ジミー・ハースト 波瀾万丈

〜 彼の野球人生、その活躍と挫折 〜


 

2003年の広島カープの助っ人外人で、一人気を吐いているのはアンディ・シーツ内野手。

ほとんどのカープファンは彼を好きだろうし、その活躍ぶりに拍手を送っているだろう。
私もそのうちの一人だ。
その反面、それ以外の外人、たとえばハーストとかランドクィストらは、

「使えねえ」

「何しに来たんだ?」

などと言われるし、ファンがそう言うのをよく耳にする。


しかしながら、
助っ人外人とは、必ず打つマシーンでもなければ、必ず完投するマシーンでもない。
彼らも日本人と同じく、人間なのだ。

当然に活躍を期待される彼らも、当然のことながら何度も挫折を味わってきている。
野球のこと、人生のこと、どうでもいいこと。

ここでは、助っ人外人としてやって来たハーストの野球半生での経歴、そして経歴には
つきものの「挫折」を、シロウトの目から、過去データを通して見ていきたいと思います。



1.大学卒業〜下積み生活

ハーストは、1990年スリー・リバーズ大学(日本語に直すとどういう意味なんだろう?)
を卒業。ドラフト12巡目で、シカゴ・ホワイトソックスの附属球団に入団した。

通常、メジャーリーグ>AAA>AA>A>ルーキーリーグ

という序列が、アメリカにはある。
例として、松井が入ったニューヨーク・ヤンキースでいえば、

メジャー  ニューヨーク・ヤンキース 
AAA コロンバス・クリッパーズ 
AA トレントン・サンダー
タンパ・ヤンキース
ミシガン・バトルキャッツ
スタッテンアイランド・ヤンキース 
ルーキー  ガルフコースト・ヤンキース

 

といった具合だ。
余談だが、「ヤンキー」とはアメリカ北部のニューイングランド地方住民のことを指す。
今でいう「不良」という意味ではないそうだ。

さて、彼の出発点はルーキーリーグ。
一番下だ。

翌年、ハーストは「A」ランクの球団に昇格した。
ここで3年間の下積み生活を送り、1995年ハーストはついに「AA」に昇格した。

 

  親  球  団   試合 打率 打数 安打 HR 打点
1991 Chicago WhiteSox

Rookie

36 .256 121 31 0 12
1992 Florida Marlins A 68 .227 220 50 6 35
1993 Arizona Diamondbacks

A

123 .244 464 113 20 79
1994 Chicago WhiteSox A 127 .277 455 126 25 91
1995 Chicago WhiteSox

AA

91 .189 301 57 12 34

 

ちなみに、1994年にハーストが所属していた PrinceWilliam Cannons というチームには、
昔巨人にいたゴンザレスや、イチローのかつてのチームメイトであったマイク・キャメロンも
在籍していたそうです。

そして、この年にハーストは、元巨人のお騒がせ外人ダリル・メイや、中日で活躍した
バンチなどの投手と対戦したことがあるそうです。

地球は狭い。。 (上の図表で、1994年の親球団が不明だったのですが、上の情報と共に
「芝池俊明」さんが提供して下さいました。)



2.さあ、これからだ

1996年、ハーストはAAで126試合に出場し打率.265、ホームラン18本、打点88の
そこそこ優秀な成績を残し、この年の暮れに「AAA」に昇格するのだった。
そのAAAでは3試合に出場し、そのままこの年のシーズンは終わった。

翌1997年は、再び「AA」からのスタートとなったが、5試合で打率.471、2本塁打と
メッタ打ち。「AA」は既に彼の器ではなかったのだ。

すぐさま「AAA」に呼ばれた彼は、110試合に出場し打率.271、ホームラン18本を
記録。

そんな好成績を残した彼を待っていたものは、そう。メジャーリーグ。
デトロイト・タイガースへの昇格であった。

既にシーズンも終わりかけていた頃だったので、彼は13試合に出るにとどまった。
13試合に出たわりにはホームランが1本しか出ず、彼はここでメジャーの厳しさを知った。

翌年は、ボストン・レッドソックスに移籍してシーズンに臨んだ。
だが、この年のハーストはメジャーではなく、「AAA」からのスタートであった。
タイガースで17試合に出て、ホームラン1本、打率.176という低打率を厳しく見られた
のだろう。

というわけで、彼はAAAのポータケット・レッドソックス(通称ポーソックス)で
開幕を迎えることとなった。

気落ちししたであろう彼を迎えてくれたのは、優しいチームメートだった。
このチームには、かつて横浜にいたアルキメデス・ポゾがおり、彼の次の打順を打って
いたのだ。
なんとも世界は狭い。 本当に狭い。

このチームの下部組織AAを見ても当時は、かのウルソーもいたし、同じく元広島の外人
ティム・ヤング(元広島)もいた。
豪華な顔ぶれの中で、ハーストはめきめきと頭角をあらわし、コンスタントに好成績を
残していった。

 

  親  球  団   試合 打率 打数 安打 HR 打点
1996 Chicago WhiteSox AA 126 .265 472

125

18 88

Pittsburgh Pirates

AAA

3

.333 6 2 1 2
1997 Los-Angels Dodgers AA 5 .471 17

8

2 6

Detroit Tigers

AAA

110

.271 377 102 18 58
Detroit Tigers

Major

13 .176 17 3 1 1



3.最初の挫折

さて、この年AAAで103試合出場、打率.286、20ホームランとまたまた凄い成績を上げた
ハースト、翌年はトロント・ブルージェイズに移籍した。

トロント入団後、シーズン前の「オープン戦」では3割を軽く越える高打率をあげたハースト。
ついに再びメジャーへ昇格か!?

