概観 全体の構成
【世界の再構成】
世界の存在は発展し、認識能力をもつ。そして、認識するもの自体を認識す るまでになったとき、世界を再構成する。その「世界の再構成」を問題とする。 再構成される世界は、反映された世界観である。
世界自体が自分自身を再構成するのであるが、その自分自身とは世界全体で はなく部分である。部分としての運動の発展が、運動自体を反映するものとし て、世界を再構成する。
世界そのものと、再構成される世界とは異なる。どちらからでも他方を説明 できねば、一つの世界を説明する一つの世界観にはなり得ない。
【再構成する存在】
再構成された世界は単独では現実的存在ではない。再構成された世界は観念 であり、観念は観念としての存在であり、普遍的存在形態ではない。観念は物 質に媒介されて存在し、物質に媒介されて運動する。観念は物質を媒介して他 の観念と関係する。
観念は現実を反映するが現実を変革しはしない。観念は観念を実現している 物質的関係を方向づけることにより、現実を変革しうる。
ここで初めて世界の物質性が問題となる。
【再構成される世界観】
「世界観」の筋として、初め世界を認識するものとしての自分自身があり、 自分自身と世界との対立から出発し、先ず世界そのものを取り上げた。世界そ のものは、世界そのものを認識するものに発展してきている。自分自身は世界 そのものの一部分でありながら世界を認識し、変革する存在の一部分である。 個別の最高の発展段階としての存在の部分である。
世界そのものであり、その一部分である自分自身において、人間として、世 界を再構成する。それが世界観である。世界の再構成としての世界観の再構成 の方法を問題とするのがここでの本題である。
世界の再構成の方法とは論理であり、第一部のしめである。
【世界と自分自身】
世界を反映し、世界に働きかけるものとしての自分自身は、世界をどの様に 把握できるのか。
自分自身はやはり世界の一部としての存在である。部分は全体と対応できな い。部分は直接に全体を対象とし、変革することはできない。
世界と自分自身の関係では、自分自身も世界の一部であり、世界存在の最高 の発展段階として自分自身が作り出された。自分自身は世界の中の一部分であ りながら、その内に世界全体を再構成し、内なる世界を発展させ、それを世界 に実現しようとする。
【世界と世界観の対応関係】
部分と全体の関係として、その要素を一対一対応はできないが、全体を部分 に対応させているのが自分自身であり、問題はその対応のさせ方である。全体 の一部分である部分、すなわち部分集合でありながら、全体としての無限集合 の要素を含もうとする。要素が定義されていれば、再定義によって無限の要素 を有限の集合に繰り込むことはできる。しかし、世界全体は単なる無限集合で はなく、その要素がはっきりと定義されてはいない。数学、あるいは形式論理 によっては取り扱うことはできない。はっきり定義されていない無限集合を部 分集合に対応させ、部分集合のうちで全体の無限集合を取り扱うのであるから、 始めから論理的に無理なことである。その無理をあえてすることが世界観であ り、無理が誤りにならないようにすることが肝要である。
いわば全体をその内に含まれる一部分に組み込む方法が問題である。また、 正しさの検証が問題である。単純な方法は一対一対応を一つ一つ検証して行く ことであるが、不可能なことである。
【世界と世界観の媒介項】
自分自身は世界の一部分であり、世界によってすべてを与えられている。そ れでいて自分自身を世界と区別するのは、世界全体を対象として関係するから である。世界全体を対象として反映し、認識しようとする。世界全体を対象と して認識し、そうした世界に働きかけるものとして、自分自身は他の世界の部 分とは区別される。
単に世界の運動の部分的な過程の通過点として自分はありながら、世界全体 の運動と相対している。
【存在の最高の発展段階としての自分自身】
自分自身は最高度に発展した存在であり、その複雑さは日常の経験ではとて も理解しきれない。自分自身の複雑な構造は、科学の成果に基づき、だいたい のところを理解できるに過ぎない。
1.自分自身は世界の普遍的存在として、まずいわゆる物質である。
2.また、地球上の生あるものの最高の発展段階にある生物である。
3.さらに、人類の歴史の中で育てられ、歴史を切り拓く人間である。
4.社会の中で活動し、文化を創造する精神である。
単に4つに区分しただけではたりるものではない。自分自身と他の物事の相 互作用は、自分自身にとってほとんど無限の多様性を持っている。
