ある日の一言(2002年1月〜)
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内容紹介
ある日に起こった出来事、感じたことを一言書きます。楽しみにしててください。
12月22日
先日ある学会から表彰状が送られたきた。俺は、「何でカレンダーが送られて来るんだ」、と思って見てみるとケースに入れられた表彰状で、ベストプレゼンテーション賞となっていた。2ヶ月ほど前に熊本で学会があり、そこで審査があったそうだ。会社の他のやつは、「何、ベストドレッサー賞をもらった!」とか、「1回の学会講演で何人も、もらっているのだろう」とか、いろいろ言ってくる。俺も、以前から、この賞の名前は聞いたことがあったがメジャーでないので全く関心が無かった。
上司から、「とりあえず去年の学会誌に発表されたときのデータが残っているかどうか調べろ」、と言われ、調べたところ掲載されていて。去年の例では684人中11人が受賞されていた。「何だ、やっぱり何人かもらっている賞だ」、と俺は考えていたら、上司より、「おい、計算機で割合を計算しろ」と、すると、1.6%であった。上司は、「これはすごい賞じゃないのか」と、俺は本当によく分からなかったから、「う〜ん」としか答えようがなかった。
1.6%・・・、100人中1.6人か・・・。すごいのか、どうなのか? 以前、フジテレビの番組でマイケルジャクソンのかっこうをして踊ったことがあったが、そのときは100人中2人が選ばれたわけだが、まぁ、そのときと同じだから、大したことないんじゃねぇの、と思ってしまったのが俺の本音で・・・) 確かに学会での去年の例では、受賞者はほとんどが大学の教授で、企業は無かった。まぁ、学会で発表している人たちの8割ぐらいが大学の先生だから、当然と言えば当然だろう。その中で受賞できたことは、すごいことなのかもしれない。まぁ、島津製作所の田中さんが、ノーベル賞を受賞する世の中になってきたのだから、学会発表の中の1つの賞で俺が受賞しても不思議じゃないだろ(こら、こら、ずうずうしいぞ、田中さんとは格が違うだろ!)。社内でも社長から表彰をしてもらえるそうで、今年最後にいいことがあった。大学の先生からも、「履歴書の賞罰に書くことができるぞ!」と、言われて、博士号取得の1つの大きな糧を得たと今は感じている。
12月15日
最近HPをさぼりぎみで申し訳ございません。先週は土日と友人の結婚式のため京都に行ったのだ。結婚式の合間に、三十三間堂、大覚寺、金閣寺、銀閣寺、その他近くの寺院、仏閣を見て回った。俺に寺院を回る趣味はないのだが、やっぱり京都に来たからには”寺”に行かなきゃ、ということで回った。そう、三十三間堂は小学校の社会見学以来だが、多くの仏様がならんでいる場所での空気は何かが違う。言葉で表現するのは難しいが、無限のパワーを持っていて、参拝する人に分け与えてくれているような気がした。(年を取ったかな〜)
友人の結婚式、披露宴、二次会と出席したがやっぱり学生の時の友人とは一味違っていたような気がする。彼は大学卒業後、ボクシングで京都市のアマチュアチャンピオンとなり、その後プロに転向して4戦したそうだが残念なことに、勝ち星には恵まれずに引退して、今は会社員として社会に貢献しているそうだ。
俺が大学の頃、「押忍、空手部」に所属して、彼と近くの公園で異種格闘義戦をやったことがある。実は俺も腕には自信があって、高校の頃は地区大会などで2年連続で準優勝をしたり、大学の空手部でも1年生の頃から大会には出ていてほとんど負けることはなかったのだ(自慢するな! 今はやってないくせに!)。だから俺はたかがボクシングごときでと、足技なしで楽勝で勝てるワイ、と戦ったことがあるのだ。いちよう、けがをしないように寸止め(相手に当てないように当たる瞬間にパンチを止める)、のルールでやったのだが・・・。これが意外に白熱して、ふと気がつくと、「わっ、喧嘩やってるよ!」と周りが騒ぎかけていた。ふとした瞬間に俺の顔面にパンチが入って、その一瞬後に俺は足技を出してしまっていた。そこで終了。そのときに戦って思ったのが、「こいつ上手いな」。その当時はまさかあいつがプロボクサーになるとは夢にも思ってなかったけど。
ちょうど二次会のときにプロになっていた頃勤めていた会社の人と同席だったので話が聞けた。その人によると、そばで見ていて、彼の生活はキツイの一言だそうだ。特に食事にはかなり気をつかっていたそうで、一緒に会社の食堂に行っても昼飯のメニューを見た瞬間、彼は帰っていくそうだ。自分にはカロリーがありすぎるメニューだから。また、その会社に入るときも、ボクシングを一番でやらせてくれる、という条件で入ったそうで、彼がプロを引退するときも、「この会社はボクシングと共に歩んできたから」、という理由でボクシングの引退と、会社の退職を同時に行ってケジメをつけたそうだ。周りの人間は、どうして会社までやめるのか、と残念がったらしいが本人の意思は固く、誰も引き留めることはできなかったそうだ。
結果がどうあれ、ボクシングでの経験は本人にとって一生の宝物だと思う。今後生きていく上で、いろんな問題に立ち向かわなくてはならないときがあると思うが、俺は今までにこんなつらい経験があったから、今あるつらいことなんてなんともないや、と思って乗り越えていけるだろう。
この話はまた機会があったら詳しく書くが、結婚式に出席した友人の一人が会社をやめた。その理由は漫画家になるためだ。会社をやめたのは、自分を追い込み、背水の陣とするためにとった行動だそうだ。首都圏の出版社を何件か回ったそうで、かなり厳しい意見を言われたところもあるそうだ。「もう二度と来るな」と。しかし彼はあきらめずに頑張るそうだ。1度しかない人生だから、悔いの残らないように。
最後に一つ。俺の書いた論文がようやく1本、学会誌に掲載されることが決定した。1年半たって1つの大きな目標に到達できた。その結果もあって先週に行われた大学での中間発表は無事に合格することができた。また、来年の11月に再び国際会議で発表するチャンスも得られた。けど前回と同様で英語の論文を作成してパスしなければならない。今度は失敗しないように気合いをいれてやらねば。頑張っている友人に負けないように。
12月1日
前回の話の続きだけど、論文というのはいったい何だ? と思う人がいるかもしれないので、簡単に説明しよう。論文とは、自分の考えや実験の結果に基づいて作成した文章のことである。ここでいう論文はオリジナリティ(独創性)が必要になってくる。そう、他の人と同じことをやっていても駄目なのである。どれぐらいのページ数を書くかというと、それは論文の規定によっていろいろ違う。ちなみに俺が今書いているのは、A4の紙4〜6枚ぐらいだ。
どう、わかった? 分からないか。 もう少し詳しく書くと、過去にある研究が行われていたとしよう。そして、自分は過去の人と違ってこのような研究をやった。そこである実験をやったら、こんなおもしろい結果が出た。この結果を更に深く考えると、このようなことが分かった。これらを文章化するのだ。論文の順序は、だいたいこんなストーリーで書くのだ。論文の中には訳の分からない数式(もちろん書いている本人はわかるのだが)とか、イメージ図なんかも出てくる。前にも書いたが論文をただ書くだけでは実績にはならないのだ。書いた論文を学会に投稿して学会誌に掲載されなければならない。
例えば俺が今日論文を学会に投稿したとしよう。学会は査読委員の先生(2〜3人)に論文を審査してもらい、1〜8ヶ月ぐらいで、結果が返ってくる。その結果には、”照会”か”返却”かが記されている。この”照会”か”返却”で今後の方向が大きく分かれるのだ。照会の場合は、質問事項がいくつか書いてあり、回答書を作成し、あるいは追加実験を行い、その結果をまとめて再度学会に返送するのだ。ところが、返却の場合は、論文の内容に、あるいは書き方に問題があって、その論文はもうここの学会には投稿できないのである。ただし、大幅な修正を行い再度一から投稿するなら別だが、とにかく今までに何ヶ月、あるいは1年程かけて一生懸命に作った論文が、その一瞬のうちに終わってしまうのである。そう、前回俺が書いた、”返却”というのは、このことである。却下という結果が返ってくると精神的なダメージが大きい。これが俺の場合、2つ続けてだからダブルパンチをくらったかんじだ。
そうそう大学院の博士後期課程は2年生の今頃の時期に資格審査(中間審査)なるものがある。そこでは自分がこれまでにやってきた研究の結果を40分程かけて大学の先生(4〜6人ぐらい)の前で発表するのだ。そこでは、今後の計画も合わせて発表する。そして、この審査にパスしないと大学を退学になってしまうのだ。そう、実は来週俺も資格審査があるのだ。最終的に博士号を取得するには、来年(3年生)の今頃に予備審査があり、このときまでに、論文が国内の学会誌に2本と、国際会議もしくは英文誌に1本パスして、学会発表も2本以上やってないと駄目なのである。パスするというのは学会誌に掲載されたか、あるいは掲載が決定してないといけないということだ。俺は学会発表はこれまでに5回ほどやってきたから、これは問題なし。あとの学会誌と国際会議であるが・・・、さて、さて。
11月16日
残念なことがある。本当なら今頃、香港に行ってうまいものを食ってたのに・・・。博士号取得のために国際会議での発表があって、申し込んでいたのだが俺のあまりの英作文能力のなさに英語論文がパスしなかったのだ。うっ・・・、残念だ。そういえば俺がNOVAに行き始めたのも国際会議で発表するためだったのだ。いったい何のために英会話を習っているのかわかったもんじゃない。おまけに日本語の論文を3本投稿しているのだが、そのうちの1本が返却されてきた。内容に問題ありと・・・。博士を取得するには学会誌に論文が最低2本は掲載されなければならないのだ。気合いを入れ直して頑張らねば。
11月3日
明日から妻と子供達は義母と一緒にシンガポールに5日間行く予定だ。妻の友人夫婦が仕事の関係で向こうに住んでいるため遊びに行くのだ。俺も行ったことがないから、仕事を休んで行きたかったのだが、まず不可能に近い。ショウヤなんて0歳にして、サイパンで泳ぎ、次はシンガポールでマーライオンとご対面。贅沢すぎる・・・。俺の子供の頃からするとまず考えられない。やっぱりそれだけ時代が変わってきたからか。それとも俺達夫婦が旅行好きなだけなのか。うん、多分そうだろう。まぁ、俺は一人でのんびりするか。
10月28日
先週久しぶりに、会社の連中と畑山の店、和シハーズに行ってきた。そこで初めて本物の畑山に会うことができた。そう、元WBA世界チャンピオンでガチンコに出ている、あの畑山だ。そこで俺達は、1人店に遅れてくる後輩がいたので携帯で連絡して、途中で色紙を買ってきてもらった。畑山は快くサインをしてくれた。いや〜、ラッキだった。畑山はこの店のオーナーで、ときどき(週に2〜3回)現れるそうだ。店に来るときはいつもお客さんにあいさつして、写真とか、サインとかいろいろサービスをしてくれるそうだ。
10月19日
先月、今月と学会発表が続けてあって静岡と熊本に行って来た。せっかく熊本に行くなら何か見なくては、と考えていたが結局スケジュールが詰まっていて学会会場の周辺で熊本城が見れた程度だった。う〜ん、残念。会社の工場が近くにあるので、周辺のホテルで1泊したけど山の中にあるので辺りには何もない。せっかくだからもう1泊して次の日の土曜日に帰ろうかなっと考えたが土曜日は朝からマサキの運動会があるのだ。結局、金曜日の夜の飛行機で羽田に帰ってきた。いや〜、充実しすぎた出張だった。
先週は友人の結婚式のため名古屋に行って来た。久しぶりにみんなに会えて良かった。みんな大学のときの同期だ。今年の12月に更に、今回一緒に出席した別の友人の結婚式もある。あと、会社関係の二次会も2つ続けてあって、まさに年末まで結婚式ラッシュだ。
友人達は大学の頃と違ってみんな立派になっていた。社会的な立場で世論を見ることができて、いろんな意見を聞くことができた。そうそう今度結婚する友人は大学卒業後プロボクサーになって、その後、引退して今は働いているのだ。本当にみんな頑張っているよ。俺も負けられないな。
10月13日
先週釣りに大黒埠頭に行ってきた。ベイブリッジを越えて高速を降りるとすぐに埠頭があるのだ。その日はいわしの大群に遭遇して俺は撒き餌なしで31匹を釣り上げた。ラッキーだ。
