ある日の一言(2012年1月〜)
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内容紹介
ある日に起こった出来事、感じたことを一言書きます。楽しみにしててください。
12月29日
さて今日から正月休みに入る。今年は1月4日までだ。夏休み同様、実家に帰るのに18切符を使って帰るぞ。今日は6時出発だ。三重の実家に着くのは19時を超えるだろう。
12月26日
雪の降る季節がやってきた。今日郡山は−3℃であった。昨日から降った雪が道路に積もり凍結しており、朝の出勤はすごく渋滞していた。
11月5日
土曜日は見本市の説明員として東京ビックサイトに行った。日本国際工作機械見本市というのが今やっていて久しぶりの説明員だった。何年か前にも立ったことがあるが説明員はけっこう大変なのだ。
会場は空気が乾燥している。1日何万人も来場している。大声で説明しないと話ができないぐらいうるさいのだ。だからのどが痛くなる。また朝から夕方まで立っているので腰が痛くなる。11月1日から6日まで見本市をやっているが毎日立っている人は本当に大変だ。
外国人も多数来て久しぶりに仕事で英語を使った。しかし普段やっているのは日常会話なので専門用語が分かってないとスムーズに話ができない。専門用語を他の言葉で説明しないといけないのだ。
10月30日
先週の日曜日は中学校の駅伝大会が行われた。マサキも代表として選ばれたので俺も見に行くことにした。各学校6名が代表として走るのだ。マサキは6番目に選抜された。ぎりぎりとはいえ、よく選抜されたものだ。すごいよ。
多摩川のコースで行われるのだが、多くの観客がいて大声援をおくっている。生徒、先生、校長先生、親、家族など多摩川の堤防沿いが人で埋め尽くされた。その日は川崎に帰る予定でなかったがマサキが走るというので朝早く久しぶりに新幹線で帰った。
マサキは第4走者で2人抜いた。チームの結果は14位とのことで昨年の23位に比べて大いに健闘したそうだ。良かった。他の生徒たちも頑張って全力で走っていた。
夜は家族みんなで久しぶりの外食をした。1年ぶりぐらいかな。我が家は節約主義で外食をあまりしないようにしている。しかし今日は手羽先の山ちゃんで食事をした。マサキの駅伝お疲れさん会と夏休みの研究が佳作で発表した祝い、ショウヤが運動会で頑張ったこと、俺の誕生日、妻の誕生日の祝いを全てひっくるめて行った。
先月は棚卸がありほとんど家に帰ってなかったから、みんなで食事ができて良かったよ。
10月22日
マサキが夏休みの自由研究で提出した作品が佳作に選ばれた。更に佳作の代表として教育会館で発表することになった。どうやって発表するのか聞くと、パワーポイントで資料を作ってプレゼンするそうだ。おっ、本格的だな。学会発表みたいだ。
しかしパワーポイントを使ったことがないマサキは学校で先生と一緒に作るものだと思っていた。しかし学校では少しパワポを使っただけで結局自分で作らないといけないことが最近分かった。俺はそれを先週の金曜日聞いて驚いた。俺は1ヶ月程家に帰ってなかったので今回は帰ったらパワポを見てあげようと思っていた。
するとプレゼン資料は妻の努力もあってなかなか上手く派手に作られていた。アニメーションなどで動きをフルに入れて作れられていた。さすがに俺もそこまで動作を入れて作ったことがない。しかしなかなかすばらしい資料が出来ていた。俺は安心した。全く何も出来てないと思ったからだ。
プレゼン発表は資料作りも大切だが、何より大切なのが練習だ。発表時間が20分と決まっているらしく、その時間内できっちりと発表しないといけない。中学生なので原稿を手に持って読んで発表しても大丈夫だと思うのでせめて1週間前には資料を作り上げて、原稿を準備して発表の練習にとりかかってないとだめである。
ところが発表は今週水曜日とのこと。かなりやばいんじゃないか。本人もさすがにあせっていたみたいだが、学校の担当の先生はあまり関心がないのか生徒の手伝いはしないし、プレゼンに関する情報もあまり流してもらってなかった。
プレゼン資料の媒体はどうやって持っていくのか? プレゼンの間パソコン操作は誰がやるのか? 俺は今まで何十回もいろんなところで発表したので失敗も何度もある。ある学会ではパソコンが壊れたのでOHPを使って発表したときもあった。それだけに初めての発表でマサキは大丈夫かなと思った。逆に中学生でパワポを使って自分の研究発表をするなんて何てすごい恵まれているんだとも思った。大変だけどなかなか体験できないことだ。
以前マサキに聞いたことがある。話をするのは得意かと。すると意外にうまくまとめてみんなの前で話をできるそうだ。おっ、さすが俺の息子だ。血を引いているだけある。俺は子供の頃そんなチャンスもなかったので全く気づかなかったが、大人になってから俺はプレゼンが意外に得意であることがよく分かった。親戚を見てみると学校の先生が多い。やっぱり同じ血族なのかみんなの前で話をする職業で得意分野なんだと思う。俺も子供の頃にそのことがわかっていたらもっと別のチャンスがあったかも。
