「かけはし」組織統合への踏み込みと「トロツキズム」の清算

いわゆるマンデル派=統一書記局派シンパ支部たる日本革命的共産主義者同盟中央委員会(酒井、国富らの通称「かけはし」派)は、「潮流を越えた運動体の統合」という名目において、自称であったにせよ「トロツキスト組織」としての解党の意思を明らかにした。そして、統一書記局派の日本におけるもうひとつのシンパ支部-国際主義労働者全国協議会(織田進らの通称「労働者の力」派)もそこになだれこもうとしている。彼らが目指す新党=新組織の構成部分に旧毛沢東主義派(労働者社会主義同盟)がいたとしても、我々はまったく驚かない。それはそもそも本来、思想的に異質な「トロツキスト」とマオイストとの思想的-路線的立場の「止揚」などという高級なものとは程遠く、そこにあるのはWPN(World Peace Now)などの「反グローバリズム」大衆運動の政治技術主義的「囲い込み」という「政治的目標」がみえみえの、70年代から現在に至るまで、いやというほど目の当たりにしてきた「よんとろ」政治の延長でしかないからである。

この事態は我々にとっては「知ったことではない」のではあるが、同時に彼らが「トロツキスト=第四インターナショナル」として日本において「大衆的には受容されてきた現実」を踏まえるのならば、その一言ですますことのできない政治的意味をいやが応にも突きつけているものであり、わが党としての見解をここに明らかにしなければならないと考える。

要するに、彼らの言う「第四」の意味に帰着するのである。そもそも自称ではあれ、彼らがいともたやすく捨て去る程度の「第四」とは何であったのか? それはやはりハンセンからパブロの系譜、そしてそれに擬制的に対立するキャノン、その構造を生み出した戦後第四の問題に行き着かざるを得ない。すなわち「パブロ問題」は原因ではなく結果である、そのことに対する認識の決定的相違が国際委員会派と我々を分かつものとなったのではある。我々のそもそもの党派闘争の対象としてのIC派も、トロツキズム運動の堕落の「原因」としてのIS派~US派を批判する。しかし、IS派とIC派の対立という構図自体の欺瞞性が革命的左翼の運動を如何に主体面で疎外し、運動次元で阻害したのかについての自覚のない彼は、そのことを理解できずに、自らの党派性を「トロツキー文献」からの引用で権威付けるしかないというお寒い状況で自己を維持し続けているのである。その意味でランベール派と統一書記局派フランス支部との「対立関係」は、それ自体が反動的であり続けている。

我々が革命党として我々自身を規定し、そのなかで自らを鍛え上げる党派闘争の対象という意味において、彼らがいかに大衆運動上、一定の位置にあったとしても自称・他称の「四トロ」=「統一書記局派日本支部」に関しては実際のところ、眼中になかったといってもよい。つまり、それほどにくだらない連中だったということなのだが…。これはレッテル貼りではない。内容的に言うならば、それは彼らが「トロツキスト」を自称しながらも同時に自らを「新左翼」規定し、大衆運動の高揚の中でしか「トロツキズム」を押し出せないという、あまりに情けないパブロ主義の亜種としての特殊日本的な存在でしかなかったからである。「お題目としての指導部のトロツキズム」と下部の大衆運動主義との乖離は、三里塚闘争と“労働情報”運動の瓦解によって露呈してしまったというお粗末な現実…。 そもそも、そのような「闘争」と「組織」によって存立基盤を与えられてきた日本支部としての「トロツキスト党」とは一体、何であったのか?

なおかつ、彼ら「かけはし」と「労働者の力」が言ってきた“階級の敗北”とは、そのような非常に狭い基盤の喪失に対してのプチブル的な敗北感以外のなにものでもない。そして「階級の敗北論」とは、彼らが蛇蝎視してきた「国家資本主義論」と、結局のところ、同じ次元の歴史観を共有するのである。つまり、社民化したUSと国家資本主義論者との距離は限りなく近いともいえるのである。(そこでの現代的符牒が“市民自治”とかの有象無象の「民主主義一般」であり、その醜悪という点で最たるものとしての帝国主義本国意識そのままのオリエンタリズムたる「マルチ・カルチャラリズム」であったりする…という笑えない喜劇的状況)。

