戻る 第三部 第一編 現代世界
概観 全体の構成
【現在の世界】
現代世界の主要な権力体制は、政治的に各国家に分割されている。政治権力 として行財政権、司法権、軍事力を各国家が持っている。国家間の関係はアメ リカ合衆国(USA)を中心に、ヨーロッパ連合をめざすヨーロッパ各国(E U)、再編成過程にあるロシア連邦、社会主義と称する中国が中核をなしてい る。
これを補完してアジアの経済発展の中心となる大韓民国、台湾、香港、シン ガポールのアジア新興工業経済地域(NIES)、NIESに続く東南アジア 諸国連合(ASEAN)、産油国を中心とした中東諸国が相対的に独立した国 家権力機能を持っている。
それぞれの域内での競合、域間での競合があるがアメリカ合衆国が相対的に ぬきんでた地位にある。経済、外交、軍事、文化の面でアメリカが支配的地位 にある。アメリカを中心とした国家権力支配のもとに日本を始め南北アメリカ、 アジア、太平洋、アフリカ、ヨーロッパ周辺諸国の国家権力がある。
アジアに残る「共産主義」国、あるいはかつてのヨーロッパ系の「共産主義」 国の体制を世界史の現実の流れの中で、今日の主要な権力形態とは呼べない。
「共産主義」国は理念と体制、運動が矛盾した体制である。「共産主義」国 は労働者、農民の国と称しながら、権力の行使に労働者、農民がかかわる体制、 運動が組織されていない。現代帝国主義に正当に反対しうる民主主義も、理念 と個々の運動、制度にとどまり、国家権力を目指す主体とはなっていない。
国際連合は国家関係の公式化の機関であって、各国家権力を超える権力でも、 特定の国家権力に従属するものでもない。それぞれの国家間の力関係を反映し、 それぞれの国家権力の相互関係としての世界支配を公認するものである。国際 連合には安全保障理事会、経済社会理事会を始め国際通貨基金(IMF)、国 際労働機関(ILO)、世界保健機構(WHO)等多数の専門機関、補助機関 がある。
国際連合以外にも経済協力開発機構(OECD)、世界銀行、石油輸出国機 構(OPEC)、北大西洋条約機構(NATO)、先進国首脳会議、非同盟諸 国会議、国際自由労連等様々な分野の国際組織が国家権力支配を補完している。
地域開発のための政策作りでは中小の国家の数による影響力が反映されるが、 援助国の独占資本との利益調整が図られる。他方では子供の権利条約のように 先進的な条約を提起することもできる。
【世界支配】
世界の経済を支配しているのはアメリカ、ヨーロッパ、日本の多国籍企業で ある。多国籍企業は多数の国に属しているのではない。国境を越えて資本の拡 大再生産を効率的に展開している。国内市場の独占にとどまらず、国際市場の 独占的支配をめざしている。世界各地に分散し、それぞれに集中した独占資本 主義生産、集中した国際資金運用、原材料資源と消費市場の国際的支配、軍事 力に補完された政治支配、資本主義消費文化による歴史的、民族的文化の破壊 を特徴としている。
今日の権力支配は一国の枠内にとどまらず国際的であり、全世界的である。 しかも一つの権力によって独占されているのでもなく、政治、経済、軍事、文 化等における支配の様相は単純に重ね合わせることはできない。
現代帝国主義は経済、社会、文化、人間生活すべてにに関わる権力、政策、 制度、運用、執行として現れる。
こうした現象にとどまらず、現代帝国主義、現代帝国主義体制、資本、資本 家、労働者、権力の行使者といった概念を定義されねばならない。
【次の時代】
交通、通信の世界的発達は資本の運動を地域的に制限しない。確立された生 産技術によって、資本は低賃金労働者を求めて世界的に移動する。利益を実現 できる政治的、経済的、文化的環境さえあれば、資本は世界的に移動する。新 しく環境が整う地域は労働者の生活水準が低く、賃金水準が低い。さらに労働 者保護、社会保障の不備が生活水準を押し下げている。
資本の移動は先進資本主義国内の生産を空洞化し、高賃金労働者は排除され る。先進資本主義国に残されるのは、技術的に普遍化されていない生産部門、 技術開発部門、収奪した価値の浪費部門である。
現代帝国主義が人類の歴史の最終到達点ではない。生産力、環境保護、人口 爆発、民族紛争、エネルギー危機、核兵器管理、文化的退廃等で明らかなよう に、権力構造を根本的に変革しなくては人類は存続はできない。今日を「帝国 主義」とよぶまいが、解決の方向を「社会主義」「共産主義」とよぶまいが、 「工業化以後の社会」「高度情報化社会」とよぼうが、新しい歴史的段階へ進 むことが要求されている。
歴史的に一般に合意されている価値は「自由」と「民主主義」である。単な る理念ではなく、現実に、すべての地域、分野で「自由」と「民主主義」が発 展し続ける社会を実現すべき歴史的段階にある。
【財の生産】
人間が必要とし、求める物は昔から変わっていない。紀元前の昔からの遺物 に見られる人間が作り出してきた物の完成度と比べそれほど変わっていない。 素材が変わり、方法が変わってきただけで、求める機能に変わりはない。特に 芸術に関わる質に時代の差はない。ただし、それらの遺物を作り出した生産力 は、多数の人々の生活向上を実現できなかった。社会的生産を支えてきた圧倒 的多数の人々は生産のためにだけ生き、自然や支配者の気まぐれに生きること すら左右された。
産業革命以降の生産力の発展は、人類社会の基本的財の生産技術を実現した。 今日、衣食住と社会活動に必要な財の生産と再生産の技術はすでにある。
工場制機械生産は分業と協業の機械化から発展し、部品の規格化と組立の連 続作業化を実現した。工場制機械生産は単品種大量生産技術である。さらに情 報技術による生産管理によって、また消費市場拡大のために多品種少量生産へ 発展している。多品種少量生産の品質管理のため、労働者の労働に対する動機 づけのために、担当者の一貫作業が流れ作業に代わって導入される動きもある。
科学技術の発展は生産物の機能自体を高度化し、高機能材を開発している。 大量に生産するための技術開発ではない。高機能財は新素材の開発・発見、複 合化、物理・化学・生物利用の加工技術である。耐熱、耐圧、耐候、耐化学変 化等の物質が開発される。より微細に、より大きくと規模の拡張が行われてい る。高機能財はさらに多用途化、汎用化に向かう。
しかし、資本主義生産様式が実現した今日の技術は、圧倒的多数の人々の生 活向上を目的としてはいない。我々を含む、地上の極一部の生活水準を実現し ているにすぎない。
【資本主義的生産様式の拡大】
経済の過程における資本の集中、蓄積は必然的過程である。集中、蓄積され る資本とは経済学の概念であり、抽象物である。資本は物としては資金、生産 手段である。この資本を所有し、運用するのが資本家である。この資本家と経 済の過程で本質的に対立するのが労働者である。
資本は量的に集中、蓄積されて独占体になるだけでなく、工業、商業、金融 を統合して独占体になる。農林水産業、サービス業、教育、社会福祉の分野ま で、社会的物質代謝のすべての活動を資本制生産様式化し、支配する。
労働者階級内では階層分化と、労働者階級の拡大が進む。労働が質的に分化 される。直接生産労働、生産管理労働、流通部門労働、生産・技術開発労働と 分化する。農林水産分野も工業技術が利用され、資本が支配するようになる。 農林水産業従事者は減少する。
資本家は資本を運用するため管理を企業経営者に委ねる。資本家は生産活動 には直接関わらず資本の運用を専らの活動分野とする。軍事力までも使う国家 権力を利用した市場拡大、国家資金を利用した市場支配、利権の争奪と分配を 資本家は行う。
【資本と生活の対立】
資本は利潤を追求する。利潤獲得の競争の中で資本は運動し、蓄積し、独占 をめざす。利潤を最大限に獲得しようとしない資本は、競争に敗れ他の資本に 吸収される。資本のこの競争的運動によって、我々の生活が実現されている。 我々はこの資本の運動を実現することによってしか、生活手段を手に入れるこ とができないでいる。資本にとって生活手段の生産は、付随的結果でしかない。 利潤の追求と生活手段の供給は、まったく別の価値体系である。