【自分自身の無限の多様性】
自分自身と対象との関係は、単純な主客の2対の関係ではない。
自分自身を構成する原子の数は膨大である。また構成する分子構造は多様で あり、組織、器官、そして部分の全体的関連における平衡の機能は解明し切れ ていない。情報処理組織と機能は、解明の展望ももてていない。それぞれのレ ベルにおいて、それぞれの運動として他と相互作用して、現実に生活している。
自分自身は客観的な存在として与えられてはいるが、自分自身の多様な他と の関係を統一し、運動の方向を決定しようとする。自分自身の統一された多様 性を評価し、方向づけるものが意志である。自分自身の多様性を無視して意志 は実現しない。
【自分自身の運動】
世界は相互作用する物質の運動であり、自分自身も物質の特殊な運動形態で あって、他の物質と相互作用することで世界に存在している。相互作用する物 質として自分自身も他と変わるところがない。
しかし、主体としての自分自身は、周囲の他の物と相互作用することで存在 しているが、それだけでなく周囲の他の物との相互作用を通じて、世界全体の 相互作用を反映する。かつまた、その周囲の他の物との相互作用を変革するこ とで他の物、世界全体に働きかける。この過程をによって、自分自身は世界全 体と相互作用をする。
【自分自身の他との関係】
自分自身の担う相互作用は、自分自身の階層が複雑であるとうりに複雑であ り、統一されたものである。その統一において、自分と直接関係しない他の相 互作用を反映し、働きかける。他と他との関係を自分と直接する他との関係の 延長上に関係づける。自分と他との関係を拡張する。
自分自身は全体として世界全体とも相互作用しうる。作用の結果がそれぞれ の対象への影響程度の差がどれほど大きかろうとも、相互作用は成立する。
自分と対象との相互作用は、多様な階層の積み重ねであるとともに、それら の統一的作用でもある。
自分自身は全体ではなく部分である。しかも、世界全体と同じ運動によって 存在しており、自分以外の物と関連することで、自分以外の物に支えられて存 在している。
【類的存在】
自分以外に自分と同様の他人とにより人類を構成している。自分にとって人 類は自分以外のものではあるが、他のものと同じく自分と関連し、自分を支え るものであり、他の物事以上に自分の存在に関わっている。
自分は個体としての存在ではなく、類的存在である。自分と同じ存在である 他人との関わりの中で自分である。
注137
【自分自身の決定者】
自分自身は自分自身をも対象とする存在であり、運動体である。自分自身を 対象として関係することとしての対象化により、自分自身を全体の中に位置づ け、全体の運動の中に自分の方向を見いだす。自分自身は、自分自身を対象化 することで、自分自身を含む対象内での自分自身の運動を決定することができ る。
自分自身は、自分自身のことを決めることのできる決定者である。自分自身 の感ずること、理解すること、行動を決定することができる。自分自身は自分 自身の運動を決定する主体である。全体、あるいは、自分をとりまく環境はど うすることもできない客体であるが、自分自身の働きかけにより、自分自身と 対象となる物事との関係を変える、決定することのできる主体である。
【自分の位置】
自分は他と同一の存在であり、自分にとってのみ他とは異なる存在である。 他と同一の存在として、存在全体の関連・運動を自分に明らかにする。全体の 関連・運動における自分の位置・方向を明らかにすることは、自分の価値づけ であり、同時にそれは世界の価値づけであり、価値観の形成である。価値観は 自分にとっての世界の評価であるが、どれほどに世界全体を関連づけているか によって普遍性の程度が規定される。価値観は人によって程度の違いはあって も、同じ世界の関連の中にあって普遍性がある。価値は世界のどこかに隠され ているものではない。
価値観に基づき、自分の存在を方向づけていく、自分に対する意識的な規定 性が意志である。
【自分の構成】
自分自身と対象との関係を変えることは多重な運動である。
対象と関係し、相互に交替しなくては自分自身を存続させられない。対象に 媒介されることによって、自分が実現されている。しかし、対象によって一方 的に規定されるのではなく、自分の存在・運動を保存している。しかも、自分 の存在・運動を対象との関係にあって、自分自身によって方向づけている。方 向づけた自分の運動の結果を、これからの自分の運動の方向づけに反映する。
