アメリカ東部 訪問記 (7)


13: 7月29日: 夜景

この日もオプショナルツアーとして、夕方出発のディナークルーズ。正装が必要なので、ホテルに戻り、着替える。

船の出発地点は Chelsea Pier という23丁目の一番西にある埠頭である。ここ自体は、昼間も夜も若干賑わっているのだが、周辺の治安がよくないらしいので、専属運転手が乗せていってくれる。

ホテルの前の通りに横付けされた車(ワンボックスタイプ)に乗り込み、運転手を待っていると、突然ガリガリッと音がした。別の車に側面を擦られたのであるが、(しかも相手の車はサイドミラーが折れ曲がった) その車は平然と通り過ぎていった。恐るべしニューヨーク。

ここでニューヨークの治安の治安について。
1999年現在、かなり改善されてはいるが、依然として危ない所は多い。マンハッタン島の中で要注意な場所を列挙してみる。観光ガイドブックなどから抜粋してみた。

 

タイムズ・スクエア(42丁目)〜〜人は多いが、スリ・置き引きが多い。(どこでもそうだけど…)

ロウアー・イーストサイド(島の南東)〜〜昼間は安全だが、夜は閑散としている。地下では地下鉄がたくさん走っているが、付近に駅がない。

セントラルパーク(北のほうにある広い公園)〜〜特に北のほうは、森が茂って見通しがきかないので、昼でもやめた方が良いらしい。南半分は、昼間は賑わう。

ハーレム(125丁目付近)〜〜125丁目はメイン通りだが、その近辺は黒人の貧困層が住んでいるそうで、興味本位で歩くと危険らしい。夜は絶対にタクシーで。

8番街よりも西側(ハドソン川沿い)〜〜ドラマ「あぶない刑事」に出てくるような倉庫群が広がる。カーディーラーが多く家賃が安い。夜は閑散としている上に、地元住民が集まって話しこんでいる光景が見られた。今回行ったチェルシー・ピアも、この辺にある。

 

さて、車は自動車ディーラーだらけの 11番街を走行し、チェルシー・ピアに到着。午後5時の時点で、通行人がほとんどいなかった。 ディナー・クルーズの船の定員は80人ほどだが、日本人はほとんどいない。船の中は豪華で、生演奏でジャズをやっていた。が、これが予想以上にやかましく、まともに会話ができない(本人たちが聴いたら怒るだろうが)。

出航は午後7時。まだ空は明るい。出航後、船はいきなり航空母艦のそばまで立ち寄り、軍事大国ぶりをアピールした。その後は普通のクルーズ。マンハッタンを回っていくうちに、9時を過ぎてようやく日が暮れ、夜景が姿を現した。

↑ マンハッタン南端の夜景。右にはツインタワーも見える。夜9時過ぎ。

その後、お決まりの自由の女神の前に立ち寄って停止。このとき何を思ったか、船に同乗していた富裕層たちが、欧米の国歌を歌いはじめた。

最後は埠頭を通り過ぎ、再度わざわざ航空母艦の前でターン(アピール)をして、チェルシーピアに到着。夜10時。少し遅れて、お迎えの車が駐車場につけられる。夜のハドソン川沿いの倉庫群は、たしかに歩いては行きたくないほど閑散としていた。その擦られた車であるが、運転手は最後まで擦り傷に気づくことはなかった。いや、気付いてはいたけど、あきらめていただけか?

これにてアメリカ東海岸の観光はすべて終了。翌日は飛行機で帰還。

 

14: 7月30日: 早くも帰国

もう帰国である。朝10時15分にロビー集合であったが、10分前には全員が集まるという効率の良さ。集合時間には、バスが出発してしまっていた。

↑ 最後に1枚。6番街(Avenue of the Americas)の53丁目交差点。

 

目的地はジョン・F・ケネディ国際空港。途中渋滞もあったが、ホテルからは40分ほどで着いた。

ターミナルの数がやたら多く、全部で10個ほどある。そのせいか、ターミナルは閑散としている。1999年現在、アメリカの出国手続きは簡単で、面倒な手続きはあまりない。「去る者は追わず」なのだそうだ。 ただ、免税店に入るたびに、いちいち搭乗券を見せないといけない。搭乗券を持っていないと入れないエリアのはずだけど…? 我々は4回ほど免税店に入り直したが、そのたびに搭乗券の提示を求められた。

午後1時過ぎ、JAL便、ほぼ定刻の搭乗。もちろんエコノミー・クラスである。 帰りは、座席の後ろに液晶テレビがついていたが、オーディオ・ゲーム・ビデオ類はすべて故障しており、映画とGPS情報(現在位置情報)しかなかった。自分としてはGPS情報があれば充分だったので満足だったが、ほかの人は相当不便な思いをしたことだろう。


東京までの飛行時間、実に13時間35分(空港内をウロウロしたり、止まっている時間を合わせると14時間半)! JAL直行便としては最長らしく、10,600km以上を飛ぶ。 14時間以上も窮屈な座席に座っているのは、さすがに乗り物好きな私でもつらかった。途中機内食は2回、申し訳程度のパン食1回。太陽を追いかけていくので、行きとちがって夜が来ない。

さらに悪いことに、どこかで赤ん坊がずっと騒ぎまくっていた。しかも騒いでいる子供は、2、3人いた。

この日は、最も北寄りのコースで北緯68度まで上がった(機長談)。離陸6時間たっても、アメリカ大陸を抜けない。さすがに疲れた。映画も3本上映できるほどの時間の余りっぷり。ちなみに、この便には男の客室乗務員(スチュワード) が2名おられた。一人は、見ていて客室乗務員と分かるいでたちだったが、もう一人がクセモノだった。いわゆる中年のオッサン風であったが、客と見分けがつかないほどラフな格好で機内をウロチョロウロチョロしていた。「何だこいつは?」 などと思ってしまったが、それがスッチーであったというわけ。存在自体がオチであった。(でも、接客態度はさすがに良かった)

離陸から13時間を過ぎ、最後、日本近海鹿島灘まで来た。しかしそこまで来て、いきなり180度旋回し逆行。どこへ行くんだ?! と思いきや、5分ほどでまた180度旋回し、元のコースに戻った。
到着は日本時間7月31日の、午後4時半。めでたく帰国し、最後にJAL空港サービスセンターへ、壊れかけたスーツケースを持っていった。すると、「アメリカン航空さんのほうに電話して下さい」。オイオイ
ここでも責任転嫁かよ!!

スーツケースのほうは、自宅で直しました。

 

長い旅行記でしたが、読んで下さってありがとうございました!

 

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