この対立をめぐって人々の立場が分かれる。「資本主義的生産があるから生 活できるのだ」とするまったくの資本主義者。「利潤の追求と生活向上は調和 が可能である」とする修正資本主義者。「生活向上のためには資本主義的所有 を廃止しなくてはならない」とする社会主義者。判定は現実の場で行われる。
高度に発達した生産力がありながら、低開発地域への技術移転、生産力移転 ができないで、自然・環境破壊を押し進め、余剰農産物を焼却しながら飢餓地 帯を作り出しているのが現実の場である。
利潤追求は資本の限りない蓄積をめざしている。技術・生産力は資本投資に よって実現される。資本は集中することとして運動し、存在している。
現実に資本が中東に流れ込んだり、東アジアに流れ込むのはアメリカ、ヨー ロッパ、日本から移転しているのではない。多国籍企業の資本支配が拡張して いるのであって、その地域の経済、生活を向上させるためではない。世界で最 も生産力を必要としている西アジア、アフリカ、南アメリカはまだ放置されて いる。
資本は地域格差を無くするのではなく、地域格差を利用して利潤を追求する。 低賃金労働力を利用し、環境保護規制のない地域を利用して特別利潤を手にす る。公害被害を告発することが、生産力発展を否定する反社会的活動として弾 圧される社会へ、多国籍企業は公害を輸出する。
資本主義国内の資本家と労働者の対立を超えて、資本の利益と人類の圧倒的 多数の生活保障の対立が現実の問題である。社会的、自然的地球環境の本質的、 深刻な問題である。
【資本市場】
生産手段と労働力を購入し、商品を生産・販売して、この過程によって蓄積 していく社会的価値が資本であった。資本は単なる支払い手段としての資金で はなく、生産過程で社会的価値を生産し、剰余価値を搾取する社会的存在であ る。資本は金銭、生産手段・労働力、生産物、商品として現実の存在形態を次 々と変えて自己増殖運動する社会的価値である。商品・金融市場の発達は、資 本自体を商品化した。利潤の配分権を株式として商品化した。資本自体は分割 されないが、利潤の配分権として分割され、取引される。
資本はその社会的存在を株式会社として表すようになった。株式会社の他に 合資会社、合名会社、個人企業が存在するが、利潤の配分の権利と責任の違い による区分である。株式会社が資本の社会的存在としての一般的組織である。
株式の売買は証券取引所を公開の市場として売買される。資本を株式として 公開することによって、資本は利払い義務をともなわない資金を集めることが できる。公開された株式は、労働者でも購入することができる。株式を購入す れば労働者であっても株主になって、利潤を配当として受け取ることができる。 しかしこれによって資本家になるのではない。これだけでは単に利潤の配分を 受け取るだけであり、株主総会での資本の意志決定を左右することも、経営権 を行使することもできない。
株式の価格は配当率によってだけ決まるのではない。資本蓄積の増大率、成 長率から推測される将来資産に対する期待によって株価は決まる。株価は資本 の現在の社会的価値とは関わりなく、将来の思惑で決まる。株価の上下変動の 可能性自体が株価を変動させる。実際の資本の価値に関わらず、価格上昇によ る差額を求めて投機がおこなわれる。
【社会資本】
資本主義社会における社会的価値は資本としてだけではなく、公的部門にも 集積される。交通、通信等は生産手段にもなるが生活手段でもある。交通、通 信等の公的部門の施設、設備は社会資本として集積される。株式会社等の剰余 価値に対する税金として、資本家を含め労働者からの税金として社会資本は集 積される。
社会資本に雇用される労働者搾取は、私的資本と同様におこなわれる。しか し基本的に、社会資本は剰余価値生産を直接の目的にはしない。
社会資本は生産基盤整備を第1の目的にしている。また、私的資本活動によ る社会的物質代謝の歪み公害対策、水資源対策、エネルギー供給、廃水処理、 交通整備、都市再開発等を第2の目的にしている。社会資本による生活基盤整 備はよほどの住民運動がなくては実現しない。
【公的資金】
公的資金は税金と公的貯蓄からなる。公的機関に預けられた預貯金、年金な どが公的貯蓄である。
景気変動による経済破綻を防ぎ、需要づくり、設備更新条件づくりに公的資 金が使われるようになってきた。景気調整と補助を目的に公的資金が運用され る。公的資金は貸出金利の設定、貸出枠等の条件の設定によって景気調整に用 いられる。補助金は私企業の救済、危険負担の大きい開発事業に用いられる。 企業減税は補助金と同じである。
公的資金は官僚によって管理されている。公的資金は高級官僚、政治家、企 業によって合法的にも、非合法的にも横領される。公的資金の支出だけではな く、税制と一体となって公的収奪制度になっている。その見返りに高級官僚は 天下り、政治家は政治資金と票を受け取る。
【保険、信用取引】
企業、個人それぞれに予測のつかない危険に対する保障として、保険制度が 発達してきた。
個人の場合、構成員がすべて事故に合い、病気にかかることはない。すべて の事象に直接的相互扶助で救済することはできない。保険金を掛けることによ って、社会的に個々の危険に対応することができる。預けられた保険金は投資 される。
資本の回転を効率化するために信用制度が発達してきた。剰余価値の蓄積が 新規投資規模にまでまとまるまで待つのではなく、生産継続による蓄積を見計 らって資金を融資する。担保は設定するものの信用により資金が取引される。
金融取引の発達は危険負担をも取引対象とするまでに発達してきている。保 険、信用の危険負担は統計学を発達させた。統計学の発達は個々の取引条件の 違いを数量的に把握することを可能にした。情報システムを利用した取引は、 帳簿づけによる取引では不可能な、個々の取引ごとの条件を設定し、管理する ことまでも可能にしている。
【過剰蓄積】
景気循環は過剰生産と過少生産の繰り返しとしてある。景気循環は資本主義 市場内の相対的な生産の過剰と過少の循環である。過剰在庫が処理されれば生 産は回復する。市場が拡大されれば過剰生産は吸収される。しかし今日資本主 義は地球世界を支配している。社会主義を名乗る国であっても資本導入に頼ら ざるをえない。今日剰余価値の過剰蓄積が問題になる。
市場は当面地理的に拡張できない絶対的な限界に達している。市場制限に関 わらず資本蓄積は増大し続けている。剰余価値が十分に蓄積されても投資市場 がない。生産を必要とする地域、人口は残されているにもかかわらず、資本が 期待する剰余価値を生産しない地域に投資はされない。井戸を掘り、潅漑をし、 自然環境を保護するためには投資されない。識字教育をし、医療を普及するた めには資本投資はなされない。
過剰蓄積された資金は信用取引に加速されて、投機を繰り返す。投機は生産 過程も混乱させる。独占企業は内部留保を拡大している。
注9
【経済の到達点】
資本主義的生産様式は社会的物質代謝を急速に拡大した。生産力は地球の自 然環境に影響を与えるまでに大きくなり、人口増加は制御できなくなってきて いる。
発達した資本主義国内では、富めるも者と飢える者への分裂といった対立の 拡大が一方的には進まない。生産力の発達は企業組織を高度化し、比較的高賃 金の管理労働者を大量に必要とする。拡大再生産のためには、労働者の生活水 準を一定程度引き上げ、消費市場を拡大する。一部の国での豊かな生活は、他 の地域からの経済難民を引きつける。経済難民は貧しいだけではなく、中低所 得層の新しい競争者でもある。
国際貿易は特産品、余剰物資の交換といった前時代の貿易と異なり、生産体 系の国際化としての資本輸出を基本にする。国際的分業生産による物流が、国 際貿易の中心になる。政治体制に違いがあっても、一国内での閉じた経済関係 を囲っておくことはできない。