自分の運動はこれらの相互に関係し、全体として統一された多重性をもって いる。単に物理的、生物的、社会的、精神的階層の統一構造としてだけの存在 ではない。
【自分の存続】
自分自身を存在させ続けること。対象との関係で新陳代謝なくては生きてい られない。物理的、生物的、社会的、精神的に対象を取り込み、対象に作りだ さなくては自分は存続できない。自分の存在は対象に媒介されている。対象に 媒介されている過程として自分は存在している。恒に変化しながらも、変化に あって保存するものとして自分は存在する。
【自分の産出】
自分自身を対象化すること。自分自身を対象として関係する「対象化」では なく、対象の内に自分自身を作り、今の自分を移していく。
全体の変化にあって自分を保存することは、変化の中に保存される自分を作 り出していくことである。この全体の変化の中での保存は固定的・消極的性質 ではなく、創造的・積極的運動である。
【自分の変革】
自分を変えること。自分を対象化することにより、自分の位置・方向を変え ていく。自分を今とは違う未来の自分として、外化として対象化する。対象と の関係の仕方を変えていく。対象との関係は恒に変化し、相互交替し、相互作 用しているが、その関係の仕方自体を変えていく。自分の価値観を変革し、自 分の生き方を変革し、自分の意志力を強める。
【対象の変革】
対象を変革すること。自分でない対象を自分の働きかけによって変革する。
対象を変革することにより、自分の運動の結果を現実存在として残す。自分 の価値・価値観を対象の内に実現する。自分の存在としての運動を、自分以外 のものとして存在させる。自分の存在・運動の一部分を対象化させる。対象の 存在・運動に、自分との関わりの成果を作りだす。
対象の存在・運動は恒に変化しているが、自分が対象との相互関連に入り、 自分との関連の変革として、自分自身を変革することなくして、対象の関連を 変革することはできない。対象の変革は、自分の変革と同じに関連する存在の 運動である。自分の一方的な意志によって対象だけが変革されることはない。
【全体の変革】
自分は自分自身と対象との関係を、自分自身を変えることによって変革する 主体である。全体はこの自分と対象との関連としてある。
全体は直接対象として関係することはできない。しかし、自分と対象の存在 は全体を媒介する存在である。自分と対象の存在として全体は存在する。対象 の運動も、自分の運動も全体の運動の一部分である。全体は対象と自分によっ てのみ存在する。自分と対象以外の何者かは世界に存在しない。
自分と対象との変革は、即全体の変革である。全体は変革の対象として直接 関係することはできないが、自分と対象の存在そのものとして全体は変革され る。
世界は自分自身にとって対象である。世界の一部分として自分自身も自分自 身の対象である。世界を自分自身との大きさの比較、意味の比較などと関わり なく、全世界が自分自身の対象である。ただし、前提として自分自身も世界の 一部であるとして。
すなわち、世界の一部分として、他と同質の部分としてありながら、全世界 を反映し、全世界のつながりの一部を変革するものとして、全世界を対象とし ているのが自分自身である。
世界観はその自分自身の自分を含む世界の反映像である。したがって見るも のと、見られるものの対立になっている。しかしこの対立は、自分自身の働き かけとして、実践において統一されるものである。自分自身にとって、対象は 反映しかつ変革するものである。
【観念と物質】
自分自身の主観によってとらえられた観念に対立するものとして、対象は物 質である。そして自分自身物質であり、観念も物質によって存在することがで きる。すべては物質であり、物質によって存在しているが、観念と直接の相互 作用を持たないものとして観念と区別されるものとして、物質の意味がある。
物質はすべて相互作用する、運動する存在であるが、観念は物質の特殊な運 動形態である思考として世界に存在しているのであり、観念は思考を通じ肉体 を通じて物質と相互作用できるのであって、観念と対象となる物質は直接相互 作用しない。
しかし、観念は世界観として全世界を対象とするものである。世界と観念は 直接結びつくが、それは観念の中においてである。観念は観念の内において世 界と直接し、世界観を作り出す。
世界・世界観において物質は観念の対立物としてあり、観念は物質の生成物 としてあり、思考と実践によって統一される対立をなしている。
【意識の位置】
