済、外国貿易の国家独占、また集団化された農業等々の放棄にあるのではない。たしかに、プロレタリアートの革命は資本家の私有財産をとりあえずは国有財産に転移し、国有財産制度は不可避的に計画経済を要求する。計画は自己防衛のために外国貿易の国家独占を必要とする。しかし、これは同時に階級闘争の論理なのであって、純粋に経済の論理なのではなく、そこには政治的正確が打ち刻まれざるを得ない。今日の独裁は完全に官僚的に堕落し、歴史の袋小路に落ち込んでいる。今日の、現実の諸制度は官僚の冒険主義的な超工業化政策と強制的な農業の集団化に淵源し、かつ結びついている。それを改良することはすでに不可能であり、プロレタリアートの政治革命が避けられない。これらの諸制度はいったんは解体しつくし、その基礎からつくり直さなければならない。この過程で問題となるのは、どの階級が、どの党派が、誰が権力を掌握するかであり、制度は現実政治の力関係が決定するのであって、全く自然発生的にでもなければ、愚かな賢人ども、例えばシャタリンなどの青写真によるのではない。

ソヴィエト同盟の危機

スターリニスト党はゆっくりとだが解体しつつある。党首である大統領は全党機構を軽蔑的に取り扱い、大会決議をまじめなものとは受け取らず、現在のところ、もっぱらTVに依存している(晩年のスターリンは警察に依存し、党機構から独立的であった)。

彼らの言うところの「民主集中制」は言葉の上では維持された。

しかし、諸分派は恒常的に存続し、外部のメンバーと交流している。いかなる機構もこの状態を抑止することはできない。国全体の政治的民主主義の復活と拡散的な政治的無定形さがスターリニスト党をとらえ、飲み込もうとしている。厳しい冬の到来とともに危機が差し迫っている。プロレタリアートの前衛等の再建だけが根本的な転換をつくり出すことができる。この点での不明確さが、情勢全体の性格を歪め、中途半端で不透明なものにしている。階級間の対決正面が構成されることなく、とめどもない政治的分散化を生み出している。数千もの半ば政治的サークル、団体が生み出されている。

この不明確さ、流動性がロシア共和国におけるエリツィン現象、人気の高さを生み出している。また構成共和国、自治共和国の主権宣言というおめでたい限りの流行を生み出している。階級対階級の政治における未分化が、無内容で反動的な「主権宣言」を流行させている。プロレタリアートの階級としての結集が立ち後れているがゆえに、獲得物のしてのソヴィエト同盟に決定的なひび割れが生じ、同盟の解散という事態に到るかもしれない。

ロシア十月革命は民族国家の狭苦しい国境を生産力が打ち壊し取り払う時代の到来を宣言しつつ開始された。十月革命とその結実であるソヴィエト同盟は単一の世界プロレタリアートの党の建設を目指す闘争の結果として生誕した。十月革命は共産主義者の党を民族別にではなく組織することがプロレタリア革命の必須条件であることを明確にした。同時に民族自決の権利を自らの旗として掲げた。帝国主義反動と闘争し、打倒するために巨大な植民地大衆を動員するために、それは必要であった。労働貴族を基盤とする第二インタナショナルからプロレタリアートの大衆をひきはがし、世界革命へ動員するためには、あらゆる民族的偏見から大衆を解放することが不可欠であった。植民地ブルジョアジーからプロレタリアートを分離し、政治的に独立した階級として形成し、もって植民地大衆を反帝闘争に決起させるスローガンが分離と自決のスローガンであった。

プロレタリアートの革命は国境をうちこわし、のりこえ、世界革命として初めて前進しうる。十月革命とソヴィエト同盟はその端緒であった。革命的プロレタリアートの前衛はソヴィエト同盟の維持のために、現在、闘わなければならないだろう。

だが今日の同盟はテルミドール反動によって汚染され、堕落し、腐敗しつくしている。同盟からのいくつかの共和国の分離、あるいは同盟の解散はスターリニスト官僚の犯罪的誤謬の結果からプロレタリアート独裁を救い出すためになさざるを得ない譲歩であるのかもしれない。しかし、いずれにせよ、この問題は今後闘争によってその性格が決定されるであろう。