マサキもイワシのうろこ取り、はらわた取りを手伝った。マサキの様子を見ていると、イワシのお腹付近をポキッと折って指を腹の中に入れて、腸をひものように引っ張り出す。ウッ、グロテスクなことをやっている。マサキの場合、それで終了だ。これじゃフォローが必要だ。俺はそのあとからもう一度はらわたをきれいに洗い流した。そこで俺は聞いた、「おい、マサキ、はらわた取るのはおもしろいか?」、すると、「うん、もっとやりたい」、だと。こっ、怖い。はらわた取りをおもしろ半分でやっている。将来方向を間違わないようにしなくては。
10月6日
今日夜の9時からTBSでやっていた「行列のできる法律相談所」に俺が出ていた。えなりかずきが主役の再現ドラマだがそのワンシーン、一生懸命にご飯を食っているシーンに出ていた。すごいな〜。初めての再現ドラマだ。
9月29日
そういえば今月はじめの話になるが、9/1(日)の夜9時から「あるある大辞典」を見たけど外れだったみたいだ。2カットぐらいしか出てなかったような気がする。今までのなかで一番、二番を争うぐらい撮影時間が長かったけど、まぁ、こういうときもあるか。
9月21日
先週また海釣りに出かけてしまった。それも土曜、日曜の2日連続でだ。なんか最近釣りにはまってきてるかもしれないな。土曜日は会社の人と三浦半島の先端に行ったが雨が降ってきて小さいメバルが1尾しか釣れなかった。
次の日はマサキと一緒に本牧の海釣り施設に行った。リベンジである。その日は俺にとって初めての大漁で、20cmほどのイシモチが1尾とイワシが22尾釣れた。がっはっは。もうこれで釣り地獄から抜け出すことができそうにない。ようし、また行くぞ。
なになに、釣った魚をどうするかって? もちろん料理して食べるのだ。その日、俺達は魚料理用の出刃包丁を買ってしまったのだ。はっはっは。しかし、さすがこれだけの魚のはらわたをとったりすると、俺も少しは魚をさばくのがうまくなったかもしれないな。
9月14日
9/5(木)〜7(日)にサイパンに行ってきた。子連れ海外旅行第二段である。自分と妻はマイレージの無料チケットが取れたので飛行機の料金は子供2人分だけでよかった。ホテルにはインターネットで予約を入れていざ出発。我が家から成田空港までの移動だが、子連れ旅行で交通機関を利用するとトイレやおむつ交換など大変なのでマイカーで行った。朝5時40頃に家を出発して、タイムズの駐車場に6時50分頃に到着した。そこで車を預けて専用バスで空港まで送ってくれるのだ。タイムズとはあの時間貸し駐車場で、もちろんその料金システムは時間制で、4日間ぐらい預けるなら、けっこうお得になるのだ。タイムズへの予約もインターネットで簡単にできる。
僕は今からどの飛行機に乗るのかな? たくさん飛行機があるからおもしろいな〜。
飛行機はノースウエスト。座席は2階席のビジネスクラスを取った。去年俺がアメリカに行ったときに、この座席が気にいって、今回も優先的に確保したのだ。座席は広いし、座るとすぐにシャンパンなどの飲み物サービスがあるのだ。1階のビジネス席に比べると前後の座席間隔もかなり広めに取ってあるのだ。なんといっても元ファーストクラスだから。
しかし、マサキにとっては贅沢すぎる座席だなぁ。
飛行機の離着陸は赤ちゃんにとっては過酷だ。耳がつ〜んとくるし、重力はかかるし、揺れるし、大人でも多少構えてしまうぐらいだから。実は俺にとっても今回の離陸は過酷であった。飛行機に乗る前にトイレに行ったのだが、既にアルコールを何杯が飲んでいたので俺は飛行機が動く前からトイレに行きたくなっていた。しかし俺の心の中で、まぁ、すぐに水平飛行になるから大丈夫だ、と考えていたがあまかった。そう、何でアルコールを何杯も飲んでいたかというと、ビジネスクラスの利用者は空港のラウンジを利用できるのだ。このラウンジにはあらゆる種類のアルコールが置いてあり、すべて無料で飲める。おまけに軽食も無料で食べれるのだ。ここを参考に。俺は調子にのって短時間でビールを数杯飲んでいた。
飛行機が動き始めて、席を立ってトイレにいくのは、かっこわるいので俺は我慢しようと思った。まぁ、すぐに飛び立つだろう。ところが飛行機はちんたらちんたらと、滑走路を動くだけで飛ぶ気配がない。ようやくアナウンスで、「あと2台あとにこの機は飛び立ちます」、と聞いた瞬間、あと2台なんて待てないや。もう俺は我慢ができなくて、恥を捨ててスチュワーデスに言った。しかし一言、「もう離陸しますので使用できません。」と、俺は顔が真っ青になるのを感じながら我慢に我慢を重ねていた。こんなことならすぐに行けば良かった。しまったな、と悔やんだ。窓際に座っていたが外の景色なんて全然目に入らなかった。俺は半分固まりながら耐えていて、ようやく飛行機が水平飛行になって(俺が勝手に判断して)真っ先にトイレにかけこんだ。助かった。みなさんも飛行機に乗る前にはトイレに行きましょう。今年はこれをモットーにしようと、トイレで真剣に考えていた。
飛行機がサイパンに到着して、降りようかなっと思ったらコックピットのドアが開いてパイロットが出てきた(コックピットは2階にあるのだ)。すると他の客が、スチュワーデスに頼んでコックピットで写真を撮りはじめた。うっ、俺達も撮りたい!。そこでスチュワーデスに頼んで、写真を撮ってもらった。
なかなかいい体験ができたもんだ。以前お願いしたときはできなかったのにタイミングが良かった。コックピットは意外に狭くいろんな計器類が並んでいる。マサキも大喜びだ。
常夏の島サイパンに到着。日本との時差は1時間で、サイパン時間では15時、日本時間では14時である。
そうだ、そうだ、俺の本当の目的を忘れるところだった。俺は遊びに来たのではない。英語を勉強しに来たのだ。さて、今からタクシーに乗ってホテルに向かわねば。
ようし、タクシーを見つけたぞ。ハロー、ハロー、すると相手は、こんにちは、どこまで行くのですか?
何だ、日本語が通じるじゃないか。俺の英語の勉強が・・・。
タクシーに乗ったのはいいが、この運ちゃん、空港内の別の駐車場に移動して再び止まった。そして外に出てしまった。
おい、おいどこに行くんだよ。そして戻ってくると小さなケースを抱えており、ベィビーヒィヤー。そう、それはベビーシートだ。なんでも飛行場への道路で何カ所か検問をやっていて、厳しいチェックがあるそうだ。サイパン(アメリカ)は、シートベルト、ベビーシートなど車に関してかなりシビアだ。それに違反すると乗っている人も罰金を払わせるそうだ。ベビーシートに赤ちゃんを乗せてないと俺達も$200払わなければいけないそうだ。
この運ちゃんが外に行っている間やベビーシートをつけてる間、料金メーターが動いている。おい、このタクシー本当に大丈夫か。
ホテルに行く途中確かにチェックポイントが数箇所あって、見ると車のトランクまで調べていた。警察官が道路のセンター近くまで出てきて無作為に車を止めようとしている。その場所では、運ちゃんが、「赤ちゃんのシートを固定しろ」とか、「動かすな」とか注文してくる。結局、警察官は俺達の車を通してくれた。運ちゃんはラッキーという言葉を使っていたが・・・。タクシー料金は俺が調べていた$22をはるかに越えた$32だった。ぼったくりか!?
そして目的のホテルに到着。今日から4日間お世話になるハイアット・リージェンシーだ。俺と妻は無料航空券で飛行機代が浮いたから少しランクの高いホテルを選んだ。
日本の旅行代理店を通して予約すると、バカ高いのだ。直接インターネットでたのむと2/3ぐらいになるし、ホテルの会員ならポイントが付いたり、飛行機のマイレージも加算される。ただし旅行会社を通すとだめである。旅行会社に頼むと団体割引が適用されるらしく、包括料金になるそうだ。ところがバカ高い? 不思議だ。
俺はここのホテルを予約する前に会員になり(もちろん無料)いろいろ調べた。すると9/2までに宿泊して、支払いをアメリカンエキスプレスカードですると、次の旅行のとき、このホテルが2泊無料で泊まれるのだ。
けど俺達は9/5以降に宿泊するわけだから特典は受けられないことになる。おまけにアメリカンエキスプレスカードなんて年会費が高いから俺はもってないし。サイパンは暑いし、湿度が高いし、直射日光が体に突き刺さるように痛いのだ。
その日の夜はガラパン地区で祭りがあった。毎週木曜日の夜に行われる祭りでハイアットから歩いて数分のところでやっている。また、サイパンでは日本語がいたるところに書いてあり、英語ができなくても多分大丈夫だと思う。右上の写真なんてムーミン村っていう日本食レストランだ。驚いただろ。
さて、次の日は海に、プールに夏を楽しむことにした。
俺は体中にたっぷりサンオイルを塗って徹底的に焼いたのだ。ハイアットにはプライベートビーチにプライベートプールが整っており、ファミリーには向いているホテルだ。
プールの水深が1.5mとかなり深い。さすがアメリカ式のプールだ。 ショウヤも日陰でのんびりと休憩。
何で僕をこんなところに連れてくるんだよ。僕は涼しいところがいいよ〜。
いぇ〜い。サイパン最高。
どう僕のサングラスかっこいいでしょう。
ティガーのサングラスをパパとママに買ってもらったんだ。
ショウヤも大喜びだよ〜。
今回はホテルで英語を使う機会が多かった。サイパンの人は日本語を使う人が多いと思っていたのは大きな間違いだった。最初の一言は日本語だが、あとは英語でしゃべってくるのだ。日本語ができると思って日本語でしゃべろうとすると、相手はちんぷんかんぷんなのだ。
俺達はホテルを予約の時にベビーベッドをリクエストしていた。英語ではベビーコットというらしい。ちなみにベビーカーはストローラーというのだ。俺は電話でベビーコットを要求した。もちろん英語で。それとショウヤの湯冷ましを作るためにポットも借りた。更にその借りたポットを電源に接続した瞬間、ライトが1度点灯したかと思うとプツリと消え、もう二度とつかなくなってしまった。しょうがないから、それも英語で説明した。すぐに技術担当がきて直してくれた。いや〜なんかトラブルが多いな。しかしよく考えてみると、今まで何度も海外に行ったが、今回はなんか相手の言っていることが意外に理解できるのだ。おまけに俺の言うことも相手に伝わるのだ。これはもしかするとNOVA効果か。3日目は潜水艦のツアーに参加した。水深15mぐらいの海底を散策するのだ。
まず船で海の真ん中まで行く。そしてそこで待機している潜水艦に乗り移るのだ。そう潜水艦の上は足場が悪く滑りやすい。おまけに艦内は垂直のハシゴを降りて行かねばならないのだ。マサキはスタッフに手渡しで降ろしてもらった。俺はショウヤを抱いてハシゴをこわごわ降りていった。
潜水艦の中は別世界だった。潜水艦のコックピットはかなりシンプル。
珊瑚礁は魚のすみかで色とりどりの熱帯魚がたくさん泳いでいる。おっ、うまそうな魚だ。
あと、第二次世界大戦の残骸がいたるところにあって、沈没船や飛行機がちらばっている。左側の写真は機関銃である。右側の写真はアメリカ軍の戦闘機でプロペラが見えるのがわかる。
海の中を45分間散策した後、俺達は離島に行き魚のえづけに挑戦した。このあたりの魚はあまり人をおそれず、ソウセージを手に持つと30匹ぐらいの魚がわっとよってくる。はっきりいって恐怖の世界だ。マサキはびびっていた。
4日目はマサキと一緒にホテルの周りを歩いた。するとヤシの実や、かわった虫、動物に遭遇した。そうそう、サイパンにはトカゲが多い。歩くと必ず遭遇するのだ。あと、野良猫が多いが、人間をまったくおそれず、近寄ってくる。
みて、みて、変わったトカゲを見つけたよ。いろがミドリなんだよ。ワ〜、しばふとおなじいろだ。
4日間があっというまに過ぎていった。帰りの飛行機でマサキはおねしょをしてしまった。マサキは離陸直後からず〜と眠り続けて、2時間ぐらいたったあと、一言おしっこ、と言うので俺が連れて行くと、おや、何かズボンが濡れているぞ・・・。すでに出ていた。
戻って座席を触るとびっしょりぬれている。あ〜、やっちまった。どうしよう。俺はスチュワーデスに、すいません、子供がおしっこをしてしまいました、と言うと、大丈夫ですよ。座席ごと取り替えますので、と言ってくれて俺はほっとした。
帰りの飛行機でもショウヤの大合唱が機内に響き渡り俺は飛行機の中をぐるっと1周する羽目になった。確か前にグアムに行ったときもマサキを連れて1周したような気がするな。
飛行機も無事に着いて車で家にたどり着いたのは夜の9時20分頃。いや〜、おもしろかったな。これからもまた行きたいもんだ。
9月1日