世界を変革の対象とする自分自身は、対象との関係にあって自分自身を対象 と区別する。自分自身を対象と区別することで、自分自身を対象化する。自分 自身を含めてすべてを対象化するのが意識である。
「自分自身」として主観は主観自体を対象化する。
反映は物質の運動の発展的な形態である。物理的過程でも反映は現れる。生 物的過程で反映は基礎的要件ですらある。生物の進化によって、反映は独自の 組織を発達させた。反映は一般的運動形態である。しかし、対象を反映する自 分自身、反映そのものを対象化する反映は、質的に区別される意識である。意 識は反映の最高の発展段階である。
意識は主体の相互作用・関連を主観の関係として対象化する。意識は他のも のを対象化して主観に関連させる。意識は主体に関連づけることによって、他 のものを対象化する。意識は対象化する関連を区別する主体の機能、過程であ る。
【信号の対象化】
信号は対象を反映する媒体である。信号による対象の反映は一対一である。 信号は物質の運動過程の規則性としてある。一つの物質の変化が、関係するも のに対し多様な変化があるにもかわらず特定の関係を保存する。特定の保存さ れる関係として信号がある。信号は再現性のある、対象の運動における他との 関係である。
信号の対象についての反映性は反応とは異なる。反応はその運動過程として 存在し、運動過程を離れてはありえない。信号は対象の運動によって発せられ るが、運動から独立した存在としてある。対象の運動から独立して、対象との 関係を保存する。
【記号の対象化】
記号も対象を反映する媒体である。信号は物理的、生物的関係に普遍的に機 能するが、記号は社会的に意味づけられた信号である。媒体としての個々の記 号は対象の内容・意味は反映しない。個々の記号は、記号の規則体系の中で対 象を指示する。個々の記号は対象を直接指示するのではない。個々の記号は単 独では機能しない。
記号は普遍的存在ではない。個々の表示記号とその関係規則は、その体系の 歴史をもつ。そのような社会的存在として、記号一般の変化を対象化すること はできるが、これを無視して個別の記号の意味を対象とすることは遊びでしか ない。
記号一般は操作可能な規則の体系としてある。対象を指示する個々の表示記 号として、個別の記号の関係規則の体系がある。
【記号の能記】
書かれた形、発せられた音形等の記号素材としての表示記号そのものが能記 である。
記号の関係規則を離れて表示する記号は何も意味しない。記号の物理的存在 はインクのしみ、音の連なり、電気パルスの連なりでしかない。
記号の関係規則が保存されれば、表示媒体は交換可能である。記号は記号の 規則に従って操作が可能である。記号の媒体(メディア)は変換できる。翻訳 として規則と規則の間の変換も可能である。
【記号の所記】
表示記号の示す、もつ意味が所記である。
個々の表示記号は対象・意味との対応関係を持つ。個々の表示記号は他の表 示記号からなる規則体系の関係に位置づけられることによって、指示対象の意 味を表現する。
言語記号は文法と共に、対象との対応関係を無数の規則として持つ。
【言語の対象化】
人間の言語は文化の媒体として社会的実在であるとともに、認識過程の媒体 として個別的実在である。
言語は社会的実在であって、抽象的・一般的存在ではない。
言語は一般的な存在ではなく、具体的な社会存在である。言語は国語、母語、 方言等として具体的存在である。
言語は対象との関係として拡張される。社会の指示する対象となる物事が名 づけられる。日常にしろ、専門研究にしろ、その指示する必要のある物事を、 それまでの使用言語の対象との関係の延長上で名づける。
注138
【操作対象としての言語】
言語は操作可能な、しかし曖昧な仮想現実世界を実現する。
言語として現実は操作可能な記号対象に置き換えられる。操作可能な実体と して、現実世界を仮想世界として構成する。
言語によって構成される仮想世界は、価値観までひき写す。
注139
【対象の記号化】
認識(思考)においてその対象を対象化し、論理的操作可能な実在にするも のとして言語が用いられる。
まず言語は認識(思考)の対象を即自的に対象化する。まだ、この対象は思 考の要素として反映されていない。この記号化された対象は、概念化されてい ない個別的単純な表象である。この関係での言語記号は、対象集合と一対一対 応されるが、補集合との関係を対応づけていない。
