ウルソーの成績
2000年シーズン@カープ1軍
<トータル>
試合 |
勝ち |
負け |
セーブ |
打者数 |
イニング |
被安打 |
被HR |
29 |
0 |
0 |
1 |
97 |
18 |
25 |
2 |
与四球 |
与死球 |
奪三振 |
暴投 |
ボーク |
失点 |
自責点 |
防御率 |
16 |
3 |
12 |
2 |
3 |
20 |
16 |
8.00 |
(注)ボーク3個は、2000年セントラル・リーグの単独トップであった。
<詳細>
凡例: 1B=1塁打、HR=ホームラン
| 4月 | 対 | 勝敗 | 内容 |
備考 | |||||
| 04.01 | 巨人 | ○ | 2B | 投ゴ | |||||
| 04.02 | 巨人 | × | 三振 | 右飛 | 1B | 投飛 | |||
| 04.04 | 横浜 | × | 一飛 | 三ゴ | 四球 | ||||
| 04.05 | 横浜 | ○ | 二直 | ||||||
| 04.06 | 横浜 | × | 三振 | 三振 | お見事! | ||||
| 04.08 | 阪神 | × | 三飛 | 右飛 | 死球 | ||||
| 04.09 | 阪神 | ○ | 四球 | 左飛 | 1B | 遊直 | 打者和田のときボーク、塩谷が進塁する。 | ||
| 04.12 | 中日 | ○ | 捕飛 | 二ゴ | 投ゴ | お見事! | |||
| 04.14 | ヤク | ○ | 四球 | 三振 | 四球で歩かせ代走飯田のとき、牽制でアウトに。 | ||||
| 04.15 | ヤク | × | 遊失 | 二ゴ | 2B | 打者佐藤のときボーク、真中が進塁する。 | |||
| 04.16 | ヤク | ○ | 四球 | ||||||
| 04.21 | 巨人 | ○ | 四球 | 三振 | 打者松井のとき暴投。この日、来日初セーブ! | ||||
| 04.22 | 巨人 | ○ | 2B | 一ゴ | |||||
| 04.25 | 阪神 | 引分 | 投ゴ | 三振 | |||||
| 04.29 | 横浜 | ○ | 一ゴ | 中飛 | 二飛 | 2B | |||
| 04.30 | 横浜 | × | 二ゴ | 1B | 投ゴ | HR | 四球 | 本塁打は駒田(この日2,000試合出場)による。 | |
| 5月 | |||||||||
| 05.03 | ヤク | × | 一ゴ | 投ゴ | 三振 | 1B | 1B | ||
| 05.04 | ヤク | × | 四球 | ||||||
| 05.05 | 阪神 | × | 中飛 | ||||||
| 05.07 | 阪神 | ○ | 三振 | 高波に盗塁を許す。 | |||||
| 05.09 | ヤク | ○ | 三ゴ | 二ゴ | お見事! | ||||
| 05.11 | ヤク | × | 遊ゴ | 四球 | 中飛 | 2B | 敬遠 | 三振 | |
| 05.14 | 中日 | × | 四球 | 犠打 | 1B | 1B | |||
☆ 05.16〜05.24まで2軍。 |
|||||||||
| 05.30 | 巨人 | ○ | 一直 | 1B | 三振 | 打者松井のとき、暴投。 | |||
6月以降 |
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| 06.04 | 阪神 | ○ | 四球 | 四球 | ※ | 3人目(打者田中)、2−1に追い込んだ所で交代。 | |||
| 06.07 | 横浜 | × | 四球 | 2B | 二ゴ | 遊失 | 1B | 1B | 打者谷繁のときボーク、佐伯が進塁する。 1回13失点の日本タイ記録(当時) の作成に加担する。 |
| ↓ | ↓ | ↓ | 三振 | 四球 | 併殺 | 二ゴ | |||
☆ 06.09〜07.27まで2軍。 |
|||||||||
| 07.29 | 阪神 | ○ | 四球 | (・_・; | |||||
| 08.04 | 阪神 | × | 死球 | 三振 | 1B | 遊ゴ | 四球 | 1B | 1人目坪井、4球目ファールの際、バットが投直。 次の5球目に与死球。(報復!?) |
| ↓ | ↓ | ↓ | 1B | 1B | |||||
| 08.06 | 阪神 | × | 犠飛 | 死球 | 3B | 二飛 | 1B | HR | 本塁打は檜山による。 |
| ↓ | ↓ | ↓ | 二ゴ | 二ゴ | 1B | 二ゴ | |||
☆ 08.08〜シーズン終了まで2軍。そのままこの年は帰国した。 |
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<マニアック記録>
| 打者が松井(巨)のときの暴投率 | .400 |
| ウルソーが登板した試合の勝率 | .483 |
| いきなり四球を与える確率 | .310 |
| 相手打者を全て凡退に切って取る確率 | .241 |
<傾向と対策>
1.初期は、主に左打者対策のワンポイント的登板が多かった。だが、左打者の代表格・松井(巨人)との対戦では、「2塁打」「三振」「四球」「2塁打」「三振」と、4割しか抑えていない。連日のように登板。
2.4月の中旬はスランプからか、四球・ボークを多発する。だがチームの調子が良く、助けてもらっていた。
3.5月に入ると、四球と被安打が増加する。信用を失いかけたのはこの頃からで、一度2軍に落ちている。
4.再び1軍に昇格するも、6月は輪をかけて悪くなった。原因はフォアボールからの自滅。達川監督(当時)の信頼は地に落ちており、追い込んでから投手を広池に交代させるほどであった。決め球を欠いていた、と判断してのことだろう。
5.運命の日、6月7日。この頃のカープファンの名言「ヒゲダルマが、火ダルマになった」の言葉どおり、面白いように打ちまくられる。この試合もやはり、フォアボールから崩れている。この日を境に2軍へ再降格。
6.再び1軍に昇格。だが、復帰初試合でまたしてもフォアボールを与え、その時点で代えられてしまってからは、敗戦処理にしか使われなくなった。そのかわり、長いイニングを放らせてもらっている。やはり四死球が絡んでおり、これを無くさないとどうにもならない。逆にいうと、四死球を減らせば、なんとかなるのである。多分。
我々ウルソーファンは、ウルソーの勇姿復活を待ち望んでいる。
四死球を減らす訓練をして、また広島カープに戻ってくることを切に願わん。
球界の至宝・ウルソーは、カープに無くてはならない人材なのだ。