国際比較で賃金水準が上昇しても、生活水準の上昇に一致しない。剰余価値 生産に比較した賃金水準が低いことで、高い国際競争力をえられる。貿易収支 によって決まる為替レートの変動で相対的に貨幣価値が変化する。
賃金の低い国外地域に向かっての資本輸出は、国内の生産を縮小する。
【経済の不均等発展】
経済発展は拡大再生産の過程である。拡大再生産はスクラップ・アンド・ビ ルド、設備の更新の過程である。更新は物質的老朽化に対応するもの、技術的 陳腐化に対応するもの、市場動向に対応するものがある。
経済環境の変化に設備更新が柔軟に対応できはしない。利潤を長期的に見る か、短期的にみるか。労働環境の変化をどの程度受け入れるか。物質的老朽化 と技術的陳腐化との評価で更新時期と利潤計画との調整されて投資計画は立て られる。そして更新計画にも大きな影響を与える財政、税制は政治状況にも左 右される。生産の拡大は連続的には行われない。
相対的に過剰蓄積された資本は、新たな投資市場へ向かう。資源環境、生産 環境の変化は新規開発、科学技術の発展によっても経済地勢を変化させる。新 しい市場は新しい生産技術によって効率的な生産を実現する。資本は低賃金を 利用して特別剰余価値を手にする。
産業の発展は経済社会を大きく変貌させる。農林漁業から工業生産へ、サー ビス産業への移行が起こった。結果は農村と都市部の関係を変化させた。消費 財産業、設備産業、サービス産業、情報産業の興隆が現れた。経済は国内でも、 国際的にも不均等に発展する。オランダ、スペイン、イギリス、アメリカによ る世界支配の変遷が世界史に現れ、東アジア、東南アジアが今注目を集めてい る。
【労働の多様化】
資本主義の工場制機械生産は熟練労働を特殊なものにする。個々の労働は部 分に分割され、均質の作業が求められる。機械による大量生産は基本的に熟練 も、筋力も必要としなくなった。
生産技術の発展による労働の質の細分化が進行している。生産技術そのもの と、生産管理技術に対応して労働形態は多様化している。生産・加工過程に対 応した水平方向の労働の多様化がある。生産管理労働、開発労働の高度化に対 応した垂直方向の労働の多様化がある。
生産労働は自然物を社会的物質代謝への取り込みの過程として定義するだけ では、現代の労働を捉えきれない。現代の社会的物質代謝は、自然物の社会的 物質代謝への取り込みとしての直接的生産労働に限られないばかりか、社会的 物質代謝の制御労働の割合ががより大きくなる。
価値生産労働だけでは使用に耐えない不良品生産や大量生産を制御できず、 価値そのものが最終的に実現できない。流通過程で生産物が腐朽しては、次の 生産過程に継続しない。陳腐化する生産設備、生産技術を更新し発達させるた めには研究、技術開発が不可欠である。発達する生産技術に対応する労働者の 教育も必要である。社会的物質代謝の自然環境への適合を維持するには、環境 と社会活動全般にわたる監視と、対策が不可欠である。
労働が多様化しても、すべての「労働」が社会的に必要ではない。経済に関 わるものであっても、契約の為の接待、余剰生産物の購入をあおるための市場 操作等はなくても社会的生産に影響はない。
【労働能力の開発】
識字、計算能力、組織的訓練が労働者に必要である。資本主義社会になって 学校教育が普及し、義務教育制度が作られた。学校制度として社会的教育が実 現した。資本主義的生産の発達は大量の管理労働を必要とし、高学歴の労働者 を必要とする。労働者間の格差は労働者の学歴競争を激しくする。
個々の労働者の労働能力の開発が、学校教育とは別に必要になる。生産技術 の発達に対応するためには、一生涯同じ作業によって労働することはできない。 自らの社会的地位を上げるためには、労働能力の再開発が必要とされる。
労働者の生涯教育は社会問題にまでなっている。今日の日本の生涯教育は、 教育自体によって豊かな生活を実現するためではない。教育によって労働力の 格付けを引き上げ、より高い賃金によって生活を豊かにしようとするものであ る。労働者の人間としての向上ではなく、生産のための能力向上である。にも かかわらず、再教育の費用、時間等の負担は個々の労働者が負わされている。
個々の労働者の労働能力開発は技術、知識の付与だけではない。個々の労働 技能=スキルの蓄積であり、対応能力=キャパシティの拡張である。汎用技術 についての熟練、多能工化が求められる。職種を超えた配置異動、複数地域へ の転勤が行われる。労働者の条件、家庭事情に関わりなく、労働者の配置移動 が行われる。単身赴任が当然のこととされ、対応できない女性や、家族に病傷 者がいる者は一人前とみなされない。
【労働の疎外】
資本主義生産における労働疎外には、階級社会一般の労働の疎外と資本主義 生産固有の疎外がある。労働の過程が疎外されることによって、さらに労働す ることが労働を搾取する体制そのものを再生産することとして疎外される。階 級社会にあって労働は二重に疎外されている。
労働は生活の手段であり、生活そのものであったが、階級社会では労働は搾 取の対象である。どの階級社会の歴史段階にあっても、社会の基本的生産関係 での労働は他人に支配された労働であり、他人のための労働である。剰余労働 は労働するものの所有にはならない。
生活の一部である労働が、直接生産者の生活ではなくなっている。労働の成 果物が直接生産者の物ではなくなっている。
資本主義での労働は生活手段を手に入れるための負担、犠牲になっている。 労働が労働する者にとって、生きることの直接の意味を持たない。さらに、社 会的な評価、勤務評定も労働の価値から疎外される。
生産の工業化、商品生産の発達は労働を細分化する。工程ごとに労働は作業 として規格化され、いわば水平的に細分化される。品質管理、運用管理、技術 開発、運営管理として労働は体系化され、いわば垂直的に細分化される。細分 化された工程を担当する労働者は自らの労働の意味をとらえることができない。 最終生産物の形態も、その社会的価値、社会的位置づけもその直接生産者には 理解できなくなる。
労働そのものの形態が部分的であり、知的労働と肉体労働のかい離にとどま らず、生理的に局所化した労働形態になる。腰痛、肩こり、視力低下など肉体 的に偏った作業形態の結果である。
機械制大工業を基礎とした労働の疎外であり、「社会主義」国でも同様な状 況になりうるが、資本主義段階に至って現れた労働の疎外である。
帝国主義段階の国際競争下では、国内通貨の為替レートが高くなると国際商 品に対して国内賃金が割高になる。人手間のかかる労働は、高付加価値の特殊 な部門を除いて排除される。人減らしが競争の主要手段になる。人減らしが目 標になる。人が労働することが悪になる。人材は省みられない。
【労務管理】
資本主義的労務管理の基本は剰余価値搾取、経済秩序維持、労働者の労働協 動・調整を支配することを目的としている。
剰余価値搾取は、資本主義的労務管理の最も根源的な目的である。労働時間 を延長し、労働強度を高める中に労働者を縛りつける。価値を直接的に搾取す るためには賃金の不払いまでが行われる。労働基本権の保障があるとされてい ても、サービス残業が現実に行われている。こうした搾取を実現するための労 務管理が発達してきた。
企業内では職階制と身分格差がある。身分格差は本雇用、下請け、臨時雇用、 季節雇用、時間雇用等としてある。
労働者を格差づけし、労働結果によって査定する。
労働支配に従わない者に対しては権利の剥奪、嫌がらせ、差別、暴力の行使 がおこなわれる。
労働者の権利を擁護する者に対しては抑圧、分断、国家権力を利用しての弾 圧が行われる。労働者組織に対しては組織分裂、役員の買収、組織運営の妨害、 御用組織の擁立等がおこなわれる。