昨日久しぶりに海釣りに行ってきた。ここ10年ぐらい海釣りなんてやった記憶がない。先週、会社の人にすすめられて竿とリールを買ってしまったのだ。結局、8人(みんな会社の人)で横浜にある本牧釣り施設に行くことになった。そこは入場料(大人900円)を取るのだ。ということは海の釣り堀か、と俺は思っていたのだが、どうもそういうわけではないらしい。防波堤が作ってあり、そこの上で釣るのだ。防波堤の歩く部分が鉄製の網目になっているのでそこにいると海の上を歩いている気分になる。まかり間違って車のキー、携帯など落としたなら、もう二度とお目にかかることはない。ある意味怖い場所だ。気をつけなくては。ところが案の定メンバーの1人が釣り竿のキャップを落としてしまった。は、は、は、と心の中で笑っていると、今度は俺がおもりを落としてしまった。し、しまった・・・。
満潮が10時30だったこともあって、釣れたのは朝9時ぐらいまでで、俺は6時30ぐらいから来ていたから4匹ほど”サッパ”(よく俺も名前をしらない)なるものを釣り上げたのだが、釣れない人はさっぱり釣れなかった。結局12時になって終了。釣れたのは全部で10匹程度だった。小アジが1匹にあとはみんなサッパだ。幹事の俺としては全員に釣ってほしかっただけに多少気が重かった。しかし、まぁ、しょうがないな。
その日の夜俺は初めて魚をおろした。魚は小さくて、10cm程度だから調理が難しい。おまけに出刃包丁なんて我が家にはおいてないから、ステンレスの包丁でうろこを取って、頭を切っていくのだがこれが切れない。悪戦苦闘して、妻と一緒にフライを作った。横浜の港で釣れる魚なんて、臭くて・・・、と思っていたのだが、それは昔の話。今は問題なく食べられるのだ。やっぱり新鮮な魚はうまいな。特に自分で釣り上げた魚は。ようし、これからも釣りにいくぞ〜。
そういえば今週の木、金と休みが取れることになった。盆休みに出勤した分の代休なのだが、そうすると木曜日から日曜日まで4連休も取れることになる。今の時期に4連休なんてなかなか取れるもんじゃない。ようし、そろそろNOVAでの英会話での力を試さなくてはと、俺の旅行好きの虫が、うずうずし始めた。さて、ここからはいきなり英語に・・・。I want to go travel overseas, where i don't know anyplace. And i think, maybe we'll stay hotel very cheap in season. Therefor i was looking for some tours and others so that i decided a that without some tours. That's a free plan to go to Saipan. I and wife got free tickets of NW airlines which saved milage of the airlines.And we bought two tickets of my sons. You see? なんか変な部分もあるけど意味は通じるから、まぁいいか。誰か訂正してください。
8月25日
今週はよく働いたよ。数えると7.5日間連続で働いたことになる。先週の8/16の土曜日から、今週の8/24の土曜日の午前中までだ。まてよ、そうすると土日に出勤した2日分の代休があるということだ。家族みんなでどこかにでかけるか。また、海外でも行きたいもんだ。
8月18日
いや〜、申し訳ありません。2週間もさぼってしまった。お盆のあいだは両親の田舎の鳥羽市と志摩群(三重県)に行って更新することができなかった。鳥羽では祖母の初盆があり、昔から伝わる太鼓を使った伝統的な行事が行われた。お盆は久しぶりに親戚一同の顔を見ることができ、俺のいとこもみんな立派な大人になっていた。年月が経つのは本当に早いものだ。あっ、そうそう、いとこのT子も来月に結婚するそうで、本当にめでたい。
前回書いたが、先日初めて再現ドラマのエキストラを体験した。番組は毎週日曜の夜9時からTBS系列でやっている「行列のできる法律相談所」である。エキストラで集まったのは15人ぐらい、役者は2人きていた。俺は店の外で並んで待っているシーンと、店の中でただ飯を食べるだけという簡単な役であった。飯も普通の食事で、みそ汁も普通にあたたかいのだ。俺は驚いた。よく、テレビで食事のシーンをやっているのを見るけど、さめているように思うのは俺だけかな。役者は、これを本当にうまそうに食べているので、大変だなと感心してしまうわけだが。今回は幸運なことに普通に店で出てくるような、あたたかい食事であった。よかった。
再現ドラマといえどやはりドラマで、監督の「3、2、1、スタート」で撮影を行うのである。わずが2時間で何カットもとっていく。監督は非常に厳しい。撮影スタッフに対して、不手際があると怒鳴りつける。それを見て俺達は顔を見合わせて苦笑い。役者の演技もテレビで見るのとは全然違って真剣そのもの(当然か!)。演技力はすばらしいの一言につきる。撮影現場はピリピリした緊張感にあふれて、俺にとっては貴重な経験ができた。この緊張感は俺の仕事や生活で忘れていたものかも。
エキストラの中に子供連れのお母さんがいた。カメラの回ってないときにその子供が「あぁ、おいしい」と無邪気に言っていたのを役者のヤマト(男の人)さんが、「うまいね、おじさんより演技うまいよ。本当に子役にやられちゃうよ」と、笑いながらボソッと言っていた。そう、この再現ドラマの主役は、”えなりかずき”である。この役者のおじさん(50歳ぐらいかな)は、もちろん”えなり”より長い間役者をやっている。しかし、脇役なのだ。この世界は、実力、運で子役にあっという間に追い抜かれるのだ。しかし、これは役者の世界だけではない。人ごとではないのだ。頑張らねば・・・。
8月3日
今日フジテレビでアミノ酸の番組が放送されていた。俺がテレビ局のスタッフから聞いたときは題名が「アミノ酸スペシャル」と言っていたのに、新聞で見ると違っていて、「スポーツ選手に聞きました! 夏バテ・疲労回復」となっていた。騙された。まぁ、テレビ局もわざと具体的な内容を分からせないように仕組んでるのかもしれないけど。
放送時間は13時〜14時であったが、俺が出た場面は終了からわずか5〜7分前ぐらいからであった。もしかするとメインイベントだったのかも。テレビで見ると俺達(会社の人間も含めて)は意外に長い時間写っていた。それもビールは飲む、カラオケは歌ってバカ騒ぎはする。おまけに俺の目覚めの悪い寝起きシーンまでが撮られていた。いや〜、おもしろい。さすがフジテレビ。これは永久保存版にするしかない! あっ、そうそう、この番組は首都圏でしか放送されなかったそうだ。もしかすると後日、地方キー局でも放送されるのかもしれないけど。
テレビの内容は、スポーツ選手にアンケートを取って、夏バテ・疲労回復をのりきる秘訣を聞くという番組だ。そして、1位から10位までランク付けしてスタジオにいる元スポーツ選手の芸能人にコメントをとっていくのだが、その中でアミノ酸は1位であった。つまりスポーツ選手はほとんどの人がアミノ酸を摂取して疲労の回復につとめてるらしいのだ。そこでアミノ酸の効果を実験で徹底的に検証していくという、どこかで似たようなことをやってそうな番組の内容である。テレビを見ると分かるが、アミノ酸ってけっこう体にいいらしいのだ。みなさんも摂取してみては?
さて、またまた新ネタです。明日初めてのエキストラに挑戦します。番組は日曜夜にやっている「行列のできる法律相談所」で俺が出るのは”えなりかずき”が主役の再現ドラマである。ということは、えなり君と共演ということになるが、あまりうれしくはない。撮影は市ヶ谷(靖国神社の近く)の飲食店で行われるそうで、2〜3時間ほどで終了するそうだ。なんか大げさに書いたけどエキストラだから、単なる通行人みたいな役だろう。詳細は撮影後また書きます。
7月27日
先週の続きです。「あるある」のスタッフと打ち合わせの結果、火曜日の夜に居酒屋で撮影することとなった。場所は俺が選んでもよいとのこと。最初は海藻を専門に食べさせてくれるところを探していたが、そういう居酒屋やレストランはなかった。よく考えたら、海藻だけしか出さない店なんて、誰も行かないだろう。
周りの人に聞いたら魚料理が出るところがいいのでは、ということで、川崎の居酒屋「北海道」に決定した。ここはビルの22階にあって駅周辺の夜景がきれいに見えるのだ。スタッフが撮影許可を取るため連絡すると、一番眺めのいい部屋がとれたとのこと。その日、会社の連中と一緒に「北海道」に行くと、予約のところにデカデカと「フジテレビ あるある大辞典」と書いてあり俺はびびってしまった。また座席も角席の個室で、窓の外には2面にわたり川崎の夜景が広がっていた。
ディレクターが来るまでしばらく時間があったので俺たちは飲み始めることにした。すると、普段では絶対ありえないが、「北海道」の副店長が名刺をもって挨拶に現れた。さすがテレビ局の力はすごいな。おまけに食事でも普段はメニューにない、もずくを出してもらった(そう、俺は海草類を食べなければならないのだ。地味だ〜)。
その後、ディレクターも登場して撮影が始まった。再度、乾杯を行い、俺が海草類を食べるところを中心に撮影を行った。スペシャルメニューのもずくを持ってきてくれたところや、海藻サラダを食べているところや、みんなで海藻談話をしているところ。そしてすべてが終了してスタッフが帰った後に、他の連中の不満が爆発した。
それはカメラが俺ばかりを取っていたからだ。そんなの俺に文句を言われてもしょうがないよ。取るのは向こうなんだから。心配しなくてもここの場面なんてほんの数秒程度だよ。もしかするとカットされてるかも。しかし他の連中は、「俺たちは主役のために花を添えただけだ」とか、その他いろいろ(詳細は書くのをやめときます)言っていた。
そして金曜日の夜、再びフジテレビに行き、採血と最後のインタビューとしてこの1週間どういうことが起こったかをカメラの前で話して終了した。飲み過ぎたときの移動はきつかったけど、いい経験ができたよ。
7月21日
先週の日曜日の話の続きです。2日酔い状態の俺は浜松町駅のトイレで、「ゲーゲー」やったあと、楽になったので急いで品川駅に向かった。「ゲーゲー」やった経験のある人は分かると思うけど、吐くと少しは楽になるのだ。けど、時間がたつと気持ち悪いのが、再びこみ上げてくるのだ。だから俺は急いで、フジテレビの別館に向かうことにした。
フジテレビの別館は品川の天王洲アイルというところにある、今日は休日だから裏口から入るわけだが、入り口で厳重なチェックがあり入館許可証をもらって、俺は緊張しながら建物に入っていった。ここの別館はお台場の本館と違い、制作会社がおもに入っているようだ。あの、「鉄腕ダッシュ」を制作している峰?会社?、ちょっと名前が思い出せないけど、この会社も入っていた。
以前に俺が「あるある大辞典」に出たときとは違う制作会社であった。あとから分かったことだが、「あるある」の場合8社が協力して作っているそうだ。1つの作品を作り上げるのに、1ヶ月ぐらいは最低かかってしまうそうだ。
撮影のために集まった人は10人ぐらい。ディレクターの説明によると、海藻類に含まれている成分が肝機能によくきくらしく、我々でそれを実証するそうだ。撮影は、まず採血をとり、順番にインタビューをする程度で3時間ほどで解放してくれるとのこと。よし、それぐらいならば気持ち悪いのをがまんできるだろう、と思い座って待っていた。俺は朝からほとんど飲まず食わずで、2日酔いだから胃の中から、「水をくれ、水をくれ」と、叫んでいる。そして目の前にはテレビ局側が用意してくれたお茶と、水がおしいそうに並んでいるのだ。しかし、昔、酔ったときの経験として、2日酔いの日の朝、コーヒーを飲んで「げーげー」した記憶があり、俺は飲まないでおこうと思っていた。おそらく、コーヒーが呼び水となって、胃のゲロを導きだすと思う。井戸水を汲み上げるときに水が出なくなると呼び水として上から水をつぎ足すと思うが、おそらくそれと同じ原理だろう。そんなことはどうでもいいのだが・・・。
撮影の間の待ち時間は退屈で、やることがない。俺もだいぶ気持ち悪いのがおさまっていったので、目の前の欲望にがまんできず、一口水を飲んでしまった。しばらくたっても、「何だ、なんともないじゃねぇか」、とさらに、水を1杯飲み干した。すると、すこしづつ、胃のあたりが、もやっとしてきて、何かイヤな気分になってきた。この気分は、もしかしたら「ゲロ」の前兆じゃねぇのかと、俺は他の出演者に気づかれないように、そっと部屋を抜けだしトイレに駆け込んだ。そして・・・、「ゲーゲー」。それからは気分は最悪、頭はガンガン。