階級の指導部

危機を突破し、経済発展を軌道に戻すのは、結局のところ階級対階級の問題に帰着する。経済改革の行方を決定するのは、断固として首尾一貫した階級の指導部である。このような指導部は一朝一夕に形成することは不可能であり、長期にわたる厳しい政治闘争の中でのみ出現しうる。また、確固とした歴史的伝統を発見し、それとの結びつき、継承関係を明確にしなければならない。ソヴィエト同盟におけるブルジョア的政治潮流の発展は、この点において非常に大きな困難に突き当たっている。彼らの政綱の一項目一項目が過去の革命の諸事件において破産した事実に結びついてくる。彼らは革命がつくりだした現実の諸関係を転覆しなければならない。彼らのなすべき仕事は「市場経済への移行」という平和的でのどかなものではなく、事実としてのプロレタリアート独裁を転覆することである。それは暴力的で大量の血が流れる一連の諸事件を冷静に取り扱い、階級の敵を清算すること以外の、なにものでもない。ソヴィエト同盟内のブルジョア的諸潮流は、未だその用意ができていない。あるいは永遠にその用意ができないかもしれない。世界政治と世界経済について、殆ど理解せずとも、いろいろな偶然の組み合わせによっては、カーター、レーガンのようにアメリカ合衆国の大統領になることは可能である。しかし、プロレタリアートの独裁を転覆することはできない。未だ現在のミリューコフは登場していないし、今後とも登場しうるかどうかは疑問である。

こうしたロシアのブルジョアジーの弱さが現在の情勢を決定している一つの要因ともなっている。このために、経済的破局は長期化し、さらに深まるであろう。現在の消費財危機が一時的に緩和されたとしても、次に不可避となるのは金属飢饉――原材料危機、重工業の崩壊であるかもしれない。あるいは他の何らかの姿をとった危機かもしれない。経済的発展は危機から危機へ漂いつつ、痙攣的に進むであろう。その根底には、一国における社会主義の建設の不可能性が存在している。世界革命の勝利的全身と世界計画経済の着手のみが、唯一の展望である。

また、60年間の現実の計画経済の歴史的経験は、全能の官僚による経済のスムーズな計画的運用という考えを反動的なユートピアとして暴露しつくすとともに、その理論的総括を可能とさせる状況にわれわれを導いている。計画は可能である。そのためには「市場による調整」だけではなく、労働者民主主義というものが必要である。計画を可能とするには誰がその主たる担い手であるのか、官僚か、革命的前衛に指導されたプロレタリアートの大衆か、この問題が明らかにされなければならない。

危機のリンケージ

経済的停滞(しまりのない計画の恒常化)が生み出したトータルな危機を突破しようとしたゴルバチョフ一派の改革は、世界政治の枠組みを再編成し、そのなかで自己を再編成し、そのなかで自己を新しく位置づけ直そうとする対外政策の一新をも不可避とした。軍縮と新しい技術導入は発展再開に不可欠であり、それを根拠付けるために「新思考外交」が打ち出された。政治的民主主義の復活とワンセットとして経済改革を進めるという国内政策とあいまって、ペレストロイカ=新思考外交は東欧諸国に深刻な打撃を与えた。東欧諸国におけるスターリニスト支配は短日月のうちに崩壊し、モスクワは自らの傀儡政権を見捨てた。アルバニアを例外として、スターリニストは全面的な再編を強いられるか(ルーマニア、ブルガリア)、支配党の地位を追われることとなった。とりわけ重大であったのは、東ドイツにおけるホーネッカーの転落であった。それは戦後世界支配秩序の枠組みを大転換させるきっかけとなり、ドイツは統一され、ヤルタの平和は終わりを告げた。あるいは、ヤルタの平和を構築し、支えてきた力が尽き果ててしまったがゆえにドイツの統一が避けがたいものとなったのか?

いずれにせよ、ドイツ統一の確定は、ヨーロッパと世界の政治におよそ次のような問題を提起する。

イギリスはヨーロッパの周辺部に位置する島国として生きていくのに今後とも満足するであろうか。つまり、現在のデンマークのごとき状態に静かにすべり込んでいくことに?

またフランスは、ドイツの金融上の従属下におかれ、つつましく生きていくことを喜んで受け入れるであろうか。つまり、ベルギー化されたフランスという状態に耐えうるであろうか?

あるいはまた、恐れおののき、騒ぎ立てざるを得ない東欧諸国の神経を静めてやり、きちんとした生活のリズムを取り戻させることは果たして可能であるのか?

巨大のドイツを収容する檻としてのNATOは存続可能であるのか? ドイツは非核通商中級国家としての地位に満足してとどまり続けるであろうか? 今後とも、世界支配などに野心をもやさず、金儲けにのみ熱中的な俗物の国家としての自らを受け入れ続けるであろうか? だが、金儲けこそ今日のもっとも重大な問題ではないだろうか?

祖国の栄光、ナショナル・インタレスト等々のまぎらわしい言葉が、実は思う存分に金儲けをしたいという限界のない欲望を言い表しているのではないのか? それが明白でありすぎるのが、実は今日の真の姿ではないのか? 今日よりは明日、統一されたドイツは富むようになり、一層、傲慢になり、命令したがるようになるのではないのか?