マサキ本人はあいかわらず陸上にのめりこんでいて、前の大会では銅メダルを獲得していた。駅伝大会のメンバーにも入れそうとのことで、日曜日も朝早くから多摩川沿いでトレーニングをしていた。中学校全学年の中で6位に入っているのでこのままだと駅伝メンバーとして2年生で出場できるそうだ。すごいな。
部活の先生からは研究発表が終わったら駅伝の練習があるのですぐに帰ってくるようと言われてるらしい。文武両道でけっこうなことだ。
10月17日
昨日会社の朝礼で諸事確認について話をした。2日に1回朝礼があるのでいつも何も考えずに話をする。今日はその中で話した内容を簡単に書く。
諸事確認とは、ようはミスを起こさない為に確認をするということだ。自分も家を出て大通りに入るときに確認をする。これはまず歩道を歩いている人、自転車で通り抜ける人がいるから、一旦止まってゆっくりと動いていく。あたりまえのことだ。後は家を出るときも鍵をかけたかどうか確認する。仕事中パソコンで打ち込んだ書類も再度必ず見直しをする。
これらは事故やミスを未然に防ぐ為である。パソコン処理は再確認したにも関わらず誤字が見つかるときがある。これは訂正がきく。しかし中には失敗できないミスもある。これは交通事故などだ。この場合取り返しがつかなくなるから絶対に起こしてはならない失敗だ。
そうするとミスをしそうだ、事故が起こりそうだという予測をたてて行動することが重要になってくる。人間はある程度無意識のうちに諸事確認を行っている。
仕事でも同じことが言える。ミスを未然に防ぐことは大切だ。これは人によって感覚が違っていて中には何度も同じ過ちを繰り返す人がいる。ミスを未然に防ぐことができない人だ。たいていの人は一度過ちを行うと二度と同じことはしないと思い、似たような状況に遭遇すると防衛反応が起こりミスをしないような行動をする。ところが人によってその感覚が違うものだ。
何十年も生きてきた我々は自分なりのミスを防ぐ方法を身に付けている。失敗の多い人はやはり何かが足りないのだ。自分の中で何十も失敗を防ぐルーチンを回すことが必要になってくる。こればかりは自分でルールを作るしかない。他人が何度もアドバイスをしても失敗する人は失敗するものだ。
他にも営業から電話がかかってきて、あまり良い事例ではないが、もしかするとこの人の言っていることは間違っているのではないか、という疑いを持つことだ。人を疑うのは良くないことだが、そういう感覚を身に付けることは大切なことだと思う。人によって信頼できる人とそうでない人がいる。それは過去の履歴から判断がつく。もし、この人の言っていること間違っているんじゃないかな、と思ったのであればこちらで再度確認することだ。そうするとそれが結果的に自分も相手もお互い失敗をしないことにつながると思う。
以上だいたいこのような内容のことを話した。
10月9日
数少ない3連休だったがちょうど中日に課員の結婚式があったので、川崎に帰らずに結婚式に出席することになった。おまけに乾杯の挨拶をしてくれと頼まれていた。最近結婚式に出たのは3年ほど前にビジネススクールの友人が結婚したとき以来で久しぶりである。おまけに乾杯の挨拶なんて初めてだ。
会社でそのことを言ったら上長ならそういうことは増えるよとのこと。社内の飲み会であれば毎回乾杯の挨拶か、締めの挨拶をしているが結婚式の挨拶は初めてで何て言えばいいのか分からない。
とりあえずインターネットで調べて結婚式で使ってはいけない言葉、本人及び親戚へのお祝いの言葉を入れるなど最低限話すことを考え、後はオリジナルのネタを考えた。皆の前で話をするのは緊張するけどこれまで学会などで何度も経験している。頭の中に話す言葉を完全にたたきこんでおけば、どれだけ緊張しても意外にスムーズに話すことができる。結果は問題なく話をすることができた。
他のスピーカーはメモを見て話をしていたが自分は話す内容を覚えていたのでメモなしで話すことができた。初めて国際会議で英語でスピーチしたときのことを思い出した。俺は心の中でよくやったと叫んだ。後から話を聞くと、内容が堅すぎる、別の人は大変良かったと様々だった。スピーチは別として久しぶりの結婚式は良かった。感動したよ。
9月3日
会津若松でNOVAの英会話を習っているが、郡山から会津若松に行くには電車がバスを使う。もちろん車でも行けるが俺は車であまり移動したくない。お盆と正月での高速移動が毎回6、7時間から長いときには11時間以上かかったこともあり、俺の体の中に長距離運転の抵抗感がありストレスとなっている。当然ながら車で移動なら会津で酒を飲むこともできない。