ディレクターに言って俺は外のソファで休憩することにした。ディレクターにはすでに前日の撮影のこと、2日酔いのことを説明していたけど、あきれていた(ちなみにディレクターは20代の女性)。そして撮影の時に呼んでもらうことにした。この制作会社は建物の9階にあって、ソファのある場所は冷房が完備されており、外の眺めがよく、ここで横になっていると気持ちが楽になるのである。そこで俺は、あ〜、もうしばらくは酒を飲まないぞ、と固く誓っていたのである。
ようやく撮影は無事に終わり、帰りに海藻を山のように渡され、「今週は、この海藻を中心に食べてください」と、そんなことより俺は早く帰って休みたかった。次の撮影は、海藻を食べているところを取るそうで、家の晩飯風景や、会社のランチ、居酒屋でみんなで食べていることろなど俺の都合のよい場所で撮影するとのこと。そして、その後は金曜日の夜に再びフジテレビで採血するとのことであった。
俺はようやく解放されて、ふらふらしながら家に帰った。土曜日、日曜日と家庭、子育てを放棄していた俺だが、妻は(ほとんど)文句も言わず、ワカメ入りお粥を出してくれた(感謝、感謝)。その日はテレビでアルコールのコマーシャルを見ただけでも気持ち悪くなって、俺は、しばらくの間はアルコールを控えるぞと、固く思った。まさか、2日後に撮影のためにビールを飲むとはこのとき夢にも思ってなかった。おまけにその週は超ハードな日々となった。論文の提出、英会話、撮影など。
この続きはまた。
7月16日
先週の土曜日に行ってきたフジテレビ「アミノ酸スペシャル」の収録はおもしろかったけど、しんどかった。夜の19時に六本木にある制作会社の前で待ち合わせをして、参加者10人が揃ったところで、バスで宿泊先のホテルに出発するのである。
ところが、一旦乗り込んだバスから再び降ろされて、バスに乗り込むシーンを撮影、次にバスの外から撮影、そして出発するところを撮影、その後、歩道橋の上にカメラがスタンバイしているとのことで、立ち去るところを撮影して再びUターンで戻ったりと、実際に動き出すまで30分ぐらいかかった。
これをつなげてテレビで見ると、わずか数十秒であるが、バスに人が乗り込んで出発して後ろ姿を追いかけるという、絵が出きるそうだ。なるほど、結構時間がかかるんだ。
その後、上野のホテルに到着して、風呂に入り参加者みんなが浴衣に着替えたところで撮影が始まった。ちなみにこのツアー名は、「2日酔い防止ツアー」とのこと。21時から24時まで飲んで食べて、その後全員の口臭とアルコール度を測るのだ。
アルコール度の測定はよく警察が検問で使っているタイプと同じものらしい。次にアミノ酸を飲むグループと飲まないグループの2つに分かれて、飲むグループはアミノ酸を摂取するシーンを撮影し、飲まないグループは即就寝である。ちなみに俺はアミノ酸を飲まないグループであった。
そういえば、そのときに飲んだアルコールの量はビール数本、日本酒数合、ワイン1.5本と短時間でけっこうのんでしまった。だって、俺たちが飲もうとするとカメラが近寄ってくるから、どうしても頑張って飲んでしまうのだ。しかし、俺にとってそれが最悪の結果となった。
次の日の早朝、いきなりテレビカメラが部屋に入ってきて、口臭とアルコール度の再チェックが始まった。その結果はテレビで見るとして、俺は気持ち悪くて朝飯も食べずに寝ていた。アミノ酸を飲まないグループでどうも俺が一番最悪だったらしい。これは、もしかして・・・。
いつの間にか撮影が終了して、俺はそんなことより気持ち悪いから、10時ぐらいまで、トドのように横たわっていた。俺たちは会社の同僚3人でこの企画に参加していて、他の2人はアミノ酸を飲んでいたから全然平気で、俺をおいて帰ってしまった。薄情者。しかしアミノ酸効果はすごいもんだ。放送日は8月初旬の休日?昼間らしい。詳細は俺もよく分からない。
俺は実は昼の12時から、「あるある大辞典」の撮影があって、品川駅近くのフジテレビ別館まで行かねばならなかった。だからここでダウンしているわけにはいかない。重い足を引きずって、気持ち悪いのをがまんして上野から京浜東北線に乗り込んだ。しかし、浜松町の駅に到着したときに、がまんができなくて電車をおり、トイレに駆け込んだ。そこで、2回「ゲー、ゲー」と吐き、「よし、少しはすっきりした、今の間に急いでテレビ局に向かおう」と、重い足を引きずってフジテレビ別館に向かった。しかし、まだまだ悲劇は続くのである。
この続きはまた書きます。実は今日の夜19時から川崎駅前の居酒屋で「あるある大辞典の」撮影が再びあり、また、今週の金曜日の夜にも、フジテレビ別館に行かねばならないのだ。今週はかなりハードかも。
7月13日
少し前に、からくりTVのオーディションがあり、TBSに行ってきた。俺は行くまでなんのコーナーにでるのか分からなかった。行ってびっくり、サラリーマン早調べクイズであった。あれは、あの場所で出演者を見つけるわけじゃないんだ。へ〜、オーディションがあるんだ。最初に誓約書を書かされて、たとえば、番組でアルコールを飲んで体調がおかしくなっても自分の責任です、とか、器物を破損した場合責任を負います、とか、いろいろあるのだ。結局テレビ局に何時間も缶詰にされたけど、不運(本当はラッキー)なことに俺は途中で帰された。さすがにあの番組だけは出たくないよ。両親に話したら、あのコーナーはおもしろいからいつも見てるけど、自分の息子が出るとなると話は別、頼むからあれには出ないでくれと、言われた。俺もそう思う。
ちなみに、セインカミュのコーナーも最初にオーディションをしているそうだ。
今日はフジテレビの番組の収録がある。番組名は「アミノ酸スペシャル」という仮題らしいが、上野のホテルに泊まって、アルコールを飲むグループと飲まないグループの2つに分かれてアミノ酸効果を調べる実験らしい。そして次の日は、「あるある大辞典」から、また声がかかっていて、もしかすると午後から収録をするかもしれない。
妻に言われたよ。休みの日ぐらい家庭をかえりみてと、普段は帰りが遅いんだから。
俺には返す言葉がない。平日は仕事に英会話で家に着くのが平均21時40分頃。会社の付き合いもよくあって、そのときは23時ぐらい、時々午前様。そしてたまに夜にもテレビの打ち合わせ、土日に撮影があったりとする(滅多にないんだけど)。
何もない土日はいつも家にいて、家族みんなで買い物にいったり、平日も何もなければ早く帰るように心がけているつもりだけど、まだまだ俺には足りないんだろうな。仕事も趣味(最近、テレビに出ることを新しい趣味に加えた)も今しかできないことかもしれないけど、やっぱり産まれたばかりの赤ちゃんを育てることも今しかできない。これからは週に1回は早く帰る日を作らなきゃいけないな。
自分の性格からいくと興味を持ったらけっこうのめり込むタイプだから周りの状況をよく考えてやらないとだめかもしれないな(やっぱり妻の一言は重要だ)。他の人によく、アクティビティですね、そんなにいろんなこと、どんどんよく出きるね、と非常に驚かれるときがある。あまり書くと自画自賛の世界に入りそうだからやめるとして、けど俺から見ると世の中には、もっとアクティビティな人がたくさんいて、俺自身はまだまだ全然凡人、まさに普通の家の住人だと思っている。ノーベル賞を受賞した人間なんて朝から晩まで一つの研究に没頭していると思うし、吉本興業の中邨会長など、パチンコ屋と小さな演芸場しかやってなかった吉本をここまで大きくしたんだし、世の中にはすごい人々がたくさんいる。そういう人たちの話を聞くと、やっぱりわくわくしてくるし、俺はまだまだ努力が足りないなとか、考えてしまう。こういう話を書くと終わりがなさそうだからもうやめるけど、1回しかない人生だからやっぱり何事もがんばっていきたいな。家庭も仕事も趣味も。
今日の夜から明日の夜まで俺がいなくなるかもしれないから、今から買い物にいかなくちゃ。
最後に一言。俺の趣味はお金を使わない趣味である。逆にお金がもらえる貴重な趣味だと思っている。
7月12日
7/7に祖母が亡くなった。6日の土曜日の昼間に実家のほうから連絡が入ったので鳥羽に行くことになった。その日の夜に、祖母と話をすると元気そうでまだまだ大丈夫な感じがしていた。けど、その夜中に俺たちが帰った後、亡くなったという知らせが入り、非常に驚いた。
だって、俺としゃべっていたとき、新聞を読んだり、俺の意見に反応したりと、耳元で大声で叫ばないといけないが、まったく死の予感はなかった。その日は多くの親戚が集まってきて、祖母を囲んでいろんな話をしていたから、もしかすると祖母は結構がんばっていたのかもしれない。せっかくみんなが集まってきているのだから、いろいろ話をしようと・・・。そして、しきりに手を合わせて、みんなきてくれてありがとう、私は幸せだよ、と言っていた。
最後に祖母の残した川柳をいくつか書きます。
・お隣の畑のなすとつい比べ
・ありがたく日本のお米を食べてます
・シャボン玉その気になって天まで上がれ
・大仏様のあくびを一度見てみたい
・毎日を下向きに生き徳拾う
そして、これが最後の川柳。
・色け出し頭の老化をふせぎます
すゑの
6月29日
先日会社から帰ってきてショウヤを見て気づいた。最近よく笑うようになってきたのだが、なんか、ハウハフと、笑うと間抜けである。う〜ん、これは何かに似ているな、と考えていて、ふと気づいた。入れ歯を取ったじいさんの笑い方だ。歯が無いから、ハウハフと何をしゃべっているのか分からないところがショウヤに似ている。見ていてほのぼのするが、笑える。
6月23日
最近発売された雑誌にまた文章が掲載された。今度も前と同じネタだが、型技術(日刊工業新聞社から出版)という技術雑誌だ。まぁ、興味のある人は購入してみて下さい。どこに売っているのかは???
サッカーは残念だったな。トルコには勝ったと思ったんだけどな。しかし韓国はラッキーだ。ベスト4に入ったよ。このまま快進撃を続けろ。
6月16日
サッカーは日本代表が決勝リーグに進んで世の中大騒ぎになってるな。我が社でも、就業時間の調整が行われ、先週の金曜日は会社内にプロジェクターを設置してワイワイとみんなで応援していた。うまくいくとベスト4ぐらいまで行くかも。
先週は妻の両親達が、今週は自分の両親がやってきて息子達の成長の様子を見て喜んでくれた。遠いところをありがとう。
今日は家族みんなで赤ちゃん本舗に買い物に行ってきた。ショウヤの衣類を買うためだ。今までは首都高を乗り継いで1時間ぐらいかけて横浜の方までいっていたが、最近は五反田に行くようになった。こっちだと1号線を30分ほど行くと着くのだ。その途中でふと思った。道路の行き先の看板を見て、日本橋まで12kmとあり、よく考えたら1号線の出発点、つまり昔で言えば東海道の出発点である、かの有名な日本橋には今まで行ったことがない。一度は行かなくては・・・。
6月1日
3/16に生まれたショウヤも、大きくなったよ。生まれたときと比べるとその差がよく分かる。
←今のショウヤ 産まれたすぐ→
5月25日
生まれて初めて、自分の書いた文章が雑誌に掲載された。日本工業出版社の超音波テクノという技術雑誌で、その中に特集があって、そこの4ページ部分を担当した。
何〜、テレビの次は雑誌か、おまえはそういう変わったことばかりするんじゃない。と、心の一部の声が叫んでいるわけだが、だって、これは仕事関係だから、しょうがないだろ。俺が好んで掲載させて下さいと、お願いしたわけでもない。出版社の方から執筆して下さい、と来たんだから。まぁ、心の葛藤はあるけど、それは置いといて、自分の書いた文章が出版されるまでは意外に時間がかかるってこと、知ってる?
実はこの話の発端は、去年の8月に書いた論文から始まる。9月に学会発表があるため、前刷り用の論文を書いたが、それを読んだ出版社の方から、解説文を執筆して下さいと来たのだ。だからスタートから出版まで9ヶ月かかったことになる。おそらく、出版社は1年ぐらい前から内容を計画していて、ネタを探していたんだと思う。もしかすると専門誌だけなのかもしれないけど。原稿の校正などもあるから、やっぱりこれぐらいは時間がかかるんだな。
5月12日
会社の人間を巻き込んで、近くの英会話学校、NOVAに通い初めて2週間が立つけど、俺の英語能力の無さには驚いたよ。ボキャブラリが全く足りなくて、他の人の言っていることが理解できない。昨日もフリートークがあったわけだが、いきなり政治の話が飛びだしてきて、ちんぷんかんぷんだったよ。”Diet”、この意味何か分かる、そうダイエットなんだけど、健康のダイエットではない。これは実は”国会”だそうだ。頭の中がパニックになりそう!