まして束の間の泡沫景気が終わりを告げ、再び世界恐慌がそこまで来ている現在、ヨーロッパにおけるヘゲモニーをドイツに引き渡すことなど、誰が許容できるのであろうか? 世界恐慌のなかで、パリとロンドンは金融財政政策についてベルリンから指示されることを我慢できるであろうか? 政策当局者が耐えがたきを耐え得たとしても、国内政治とそれを規定的に支配する階級対立はベルリンの指令を受け入れることを可能とするであろうか?

どの問いに対する回答も否定的である。ヨーロッパは統一ドイツにとってあまりに狭すぎる。ドイツは遠からず鎖を断ち切ってなにかをやり始める――これが関係者すべての一致した見解であるだろう。

ヨーロッパ革命

ヨーロッパに奇妙とも、馬鹿げているともいえる政治的構図が姿を表しつつある。二つの、小さな核武装国家が、軍事的に非力な国家によって金融と財政を差し押さえられているという構図である。このような状態は決して長続きしたことはない。今回もまた同じであろうと多くの者が考えている。

英仏が小さな核戦力を放棄して二流の国家に成り下がるか、ドイツが内外のあらゆる反対をはねのけて核武装への道を歩むのか、いずれかであるだろう。それはいずれにしても、徹底的な、全社会を揺るがし、そのそこをぶち破る大闘争を将来し、結果するだろう。

全世界がこのような問題に対して回答しなければならない。自らを世界政治の現実的な勢力として押し上げんとするプロレタリアートの前衛もまた、回答を迫られている。

いわゆる安全保障政策と金融財政政策が連結され、諸階級、諸勢力が事故の生き残りをかけた闘争に全ヨーロッパ的なスケールで突入せざるを得ない――これがドイツ統一の帰結である。

ひとつひとつの闘争が部分的な勝利に終わろうが、敗北に終わろうが、民族国家の障壁を踏み越えざるを得ないことを示すだろう。統一ヨーロッパの将来像を誰も提示できない。闘争が将来を決定する以上、どのような偶然が入り込んでくるか予測できない以上、それは不可能である。生きた、現実の諸勢力間の闘争がそれを決定する。闘争はヨーロッパ内部にとどまらず、介入を望むすべての外部勢力が登場し、その介入に対してヨーロッパが一致団結して行動することはない。

一時の勝利に目がくらんでいるブルジョアジーは、犠牲をすべてプロレタリアートに転じようとするだろうが、その挫折は避けられない。プロレタリアートには未だなお闘争するための諸条件、諸手段はボロキレ同然であるとしても残されている。ヨーロッパ、USA、日本において勝利したのはファシストでもなければスターリニストでもない。ブルジョア議会主義がしばしの息抜きの時を得たに過ぎない。プロレタリアートは自主的に自分たちの組織をつくりだし、新聞を定期的に発行し、TVとまではいかないにせよ、ラジオ放送網をつくりだすことも可能である。また、いかに堕落しても労働組合は国家化されておらず役員は任命制ではない。東欧とソヴィエト同盟では労働組合は選挙制への復帰が始まっている。東欧とソヴィエト同盟では階級闘争がテロルの対象とされてきたが、いまや闘争が闘い抜かれる舞台、制度が復活されようとしている。

とはいえ、恐慌の中で労働組合とそれに結びついた労働者政党に対する大攻勢は避けられそうもない。日・米・西欧・東欧の基幹産業における労働生産性の格差をうめるための全体的な産業合理化(エレクトロニクス化)をめぐって、対決と衝突が始まらざるをえない。この衝突はそれぞれの国の金融財政の構造的変革から外交政策までを含んだものとならざるをえず、首尾一貫した綱領を作成しない限り、勝利の展望はないだろう。

現在社会民主主義が高揚している。スターリニスト党の権威の失墜、資本家攻勢の未だ全面化に至っていないこと、その組織化のルーズさのゆえに、分解、拡散する急進諸派の溜まり場として、一時係留地として繁昌している。泡沫景気とプロレタリアートの闘争の停滞がその肥大化の条件になっている。

この条件は近々、消滅しようとしている。再開される闘争において、社会民主主義と労働組合主義がただひたすら後退することによって自己保存するだけだと見通しつつ、組合防衛、組合の革命化の方向にではなく、第四インタナショナル、新しい共産党の組織によってのみ、初めて組合の防衛も可能となることを繰り返し明らかにすることが要求されるだろう。すべての闘争が第四インタナショナルのための闘争として集約され、はじめてヨーロッパ革命の展望が現実的なものとなることが明らかとなるであろう。

クウェート戦争と世界均衡

(続く…)