それはさておき郡山と会津若松の移動に電車を使うと磐越西線となる。料金は片道1110円。高速バスを使うと1000円である。だから高速バスの方が安くなる。バスの場合は往復割引があって郡山の駅前案内所で販売しており往復1900円になる。この割引券は1000円券が4枚ついていておそらく他のところに行くときも使えるんだと思う。ところが電車の場合は更に往復割引がなんと1800円で買えるのだ。これまた安い。
会津若松のNOVAに行くとき最初は電車を利用していたが、NOVAは駅前留学と言いながらこの会津若松のNOVAは駅から遠いのだ。歩いてだと30分ぐらいはかかる。バスだと200円ぐらいかかる。それが高速バスを利用すると会津若松市内を何箇所か止まってくれる。会津若松駅に止まり、次に神明通りに止まり、最後に鶴ヶ城近くに止まる。この神明通りで降りると歩いて数分でNOVAまで行けるから便利でお得なのだ。
最初の頃はそれが分からなかったが最近はこの高速バスをよく利用している。そして気づいたのが新潟まであと2000円払ったら行けるということだ。つまり会津若松から新潟まで2000円とかなり安い。ちなみに郡山から新潟も3000円であった。
ここ最近俺は釣りに行ってない。いわきだと釣っても食べれないだろうから、いや食べれるのかもしれないが食べると不安だから食べない。食べないからいわきに釣りに行ってない。そこで新潟に行ってみようと考えている。会社の人に聞くと釣りに頻繁に新潟に行くとのこと。さすがにそのときは車嫌いの俺でも自分の車で行くのがいいだろう。いやまてよ、高速バスで行く手もあるよな。けど釣竿を抱えていかないといけないな。などと最近考えていて、新潟までのルートを調べている。高速だと料金はいくらかかるんだろう。
できれば寒くなる前に行きたいな。今月か来月中に。片道3時間ぐらいはかかるから長距離だ。どうやって行くか。
9月3日
前回と同じ書き出しだが、最近ある日の一言の更新が月1回ペースに減っている。だめだな。もっと頑張って更新しなくては。
この1ヶ月間の報告から、
7/29は郡山駅に蒸気機関車を見に行った。郡山-福島間を1往復走るのだ。東北本線に蒸気機関車が走るのは何十年ぶりらしい。俺も蒸気機関車の客車に初めて乗ったよ。
実際に走っている汽車は予約が取れた人しか乗れないが、出発前は自由に乗り降りできる。すごいよ。出発のときものすごく大きな汽笛がなってみんな耳をふさいでいた。生で聞けて感動したよ。
出発のとき車輪が空回りするのかと思ったけどそれは無かった。走り去ると煙であたり一面真っ黒になったよ。こりゃ、確かにトンネルの中では窓を開けられないな。生の汽車を見て感動したよ。
外国語の勉強は郡山にいるときは大体土日の2日間かけて勉強している。例えば土曜日に英語、日曜日にドイツ語と中国語というふうに分けて授業を受けている。先日も土曜日は会津若松で午後から授業が80分あった。午前中のうちにバスで移動し早めに着いて英単語を覚える。またヒアリングもイヤホンで聞いて英語耳にする。
3〜4時間で頭を英語モードにして授業に挑むのだ。会津のNOVAは生徒が俺一人なのでしゃべり放題だ。最近やってきたアメリカ人の先生は聞き取りにくい。1対1だと少しでもボットすると聞き逃してしまう。その間に重要な単語を話されると意味が分からなくなる。
ボットしてても耳に入るように訓練しないといけないが難しい。単語もできる限り毎日新しい単語を覚えようと家でも朝トイレに入ったときに眺めたりしているがなかなか覚えることができない。覚えたと思ったら忘れてしまう。しかしそれが普通の人だ。忘れたらまた覚えればいいのだ。そしてその単語を会話の中で一言でも使うと自分の脳にすっと入り込むのだ。不思議なものだ。
日曜日は朝一番にドイツ語を受講した。前日の英語が終わった後頭を少しづつドイツ語モードに切り替えていく。これまでのノートを見直し、会話帳を見直し、書き留めたメモを見直し、大体見直しの途中で授業の時間となる。
郡山のNOVAのテレビ電話で授業を受ける。そのときの生徒は2人だった。緊張感をもって挨拶からスタートだ。先生はこれまで何度も教えてもらった人なので慣れている。
そして40分の授業が終わった後は中国語モードに徐々に切り替えていく。最初にノートを見直し、テキストを読み込んでいく。そしてドイツ語が終了して2時間後ぐらいに中国語の授業の時間となる。
中国人はだいだいの人が福島に住んでいると言うと驚く、えっ大丈夫なの? 他のところに引越ししないの? などと聞いてくる。
何年中国語勉強してるの?との問いに3年か4年ぐらいかな、と答えてふと我に返った。そういえばそんなに勉強しているのに上達してないよな。いまだにドイツ語も中国語も下から2段目のクラスの7Bである。
語学はすぐには上達しないからいつでも使えるようにするには前もって準備しておく必要がある。何年たっても上達しないのは努力が足りないからだろう。もっと頑張らなくては。