ちなみに英会話学校だが給付金制度というのを利用すると安く行くことができる。社会保険を5年以上支払っている人、つまり5年以上働いている人だと、授業料の80%が還付されるそうだ。俺の場合、33万円というコース(これだけ聞くとバカ高いが)なのだが給付金制度を受けると7万円ぐらいになる。
しかし、今年の4月から給付金の対象レベルの見直しがあって、NOVAの場合、10段階のレベル中、下から3段目以上じゃないと給付金が受けれないのだ。ようは、お遊び英会話(こんなことを書くとそのレベルの人に失礼なのだが、英会話初級コースというのかな?)なら、国からお金は出せないよ、というのである。だから、俺も入るときにレベルチェックテストなるものを受けさせられて、幸運にも(半分まけてもらったのだが、俺はどうしても給付金コースを受けたいと前もって懇願した)、ぎりぎり給付金が受けれる下から3段目のクラスに入ることができた。
また、給付金をもらうためには、このコースの80%以上出席しなければならない。この給付金コースの有効期間は1年間で、授業回数は全部で100回ある。だから1年以内に80回以上出席する必要があって、このためには1週間に2回は出ないと駄目なのである。もちろんゴールデンウィーク、盆休み、年末年始関係なくである。やっぱりリタイアする人も、そこそこいるらしい。俺はそうならないように、頑張って行こう。
5月2日
いや、昨日は驚いたな。テレビを見ていたら俺が出ていたよ。テレビ朝日のせきらら白書に。例の(3/24分を見てね)年収調査で、俺がべらべらとしゃべりまくっているのが出ていたわけだが、やっぱりテレビ局は都合よくカットして話をつなげているよ。詳細はまた書きます。
5月1日
俺も今日からようやくゴールデンウィークに突入した。さて、何をしようか? 妻の友人の情報によると池袋?で、プラレール博というのをやっているそうだ。プラレール、そう、あの乾電池を入れると走り出すおもちゃの電車である。マサキはプラレールが大好きでよく遊んでいる。よ〜し、一度行ってみるか。
4月27日
先週、川崎駅に人を送りに行ったとき乗降場所で俺が車を止めていると、前の車がバックしてきてぶつけられた。俺の車は、ボンネットがへこんだのと、ナンバープレートが少し曲がった程度であった。その後、警察に届けて示談を行ったのだが相手は社用車で会社にばれるのを恐れてか保険を使わずに処理したいと言ってきた。まぁ、俺にとっては車を元の状態に戻してもらえれば問題ないんだが・・・。
次の日、近くの板金屋で車の見積もりをしてもらった。なんと金額が16万円と出てきた。ほんの少し変形しただけでそれだけかかるのか。俺にとっては予想外だったが、向こうにとっても予想外だったらしく雲行きが怪しくなってきた。相手は19歳で去年就職のために上京してきたらしい。人はみかけで判断するのは良くないわけだが、そいつは髪の毛は金髪で、板金屋の説明のときなど、はっきりと返事をしないタイプの人間で、大丈夫かこいつ、と思いたくなるようなやつだ。更に、景気が悪くホーナスもなく生活がぎりぎりだから一括で払うことが出来ないと言ってきた。俺としてはいつまでもこの問題を長引かせたくないから、友達に借りるとか、板金屋に分割払いなどで、直接払うように言って、今はとりあえずそういう方向になった。
しかし今度は見積書の明細にケチをつけ始め、ボンネットの塗装代が高いので取り替えと塗装は必要なく、板金処理だけでいいのではと、調子に乗り始めてきた。そんなに払う金が無いのなら会社に言って保険を使えと言ってやった。とりあえず今日の夜に板金屋とそいつが再び話をして直接払う予定となっている。車の修理はその後になるのだが、厄介な問題になってきたな。
4月20日
この普通の家を作り始めてから3年ぐらいになるけど、結構ボリュームが多くなってきたような気がする。昔作ったネタを消さないと、そろそろHPの容量がオーバーするかもしれないな。おまけに、このHPの内容の、どこが普通の家なんだよ、と思ってしまうところもある。相互リンクを貼っている絵本作家の人が、このHPの説明で、「普通の家という題ですが、内容は普通じゃない生活が書かれている」、と書いてあった。その通りかも。これを作り始めたときに、なぜこの題名にしたかというと、そのときの生活が普通の生活だったんだからしょうがない。あと別の意味として、自分自身に、おまえは普通の人間で、普通の人生を歩んでいて、普通の生活しか出来ない人間だぞ。と、言い聞かして書いたわけで、脱普通の家をはかろうと考えていたのも確かだ。
ここまで書くと、読んでる方は、今日は何を訳の分からないことを書いているんだろうと、おまえの独り言につき合ってられねぇよ、プンプン、と怒っている方もいると思うが。 いや、それは多分いないだろう。という勝手な解釈でもう少し付き合ってもらいます。
ここで考えるのは、普通とはいったい何だろうということだけど、そりゃ簡単だよ、異常の反対だよ、となるのだろうか? 分からないな。それじゃ、いったいどこまでが普通なんだろう? それは人によって判断基準が違うんだろうけど、俺にとって普通とは何だろう? サラリーマンをやって、妻子がいて毎日の生活をしていること、その他・・・。普通じゃないことは、テレビに出たこと、社会人学生をやってること、少し前思っていたのは、このHPを作っていたこと・・・、と並べてみると、おや、1つ気が付いたことがある。
例えば学生にとって普通のことは、多分学校に行くこと、普通じゃないことは、学生結婚すること、社会人になること、じゃないだろうか。さっきも書いたけどその人の立場によって違うのは当たり前で、自分が常にやっていることが普通になってしまっていて、普段やってないことが普通じゃないことになるのでは。よく考えると当たりまえのことだが、例えばテレビによく出ているタレントにとっては、テレビに出ることは普通のことで、サラリーマンとして働くことは普通じゃないことになると思う。
もしも俺がテレビに何度も出るようになったら、俺の感覚ではテレビに出ることは普通になるんだろう。更に1つ気づいたことは、何度もでるのではなく出続けると、と言った方がいいだろう。社会人の場合も継続して会社勤めをしていると、そのように思ってくるわけで、学生結婚するのは、一瞬で、これはいつまでたっても普通じゃないと言えるのではないんだろうか。
そうだ、普通と、普通じゃないことの違いには、時間が大きく作用してくると考えられるのではないか。俺達がサラリーマンとして長い時間働くことと、タレントが長い時間テレビに出ること、これらは当人にとっては普通のことであって、結局やっている内容の問題ではなく、その内容をどれだけの時間やっているかにかかってくると考えられる。
例えば飛行機にのって海外旅行にいくと。俺にとっては普通じゃない体験だ。これはその体験する時間が短いからだと思う。これがいつも飛行機にのって海外に行っている人は普通のことになってしまう。長い人生の中で、あること(体験、事件など)が発生してその時間が長いか短いかによって、普通かどうかが決定される。
さあ、ここまで読んだ人はさすがにいないでしょう。みんな途中で読むのをやめるか、飛ばし読みでここまできたかと思うけど、もし、これを全部読んだ人がいたら聞きたいんだけど、どう思いましたか? 時間が関係するかな、と思いません? みなさんも一度自分の経験に置き換えて考えてみてください。もしかするとこのネタで1つの論文が書けるかも、心理学者?もおもしろいかも。
そう、更に俺の普通じゃないこととして英会話を習い始めることにした。目的はこれも普通じゃないことだが海外で国際学会があるからだ。英語でのプレゼンテーション、英語での質疑応答。あ〜あ、今から頭が痛いよ。
4月14日
ようやくスーパーニュースの放送内容を作り上げた。ここを見てね。
4月7日
先々週の妻の母に続き、先週から俺の母が家に来ていろいろ手伝ってくれている。マサキも「おばあちゃん、おばあちゃん」と楽しそうに遊んでいる。俺も先週学会発表した内容で論文の執筆を行っていて、会社の帰りが遅くなっているが風呂にも入れてもらったりして助かった。よし今週はできる限り早く帰ろう。
3月31日
フジテレビのスーパーニュースで俺達が出たところが3/28に既に放送されてしまって俺も全く知らなかった。ディレクターの話によると、その前日の3/27に編集が終了して持っていったら、よしすぐにこれを使おう、ということで当日急に放送されることになったらしい。ディレクターも大慌てで俺に連絡したわけだが連絡がつかずに困り果てて、それから家に電話をしてくれたらしい。それで妻に連絡が入り、なんとかビデオを取ることはできた。放送時間は5〜6分ぐらいかな? なかなかうまい具合に編集されていたけど、俺が最後にうまくまとめた言葉はカットされていた。どういうことだよ〜。今内容を作ってますので出来たら公開します。
3月24日
最近はホームページの更新日が増えてきて充実しているな〜。と俺は思うわけだが、これを見ている方は、しかしあんたも暇な人間だな、なんでいつもこんなに更新しているんだ。子供が産まれたんだから家庭の仕事をちゃんとしろよ。と思われてるかもしれません。しかし、そう思っているあなた、あなたもいつも見てるんだから暇じゃないの? と、俺は切り返したい。
なんて、くだらないことを書いているより何かおもしろいこと、ためになることを書かなくては。今月から給与をカットされるから生活が苦しくなるな〜、今度のボーナスは出るのかな?、ショウヤも産まれたから学資保険に入らねば〜、なんかすべて金が絡んだ話だな。景気があまり良くないから儲かる話でもないのかな、と考えたくなってしまう。ところで俺の給料は俺の能力にふさわしい金額をもらっているのかな? まぁ、こう景気が悪いと全体的に下がってきてるから判断が難しいだろうし、そういえば、そういうのを見てくれるホームページもあったような気がしたな。
みなさんも自分のもらってる給料が自分の能力にふさわしいかどうか気になりますよね。そこで俺はまたおもしろいテレビネタを見つけてしまったのだ。以前俺が出演したテレビ朝日のせきらら白書で、まさにうってつけの内容を今募集しているのだ。
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対象者 :20歳以上の男性(サラリーマンの方歓迎)
取材予定日:3月25日〜4月7日
取材場所 :応相談
撮影 :あり
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関してご相談に応じます
謝礼 :取材成立の場合、現金(応相談)
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みなさん、どう、おもしろいでしょう。しかしこれを本当に自分がやるとなるとかなり勇気がいるよな。だって、自分の年収を公表されるんだよ。そして世間の冷たい評価を浴びる。何だよおまえ、そんな安い給料で家族を養っていけるのか、と馬鹿にされるおそれもあるだろう。これを見て絶対俺はやりたいと思う方はメールください。連絡方法をお知らせします(3/24、25ぐらいが限界かな)。おそらく応募しても倍率が高く運が良ければ取材が成立するかもしれない程度だからご心配なく。けど、前のスーパーニュースも妻が妊娠してるから応募するかどうかをかなり迷って、まぁ俺のところには連絡が来ないだろうな、という気持ちで待ってたら高倍率を突破して当たったから、分からないよな。もちろん今回の応募に俺は・・・迷ってる・・・。
3月22日
今日は退院の日で、我が家に次男の”ショウヤ”がやってきた。”ショウヤ”?、何か飲み屋みたいな名前だなぁ〜、とは何人かに言われたが、字画、バランスなど総合的な評価から見ると、なかなか良い名前になるのである(自分でいうのもなんだが)。帰ってきてから改めて記念写真を一枚。
う〜ん、なかなか可愛い赤ちゃんだな。しかしこれから生活が大変かも(給料が下がっ・・・)。
昨日のスーパーニュースの撮影はマサキのワンマンショーだった。俺たちよりも長く写っていたんじゃないのかな。カメラの前で踊りつづけていたから、ディレクターが調子にのってマサキの顔の前にカメラを近づけたり離したりして撮ってくれて、更に調子にのって大騒ぎしていた。放送日は4月になるらしく、また決定したら知らせます。
今日の祝日は会社が休みで良かったよ(通常俺の会社は祝日は出勤なのだ)。というのは、マサキの保育園が休みだったからだ。当然祝日だから休みなのは当たりまえなんだけど。マサキの面倒を見なきゃいけないけど、会社があったらどうやってクリアーしていたか! 休むか、他の人に頼むか、あるいは親か、になってたんだろうけどね。
今日は訪問者が来るから忙しくなりそうだ。俺の母親が赤ちゃんを見に三重からやってくる予定で、午前中に川崎駅まで迎えに行くのだ。その後、午後からは病院にフジテレビがやってきて最後の収録が行われる予定で、午前中に電話での打ち合わせもある。病院の許可を取ってるかどうかは俺は知らないけど、なるべく静かに撮影するために大型のテレビカメラは入らないそうだ。小型のホームビデオでディレクターだけがやってきて撮影するそうだ。撮影したいのは、赤ちゃんの映像と俺と妻のコメントらしいが・・・。よし、今日もマサキに、「いのち」と「アイーン」をカメラの前でやらせるか!