経済秩序維持のための労務管理は労働者の組織化である。労働者を小さなグ ループに分割し、グループ内での連帯責任、責任の追求を強要し、グループ間 の競争を通じて支配を強めることである。グループには生産性向上を活動の目 標として与え、日常的運動にする。提案、改善の成果に対しては報奨する。労 働者の意識をグループ内に封じ込め、個人主義を徹底させる。グループから落 ちこぼれる者、収まりきれない者は排除する。
秩序維持のためには利用できる手段はなんでも使われる。個人生活の通信の 秘密すら破る監視、職場サークルの組織、血縁関係、便宜供与の貸し借り、既 成・新興宗教だけでなく、企業活動自体を価値創造の絶対者として祭り上げる ことすらする。最も有効な支配として価値観が支配される。雇用され、賃金の 範囲内で生きること、病気になるぎりぎりまで働くことで充足を感じられるよ う制御できれば支配は完璧である。共産主義者、社会主義者、民主的自由主義 者を分断、差別し、これらへの攻撃を踏み絵とする。
単純化し、競争を激化し、強要された労働は様々な労働災害、職業病、精神 障害等、労働者の生理までむしばみ、過労死にまでいたる。会社内には憲法が 通用しないことを公言してはばからない。
労務管理は社会生活にまで拡張される。労働者は産業資本の生成期には、労 働力の売り手としては自由であったが、資本主義の発達は労働者の資本への従 属を強める。仕事への問題意識、生きがいまでもが管理される。個人生活は表 面的には多様化されるが、基本的には画一化され、方向付けられる。
労働者間の協動・調整のための労務管理は資本主義に限らず社会的生産に不 可欠である。生産力の高度な発達は、より高度な労務管理を必要とする。労働 者の組織的訓練は、職場内の労務管理をおこなう能力としても重要である。
労働者それぞれの互いの能力の評価。評価に基づく作業の協力体制の組織化。 こうした労務管理は、労働能力の一部として労働者が身につけなくてはならな い。
労働運動だけでなく、社会を革新しようとする者は、その職務を責任を持っ て果たさなくてはならない。より高い地位につき、リーダーシップもって働き、 仲間の支持を得なくてはならない。
【労働運動】
労働運動の基本は資本に対する労働力の担い手の数としての力である。資本 は労働者を雇い入れなくては生産ができず、労働者は資本家に対して圧倒的多 数を構成する。資本主義初期の労働者は労働力以外に売る者を持たない無(財) 産者であった。
労働者は生活のために労働し、職を得るために生活のすべてを賭けなくては ならなかった。生命の他に失う物を持たない労働者は、他の階級より戦闘的で ありえた。
労働者は工場で時間に管理され、作業の質を問題にされ、協調することを強 制されて組織的訓練を受けた。共同作業のための文書を媒体としたコミュニケ ーションの訓練も受けた。労働者は通信、集会等の一般的な社会活動手段を利 用することができる。
労働者は資本主義の普遍化に伴って、社会変革の普遍的な担い手の地位につ き、主体的力量を蓄えることができる。
労働本来の対象の変革、自己実現過程にたずさわり、資本主義社会の基本的 対立関係の当事者として、その人間関係に基づく文化を創造しえる。資本主義 文化の一部分でありながら、創造的、変革的文化を創造しえる。文化を現実の 社会運動として創造しえる。
【労働組合】
資本の本源的蓄積過程での労働者の生理的限界をも超えた搾取に対してのサ ボタージュ、機械導入による解雇に対する機械打ち壊し等の自然発生的労働者 の運動が発展し、恒常的な運動組織として労働組合を組織してきた。
労働組合は労働条件、雇用条件をめぐる闘いから出発した。労働組合は経済 要求に基づいて組織される。経済要求を実現し、実効を保障するためには制度 化を必要とし、政治要求へと発展する。労働時間の社会的規制、最低賃金制、 社会保障は政治的に解決されなくてはならない。個別の労働組合と資本家の間 での契約では解決できない。個別契約では契約を結ばない他企業との競争に破 れてしまうから。
経済要求を実現するために自らの社会的立場を政治的にも追求する。経済要 求、政治要求を統一的に追求し、将来を見通すためには思想的にも資本家から 自立しなくてはならない。労働組合は経済闘争、政治闘争、思想闘争を基礎と して闘うようになる。
労働運動が社会的に、政治的に自立するようになり、資本の活動が世界的に 拡大すると共に、労働運動も世界的になり、世界組織を組織するまでに発展す る。帝国主義戦争に兵士として徴兵され、家族を犠牲にして得るもののない労 働者は、戦争に反対することによってしか自らを守り、生活を守ることができ ない。世界の労働者は団結して世界平和を実現するために、他の人々と共に闘 った。
労働運動はより多数の労働者、より広範な労働者の組織化によって社会的力 を強める。労働組合の組織率、企業、産業、国家を超えた労働組合の組織形態 が労働運動の力量を示している。労働運動は闘いであり、資本家との力関係は 一方的なものではなく、前進も後退もある。それでも労働運動は組織、制度、 手段、経験を蓄積してきている。
今日の到達点として労働運動は、社会的主体として自らを成長させることを 意識的に追求するまでになっている。各産業分野ごとの研究集会を組織し、交 流している。単なる抵抗運動でも、自衛運動でもなく、社会発展の主体として の準備を始めている。
【労働貴族・労働官僚】
労働者の代表として労働組合、政党の役員として労働者とかけ離れた生活を 手に入れる労働貴族がいる。だからといって労働運動のすべてが売り渡されて はいない。
労働者の共同作業にはリーダーシップを取る者が必要であるが、労働者の資 本への従属を補完し、実際の支配を引き受ける末端職制としての労働官僚が大 量に配置される。日常的に労働者と関わり、生活上、思想上の影響力は大きい。
労働官僚の組織人としての能力は、労働者の共同のために生かされるべきで ある。労働官僚の増大はその職務に比較して、待遇を引き下げざるをえなくな る。資本の側と労働者の側に挟まれ動揺する。過労死するのも彼らである。
【近代市民社会の政治的成果】
近代市民社会の成果は資本主義の到達点である。自由、平等が社会的基本原 理として認めらるようになった。
法治主義が社会関係の規範として認められ、政治制度が社会的意志決定方法 として制度化された。
【市民社会の政治的発展】
基本的人権が資本主義社会内の社会的運動によって実質化されてきた。基本 的人権自体が自由権だけではなく、参政権、社会権として拡張されてきている。 法治主義も形式的概念から、法執行の実質を求めるものへと発展してきている。
民主主義が理念として、運動として、制度として発達してきた。形式的民主 主義から、実質的に、より日常的社会関係にまで民主主義の理念は拡張されて きている。多様な課題を掲げた社会運動が組織され、社会の運動そのものが民 主化されてきている。歴史的に選挙権の制限の緩和が行われてきた等、民主主 義も完成されたものとしてではなく歴史的に発展してきている。
労働基本権が認められ、資本の専制支配に対する社会的規制が可能になった。 労働時間が社会的に制限され、労働安全に関する責任が明らかにされてきてい る。雇用契約により、労働者の生活の実質的保障が図られてきている。これら を実質化するために、労働者の団結権、団体交渉権、争議権が認められている。
市民社会の政治的成果は、ブルジョワ民主主義として捨て去られるべきもの ではなく、継承・発展されるべきものである。
【公的サービスの拡大】
国内治安、経済秩序維持、対外軍事力としての近代市民国家が経済発展に伴 い、経済での役割を拡大し、生活保障を担うようにもなってきた。
遅れた資本主義国では、国家権力を利用した資本の本源的蓄積が行われた。 資本の集積・集中に応じて生産基盤整備、危険負担の大きな開発事業に公的資 金が使われる。税金、年金等の公的資金は、金融資本を補完する。通貨供給、 国債発行、公定歩合の設定等国家権力の経済への影響力は拡大する。