お盆休みは今年は例年より1日少なく6日間であった。昨年は車の渋滞で10時間以上かかったので今年は何としてでも車での帰省を取りやめることにしていた。新幹線だと高すぎる。夜行バスは高速使うから渋滞するだろうし眠れないから乗りたくない。ということで普通電車で帰省することにした。ちょうど今は十八切符が発売されているときだ。これを使わない手はない。
7月22日
最近ある日の一言の更新が月1回ペースに減っている。だめだな。もっと頑張って更新しなくては。
郡山に単身で行って2年6ヵ月が過ぎた。仕事も生活もさすがに慣れた。課長として赴任して大変だったのは人の問題だ。それは今でも大変だ。部下には自分より先輩で年齢も高い人がいるから人の扱いが大変である。おそらくこれは生涯あり続ける問題だろう。
新入社員として入社して、少しづつポジションが上がり、その都度上長や同輩、後輩と切磋琢磨して厳しいやり取りがあったが、今自分が上長になると当時の自分の長の考えがよく分かる。おそらく俺は扱いにくい人だったんだろうなと。俺は結構わがままで、こうだと思ったことを貫いてやり抜いてきたから、反発も大いにあった。ビジネススクールに行ったときも会社の為と言いながらも俺は自分の道を貫き通してきた。長にとって俺はわがままとうつっていただろう。
今も仕事で同じようなタイプの人を見ると俺は親近感がわく。俺は自分が思うのであれば貫き通せ、とアドバイスしている。どれだけ周囲が反対しても自分が正しい道だと思うのであれば貫き通せと。その瞬間で見ると、それはわがままである。そのわがままが正しいかどうかは将来分かることである。日本経済新聞の私の履歴書や、私の課長時代の記事を見ると、同じことを書いている人もいる。周囲がどれだけ反対しても自分が正しいと信じたのであれば徹底してやり抜くようにと。
6月24日
最近NOVAに英語を受けにいくと同じクラスの人が多くて話をする時間が短くなってしまう。俺の今のレベルは3だが、ここ数か月の間に多くの人が同じレベルに上がってきた。逆に以前からやっていた人たちはかなりやめていった。学校の英語の先生が多くて、やめる理由は郡山に被災地から多くの生徒がやってきて通常の忙しさを超える状態になったとか、あるいは別の人はNOVAのレッスンでは人が多くて話をする時間が短すぎるので他の英語学校に移るとか。その人はレベル2で俺が英語を聞いても達人の域だと感じていた。
通常対面式のレッスンの人数は5人までだが、受講者が少ないと1人だけだ。その場合マンツーマンだがらしゃべり放題だ。それが5人だとしゃべる時間は1/5に減ってしまう。同じ金額を払っているのだから、できる限りしゃべって上達したいと思うのが普通だ。しかしよくしゃべる人やレベルが上の人がいると、なかなか話ができない。まぁ、人の会話に割り込むのも練習なのだが。
俺はそこで考えた。郡山のNOVAだと同じレベルの人が多いのだが、会津若松のNOVAだとどうだろうか。一度受講することにした。会津若松まではバスで1時間ちょっとで行ける。電車で行くよりもバスで行った方がすぐ近くにバス停があるから便利なのだ。
受講者はなんと一人だけだった。スタッフに話を聞くとレベル3の人はほとんどいないらしい。こりゃラッキーだ。このときは前日に予約を入れたから1レッスンしかとれなかったが、だいぶ前から予約を入れとけば2レッスンぐらいとれるそうだ。そこで俺はかなり前から予約を入れることにした。そして2週間後に受講するとやはりマンツーマンだった。
先生が米国人だから聞き取りは集中しないとだめだが、俺にとってかなり勉強になった。込み入った話をするとき、よく考えながら話をしなければならないときは、なかなか単語が頭に思い浮かばないので勢いよく話をしてしまう。すると文法がおかしくなったり、単語の前後が入れ替わったりする。しかし話すスピードは速い。
会津若松はこれまでに何度も行っていたが現地のスタッフや先生に名物やホットスポットを聞くといろいろと教えてもらえる。せっかくきたのだから美味しい食事のできる店など訪ねる。そのときはカレー屋を教えてもらった。タイ風のカレーでグリーンカレーといってココナツの甘味と香辛料の辛さがミックスしている奇妙なカレーで俺は初めて食べた。店の人と話をするとよくNOVAの外人も来るとのことで、その人に紹介してもらったことを話すと喜んでいた。そこでも更に他の情報が得られた。9月に大きな祭りがあって鶴ヶ城から騎馬武者が歩いていくとのことで、ちょうどその店の前も通るらしい。もし日程に都合があえば行ってみよう。
5月19日
マサキは小学六年生の頃、学校一足が速かった。本人の走りを見たとき俺だけでなく親もまたとびぬけて足が速いことを驚いたもんだ。そのマサキが中学では陸上部に入った。俺は川崎に帰ってきて競技会があれば競技場に行きマサキの姿を見ている。今の中学でもかなり足が速くて今度の体育祭ではリレー選手やチーム別の代表選手や、応援団リーダーなどいろいろ任されていて親としては本当にうれしい。