ついに産まれた。結局3月16日の夜11時10分に産まれた。3000gで元気な男の子である。俺の感覚では、あっというまに産まれたって感じだ。16日の夜9時に病院に入って、わずか2時間あまりで産まれるという早業だった。
昨日からどたばたしてるから今日はこのぐらいで終わります。
出産予定日を既に4日過ぎて、何か産まれそうな気配(不定期な陣痛)が出てきたらしいが今の時点(午前中)ではまだまだである。さて今日、明日中に産まれるのか!
出産予定日を既に2日過ぎたがまだ赤ちゃんが産まれる気配がない。う〜ん、どうもお腹の中がいいらしいな。
今日は結婚5周年記念日である。少し前にも書いたが、実は今日の日のために俺は壮大な計画を立てていたのである。いや、俺が立てたというよりはフジテレビが、と言った方がいいだろう。
この企画は3週間前の2/15日の金曜日の夜から始まった。俺がいつものようにメールマガジンをチェックしていると、興味ある番組募集広告が目に入った。フジテレビのスーパーニュース(平日17時〜19時放送)で「お祝いしてますか?」というような内容で、以下がその募集広告だ。
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●お祝いしてますか?ご夫婦の「記念日」を3月までに迎える方
フジテレビ「スーパーニュース」
夫婦の「記念日」のお祝いはどーしてますか?
番組では、ここ1ヶ月以内(3月中まで)に
夫婦の何らかの「記念日」を迎える方を募集します
5年ほど前から結婚記念日も祝ってくれない…
来月は付き合い始め記念日…覚えているのか不安、
3月の私の誕生日、今年は何をしてくれる?
もうすぐ結婚10周年、盛大にお祝いしたい!など…
不平不満でも大歓迎です!
番組が記念日のお祝いに力を貸します
ぜひ思い出に残る日にしませんか?
パートナーにはナイショでご応募ください!
◎詳細◎
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対象者 :配偶者のいらっしゃる方(年齢不問)
取材予定日:2月下旬〜3月上旬
取材場所 :ご自宅他
撮影・顔出し:あり
謝礼 :取材成立の場合、謝礼品
別途、取材にかかる費用は負担します
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結婚5周年を迎える俺は早速申し込んでみた。申し込むときに、出産が近いからあまりおどかさないように、心に残る記念日にしたいと書き加えた。よくよく考えたら、これまでに結婚記念日には特に何をやったわけでもない。しいていえばケーキを食べたぐらいかな。募集広告には、「パートナーには内緒に」、とのコメントが書いてあり俺は妻にはだまっていることにした。
2日後の月曜日の夜、俺の携帯に担当者から電話がきた、俺はびびってしまった。わっ、本当にかかってきた。担当のディレクターからだった。まだ俺達夫婦の記念日を取材するかどうかは決定したわけではないけど、とりあえず話を聞きたいとのことでかけてきたそうだ。
ディレクター:「心に残る記念日を作りたいそうですが、何か考えてるのですが?」
俺 :「いや、今考えているのは子供にプレゼントを持たせて渡したいな〜、とその程度なんですよ」
ディレクター:「奥さんの喜ばれることは何かありますか」
俺 :「喜ぶことは・・・う〜ん、なんだろう。、しいていえばマイケルジャクソンが好きかな。家にCDとか結構持ってるはずですよ。こういうのおもしろいんじゃないですか。まぁ、無理だと思いますけど。例えばマイケルジャクソンを呼んでいただいてミニステージを開いてもらうとか、けどいくらフジテレビさんでもこれは難しいと思うんですけどね」
すると、そのディレクターは電話の向こうで大爆笑していた。けど、このマイケルジャクソンを呼ぶのはまず無理だと思う。もしかしてフジテレビ主催で日本公演をしていたらできるかもしれないけど。
その後ディレクターから連絡が入り、一度会って打ち合わせをしたいということになった。えっ、そうすると、本当にこの計画実行するの〜。ディレクターが言うには、実際にはまだ決定してないが、更に突っ込んだ話をしたいとのことだ。仕事の帰りに待ち合わせをして駅ビルの喫茶店で打ち合わせを行うことに。今回の応募は100名程あったそうだ。で、今は2名に絞られているとのこと。わお〜、すげぇな、すごい確率だ。50倍の確率を突破したんだ。
ディレクターの話によると本物のマイケルを呼ぶことはできないけど日本にも偽物のものまねタレントがいるとのことで、毎日六本木でショーをやってるそうだ。そして3/8の記念日にそのタレントを呼んで家でミニステージを開いてもらい、俺にはバックダンサーとして踊ってほしいとのことだ。
制作者側の考えでは、テレビの放送時間帯は平日の夕方で視聴者はほとんどが主婦だから、ここのダンナさんは妻のためにこんなに頑張っているんだよと、汗を流しているところを撮影したいそうだ。そして密着取材をしたいとのこと。
会社の帰りに妻には内緒で六本木のショーパブに行って練習しているところとか、あと休みの日に家族の買い物風景を撮ったりして、途中で俺がこっそり抜け出して練習に行っているところとか、などなど。う〜ん、俺は悩んでしまった。まさか、こんなに大がかりなことになってしまうとは。妻はもうすぐ出産で、タダでさえ不安定な状態なのに俺が何度も家を抜け出していたら、それこそ不安になって出産に影響するんじゃないのかな〜。
制作者側は当日いきなり現れて驚かすと、いうことを考えているそうだけど、俺としては前もって何らかの方法で確信に触れないように妻には伝えたかった。するとディレクターがいろいろ案を出してくれた。例えば、レポーターが前もって家に来て、妻の好きなことは何?とか聞くなどワンクッション置くやり方を考えてくれたりした。そうすると、その日の為の練習だと堂々と抜け出すことができるのだ。
その夜、いろんなことを打ち合わせした。しかし実際まだ出演するかどうかは決まったわけではない。その時にはコーヒーをごちそうになったんだが、帰り際、レジでディレクターが領収書を請求していた。店の人がお名前はと訪ねたとき、当然ディレクターは「フジテレビで」と答えると、「ハイ?、あっ、フ、フジテレビで、カタカナですね」と、ちょっとびびりながら答えていた。おっ、さすがフジテレビ。メディアの影響力はあるな、と凡人気分を超えた優越感がちょっぴり味わえた。
その後、何度かディレクターと連絡を取ったが、なかなか上の人の許可が出ないということで1週間ほど過ぎてしまった。俺としてはすげ〜心配で、記念日まで、あと10日あまりと迫っていた。こんな短時間でバックダンスなど踊れるわけがないよ。この頃になると夜、家に帰宅してからもディレクターから携帯に電話がかかるようになっていた。こうなると妻も不審がっているのは間違いない。だって、俺なんて妻以外から携帯がかかってきたことなんてほとんどないんだから。おまけに夜の10時ぐらいとかにかかってきて、別の部屋で話してたらおかしいのは間違いない。俺は何度か、のどまで声がでかかったけど、ディレクターから固く口止めされていて、言うことが出来ないので妻には何かあるんだぞ、というのを俺の行動から感じ取ってほしいと思っていた。
なんだかんだやっていて、結局OKが出て計画を実行するようになった。しかし内容は大幅に変更されていた。
最初の撮影は3/1の金曜日の夜に決定。実にOKが出て2日後の急発進だった。蒲田ロケから川崎ロケに急きょ変更などあり、どたばたで撮影が行われた。
川崎での収録は駅前の通りだが、以外に人通りが少なく緊張することもなく滑らかな口調で話すことができた。夜の8時ぐらいから撮影がはじまり30分ぐらいで終了した。レポーターの女の人は黒住(くろずみ)さんといって、王様のブランチとか東京FMのパーソナリティをつとめた経験をもつなど活躍している人で、もちろんスーパーニュースでもレポーターとしてよく出られてる、綺麗な人である。
3月8日が結婚記念日で、更に12日には2人目の息子が産まれる予定なんですよ。
妻の写真をキーケースから取り出して見せて、妻は学生時代からのマイケルジャクソンのファンで家にCDも何枚か持ってますよ。そういえばマサキが産まれてからは2人だけで写真を撮ることが無くなりましたね。
そして次の日の土曜日、六本木のショーパブで収録。そのときに俺は会社の友人と秋葉原に行くと、妻に嘘をついて出てきた。あ〜、心が痛む。しくしく。
六本木のショーパブは店の外から撮影が始まったので、次第に周りに人が集まってくる。多少緊張しながら外での撮影が終わり、次に中に入っていった。
店は営業時間前で客は誰もいない。舞台の上で振り付けや、メーク室でメークキャップを教えてもらった。まいける井上さんは物まね王座にも出ているけっこう有名なそっくりさんである。この日の振り付けも日程の調整が大変で、本当は俺の仕事が終わった後、夜に撮影をする予定だったのだが、夜は毎日マイケルさんの仕事が入っていて駄目なのである。そこでディレクターからフジテレビの物まね王座の収録中に合間を見て抜け出してもらい、フジテレビ内で指導を受けるという案も出た。が、物まね王座の収録は拘束時間が長いそうで、おまけに平日だったからもし俺がお台場に行けるとしても夜遅くになってしまう。帰りは駅までタクシーで送りますと言っていたけど、結局この話はなくなり、六本木のショーパブ、STARという店ですることになった。ここは何人ものそっくりタレントを抱えている店で、他にもアムロや矢沢などがでているそうだ。俺達の撮影を何人かは見ていたが俺は誰が誰のそっくりさんかよく分からなかった。
そして舞台の上で練習が始まったわけだが・・・。マイケルジャクソンの振り付けはむちゃくちゃ難しかった。舞台の袖から出てきて、最初の前奏の部分わずか2分程度踊るだけだが俺には全然できなかった。しかしマイケルが言うには最後の決めポーズが大切で、これさえやれば誰でもマイケルになれるとのことで教えてもらったのだが・・・、本当に俺にマイケルの真似が出来るのかな? ちなみにまいける井上さんもHPを作っている。
撮影終了後マイケルさんが、出産が終わったら是非おくさんと一緒に来てくださいと言ってくれた。いや、今日は本当にありがとうございました。
土曜日は俺が家を出たのが12時30頃で収録が終わったのが17時過ぎだ。ディレクターが食事でもどうですか、と誘ってくれたのでみんなで行くことになったが、俺としては妻のことが気がかりであった。これじゃ、あまりにも行動が怪しすぎる。ばれてしまうのでは。妻からはメールで「秋葉原での目的は達成できたの?、今いったいどこにいるの。何時に帰ってくるの?」とくる。そりゃそうだよ、家に帰ったのは19時過ぎだったからね。出産に影響ないか不安だ。
そして迎えた今日3月8日の夜。結局妻には一言もテレビのことは言ってないのだ。だって前日に、今日は誰か来るよなんて言ったら、あまりにも不自然でおかしい。おまけに妻も構えてしまって、余計心配するかもしれない。17時過ぎにメールで妻とやりとりすると、今日病院で健診を受けたけど、まだ産まれる気配は無いとのこと。おまけに今日はすこぶる調子が良いと連絡があった。よし、今日は撮影に絶好の機会だ。
川崎駅で18時に待ち合わせをして、ディレクター、レポーター、カメラマンなど一緒に車でマンションの下に移動した。妻には19時に帰るからと前もって連絡してあったのでしばらくは車の中で待機していた。その間、カメラマンがマンションの風景を撮ったり、近くの風景を撮っていた。俺とレポーターはマイクをセットして、特に俺の場合は妻に分からないようにカッターの襟の中に隠すようにつけてくれた。そしてコートを脱ぐときにはマイクに注意してくださいなど詳細な打ち合わせを行った。そして俺とレポーターの黒住さんがマンションをバックに立ったところから撮影がスタートした。マンションのエレベータにのり、家の前までやって来た。
家の中には俺が先に入っていって、俺の合図で、レポーターとカメラマンが入ってくることになった。俺に取り付けられているピンマイクで、俺のしゃべっている内容が音声さんに伝わり、そしてタイミングよく入るという段取りである。俺が家に入っていったときは既に19時30頃であった。妻も待ちくたびれたのか怒りかけている。マサキもお腹がすいて待ちくたびれたのか横になっている。直前にメールで今から帰ると連絡したのだが、妻は少しピリピリ状態だ。まずいな〜。そこで俺は、「実は人が来ることになってんだ」と、ディレクターから言われた言葉をそのまま言った。妻は「え〜、だってマサキはお腹すかしてるのに」と、ピリピリが更に怒りモードになりかけた。そりゃそうだ。妻が妊娠していて、今から家族で食事をするのに誰が家に人を呼ぶんだ。普通ならないだろう。いや、俺のパターンでは今までには絶対にありえない行動だ。俺は、家の中を見渡してカメラに写っても問題ないかチェックした後、だめ押しで「別にいいよな」と何回も妻に連発していった。強硬手段である。