対象を即自的に形象化、操作対象化するために、その「言語」のもつ社会的 (普遍的)意味を借用する。この関係では対象と「言語」との対応関係は評価 されていない。対象の意味と、その「言語」のもつ社会的(普遍的)意味の一 致は評価されていない。評価するための認識(思考)の対象とするための記号 化である。対象を社会的・普遍的言語によって指示し、対応づけたからといっ て対象を社会的(普遍的)に意味づけたことにはならない。そこには多くの誤 りが入り込むことの方が普通である。
【思考対象の記号化】
認識(思考)の対象として指示する「言語」は、認識(思考)の過程で対象 を同定し、位置づけ、整理するための操作の対象として利用される。
注140
この関係での言語は対象とそれを指示する「言語」として、個別的にも、普 遍的にも真理とは直接関係しない。この関係での言語は、認識(思考)過程で の媒体として、論理操作の対象としての実在である。
【思考過程の対象化】
言語記号は認識(思考)の対象を個別的、論理的操作可能なものとして関係 づける。
認識過程の媒体として、言語は思考過程を再現する。
指示対象との一致を一応評価された言語は、社会的(普遍的)意味の媒体と して思考過程を再現する。その「言語」による表現が、どの様に思考されたか の順番、構造を指示することができる。その表現した本人が後に追試する、ま たは他人がその思考過程を追体験する標識として言語は機能する。言語は思考 過程の記憶媒体として機能する。この関係で表現に用いられた「言語」は、認 識(思考)を指示するのではない。
【対象関係の記号化】
「言語」を用いた対象の指示方法、形式は思考過程の普遍性、同一性、論理 性を前提にしている。表現者本人にとっても、他の人々にとっても、言語の意 味、用法が共通であることがまず前提にする。細かい意味合になればなるほど、 共通の理解が必要になる。言語の持つ社会性がきめ細かく社会を反映する。
他方、当該言語を用いる社会の特殊性を超えた、思考の普遍性が前提にある。 思考の普遍性と、言語の社会性の乖離を統一する過程をたどることで思考過程 が再現される。この関係では、指示する「言語」と指示される対象とは、意味 において完全に一致しているとは限らない。
注141
【認識の対象化】
認識過程の媒体として、言語は思考を再現する。
対象の本質を指示することによって、言語は認識(思考)を再現し、思考を 実在化する。この用法での言語は、認識(思考)の対象を普遍的・論理的なも のとして指示する。この用法での言語は、認識(思考)の対象集合と一対一対 応され、かつ補集合との関係を指示する。対象集合と「言語」は一対一対応に よって「指示」を明確にし、対象集合の他との関係、条件を指示することで補 集合との関係を明確にする。
注142
言語記号の指示する意味、言語による構造と対象の論理が対応しなくてはな らない。普遍的・一般的言語記号によって対象を表現し、記号によって対象を 実現し構成することができる。表示された「言語」をたどることによって、認 識(思考)を理解する。
【情報の対象化】
相互作用関係を関係として保存し、新たに元の相互関係を再構成する働きが 情報である。
情報は階層関係の発展の中で作られるものである。一定の相互作用が、より 発展的階層の個別の部分としてある関係にあって、一定の相互作用内に形成さ れる、新たに形成された部分的相互作用が恒常的な存在になり、その独自性が 元の相互作用内での独自な作用をして元の相互作用に規定的働きをするように なる。新たに形成された、部分的相互作用の存在は、単独では特別な意味を持 たず、特別な他との相互作用を持たないが、元の相互作用の中に位置づけられ ると、その全体に対し規定的な働きを実現する。この新たに形成された部分的 相互作用が情報の媒体であり、元の相互作用への規定的働きが情報である。
情報は特定の関係から生じるだけでなく、特定の関係において再度作用する ことを前提して形成される。
【情報関係】
情報として現れる関係は、すなわち情報関係は、発信者・信号・通信媒体・ 受信者を要素とする。この関係を捨象して情報が客観的に存在するのではない。 情報は人間の意志伝達関係にあって存在する。
情報は受信者を前提として発信され、しかも受信されることによって当の情 報関係を含む諸関係に働きかけることを目的とし、価値づけられる。
注143
情報関係は双方向的である。情報は一方的に伝えられるだけではない。情報 媒体は独立した過程としてあり、同じ媒体は双方向に運動しえる。情報媒体の 独立性が、情報の翻訳を可能にする。対象との関係が固定的であっては、その 関係を別の規則に置き換えることはできない。
概観 全体の構成