しかし中学で一番足が速かったとしても県内外の他の学校には強者が大勢いて県の大会ですら上位入賞は厳しいのである。去年県内のチーム対抗リレーで上位入賞して表彰してもらったことはあったが全国大会への道は厳しいのだ。最近は高跳びや砲丸投げ、ハードルなどの練習もして競技にも出ている。
そういえば腰が痛いと最近言っているらしいが練習のしすぎではないのか。部活ではもちろん頑張っているが、それ以外にも家の近所を走ったり、トレーニング器具を買って体を強化したり、ストレッチや体に負荷をかけることを毎日家でもやっている。それが体を痛める原因がどうかわからないが腰が痛い、足が痛いなど体も悲鳴をあげているみたいだ。
頑張るのはいいが親としては体を大切にしてほしいものだ。そして大会の日に最高の力が出せるように調整することも重要だ。それはスポーツに限らず学校の試験なども同じだ。一発勝負の世界だからそれで負けると終わりだ。勝つと次のチャンスが廻ってくるのだ。
5月3日
ゴールデンウィークに突入した。川崎に帰るときに車で行くか、バスにするか、電車を利用するか迷ったけど渋滞があると思い電車で帰ることにした。高速情報を見るといたるところで渋滞している。おまけに東北道は大雨の影響で通行止めだ。車で戻らなくて良かったよ。車ででかけている人たちは大変だろう。
4月22日
郡山では桜が満開になって花見の時期だ。東京では2週間前が満開で上野公園あたりは人だらけだったとテレビでやっていた。2週間前に川崎に戻る時いつも上野駅で乗り換えるけど大勢の人が改札に殺到していた。普段では考えられない人数の人だ。すげぇな。みんな花見が目的だ。
郡山で有名なのは三春の滝桜だ。日本三大名桜の1つである。おそらく昨日、今日が桜の見頃で多くの人が集まっているのだろう。見にいきたいもんだ。
4月7日
震災から1年過ぎたが地震は相変わらず頻繁に起こっている。最近は震度4があり、こりゃ久しぶりにでかいのがくるな、という感じだったがそのままおさまった。良かったよ。昨年俺は北海道に行く計画を立てていた。それも運悪く3月11日金曜日の夜出発だった。北斗星で郡山を21時30分頃出発すると翌日の朝函館に到着する。まさかその日に大地震がやってくるとは夢にも思わなかった。
そして俺は1年後に再びその計画を立てた。今回は十八きっぷを使って行くことにした。朝一番の電車で郡山を出発するとオール普通電車で21時過ぎに函館に到着することができるのだ。ただそれには問題があって十八きっぷを使用できるのはJRのみで、盛岡から八戸間の”IGRいわて銀河鉄道”では使えない。そこで俺が考えた計画はその区間のみ新幹線を利用することだった。
3/31土曜日朝5時30分ごろ家を出発し、郡山駅の始発電車に乗った。福島、仙台で乗換えて岩手県の一ノ関駅に11時過ぎに到着した。ここでの待ち時間は1時間もある。駅のアナウンスによると首都圏の大荒れの天気で後続の電車に遅れが出てるとのこと。これは下手すると函館どころか青森までも行きつけないかもしれない。早めに新幹線に乗り換えるか。俺は改札を出てビュウで情報を入手することに。そして俺は旅のパターンを変えることにした。どうせ宿泊するところも決めてないから今からパッケージツアーに変更するか。もし空いていたら。
変更できないなら、このまま行けるところまで旅することにしよう。するとツアーの予約日程は過ぎているが、急きょ対応してくれることになった。宿泊先、電車の切符。そしてパッケージツアーに申し込むことができた。それは一ノ関から函館までの往復新幹線、特急料金+宿泊だ。そこからの旅は快適だった。今までのローカル線の旅ではゆっくり走る電車で何度も乗換えしていたが、今度は新幹線で一気に新青森に向かうことになった。
一ノ関から盛岡に到着した。盛岡でも首都圏の大荒れの天候の影響で新幹線が30分程度遅れていた。新青森からの乗り継ぎ電車の時間に間に合わないな。まぁしょうがないか。遅れてやってきて乗った新幹線は偶然にもハヤブサ車両のE5系だった。こりゃラッキーだ。ハヤブサ車両はこれで2回目だ。
15時過ぎにあっという間に新青森に到着したが、次に乗る予定の特急白鳥は既に出発していた。代わりにスーパー白鳥に乗車するよう駅員から連絡があり切符を交換してもらった。青森は大雪だ。3月末というのに1階が雪で埋まっている家もあった。北国はやっぱり違うな。そして青函トンネルに入り途中の通過駅で一度止まった。俺は海の下にいるなんともいえない感動をかみしめていた。そして函館に着いたのは17時過ぎだった。
新青森ー函館間は意外に時間がかかるもんだ。しかし当初の計画では21時過ぎに着く予定であったのが、かなり早く着いたので函館観光できるようになった。