そのとき、俺のあせりを感じ取ったのか、ピンポン、ピンポンとチャイムが鳴り、レポーターとカメラマンが乱入してきた。フジテレビのスーパーニュースで〜す。妻はびびって、驚き、あわてふためいた。マサキは硬直状態になっていた。そりゃそうだろう、レポーター、カメラマン、音声など総勢5人がなだれこんできたのだから。
それからはレポーターの説明で、結婚記念日で俺が応募したこと、奥さんにはだまってこれまでの計画を立ててきたことなど、なりゆきを話してくれて撮影が始まった。撮影中は妻もマサキも大喜び、マサキはかなり興奮していた。
これまでの結婚記念日では、特に何かしたということはなく、うちのダンナはプレゼントとかもそんなにしない人なんです。妻にインタビューをしている間、俺は別の部屋でメイク、かつらをつけてスタンバイをして、本番の踊りに向けてひたすら練習をしていた。
そして、マイケル登場。妻もまさきもびびっていた。何となく振り付けはうまくいったが最後の決めポーズの左手が逆だった。しかし、まぁOKだろう。まさきは、最後まで俺が何者か分からなかったみたいで声だけは俺で、姿形は別人でこんがらがっていたみたいだ。
最後にプロの写真家に撮ってもらえるとのことで、俺は写真館の人がくるのかなぁ、と思っていたらなんと、撮影が趣味の林家ぺー、パー子夫妻がやってきた。俺はびっくり仰天してしまった。ワオ〜、本物だ。我が家に林家夫妻が来た〜。それから写真を撮りまくって、撮影は21時頃に無事に終了した。
おい、マサキ、せっかくみんないるんだからカメラの前であれをやれよ。と俺がまさきの耳元で言うと、他の人たちも、やってよ、みせてよ。と、言い始め、そこでマサキが調子に乗って、ゴルゴ松本の「いのち」を披露した。みんな大爆笑で大うけだった。ゴルゴ松本は林家夫妻の事務所と同じらしいがパー子知らないとのこと(笑)。またぺー得意の誕生日の話題になって、あんたの誕生日は誰それと一緒だよということで盛り上がった。
さて、お腹の赤ちゃんも喜んでくれたかな? なんだよ、どんちゃん騒ぎして、うるさくて出られないぞ、と思ってるかも。
あっ、そうそう、これで撮影が終わったわけではなくて、今度は産まれた赤ちゃんと一緒にいるところを撮りたいとのことで、。いや〜、これは本当に記念に残る5周年と出産になりそうだ。現に今日起こったこと、これまでに撮影したこと、メークキャップしたことなど全て初体験で驚きの連続だった。良かった。良かった。妻も本当に喜んでくれていた。今回の企画で一番心配だったのは、出産が前倒しになることだった。まぁ、そうなったら、そうなったで考えますよ、とディレクターは言っていたが、とりあえずうまくいって良かった。マンションの隣の人とか下の人には迷惑をかけたかも、なんてったって林家夫妻は最初から最後までハイテンションで大騒ぎしてたからね。どうもお騒がせしました。妻もマサキも今日は疲れただろう。俺は昨日の夜から緊張していて、今日は朝3時に目が覚めて、会社には6時に出勤したのだ。ふぁ〜。今日はぐっすり寝るか。
それから1週間後妻は無事に出産した。
この日はディレクターだけが病院にやってきてホームカメラで静かに撮影した。そのとき、林家夫妻が取ってくれた写真を持ってきてくれた。ちょうど俺の母もいてみんなで写真を見て大笑いしていた。ほんとに記念に残る5周年だった。ショウヤなんて産まれたばかりでテレビに出て全国放送されたんだからすごいよな。
3/5で妻も妊娠39週目にはいり出産への秒読み体制になった。いつ陣痛が始まってもいいように妻は病院へ持っていく荷物をまとめて近くにおいてある。また、夜中に出産したときのマサキの預け先にも挨拶に行って来た。俺も会社では携帯電話を肌身離さず持っている。ところがこういうときに限り予定外の出張がどたばたと入ってくるものだ。おまけに今月末には学会発表も控えていて、その準備も必要である。さていつ産まれてくるのやら。とりあえず名前は考えてあり、それはまた後日公表します。
我が家には来月、一人家族が増えることになる。2人目の子供が産まれるのである。出産予定日は3月12日だけど1人産んだ経験があるから、少し早くなるかもしれないそうだ。おまけに5周年目の結婚記念日が3月8日と近いだけに、俺としては何か記念に残る大がかりなことをしたいんだけど・・・。まぁ、それは計画中だからまた書くとして。今回俺は立ち会い出産を行うのだ。つまり赤ちゃんが産まれるまで分娩室に一緒に入り立ち会うわけだが、マサキを一緒に入れることは出来ないのだ。そうすると、赤ちゃんが産まれる時間によってはマサキを誰かに見てもらわないといけない。しかし俺の両親も、妻の両親も離れて暮らしているから見てくれる人を探さなくては。昼間だとマサキは保育園に行っているから預かってもらえるけど夜中に出産となると、どうするかだ。ベビーシッターとか24時間制の一時預かり施設などがあるのだが・・・。
妻がいろいろと探した結果、保育園の友達のお母さんに預かってもらうことが決まった。ベビーシッターとかだと基本的に日中だけで、夜遅くても21時ぐらいまでしか預かってくれない。24時間制の施設なら結構な費用がかかってしまう。他の人はどうやってんだろう?
産後、妻は当然1週間ほど入院することになる。そうすると、その間のマサキの送迎をどうするかなのだ。マサキは今、保育園に9時に行き、16時に迎えに行っているけど、俺の場合は、朝6時半過ぎに出勤して会社を定時で帰ってきても18時頃にはなってしまう。う〜ん、こりゃ問題だな。そういえば今期俺は仕事で1日も休んでないから、3月末までがんばれば皆勤賞なんだけど〜、いやいや、それより今は出産と育児の方が大切だ。妻が働いていたときは、夜は延長保育で19時まで預かってくれていたから、帰りは問題ないけど朝保育園へ送るのが問題だな。こうなったらマサキを会社に連れて行くか。
保育園に相談したら、朝は特別に7時30分から預かってくれるとのこと。おっ、これはいけるかな、と考えたけど、やっぱりどう考えても会社には遅刻してしまう。しょうがない。妻が入院している間は遅刻していくか。あるいは保育園の送りだけベビーシッターを頼むか、あるいは・・・。
いろいろ考えたあげく会社に相談して出勤時間をずらしてもらうことを考えた。つまり時差出勤である。会社は朝8時に始まって17時に終わるから、これを9時から18時に変えてもらおうと。そうするとベビーシッターに頼むこともなく、余計な出費もせずに俺が送迎することができる。まぁ、親としては当然なことだろうけど。これだと会社も遅刻、早退することなくうまくいきそうだ。よしよし、我ながらいい考えだ。
先週はパソコンのバージョンアップのため更新することができず、申し訳ないです。さて今回で最後にするが博士号の取得方法だけど、みなさん今まで書いてきたこと分かってもらえましたか。前回の内容を少し繰り返すけど、大学院の博士後期課程に通うのが一番の近道で、大学を出ただけでも専門に従事していれば、博士前期課程(修士課程)を飛び越して入学することができるのである。前回と前々回を読んでない人は読んでね。
高卒の人の場合だと大学に入学して、数年間かけて大学で勉強をした後に博士を取るということになる。えっ〜、何年間もかけて今更大学になんか行けないよ。と思うかもしれないが、最近は子育てを終えたお母さんや、定年退職したお父さんなど多くの年配の人が勉強をしているそうだ。また今は大学院、社会人学生となるための専門学校もできていて金はかかるけど真剣に学ぼうとする人には十分な環境が整っているのだ。
さて次がメインイベント。ここが本題で、結局何をやったら博士号がもらえるかであるが、一番重要なのは論文を書いて学会誌に掲載されることである。学会誌というのは専門誌のことで、物理学会、電気学会、機械学会などの学会が出版している雑誌のことだ。この本は普通の書店では手に入れることができなくて、学会に入会すると毎月あるいは年に数回郵送されてくるものだ。例えば機械学会誌だと機械の専門のことが書かれていて専門外の人が読むとちんぷんかんぷんな内容であるが、専門としている人が見ると、おっ、こんなことが発見され出来るようになったのか、と興奮するのである。
この学会誌に掲載されることが博士号取得への第一条件なのである。そこで、大学院博士後期課程に通っていて課程博士を目指している人と、論文だけを大学に提出して博士を取得する論文博士との大きな違いが出てくるのだ。
課程博士の場合は学会誌に掲載される本数が2本程度でよいのだが、論文博士は5本以上必要となってくるのだ。だから取得期間が違ってくる。けど博士後期課程に通っていても論文が学会誌に掲載されなければ博士号を取得することはできないのだ。このあたりが重要。たとえ授業ですべて単位を取っても、博士論文をどれだけうまく書いたとしても、世間が認めてくれなければダメなのである。つまり学会誌に掲載されるには他の大学の専門家が厳しく審査して、それにパスしないとダメなのだ。
ところが学会発表とかで自分の研究を報告したりしていると、出版社などから、すいませんが解説文を執筆してください、とありがたい話が舞い込んでくるのだ。おっ、俺の研究内容が雑誌で紹介されるのか。こりゃ、すげぇや、これで博士号取得も間近だ、と思っていると大きな間違いなのである。ここで掲載されるのは専門誌でなく一般誌となり、掲載されても博士号取得にはほとんと意味がないのだ。ようは、こっちから投稿する学会の専門誌に掲載されなければならず、向こうから書いてください、と来る一般誌は書いてもほとんど無駄なのである。おっと、無駄というのは言い過ぎで、学会誌の掲載が2本(2回載るということだが)ならば、この一般誌の掲載は1回載ると0.1本ぐらいの換算となる。しかしいいことは、自分の研究が紹介されると、他の雑誌社からも依頼があるかもしれない。そうなると会社の宣伝になる。当然ながら原稿執筆料も入ってくるから会社としてはお金をもらって宣伝できることになる。あっ、そういえば俺には金が入ってくるのかな? まぁ、そんなことはいいとして何にせよ、博士を取る第一条件は学会誌に掲載されることなのである。
第二条件は以前にも書いたけど学会発表をすることである。これは国内外の学会で最低2回(もしかすると大学によって違うかもしれないが)発表するのだ。これは学会誌掲載に比べれば簡単で、単に自分の研究内容を発表するだけだ。俺の場合は去年1回やって、来月にも1回やって、その後も数回行う予定で問題ない。もちろん発表するときはすごい緊張するけど、わずか10分程度だから前もって練習して覚えたことをしゃべるだけで、発表自体は簡単なものだ。そのあとに質疑応答が5分ほどあって、これがちとやっかいだ。なんにせよ質問してくる相手は何十年も専門でやっている大学の教授で頭の切れが違う。俺がまったく気づかなかった細かい部分をわずかの時間で見つけ質問してくるから、答えるのが大変である。前回やったときも冷や汗をかきながら答えたものだ。
修士の学生の発表を聞いていると質問に答えることができなくて代わりに先生が答えているのを見たときがあった。俺が修士課程だったころ学会で発表したことがあり、まったく答えることができなくて先生に代返してもらったことがあり、それを見て俺はそのときの悔しかったことを思い出した。あと、発表の中で一番やっかいなのが国際学会での発表だ。つまり学会の世界バージョンだ。これは発表、質疑応答すべて英語で行うから無茶苦茶大変だ。俺としてはできれば避けたいと願っているのだが・・・。自分のためにはなるだろう。
課程博士も論文博士も結局、論文掲載と学会発表をすれば取れることになる。課程博士の場合はこれに大学院の授業が入ってきて、俺が思うには授業で専門を勉強することにより学会誌への論文掲載数が少なくてすむと判断しているんだと思う。
みなさん、どうですか。これを読んで博士号なんて簡単に取れるよと思いましたか。簡単に取れるよと思った人はすでに博士課程で論文を1本ぐらいパスしている人か、会社で論文を書いていて4本ぐらいパスしている人ぐらいじゃないのかな。そう、実は結構大変なんです。俺の感覚では常に追い立てられている感じで、いつまでに原稿を書かなきゃいけないとか、実験装置を作らなきゃ進まないとか、何かいい案がないかなと毎朝目覚めると考えてしまう毎日なのだ。なんだよ、最初は簡単に取れるようなことを書いてあったのに、と思う人。そう、実は博士取得は大変なんです。何もやらなくて取れるわけはありません。寝ているだけで取れるなら何の価値もないでしょう。努力してやる気があるなら取れるのです(俺もまだ取ってないから強気ではいえないんだけど)。しかし大変だけど博士号取得はやりがいがありますよ。3年で取らなければと俺の体にもプレッシャーがひしひしと感じてくるけど。どう、みなさんやってみます?