直接的生産基盤でなくとも、道路、鉄道、通信、電力等の社会基盤、住宅、 上下水道等の生活基盤整備を公的サービスとして行わないと、環境が破壊され る。
他方では労働者階級の保全も公的介入を必要とする。労働者の生活、世代交 代を保証するために労働運動が高揚した。労働運動によって労働時間の制限、 最低賃金制、健康保険、失業保険、年金制度が実現してきた。これらの制度は 国家権力によって、形式的にせよ保障されるようになってきた。実際に、労働 運動の衰退は制度的保障の切り下げにつながるし、制度自体が労働者の賃金か らの直接的負担、税金負担にもよっている。
また、弱者救済も公的サービスとして開始され、自立補助へと発展してきて いる。救貧政策から自立できる環境整備へと理念としては発展してきている。 しかし、景気変動等のしわ寄せが最も影響してはいる。
【市民社会の限界】
経済的地位の格差は実質的平等を保障しない。実際の社会的力の行使は人間 関係の平等を破る。法人、団体の政治資金提供、社会的地位利用、利益誘導に よる選挙運動は自然人の選挙権の平等を犯すものである。主権者は自然人であ るはずなのに、法人の参政権の方が強力である。
主体的に主張しなくては権利は保障されない。社会的弱者は権利を行使する どころか、権利があることすら知らされていない。
本人の責任によらないハンディキャップでも競争社会では考慮されない。資 本主義の競争社会では個人に対する評価が、結果としての経済的価値としてし か評価されない。女性、高齢者、若年者、障害者は壮年男性と対等の労働能力 として実質的に競争できない。
地域的、歴史的慣習としての制約は自動的になくすことができないどころか、 近代化、民主化を妨げる。
【政治の場】
政治対立は単純に資本家対労働者にはならない。また、国政選挙のみが政治 対立の場でもない。政治は公権力をめぐる闘いである。公的制度、公的資金を めぐる利権の奪い合いでもある。資本家同士が争い、企業家が争い、自営業者 が争い、労働者同士すら争う。
政治は利害対立の調整の場でもあり、闘いの場である。闘いの目標が多様で あり、闘いの当事者が多様であり、敵味方の組合せは複雑で、時とともに変化 する。
【市民社会の階級対立】
階級対立は自由、平等、基本的人権などの人類の成果を発展させる立場と、 後退させる立場との対立としても現れてきている。民主主義ですら「行き過ぎ がある」と制限されようとしている。
国家権力を握るのは政治家ではない。政治家は政治制度の運用者であって、 政治の方向づけをするのは、経済を支配する者である。今は、資本家が国家権 力を握っている。
国家権力を握る資本家は政治的に社会の話題になる必要はないし、注目を集 めることはかえって活動を妨げる。国家権力を握る資本家は特定の個人として、 国家権力を行使できるのではない。複数の資本家の利害調整を経て国家権力は 行使される。
【金権腐敗】
公的資金、公共事業は巨大な経済利益をもたらす。
政策、計画の決定に影響力を行使するため、利益配分を受けるため人的、組 織的、資金的癒着が発達する。利益配分を受けるために互いに激しい競争をす るが、利益配分に関わることのできない圧倒的多数の人々に対しては覆い隠さ れる社会関係である。時折社会的事件として摘発されるのは利権者の調整が整 わない場合か、まれな正義感の持ち主が紛れ込むことによる。
国家権力、政治の金権腐敗は資本主義に限ったことではなく、「共産主義」 国でも普遍的なものである。しかし、国家独占資本主義、現代帝国主義の時代 では必然であり、その規模と社会的隠蔽の巧妙さは最高に発達している。
【民族対立・宗教対立】
「被支配者間の対立差別は支配のための道具である」といって済ませられな い。軍事産業の市場として対立による破壊力は増大し、巻き込まれる者の範囲 も拡大している。
【軍事支配】
核兵器を抑止力として保持し、核開発を禁止して核の独占体制による世界支 配が続いている。
しかし、戦争は決してなくならない。地域紛争、戦争は止むことなく継続し ている。軍需産業は戦争によって利益を得、技術開発の必要性を売り込む。
現代の戦争は武器を持った男と男の殺し合いではない。兵器の破壊力は一地 方を消滅させることができる。老若男女を区別することなく殺戮する。
兵器も兵士も消耗品化し、巨額な兵器が大量に消費され、補給を必要として いる。戦場全体への物資、兵員の補給が必要であり、物資の生産と運搬は経済 活動に依存する。兵士の犠牲とともに、社会の動員体制が軍事力を左右する。
注10
ソビエト連邦の崩壊にも関わらず軍縮は進まず、アメリカ軍の世界展開は変 わっていない。社会主義ソビエトの国際的犯罪であった大国主義は、自称社会 主義政権が崩壊した後も変わらずに主張されている。アメリカ軍の世界戦略を 補完するために、日本の自衛隊の海外派兵、ドイツ軍のNATO外への派兵が 行われる。
今日、地球資源が有限であることは一般的認識になってきている。今日の経 済活動の規模の拡大、資源の利用技術の発達により、利用可能な地球資源の限 りが計算できるようになってきている。数量的に計算できる限界は当然にある。 技術的に利用できる限界は拡大してはきたが、やはり物理的限界が見えてきて いる。わずかに太陽エネルギーが継続的に利用し続けることのできる資源であ るが、地球の温暖化の壁がある。地球外に資源を求めなくてはならない時代に なりつつある。
これからの資源を利用するには、高度の技術と、多量の資金が必要である。 それを今日掌握しているのは資本である。資本の支配を逃れて、自給自足の生 活を実現するには文化的生活を放棄しなくてはならない。
【産業資源】
工業原料はいうに及ばず、農業に必要な土地、種子、肥料、耕作機械はすで に資本の支配下にある。地域的な自給自足経済は可能ではあるが、世界の農産 物市場では貿易保護政策をとらない限り農業は成り立たない。資本主義が世界 に拡大した際に、植民地の農業を小品種の商品作物化し、自立的経済発展の道 を閉ざしたままにしているだけでなく、不稔の多収量品種によって確実に資本 支配を強化している。農業資本支配の及ばない地域では、焼き畑農業によって 熱帯雨林を破壊し、砂漠を拡大している。資本の支配によって、支配されない ことによって地球環境が破壊されている。
漁業資源も水域を分割し、漁業技術、養殖技術を基礎に資本が支配している。
【エネルギー資源】
生産活動に必要なエネルギー資源は石油、天然ガス、核燃料である。石油、 天然ガスの支配はメジャーが握っている。石油ショック以降、中東の産油国が 資源主権を主張し、価格決定権を握ったかに見えるが、決して石油資源を自国 の健全な経済発展に利用できていない。一部特権階級の浪費、あるいは国民の 生活自体の買収に使われ、石油収入以外で将来的に経済経営を持続する体制作 りが行われていない。単に石油取引に組み込まれた中で発言権が認められ、政 治的に主権を誇示し、メジャーの利権、金融、採掘・輸送・加工技術の支配か ら一般の目を反らしているに過ぎない。産油国の国際金融市場での話題も、石 油メジャー資本にまでは及ばない。産油国の石油価格決定権も産油国だけで決 めれれはしないし、産油国間が分断され、決定権すら弱まってきている。
石油関連技術も、独占的に支配されているだけでなく、他の産業技術のよう に公開されていない。
その他の太陽をはじめ、風力、水力等は普遍的なエネルギー源として利用可 能であるが、産業エネルギーとして利用するには、それなりの工業技術が必要 である。
【公害】
化学工業の発達は有害物質も生産する。
工場制機械生産の発達は大量のエネルギー消費を必要とし、資源の乱開発や、 地球の熱環境の急激な変化をもたらしている。身近な公害としては、工場、自 動車等からの排気ガスが空気を汚し、人間の病気を始め酸性雨となって広範囲 な植生に被害を与えている。
公害を防止することは直接的に資本の利益に反するが、放置したのでは被害 はますます深刻になる。自然の物質循環と調和させ、有効な再利用法を開発す ることによって技術的な解決も一定程度可能である。