14年ほど前に一度函館に行ったことがある。妻が函館旅行を当てて北斗星で行ったことがあるのだ。今回函館に降りたが昔の函館の状況がどうだったか全く覚えてなかった。俺は記憶力が悪いからな。さて今から観光できるところといったら函館山の夜景ぐらいだろう。ツアーの中にロープウェーの往復料金も含まれていたので市バスに乗って行くことにした。道路に雪は積もってないが、側道には山盛りの雪が積まれている。ロープウェーで上まで行くあいだ、ライトアップされた山の木々がきれいに光っている。見事な樹氷になっているのだ。他の観光客からも樹氷のきれいさに感嘆の声が上がっていた。
山頂はかなり風が冷たく全てが凍りついている。町の夜景はかなりきれいに見えた。それから辺りを手早く散策して帰ることにした。帰る途中の飲み屋で晩飯を食べた。北海道の名物はかに、ほたて、いかなどあるが、俺がそこで食べたのはイカの塩辛だ。函館は塩辛が有名らしくうまかった。翌日は朝市を散策し新鮮な魚介類を見学した。朝飯はホテルの食事がついていたの食べなかった。その後五稜郭に行きタワーに登った。函館市内を一望できるのだ。五稜郭のお堀は凍っていた。歩いて散策してもわからないが、タワーの上から五稜郭を見ると五角形になっているのだ。すげぇな。
そのあと函館奉行所の内部を見学し、近くのあじさいラーメンで塩ラーメンを食べた。このあじさいラーメンは飲み屋のオヤジが教えてくれた有名な函館のスポットだ。そして市電に乗って金森倉庫の見学、函館駅に戻り朝市で新鮮なうに、いくら、かにの三色丼を食べて午後14時前に函館を出発した。帰りの旅も長い。予定では一ノ関で降りて再び十八切符を使い郡山に戻る予定だったが、時刻表を見るとその日のうちに郡山に帰れそうにない。そこで仙台まで新幹線を乗り継ぎ、そのあとは普通電車でのんびりと戻ることにした。そして21時30分過ぎに無事に郡山に帰ってきた。
俺はいつもは無計画でぶらり一人旅に出るが、今回はさすがに北海道と長距離の為前もって時間を調べておいた。且つ時刻表も買ってチェックしながら旅をした。2日間で北海道まで行くのはやはり簡単でない。おまけに旅先で観光するのであれば多少時間の余裕も持って行きたいもんだ。もう少し時間に余裕があれば全て普通電車で旅をしたいな。函館の天気は良かったが、帰る途中の天候は大荒れで道南、青森、岩手は大雪で吹雪いていた。
さて1年前に震災が原因で行けなかった北海道に今回ぶらりと行くことができて良かったよ。ぶらり旅シリーズ特集でホームページをまとめることができそうだな。
3月4日
昨日NOVAで英語を受けたらメンバーが変わっていた。驚いたよ。1ヶ月半行かなかっただけで人が変わるなんて。数人のテキストを見ると新しいのでレベルアップした人達だ。ところが中の一人が話し出すと止まらないぐらい長い間話し続ける。おまけにスピードが速い。こりゃ達人だ。
驚きだよ。俺も負けられない。俺はこのレベルで5年ぐらいやっている古株だ。1ヶ月半勉強しなくても適当なイングリッシュで話すことができる。超早口で英語をしゃべりまくった。外人の先生も聞き返すぐらいのスピードだ。しかし長くはしゃべれない。頭の中で次の単語を探し始めるとスローになってしまう。負けたか。
先生からいくつかの質問があった。50年前と今で違うところは何? と日本語では簡単に答えられる質問だ。さて頑張って話そうと思ったときは先手必勝だ。受講生は5人いたが、俺は真っ先に答えた。
[以下記憶にある限り会話を再現。文法違い、誤字あると思いますが会話なのでご勘弁ください]
俺:Transportationsystem.
先生:For example?
俺:Let me see, train. Shinkansen. 50 years ago we can't see Shinkansen. I don't know exactly. Maybe nothing. Now Shinkansen has. That's very convinience to go somewhere. It's very short time. That's distination.
先生:Good. train was changed a lot. ・・・・.
今思い出そうとしても自分の話したことはほとんど覚えているが先生や他の人が話したことは忘れてる。
久しぶりの英語で刺激を受けた俺は翌日の日曜日も語学勉強に徹した。本当はダイエットの為に歩くかどこかにでかけようと思っていたがやめた。
午前中に中国語、午後にドイツ語の予約を土曜日に入れた。中国語もドイツ語も2週間ぶりである。家にいると寒いからファンヒータをずっとつけるけど、外にいれば灯油代も節約できる。
10時30分にNOVAに行き中国語の自習を始めた。中国語の授業は11時50分からだ。終わっても家に戻らずドイツ語の勉強をして15時50分から授業を受けた。
そして家に戻ったのは17時だった。今日は一日中語学勉強していたことになる。授業の合間に外人が通っていくので世間話をして英語力を鍛えることもできる。また隣で授業をやってるので耳に入ってくる。