と思いきや、なぜかAAAに戻されてしまい、ここで開幕。
彼にとっての初めての(?)挫折、試練であった。

この年は、年間でも29試合にしか出ていない。
ひょっとして、この頃腰痛が出始めたのかもしれない。

 

  親  球  団   試合 打率 打数 安打 HR 打点
1998 Boston RedSox AAA 103 .286 360

103

20 67
1999

Toronto BlueJays

AAA

29

.282 103 29 3 10



4.別の組織に居場所を求めて

この年の暮れ、AAAを解雇されたハースト。
次に選んだ道はAAAでもAAでもなく、なぜか「独立リーグ」であった。

独立リーグは、その名の通りメジャーとかAAAとかAAという団体とは関係のない、
まったく別の野球団体である。
プロゴルファー猿でいうところの、「影のプロゴルファー」といったところか。(笑)

2000年、この独立リーグ、ナシュア・プライドという中途半端な名前のチームに加入。
しかし、ここでアクシデントが起こった。

おそらく腰痛であろうか。
故障で、1年間まるごと棒に振ってしまった。
二度目にして、重大な挫折。

ウルソーが広島カープで八面六臂の大活躍を見せていたころ、ハーストはアメリカで
ひとり怪我と闘っていたのだ。

しかし、神はハーストを見放さなかった。

翌年(2001年)、ハーストはついに開花する。
独立リーグのオールスターに出場するほどの活躍。

年間を通した活躍により、翌年ハーストは「独立リーグでは」一番有名なチームである、
ニューアーク・ベアーズに入団が決まった。
広島カープやダイエーで大活躍したロペスも所属していたので、日本でも少しは名の
知れたチームだ。

そして、ベアーズで迎えた2002年。
この年、ハーストは本格的に牙をむき始めた。
打率.341、35ホームラン、101打点は、独立アトランティック・リーグ史上初の三冠王。
オールスター2年連続出場。
リーグMVP。
シリーズMVP。

タイトルを総なめにした。

 

  親  球  団   試合 打率 打数 安打 HR 打点
2000 Nashua Pride

独立

0

怪我のため、試合出場なし。

2001 Nashua Pride 独立 ?? .292 ?? ?? 15 58
2002 Newark Bears

独立

113 .341 440 150 35 101



5.三度目の挫折

この大活躍に、メジャーリーグのカンザスシティ・ロイヤルズが目をつけた。
この球団は、かつてカープの大野豊(現NHK解説)にも目をつけた球団だ。

この事実に、彼の所属する独立リーグ、ベアーズ球団も諸手をあげて喜んだ。
なにせ自分のチームから、大リーガーが出ようとしているのだ。
組織がまったく別とはいえ、これを喜ばないはずはない。

球団HPのプレス・リリースではこれを取り上げ、彼がロイヤルズの誘いを受けた
ことを大々的に報じた。

1997年、タイガースで果たしたメジャーデビューから6年。
テストを受けて採用されれば、再びメジャーに返り咲くことができるかもしれない。


そして月日は流れ、


今、何の因果か、


ハーストは、広島カープにいる。(笑)

純粋に入団テストに落ちたのか、
態度が悪かったので破門されたのか、
腰痛の持病があるので、それを理由に採用しなかったのか、

理由はわからない。
しかし、ハーストはメジャーへの挑戦を、またしても絶たれることになった。


野球人にとって、メジャーリーグはあこがれの存在である。
アメリカ人にとってはなおさら、そうであろう。
そんな彼がロイヤルズではなく、こんな(笑)日本の地方球団に来る羽目になってしまった
のだ。
彼の落胆ぶりは、半端ではなかっただろう。

そして、自チームからのメジャーリーガー輩出を目論んだ球団も、同様に落胆していた。
球団のプレスリリースでは、ほんの3行程度しか、この事実は載せられていない。

ハーストは、失意のうちに海を渡って、日本へやって来た。

しかし、彼は覚悟を決め、心を入れ替えた。
広島カープのために俺はやると。

3月26日、腹をこわしながらも特打ち練習に参加したハーストは、こう言っている。


 「自分は、カープの優勝に貢献したいんだ」


彼が日本の野球にアジャスト(適応)するのも、もはや時間の問題だ。
そして、彼が日本の野球にアジャストできた時。

道行く人が、誰でもハーストを知っている。
そうなっているはずだ。

 

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