しかし、公害問題は技術問題ではなく社会問題である。反公害運動が無くし て、直接的利益追求を押さえて対策を立てさせることはできない。このことで は資本主義も「社会主義」も同じ事である。
また、公害を追求とすること自体が社会問題である。公害の端緒において被 害は地域的に隠蔽された。風土病である等として、さらにそのことによる人々 の差別を生むことによって。公害が社会問題として認知されてからも、産業発 展との調和問題として解決が妨げられる。公害の追求は産業、地域発展の妨害 者として排除され、抑圧される。
現代帝国主義の時代にあっては、公害は輸出され、被害だけでなく社会問題 としても世界的に拡張れている。
【食糧】
食糧生産の工業化は大量生産を可能にしたが、そのために食品添加物を必要 としている。大量の生産は人工的環境での管理された生産によって実現される。
人工的環境での食糧生産は、自然の物質循環の人間による管理であるが、人 間の科学技術は自然を完全に制御できるほどには発達していない。病気を防ぎ、 成長を早めるために化学肥料、化学薬品が大量に使用され、食品に混入する。 公害ではないが、人工的環境での生産は食品の味を変化させている。
大量に生産した物は大量に販売されなくてはならず、消費されるまで保存さ れなくてはならない。大量販売のためには見た目を重視し形、色つや、質感を 良くするための処理が施される。食品保存のために、多様な食品添加物が使用 されている。
【情報技術の発展】
産業発展と相補的な科学技術の発展は大量の、複雑な計算処理を必要とした。 工場制機械生産による大量生産、大量販売は管理情報の管理を必要とした。ま た市場確保のための戦争は兵器制御と通信技術を発達させた。暗号通信は情報 論理と情報通信理論を発達させ、膨大な作業を必要とする弾道計算は電子計算 機を実現した。
電子計算機は大量データの一括処理をめざす開発と、人間の知的能力を拡張 するための開発に大きく二分され、時には対立的ですらあった。
大量データの一括処理は技術の量的発達によって歴史的に早い成果をもたら し、早い限界に達した。基本的にこれまでの情報処理を電子的に実現したにす ぎない。より大量に、より早く情報処理をすることができるようになった。単 純な処理を繰り返すことが、単純な処理を組み合わせることによって複雑な処 理にも対応することが、大量一括処理の方法である。情報処理機器の飛躍的発 展により大量一括処理は急速に発達したが、それ以上に計算要求が拡大し限界 が明らかになった。計算量は対象をより細かく捉えることによって幾何級数的 に増大する。より複雑な処理に対応する処理を記述するプログラムも同様に複 雑化し、正しいかどうかを検証することすらできなくなる。
大量一括処理に対して、並列分散処理がダウンサイジングとして発達してき た。1台の情報機器に複数の演算装置を備える並列処理機とその利用の仕方が 開発された。計算、通信機器の極小化技術によって情報機器の能力が飛躍的に 高まり、価格が暴落的に低下したことにより可能になった。特に通信と情報処 理の一体化はネットワーク利用を普及した。組織された権限の担当者がそれぞ れに占有できるコンピュータによって、共同して情報処理をすることができる。 さらにそれぞれの情報の発生源で交換可能なデータ形式に加工することにより、 利用される情報の現実との対応関係が保証されるようになる。それぞれの利用 者が、操作の専従者を介することなく、本人の責任で情報を発信できる。
【知的能力の拡張】
当初パーソナルコンピュータは「おもちゃ」と馬鹿にされた。しかし、それ を構想し、開発した人々は知的能力の拡張を夢見、実現した。記憶、検索、推 論能力を拡張する。大量、複雑な知識を場所時間に制限されることなく、誰で もが利用できる可能性を作り出した。
知的能力の拡張のための開発は、多面的な基礎技術の開発を必要とした。単 純には個人が利用できるように、情報機器が小型化し安価になることである。 しかし実際に重要なことは、情報の蓄積と情報の利用のしやすさである。
情報を一人一人がそれぞれに蓄積するには、重複しためんどうな作業をする ことになる。それぞれの情報を交換することによって情報の有効利用が可能に なる。そのためには交換可能な情報の形の統一と、情報の共有と交換のための 機器と設備と制度が整わなくてはならない。
情報利用を容易にするには人間が必要とする形で、操作しやすくなくてはな らない。人間は第一に視覚情報を使っている。情報の整理にはことばによる文 章を使っている。その他に音も利用する。これら情報媒体の違いを一元的に取 り扱うことが情報処理を容易にする基本である。
また、人間と情報機器の間での情報交換方法も重要である。文章、画像を一 元的に表示できる表示装置(ビットマップ・ディスプレイ)。表示対象の意味、 関連を理解しやすくする枠組みや象徴(ウインドウ、アイコン、ボタン、スク ロール・バー)。人間の要求を情報機器に通知するための入力機器も一方的な タイプライターから、編集機能を備えたソフトウエア(エディタ、ワードプロ セッサ)、位置と内容を同時に通知するポインティング・デバイス(マウス、 トラック・ボール、ジョイスティック等)が開発された。こうした入出力機器 は情報機器と人間との双方向の情報交換(マン・マシン・インターフェース) を容易にする。
健常者だけでなく、障害者のハンディキャップを補う手段として非常に有効 である。
【情報媒体の一元化】
情報機器の発達だけでなく、扱う情報そのものの問題がある。
通常、情報システムではプログラムを含むすべての情報をデータとして扱い、 2値の信号の組み合わせ集合として表す。ディジタル信号である。文章、画像、 音を同一のディジタル信号にする。データ、処理、操作方法を一元的に扱うこ とができる。
さらに重要なことは、一定のまとまった情報、あるいは概念を名付けし、記 号あるいは絵文字(アイコン)として表現できる。抽象的情報、あるいは概念 を具体的対象・シンボルとして実際に見て動かすことができる。他との関係を 関数としてプログラムしておけば、シンボルを操作することでシミュレーショ ンをおこなうことができる。
情報の一元化は情報の蓄積、検索に有効である。通信回線でつながっていれ ば世界中のどこの情報でも関連を定義することで、そのシンボルを操作するこ とで蓄積され、更新されている最新の情報を読み、見、聴くことができる。一 編の文書の中でも、当然に概念間の関連を定義し、たどることができる。
注11
【ブラック・ボックス化】
プログラムは処理手順だけではなく、処理方法も規定する。プログラムによ って規則や作業手順をシステム化することができる。操作者は必要なデータを 求められるままに入力するだけで結果を出すことができる。手作業で情報処理 をしていた時は、規則や手順を理解し、途中の結果を評価しなくてはならなか った。目的を理解し、作業が目的にかなっているかを確かめながら作業するこ とができた。情報処理がシステム化することによってシステムに要求されるデ ータの意味すら理解する必要はなくなる。処理目的、処理条件、処理内容、処 理手順を操作担当者は理解できなくなる。システムの入口と出口しか理解でき ない、内容のわからぬブラック・ボックスになる。
理解できないだけでなく、環境、条件が変化した場合、システムを変更しな くてはならないが、それが不可能になる。入出力の内容や方法をわずかに変更 するだけでも、作業能率が向上し、情報内容を豊かにすることができる場合で も、システムの変更ができなくなる場合がでてくる。さらに、システムの変更 ができないことを理由に、現実の要求が押さえられたり、現実の方を既成のシ ステムに合わせなくてはならなくなる場合がでてくる。
システム化が悪いのではなく、システムの運営が悪いのである。
【プライバシー保護】