さらに建物はエアコンも効いてるから快適に勉強できるのだ。自習している間は一切費用もかからない。なんていい環境だろう。スタッフも文句を言わない。逆に空いている席での語学勉強を奨励している。しかし勉強しているのはいつも俺だけだ。
3月3日
3月になったのに雪の降る日が多いです。昨日の午後から降りはじめた雪が今朝まで降り続いて20センチぐらい積もっている。今日はあまり外に出たくないな。けど夕方に英会話の予約を入れてるから駅前まで行かなくては。今日の天気は晴れらしいから道路の雪は溶けるだろう。
郡山にいるときの休日は近県の史跡めぐりかNOVAに行っている。仙台のNOVAに中国語の先生が来たということで勉強に行ったときもある。東北大学の博士課程の学生だった。
郡山で中国語を勉強するときはネットを通してテレビ電話で授業を受けるのだ。ドイツ語も同じだ。英語だけは対面式だが郡山は先生が一人しかいないのであまり受けれないのだ。
今は1ヶ月に一度程度英語を勉強しているから非常に少ない。前回仙台で中国語の授業を受けるときに一緒に英語も授業を受けた。ついでに仙台で散髪も行き観光もした。
今の環境では語学もいまいち上達しない。単語を忘れるから英語、ドイツ語、中国語の単語帳は定期的に眺めている。会社に通勤するときの車でもそれぞれの言語を順番に流して聞いている。川崎に帰る電車でも聞いているが、やはり聞くだけでは上達しないのだ。会話が重要だ。会話をしたボリュームに比例して語学の会話能力は伸びると思う。
前回のNOVAで英語を勉強したのは1月だったから、1ヶ月以上英会話に行ってないことになる。今日は朝から英語を聞いて耳を慣らして頭を英語モードに切り替えている。またこのHPを作りつつ、英単語も覚えなおしているのだ。ようし頑張ろう。
2月25日
先週の日曜日、阿武隈川沿いのサイクリングロードを散歩した。今日は天気が良くて快適である。雲が少なく本当に気持ちのよい晴れた日だが、気温は氷点下だ。だから風が吹くと寒い。俺は厚着してマフラーを巻いて寒さ対策をして歩いた。それでも鼻水がずるずるとでてくる。
たまに歩いている人とすれ違う。すれ違うとき互いに挨拶をする。なかなか気分がいいな。川には白鳥が飛来しており多くの水鳥も集まっているところがあって、多くの人が鳥を見に来ていた。サイクリングロードがなくなるところを左折してしばらく歩くとJRの駅に到着した。午後3時だ。家を出たのが12時だったから結局3時間歩いたことになる。時速4km/hぐらいで歩いているとすると、12kmの距離を歩いたことになる。そこから電車で郡山駅まで戻り家まで歩いて戻ると午後4時20分であった。今日は結構歩いたな。体重を測ると2kg痩せていた。
2月11日
川崎市役所なのに”警視庁 荒川北警察署” となっている話はヤフーのニュースにも掲載されていた。ドラマの撮影らしいが、まだ未公開とのことでドラマ名、出演者は公開してないとのこと。
北東北は大雪でいろいろ被害が報告されている。郡山も朝目が覚めると雪が積もって銀世界になっていることが多い。今日も朝起きると一面雪が積もっていた。
先週久しぶりに大学を訪問した。博士号を取得した大学で8年ぶりの訪問である。当時の指導教授はなんと大学学長となっており、同期の卒業生が準教授となって研究室の責任者である。すごいよ。
大学の学長室なんて初めて入った。秘書室を通り抜けて学長室に入るのだがすごい緊張して入った。先生は以前と全く変わらず気さくに話をしてくれた。仕事の関係で訪れたが博士課程の頃の話をいろいろしてくれた。
先生によると俺は全く手がかからなかったそうだ。放任主義が先生の教育方法で俺は自分で勝手に動いていたから先生も手がかからなかったと言われたのだろう。
その後研究室の見学を行い、現役学生に社会人の心得など話して交流した。なかなか普段とは違う一日であった。良かった。
2月5日
郡山の最低気温が−13℃になった。おそるべし温度だ。人はこの温度で生活できるのだろうか。-13℃といえばスキー場の温度でないだろうか。近くの阿武隈川も凍り始めた。川の浅瀬は流れがあって凍ってないが、深いところは表面が凍りついていて更に氷の上に雪が積もっているのだ。おそるべし郡山。おそるべし東北だ。
川崎に戻ってくると郡山との温度差がよく分かる。暖かいな。マイナスとプラスの温度の違いは大きい。気持ちがいいな。川崎駅前まで散髪のついでにぶらぶらと歩いていく。気持ちよく散歩ができる。途中で川崎市役所の周囲に人だかりがしている。警察車両も止まっている。おや事件か? 川崎市役所なのに”警視庁 荒川北警察署” となっている。もしかしたらドラマの撮影か。何のドラマだろう?撮影機材が置いてあり役者の警察官も数人立っている。そういえば、ここに来る途中の市立病院の中にも撮影スタッフらしき車両が数台止まっていたな。関係あるのかな?