前回の続きであるが博士号を取得するにはどうするのか、であるが、博士には2つの種類があって、課程博士と論文博士のあることを書いた。つまりどっちかの方法で取るしかないのだ。まず短時間で取得するには課程博士の方である。これは大学院の博士後期課程に所属することになり、通常3年間で取る(ちなみに論文博士の場合は平均5年ぐらいで、10年かかって取ったという人もいる)。自分の場合は課程博士に当てはまる。あれ、だって、あんた社会人でしょう。それなのに学校に行ってるの? と思われる方がいるかもしれませんが、このあたりがうまくできていて我々社会人でも取りやすくなっている。
俺の場合、去年の4月の入学後、大学に行ったのは、オリエンテーション(授業説明、単位取得説明会など)1回と、あと数回、先生との打ち合わせ程度である。ちなみに入学式には出なかった。そう、社会人学生は基本的には会社人間で、ごくわずかに大学での生活となる。もちろんコレは先生によっても違うし、私は学校の設備を利用しなければ博士論文が書けない、という人は別である。なんにせよ、この辺りは臨機応変なのである。俺の場合、大学に行くには新幹線で行かねばならず、そう簡単に行けないのが問題というのもある。
そうすると、授業はどうするんだよ? と考えてしまうがこれもうまくできている。 大学っていうと毎日学校に行って、授業を何時間も受けるってイメージがあるのだが、社会人学生の場合は、大抵の場合授業の代わりにレポートを書いて提出することで単位がもらえる。単位というのは大学を出た人なら分かると思うが、授業を1つ受けると2単位、あるいは3単位もらえるもので、修了までに全部で何単位取りなさいというのが決められている。だから自分で受けたい授業を選ぶのが普通だが、俺の場合、社会人学生ということで授業に出席することができないため、担当の先生が取りやすい(出席しなくてもよい授業)のを選んでくれたのだ。
博士後期課程の場合、全部で12単位が必要で、2年生の11月に取得審査(中間審査発表)というのがあり、それまでに授業を取っておかねばならない。全部で4教科で、俺の場合は、専門書を読んでA4用紙2枚にまとめることと、英語論文を読んで日本語に和訳すること、何でもよいからレポートを書け(これが一番やりやすい)と、学会発表を行いなさいというのが出ている。学会発表というのは博士号を取得するなら最低2回はやらなければならない発表会で、一石二鳥ということになる。
英語を日本語に訳するなんて、とうてい自分には無理だな、と思う人がいるかもしれないが、高校レベルの文法と専門用語ののっている辞書があればなんとかなるものだ。最初は訳の分からない単語がずらずら出てくるけど、同じ単語が繰り返し出てくるからすぐに慣れてくる。何言ってんだよ。あんたは海外に何回も行っているから英語に慣れてるんだろ! と、言われる方、今は海外なんてほとんど英語がしゃべれなくても行けるのだ。おまけに俺は何度行っても、旅のお決まり文句以外はしゃべれないのだ(自慢するな!)。俺の考えでは英語なんていうのはコミュニケーションの1つで、外国人との意志疎通の方法でしかないと思う。俺達が日本語をしゃべっているのと同じで、英語圏の人は英語をしゃべり生活しているのだ。おそらく俺も身近で英語を話す必要性が出てきたら、いつのまにかしゃべれるようになるだろう(と期待しているんだけど)。
しかし英語が全く出来ないとなるとこれはまた問題なのだ。ABC〜XYZと、これが読めない人は、中学校の勉強をしなくちゃいけないかもしれないな、というのは博士後期課程の入学試験に英語があるからなのだ。そういえば、まだ入学試験のことを書いてなかったから、少しこれの説明をしよう。
大学院の博士後期課程に入学するにはもちろん入学試験があるのだが、通常の大学や、大学院の前期課程の試験とは違って簡単である(と思う。人によって言い方が違うと思うが俺はそう感じた)。通常4年生大学に入学するには国立の場合、全部で5〜7科目ぐらいを勉強しなければならないし、私立の場合でも3教科ぐらいは必要じゃないのかな。ところが博士後期課程の場合は外国語と発表のみで、なんと最近のほとんどの社会人学生は発表だけらしいのだ。しかし、俺の受験した大学は外国語の試験があり少し苦労した。
外国語の試験は英語、中国語、フランス語などがあって、ほとんどの受験生が英語を受験するらしいのだが、俺が受験した大学では英語を和訳する問題で、4つの内容から選択するものであった。そして、その中に自分の専門内容があるのだ。問題の中には自分の修士論文の概要を英語で書きなさいというのもあった。だから最低限英語を勉強しておく必要がある。おまけに入学しても授業で出てくるし。自分が研究することは世界の最先端レベルなのであり、大げさに書くが、ある分野のある専門を深く研究して、自分で新たに発見し論文に書いていくわけだが、世界の技術書は日本語で書かれた物はごくわずかである。最近日本語が世界でもある程度通用するが、先端技術の論文はやはり英語で書かれた物が多い。
あんた、そんなたいそうなことを書くぐらいだから、すらすら日本語に訳できるんだろうな、と思うかもしないが、俺にとっては英語はかなりつらいものだ。英文和訳はいつも同僚や、和訳ソフトのお世話になっている。なんだよ、和訳ソフトでやってたら全然自分のためにならないじゃん。心配しないでください。英訳ソフトなんて、無茶苦茶な日本語に変換するだけで、あまり意味がない。なんとなく書いてある内容が理解できる程度なのだ。あと同僚だが、自分のことじゃないからみんないい加減に教えるだけなのだ。結局こっちもあまりあてにしてない。というわけでやっぱり自分でやらなきゃいけないのだ。
書き始めるといろいろ出てくるが、まだ、まだ書き足りないな。そういえば決定的な博士号取得の条件を書いてない気がする。これは次回に書くとして、最後に大学の仕組みについて分からない人がいるかもしれないので説明する。学校のレベルからいうと低い順に、小学校 → 中学校 → 高校 → 大学 大学院博士前期課程(修士課程ともいう) → 大学院博士後期課程となる。大学院博士前期課程(修士課程)は2年間、大学院博士後期課程は3年間行くのだ。どう、わかる? 博士には前期と、後期があって、そこがこんがらがるところなんだけど間違わないでね。”博士”の称号(学位)をもらうには博士後期課程を出なければならない。ちなみに博士前期課程(修士課程)を出ると称号は”修士”となり、大学を出ると”学士”になる。
あっ、そういえば、大学院の博士後期課程には、博士前期課程(修士課程)を出なければ入れないというわけではない。単に大学を卒業しているだけでも、専門に従事している人であれば入れるのだ。だからもしあなたが大学院の前期課程(修士課程)を出た人であれば、入学試験をパスすれば入れる。もしあなたが大学を出た人であれば、今やっていること、あるいはやりたいことを専門としている大学を見つけて、先生に連絡してアドバイスを受ければいいのだ。もしあなたが高校を出た人であれば、それでも問題ありません。ある程度の努力が必要だけど可能です。続きはまた来週。
あまり仕事の話は書きたくないけど、1つためになる話を。資格のことだけど、実をいうと自分自身は仕事のためになる資格はほとんど持っていない。会社に入るときも、「工業系のわりには資格持ってないね」と、言われた。学生の頃なんて、資格を取ろうなんて考えたことも無かったし、確か先生も「資格なんて役に立たない」と、叫んでた。けど遊びの資格は取ろうと努力してて、車、自動二輪、空手、弓道、4級船舶、あとスキー検定も受けた記憶がある。しかし、仕事にはからっきし役に立たない。しいていえば車の免許ぐらいかな。空手と弓道は両方とも初段だがこれを資格というのかどうか分からないが、全く役に立たない。2年前、静岡駅で泥棒を捕まえようとしたら、逆に眼鏡を割られてしまった苦い経験がある。ちなみに泥棒も階段を転げ落ちていって捕まっていたが。
今思うと何で学生の頃もっとためになる資格を取らなかったのかな、と思ってしまう。ここまで読んで、何だよおまえの資格を並べて、ひけらかしてるだけじゃないのか、と思われるかもしれないが半分その通りである。しかし世の中にはもっとスゴイ人がいて死ぬまでの間に何十もの資格を取ってる人がいて、脱普通の人としてこのホームページにぴったりで俺の目標でもある(半分ウソ。そこまでやりたくはない)
序文が長くなったが、ここから本題。今俺には欲しい資格があって、学校にも通っている。というより会社から行かさせてもらっている(感謝、感謝)。その資格は博士号だ。博士を資格と呼ぶのかどうか分からないが、取得方法、内容など詳しいことを知っている人は博士号を持ってる人ぐらいじゃないのかな。博士の種類にはいろいろあって、医学博士、工学博士、理学博士、教育学博士、学術博士・・・などである。確かアグネス・チャンも教育学博士だったと思う。よく病院の先生をドクターと呼ぶがこれは博士のことを意味していて、通常「Dr」と書く。つまりこの先生は医学博士なのだ。
さて、博士を取るにはどうすればよいか? これには2通りの方法があって、まず大学院の博士後期課程に入り、単位を取り博士論文を書く方法と、会社で博士論文を書き大学に提出して取る方法がある。後者の方は博士の部類でも論文博士といって、通常「Prof:プルーフ」と書く、ちなみに前者は課程博士(かていはかせ)という。大学院というのは博士前期課程(修士課程ともいう)、博士後期課程があるのだが詳しい話はまたする。
俺っちには全く関係ねえよ。と思う人がいるかもしれないけど、この2つの方法で博士号は誰でも取れるのである。
博士の称号は専門の中の専門分野を深く追求することで得られるもので、例えばロボットが好きな人は徹底的にロボットのことを追求し、電気が好きな人は徹底的に電気のことを追求する。変な話UFOが好きな人は徹底的にUFOの研究をしている。ようは自分がこれだと思ったことを徹底的に追及すれば博士という称号がくっついてくるのである。どうでしょう、みなさん。少しは興味がわきましたか?
今からパチンコに行こうとしている、そこのあなた。パチンコを深く研究すればいいのです。子供が泣いてるから面倒を見ようかと思ってるお母さん。幼児教育について深く研究すればよいのです。仕事でシステムの開発に携わってる人、それについて深く追求すればよいのです。しかしやっぱり俺には無理だなと思う人がいるかもしれないけど、1つのことに夢中になれば誰でも取れる資格なのです。博士をもってない俺が言うのも変な話だけど。
あと2回ぐらいに渡って博士の取得方法を書いていきます。ちなみに俺は大学院に行ってないから、まず無理。なんて思わないように大学院だろうが大学だろうがそんなの関係ない。努力すれば取れるんだから。
3月に我が家に2人目の子供が生まれるのだ。先日の健診の結果、男が生まれることが分かった。俺の兄弟も3人いるけど、みんな男だったし弟の子供も男だったから、我が家は男家系かもしれないな。また、賑やかになりそうだ。名前をなんてつけようかな?
年始に妻の友人夫婦の家に遊びに行った。そこには、マサキと同い年の女の子、”ちっちゃん”がいて、最初はお互い一人遊びをしていてたけど、帰る頃になると2人で子供用のジャングルジムで遊んだりと、なんかいい関係になっていた。さすが子供だ!
年末年始は実家に帰ったが、懐かしの三重県菰野町(こものちょう)は鈴鹿おろしが冷たく御在所岳には雪が積もっていた。
弟夫婦に子供が生まれたので見に行くことに。マサキは赤ちゃん、赤ちゃんと大はしゃぎで騒いで、喜んでいた。
妻の実家、名古屋では大雪に見舞われたが前日名古屋入りしていた俺達は特に大きな被害を受けることはなかった。
マサキと一緒に近くの公園で、段ボールのソリ遊び、雪合戦、雪だるまを作ったよ。
どう、大きいでしょう。この雪だるま身長140cm以上はあるよ。
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