プライバシーを守るには、それぞれに個人情報を管理することが必要になる。 処理される情報の種類、目的、方法を明らかにさせる制度と手段が必要になる。
情報処理の発達は情報の収集、保存、加工の容易化である。自動化される情 報収集は多様な、詳細な情報を集積する。集められた情報は処分されなくては いつまでも残される。分散された情報を利用することは非常に困難であるが、 集中される情報は多様な関連づけが可能になる。
注12
【著作権】
印刷技術は商品取引の拡大と共に普及してきた。工場制機械生産には、規格 どおりの生産が必要であり、作業指示書を読み書きする労働者の能力が必要で ある。識字教育の普及は多数の書籍を作り出し、文学を大衆化した。以前は貴 族等のパトロンによって生活を保証されていた芸術家は、資本主義になって作 品を商品として販売することによって生活するようになった。作品の商品とし ての独占的価値を保護するために著作権が認められるようになった。
複写技術の発達は、著作物の商品としての価値を否定する。しかし、ディジ タル化した著作物は、媒体と一体の著作物に比較して質的、量的にあまりにも 容易に複写することができる。
プログラムは他の創造作品と異なり、創作手段、方法のデータ化である。他 の創造作品はそれが完成品であり、次の創作の契機とはなりえても、直接的な 手段方法にはなりえない。プログラムの利用はそれによってさらに一定の創造、 仕事を実現する。プログラムは新たな創造の直接的手段として利用される。に もかかわらず、プログラムは容易に複写され、著作権の保護が困難である。社 会的制度的な著作権保護がなされなくてはならない。
芸術作品はともかく、科学技術は複写されることによってよりよい成果を生 む。これを禁じることは進歩を妨げることになる。しかし、無条件で認めるこ とは著作者の利益を犯し、創造活動を保障できなくなる。
【情報の支配】
情報の収集には大きな負担をともなう。数を数えるにしても、アンケート調 査をするにしても、費用がかかり、技術力がなくてはならない。情報収集のた めの機器、人材が必要である。情報は当事者だけでは情報にならない。情報は 情報を扱う機構の担当者によって、情報媒体に乗せられなくてはならない。多 数の情報収集の担当者を雇うことのできるのは大企業である。
権力は費用と技術を持つだけでなく、情報提供を強制する力としても特別な 地位にある。さらに、情報の流れを制御する力も特別に大きい。
権力の力の大きさを隠すことも情報を支配することによって可能になる。い かにも自由に情報が流通しているかのように演出することができる。
【情報媒体の支配】
情報の生産、流通、蓄積は社会活動のいわば神経系である。個人的情報で個 人の内に閉じ込められている情報は、世紀の新発見であれ、危険思想であれ社 会的に意味はない。個人が秘めたままの情報は、記録された物であれそのまま では情報として機能しない、社会的に価値のないものである。個人的であれ、 情報として社会的に機能するには、社会関係に送り出されなくてはならない。 社会関係として機能するために、情報は情報媒体を必要とし、情報媒体は社会 的に供給される。
情報媒体は情報機器だけではない。情報機器が機能を実現するには、情報を 運ぶ経路がなくてはならない。情報経路は物理的な通信線のネットワークでも 実現される。情報の収集設備、運搬手段、分配手段、送達設備からなる郵便な どの制度も情報媒体である。
さらに郵便の場合には郵便番号、住所などの体系からなるソフトウエアを必 要としている。電子データの通信も物理的な通信線や交換、中継、増幅器だけ でなく、送受する機器の位置関係を表すアドレス体系、通信経路を設定する機 能、誤りを訂正する機能、送受信信号をそれぞれの利用形態に変換する機能等 の通信手順の体系を必要としている。送受信信号の暗号利用の体系も通信内容 によって必要になる。
これらの情報媒体の実現には、社会的に大きな投資が必要である。個人的な 手紙の交換、個人的な電話の利用であっても社会的に巨大な情報媒体によって 実現されている。個人にも提供できるサービスとして運用されているが、決し て無料ではない。利用者の負担によって実現されている情報媒体は、大口利用 者に有利なように運用されている。また、これら情報媒体を支配しているのは 独占資本である。
【科学の到達点】
産業の発達によって科学発達の物質的基礎が用意され、科学利用の目的が明 確化された。経済的要求が技術的に解決され、科学的な理解をもたらしてきた。 科学体系として世界を理解できるようになった。天上界と地上界の区別がなく なった。
科学技術の発達は自然に対する人間の働きかけを全面化してきた。科学は空 間的に宇宙でも、海中でも、地上でも実践的に確かめられている。医学も生物 学、化学、心理学の応用として実践されている。
科学の成果には西洋も東洋もない。すべての事象は西洋でも東洋でも同じに 現れる。個々の成果についての理解に違いはあっても。
【思想の多様化】
市民教育、労働者教育の普及発展は思想の豊かな発展をもたらした。一部の 貴族等の教養でしかなかった思想が教育、媒体、科学の普及として開放された。 思想的主体が多様化してきている。
個人の関わる問題が社会的に広がり、世界と関係するようになってきている。 それぞれの生活、衣食住、教育、職業がますます社会に依存し、世界との関係 を深めている。社会の問題、世界の問題が日常的に提起され、報道としてもた らされる。
社会のそれぞれの階級、階層に属する人々がそれぞれの立場から問題を提起 できるようになった。発表の場、流通の場の普及が、それぞれの発言を容易に してきた。それぞれの情報メディアの利用が大衆化してきた。思想の媒体が多 様化し、大衆化してきている。
資本主義、近代市民社会の思想的成果は民主主義と、基本的人権である。公 の場で一般的には平和、独立、民主、人権を否定することは困難になってきて いる。戦争を開始する者も平和のためと言わざるをえない。民主主義に反対す る者も「ゆきすぎ」としてしか異議を唱えられない。
近代市民社会の思想的成果を建て前としてではなく、実体化させ、社会のあ らゆる場面で、実効あるものとしていくことが問われている。思想闘争は実際 の社会関係の中に実現していく、実践的な運動である。
【思想の方法】
思想支配は価値観の支配で完成される。暴力は部分的には強力であるが、全 体として、長期的にに完全な方法ではない。すべてを暴力で支配することはで きない。被支配者が圧倒的多数になったとき、力関係は逆転する。暴力支配が 永続してこなかったことは、歴史的に明らかである。暴力支配の究極は被支配 者の抹殺であり、それは支配そのものの否定である。暴力は非論理的である。 暴力による思想の押しつけには限界がある。
思想・価値観の支配は、生活習慣、教育、文化活動の支配によって実現され る。
【マス・コミュニケーション】
テレビは有効な思想管理の手段である。一対多のコミュニケーション媒体で ある。提供情報を管理し易い。映像と音響により、非論理的であっても影響力 は大きい。積極的行動の機会を減らす。情報を独占し、情報の取捨選択を許さ ず、一方的解釈をたれながす。複数のテレビ局があっても、多様な形式で同じ 内容の報道を行えば、その内容がすべてとして受け取られる。
これに新聞報道、週刊誌報道が後押しすれば世論操作はほぼ完ぺきである。
報道機関ごと、メディアごとに相互に牽制しあい、真実の報道競争ではなく、 メディア間の競争だけを基準にした報道がおこなわれる。支配的価値観にどれ だけ迎合するかの競争が組織される。競争によって、いかにも公正な報道がさ れているかを印象づける。
【思想の個別的問題】