1月29日
人間ドックを受診した。先月から日程調整をしていたがいい日がなくて結局年明けになってしまった。そして驚きの数値が! 肝臓の機能を測定するγGTPが3ケタに到達してしまった。標準は11〜58ぐらいなのに100を超えていた。これはまずいぞ。ドック受診が1月だったのが良くなかったかもしれないな。年末年始と肝臓に負荷をかけすぎたか。欲望のままにアルコールを飲んでいたからな。二次検診は確実に決定だ。
おまけにお腹まわりがメタボに引っかかってしまった。体の改良をしなくてはいけないな。しかしアルコールは毎日飲んでるわけではなくて、金曜日から日曜日だけ飲んでいる程度だ。平日は全く飲まないのだ。ただ飲むときの量が多すぎるのが問題かもしれないな。気をつけなくては。
運動も特にやってないけど、毎日仕事場では積極的に動き回っているし、休日はいろんなところにでかけて歩き回っている。それでも体重が落ちないのは運動量が足りないからか、食べる量が多いからか、需要と供給のバランスが悪いからだろう。今までと違う何かをしなくては。
1月14日
世界遺産に登録された平泉に行ってきた。場所は岩手県平泉駅から車で5分の中尊寺だ。昔から一度は行ってみたいと思っていた場所の一つである。小学校の頃見た30円切手の中尊寺金色堂のキラキラと輝いている姿が頭に焼き付いていて、本物を一度は見てみたいと思っていた。それがようやく実現した。
小さな旅ホリデーパスという南東北フリーチケットがJR東日本から販売されている。2500円で南東北のエリアが乗り放題だ。以前も書いたと思うが、南は新白河、東は石巻、女川、西は喜多方、米沢、今泉、新庄、山形、北は平泉までのかなり広い範囲で1日乗り放題できるのだ。俺はこれまでに米沢、会津若松、仙台、石巻、松島などに行って来た。そして今回は初の岩手県平泉町だ。
朝一番の電車に乗ると12時前には到着するが、寝坊して朝7時30分過ぎに家を出た。すると乗り継ぎが悪くて平泉に着いたのは14時30分頃であった。いったい何時間かかったんだろう。平泉の駅前は田舎町の小さな駅という感じだがいたるところに世界遺産という言葉が書かれていた。日曜の夕方だというのに観光客は以外に多い。さすが世界遺産に登録されただけのことはある。
観光案内所で行き方を聞こうと思ったが前の人が長々と話をしているので俺はパンフレットを見て中尊寺の閉館時間を確認した。すると16時30分となっていた。中尊寺を見て回る時間が1〜2時間と書かれていてこりゃ時間がないぞ、と思い急いでバス乗り場に行った。運良く1台のバスがやってきたので、運転手に確認すると、そのバスは今中尊寺からやってきたとのこと。次の中尊寺行きのバスは時刻表を見ると17時30分までない。ここからどれぐらいかかるのか、どうやって行くのか分からないのでタクシーを使うことにした。金がかかるけどやむをえない。
タクシーの運ちゃんに聞くと距離は1500mとのこと。タクシーだと5分以内で着く。歩いてでも20分もあれば着く程度だった。近いのだ。それでも外は雪が積もっていて寒い。中尊寺の入り口から山道を登っていく。天気はよかったが中尊寺入り口は雪道でいたるところ凍っていて気をつけていかねばならない。意外と急な坂道で周囲は杉の大木がそびえていて凛とした雰囲気である。パワースポットだ。
歩いて10分ぐらい行くと弁慶寺があってお参りをした。数十メートルおきにいろんな社があって時間がないので先に目的の金色堂まで行き、帰りに全ての社を回ることにした。歩いて10分ぐらい行くと金色堂の入り口に着いた。入館料800円であった。金色堂は大きな建物に覆われており内部にある。更にガラス張りのケースに金色堂は入れられており温度、湿度が一定で厳重に保存されている。
俺は見た瞬間感動した。黄金のお堂でキラキラと輝いている。きれいに金箔が貼られているのだ。木の木目が金箔の上からもはっきりと分かるぐらい薄くきれいな金箔が貼られている。しばらくすると説明用の音声が流れた。奥州藤原氏、三代の慰霊が祀られているそうだ。そして驚いたのはお堂は全面金箔ではなく屋根だけは箔が貼られてないのだ。俺が子供の頃に見た30円切手は全面が金箔でキラキラと光っていたが、本物は屋根は全く金箔が貼られてないのだ。解説によると元のお堂も屋根だけは箔が貼られてなかった為に再現したお堂も同じようにしたと言っていた。そうなんだ。
俺は隅から隅まで見て目に焼きつけた。金色堂は撮影禁止なのだ。気がつくと16時を過ぎていた。おっと時間をかけすぎた。俺はその後中尊寺をお参りして、能楽堂を見て帰ることにした。周囲は積雪50センチは積もっていて威厳のある寺院を楽しむことできた。
さてせっかく平泉まで来たからには温泉に入らなくては。場所が分からないので再びタクシーに乗り近くの温泉に行った。すると5分ぐらいのところに天然温泉があり、気持ちよく旅の疲れを癒すことができた。温泉から出ると外は薄暗くなっていた。近くを歩いている人に駅の方向を聞いて、歩いて駅まで行った。
帰りの電車は17時24分で、後30分ぐらい待ち時間がある。駅前にそば屋があったので食事をとることにした。岩手県の名物はわんこそばがある。しかし1人でわんこそばを食べるのは何か変だ。おまけに高い。1800円もした。俺は手軽なザルそばとお酒を頼んだ。そばはすごく上手い。今まで食べたことのない味だ。俺は腰の強いそばがそれほど好きではない。そこの店のそばは腰はほどほどで、奥深い味わいがある。なんとも表現しがたいぐらい美味しいそばである。時間がないので俺はすぐに店を出ることにしたがぜひともまた食べてみたいもんだ。
乗客の少ない電車に乗り込むと、一関、仙台で乗り換えてスムーズに郡山に帰ることができた。郡山には22時過ぎに到着した。初めて見た世界遺産の平泉、中尊寺の金色堂は本当に見ごたえがあった。是非もう一度行って見たいもんだ。1回目見るのと2回目見るのでは発見するところが違うのだ。会津若松の鶴ヶ城もこれまでに何度も訪問してその都度新しい発見をしている。そういえば雪の会津若松もいいかもしれないな。
1月3日
明けましておめでとうございます。今年も普通の家をよろしくお願いします。
1999年から書き始めた普通の家も既に13年たちました。その間、脱普通の家を目指して頑張ってきましたがまだまだ努力不足で反省するところが多いです。これからも未来に向かって日々精進していきたいと思いますのでよろしくお願いします。