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![]() スワミ・シバナンダ |
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![]() スワミ・ヨーガスワルパナンダ |
1887年9月8日、南インドのパッタマダイ村の裕福なバラモン(カーストの一番上)の三男として生まれる。幼少の名をクップスワミといい、年齢のわりに背が高くてりりしく、成績も抜群、輝く瞳をもった少年であった。信心深い両親に育てられ、祈りや宗教儀式の準備の手伝いが楽しみだった、と後年の日記に記している。 1903年に大学に入学、まずタミル文学を学んだ後、タンジョール医科大学で西洋医学の道に進む。在学中、母親から200ルピー出してもらい、医学誌『アンブロシア』を発行。この雑誌は当時の医療関係者ばかりでなく、読者や患音との交流の場となった。また、西洋医学のみならず、古来のアーユルヴェーダ療法なども学ぶ機会をえている。読者へ返事を書くのに忙しく、すでに人びとの心のケアに注意を向けていることがうかがえる。 (続き) |
「ヨーガとこころの科学」(東宣出版)より抜粋 |
1916年9月24日、南インドに生を受ける。父スリニバサ・ラオと母サロジニの五人の子供達の二番目、長男として生まれ、スリダー・ラオと呼ばれた。その地方の裕福な領主の家柄であった。幼少時よりラーマーヤナやマハーバーラタの叙事詩を読み聞かせられて育つ。マンガローの小学校に始まり、1932年にマドラスのマティァン・チェティスクールに入学当時から、神童として際立った存在であった。 (続き) |
「ヨーガといのちの科学」(東宣出版)より抜粋 |
1939年、ヨーガとべ−ダンタの教育とスピリチュァルな知識の普及のために、スワミ・シバナンダはディバィンライフ・ソサエティを設立しました。てきるだけ多くの人びとが神聖な人生を送り、神を悟る道を歩む手伝いをするためでした。1942年にはバジャン・ホ−ルが建てられ、1943年未には、スワミ・シバナンダの念願のシバ寺院も建てられました。(続き) ホームページ(英語)はこちらです。 |
「ヨーガとからだの科学」(東宣出版)より抜粋 |
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同志社大学文学部英文科卒業。ミシガン大学で英語学を学び、二ュ−ヨ―クの国連本部の通訳として5年間勤務。帰国後も通訳を続けるが、その後夫の海外赴任で西ドイツヘ。ケルン大学で言語学を専攻し、帰国後は英語、ドイツ語同時通訳者として活躍、現在に至る。語学を通して、ヨ−ガに奉仕している。 「ヨ−ガといのちの科学」 「ヨ一ガとからだの科学」 「ヨーガとこころの科学」 「ヨーガと空(くう)の科学」 |