思想は社会対立を反映している。直接的に社会的立場を主張する思想的立場 と、社会対立の存在を否定することによって現在の社会のあり方を肯定する立 場がある。 社会的対立を否定する思想が、あたかも中立な、科学的立場であ るかのように普及している。イデオロギーの終焉、テクノクラート支配、中流 意識化、脱工業化、情報化社会、生産性の向上による賃上げ、高福祉高負担等 様々な課題について社会的対立を否定する主張が主流であるとされている。
逆に、科学技術の否定的な事象を根拠にして、非科学、反科学が普及してい る。世紀末思想とも合わさって、オカルト集団までが作られる。
【植民地政策の免罪】
人類の歴史は植民の歴史であった。アフリカで誕生したヒトが生物的進化を 遂げる過程で生活圏を拡大していった。人類が誕生した当初から地球上に植民 していった。地上の普遍的存在になってからも、侵略としての植民が繰り返さ れた。植民地の先住民を人間として認めずに侵略した。こうした数十年前まで の歴史を過去の事として切り離して、現在の国際関係を問題にできるのか。
報復主義でなくとも、植民地政策の結果をそのまま認めることはできない。 植民した側の利益の問題だけでなく、先住民の権利を無視し、財産、文化を破 壊し、継承が困難な状況を放置することは、人類の財産への侵害である。先住 民の困難な生活を復活することが目的ではない。しかし、大量消費、均質文明 を世界に普及することは人類史を豊かにするものではない。
国際的収奪は剰余価値の搾取だけにとどまらない。再生産過程そのものを寄 生的なものにする。自然破壊、資源浪費は再生産そのものを不可能にする。再 生産の条件整備も生産コストに算入されねばならない。その再生産条件、環境 を維持するコストを負担せず、収奪によって利益を独占しているのが帝国主義 国である。
【資本進出】
国内で独占化した資本は国際的に拡張する。資本の本源的蓄積の段階から資 本市場は国際化したが、現代帝国主義の段階に至って帝国主義的世界侵略に進 む。
自然資源を求めて、労働力を求めて、商品市場を求めて世界中に進出する。 やがて、国家権力の統制、徴税を逃れ「多国籍企業」化する。出生国の統制を 逃れるための多国籍企業化であっても、出生国との対立が主要な関係ではない。 出生国での活動のためには、出生国の国家権力は手放さない。
国際化は帝国主義的、軍事的支配の段階から、生産関係、階級関係の国際的 規模での再生産の段階に至る。より完成された帝国主義として、新植民地支配 とよばれる世界支配体制を築いた。
軍事的帝国主義の段階では、植民地国の収奪は直接的であった。完成された 帝国主義での国家間の収奪関係は直接的ではない。国際的生産関係、階級関係 の重層化された関係で隠される。それぞれの国の労働者、農民等の直接生産者 が、同じ被支配者階級としての国際連帯ではなく、国家間の対立の枠組みによ って分断される。「先進国」と言う帝国主義収奪国内では被支配階級も物理的 生活水準は向上する。貧窮部分が消滅することはないが、被支配階級の多数部 分が一定の文化水準を享受することが可能になる。他方被収奪国の窮乏化と、 一定の経済発展が現れる。かってはそれなりに安定した生活を実現していた国 々が、資本の収奪によって地獄のようになる。
新たな状況としてかつての被収奪国の経済発展が、東アジアを中心に注目を 集めている。低賃金、乱開発による生産規制の少ない地域への再資本集中であ る。その資本支配は民族資本の姿をとってはいても、多国籍企業の支配下にあ るか、隙間市場での隆盛である。
多国家間にまたがる階級関係の分析なくして、階級闘争の展望も、課題も、 方針も明らかにすることはできない。飢餓状態におかれ、生産手段、生活手段 を奪われた人々に、人道的援助を行うだけでは、民族的飢餓状態を作り出す帝 国主義収奪と闘うことはできない。
被収奪国の生活防衛、自立のために収奪国内の生活水準を切り下げることは 一般的には不可能である。生活水準を引き下げず、腐朽化する、無駄な消費を 削減することによる人類史的発展の道を具体的に示さなくてはならない。さも なけらば、国家間の対立に問題をすりかえられてしまう。
【消費の支配】
利用できる地球資源、エネルギーのほとんどを「先進工業国」が消費し、浪 費している。
穀物は十二分にあっても、動物性タンパク質の生産のため量的には効率の悪 い利用のされかたをする。穀物の形と、肉の形では食糧として養える人の数が 違う。
食料は充分に生産されていながら、飢餓地域がある。余剰穀物を飢餓地域に 運搬することが物理的にできないのではなく、経済的に引き合わないからでき ないのである。経済的に引き合わないという理由でできないことと、経済的に 引き合わない経済制度そのものが独占資本の経済体制である。
今は石油を産出、輸出するだけで成り立っている国、地域が自立的な経済条 件を整えることができたとしても、そのときに石油資源等が利用できるほど残 されてはいない。
国連で政治的にそれそれの主権を尊重する仕組みができたが、経済的主権を 主張することは独占資本の支配を否定することである。
【文化的侵略】
大量生産、大量消費は経済発展の必然的な姿ではない。生活環境を機械的に 制御することが文化ではない。しかし、資本主義的生産はそれを必要とし、そ れによって拡大再生産を実現している。独占資本の海外進出によって世界が経 済的に、軍事的に支配されるだけではなく、文化的にも独占資本主義に支配さ れた生活が押しつけられる。文化の押しつけは物理的に強制しなくとも、その 他の生活が経済的に成り立たなくなることによって実現される。
歴史的、民族的文化は生活と切り離され、博物館に封じ込められるか、忘れ られる。
無駄をなくし、いま有るものを有効利用し、それぞれの地理、環境にあった 社会生活をすることができない。
さらに、独占資本の進出を受け入れ、独占資本によって提供される圧倒的権 力手段をめぐって争奪戦が内戦へと発展する。独占資本による直接的武力行使 ではなく、内戦による物理的破壊によって、文化も破壊される。
科学技術は個人的才能の問題ではなくなっている。教育研究組織、資金、情 報流通の社会的制度なしに科学技術は成り立たない。科学技術も世界的な集中 傾向をもたざるをえない。飢餓地域に科学技術の施設・設備、資料を持ち込ん でも役に立たない。資本主義市場の拡大の後を追って、資本活動に必要な技術 として科学技術は普及する。
【環境収奪】
森林は光合成によって酸素とタンパク質を供給し、水循環にあって土壌中に 保水し、蒸発は内陸部の雨水源を供給する。地表の土壌は植物の堆積によって 数十億年かけて生成されてきた。それでも土壌はもせいぜい数mの厚さしかな い。
森林伐採はその破壊である。森林伐採は主に帝国主義国への木材供給と、地 域住民の耕作地化によっている。しかし、地域住民の耕作地化も地域的不均等 発展を拡大する開発により、慢性的困窮地域を作り出している。 る。
岩塩層を含む山地の森林は、土壌中に保った水によって塩分を地中に閉じ込 めてきた。しかし、森林破壊による禿げ山化は、森林植生による地下水の消費 を大幅に低下させ、毛管現象による表面蒸発が容易になって塩分が地表に浮き 上がる。耕作地造成のためのダム建設も逆に土壌中の水圧を高め、岩塩層をと おって地上に塩分を移送する。地上に結晶化した塩分は植物層を破壊する。
森林破壊、土壌を被覆する植生の消失は土壌の流失を招く。土壌を流出した 地域は禿げ山になる。流出した土壌は海に流れ込み水産資源に害を及ぼす。森 林そのものの豊かさと、魚資源の豊富さの関係も指摘されている。
森林破壊はまた、水蒸気を発散による水循環を破壊するだけではなく、太陽 エネルギー代謝を破壊する。水と熱の平衡条件の変化により砂漠化が進む。
地上の廃棄物は人間が意識的に投棄しなくても水循環に運ばれて堆積し、海 洋汚染を引き起こす。海底油田、タンカーの座礁事故は直接に海洋を汚染する。 地上の酸素の海草による供給は決定的である。海は生命起源の場としての郷愁 だけでなく、現実の物質循環の基礎をなしている。
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