統一書記局系の各国支部においては、非トロツキスト潮流との組織的融合は昨今、流行であり、ドイツの民主社会党(旧東ドイツの社会主義統一党)、イタリアの共産党・再建派との運動上の共同歩調が肯定的に持ち上げられている昨今をみれば、「かけはし」の今回の決定も驚くに値しない。つまり、「かけはし」らの路線もUS派の世界大会における決定の延長線上の方針ではある。たしかに、左翼反対派の伝統のないこの日本において彼らが解党宣言をするのは単純な意味で喜ばしいことではあると同時に、やはり政治的には深いネガティブな意味を持たざるを得ない。

ある意味、この問題は、91年に「堕落したプロレタリア独裁」が自壊し、プロレタリア革命に関する大衆の意識の後退を決定付けたものと同様の性格を持つともいえるのではなかろうか。すなわち日本の労働者大衆に対して「第四インタナショナル」とは所詮、新左翼の一潮流でしかなく(左翼反対派~ボリシェヴィキ・レーニン主義は断じて新左翼などではない)、結局はブント系諸党派と同じ次元の程度のもの、という意識を植え付けてしまったともいえよう。要するに、ロシア革命や左翼反対派から受け継ぐ闘争の継承性を捨て去り、闘争の歴史をリセットすれば事足れりというまさにプチブル的観念操作を党組織の問題に導入したのである。

また、レーニン主義に対する彼らの態度は、一言で表現するなら、この政治的評価の問題に関しては「スルー」したいということらしいが、先進的労働者は、「かけはし」がそもそもレーニン主義とはかけ離れた存在だとわかっているのであるから、彼らが要らぬ心配をする必要はない(むしろ彼らのような部分からは公然と「反レーニン主義」を主張してもらいたいのだが…)。問題は、このような部分によって標榜され続け、かつ簡単に破棄されてしまうような「レーニン主義」が存在しえた根拠である。それを突き詰めるのが、まさに我々の言うところのレーニンのレーニン主義なのである。

(ちなみに、MELT(再建派)諸君の政治意識は興味深くはあるが、やはり中途半端な感は否めない。「かけはし」、「労働者の力」との相違~とりわけ“階級の敗北”に関しては、~その概念自体を否定的にとらえるという点でまともな政治センスを有しており、その一点だけでも他の二派とは雲泥の差ではある。しかし70年代同盟の総括のみならず、戦後第四総体の意味を考察の対象として政治的・理論的に踏み込んでいくことこそが彼らに問われているのではなかろうか)。

 

60年代の日韓闘争・三多摩社青同から70年安保、そして一休みして、狭山と三里塚で党(というより「共青同」などの大衆組織)を形成してきた彼らが、労働者大衆の意識に刻印してきた「トロツキズム」とは?

結論先取り的に言えば、「極東解放論」として打ち出された「パブロ主義」とは何だったのかの問題である。そして彼らJRCLを含む統一書記局派がパブロとの継承性を否定しても彼らの運動自体がその性格を増幅している。(三分解した日本支部、そこにおいて,JRCLとしての彼らの創生からの総括をしようとする意図を持っていたのは、「再建派」=MELTだけかもしれない。だが問題は「出自」それ自体の対象化に到達するか否か、である。)

我々が国際委員会派(IC)と思想的&組織的に決別することを通して、自らをトロツキー創立「第四」を継承すべきものとして規定したとき、エルネスト・マンデルの「統一書記局」とは何であったのか? はっきり言えば、その時点においてすでに彼らは思想的に党派闘争の主要な対象ではなかった。IC解体を通してUS解体を射程圏内に入れる、ということはUS派とIC派の対立の基盤自体の止揚という問題とトロツキーFIの現在的継承とは何か、という当時の党建設上焦眉の課題であったからである。

「パブロ主義」が昨今の統一書記局派の各国支部の社民化を推し進めたということ…それはそれとして正しい。しかし、パブロ主義が戦後第四の堕落の根源であるかのように言うIC派や、その他諸雑派の訳知り顔の連中も「五十歩、百歩」でしかないのではなかろうか。真の問題はそのような政治的次元にあるのではない。

はっきり言えば、パブロ主義と呼称されるものは、その後の誤謬の原因ではなかった。「スターリニスト官僚への幻想と反帝民族主義との混合物」として押し出されてきてしまった戦後第四の誤謬への無自覚を「整理した」体系が「パブロ主義」として表現されたのであり(その組織論的な集中的表現としてある「加入戦術」)、その右翼的攻勢に対して『過渡的綱領』を中心としたトロツキー文献を解釈することしか能のない連中(IC派)は、「左を装いつつ」そこで揺れ動く非歴史的存在と成り果てた。そして、そのような虚構に満ちた構図こそが我々の粉砕の対象なのである。