ママの出産体験記

第一子のマサキを出産した体験を書いています。
何もかもが初めてで、ドキドキの体験でした。

出産予定日は平成10年12月1日


12月1日(火):出産予定日当日

 出産予定日当日の12月1日は、ちょうど健診日でした。
 この日の朝、出血があり『おしるし』だと思いました。そして、病院で内診を受ける際に先生にその事を告げ、NSTをとりました。NSTの結果は、16分位の間隔で陣痛が来ている事を示していましたが、それを赤ちゃんが苦痛に感じていないので、本格的な陣痛はまだとのことでした。

『お母さんのお腹の中がよっぽど居心地がいいのね。』

なんて看護婦さんに言われてしまいました。
 先生のお話では、「今朝出血したのは『おしるし』だと思いますが、それがお産の始まりではないので、今週様子をみて陣痛が始まらなかったら7日の月曜日に薬で誘発する処置を取ります」と言われました。胎盤の機能が衰えてくるからなんだそうです。
 私はなるべく薬は飲みたくないな、と思っていました。

 また、この日の健診では骨盤のレントゲン撮影をしました。レントゲン撮影は、何かしら問題がある時にするのだと聞いていたので、少し緊張してしまいました。後で診察室に呼ばれて話を伺うと、

『赤ちゃんの頭は、ぎりぎり産道を通れそうなので、頑張りましょう。』

と言われました。頭が大きいのかな?


12月4日(金):予定日から3日後

 川崎で一人暮しを満喫?しているダンナが勤務先から電話をかけてきてくれました。

『調子はどう?』

陣痛はまだ始まっていません。変化なしの返事に『そうか・・・』と一度電話は切れました。しかし、しばらくしてまた電話がかかってきました。

『部長に帰れって言われちゃった。』

 まだ陣痛も始まっていないのに・・・と思いましたが、上司の方のせっかくの好意ですし、ダンナも名古屋へ来る気になっていたので、半休を取ってもらうことにしました。

 川崎からパパもやってくるんだから、「お腹の赤ちゃん、これはもう生まれるしかないね。」とお腹を撫でました。


12月5日(土):予定日から4日後

 前駆陣痛と思われる痛みが始まっていましたが、なかなか本格的な陣痛がやってきません。
 夜、ダンナと近所を散歩しました。散歩の途中、お腹が張って痛くなったりしましたが、結局この日生まれることはありませんでした。しかし、時々弱い痛みがくるので、陣痛が始まるのでは・・・と気になって、お布団に入ったのは深夜0時をまわっていました。


12月6日(日):予定日から5日後  

 前日の土曜日の夜は、もし日曜日に生まれなかったら薬で誘発してしまうんだなぁと思いながら布団に入りました。1時間位は眠ったと思いますが、午前1時30分頃、お腹の痛みで目が覚めました。それからは眠れなくなり、痛みがくるたびに時計とにらめっこして、時間の間隔を測りました。なんといっても初めての事で、どのくらい痛くなるのか想像できないので、時間を測ることばかりに集中していました。

 午前2時頃から間隔は10分をきり、8分くらいになりました。

 午前3時には5分、時には4分になったりしたので、これはもう病院に連絡しなくては、と午前3時55分に病院に電話を入れました。
(初産は陣痛が5分間隔になったら連絡するようにと言われていたので)

『陣痛の間隔が5分おきになったので・・・』

と自分で伝えると、電話の向こうの看護婦さんに、

『まだ余裕のある声をしていますね。初めての人は産むまでに時間がかかるし、声に余裕があるし、もっと痛くなったら連絡してください。こちらの準備はしておきますから。』

と言われてしまい、一度電話を切ることに。その後は、5〜8分の間隔にもどり、陣痛が進まなくなってしまいました。

 私もダンナも、そして私の母もいつでも出発できるように準備が整っていましたが、とうとう朝陽も昇り、ずっと起きていた私に眠気が襲いました。
 一度横になり、うとうと眠りにつくものの、陣痛の痛みで起こされてしまいます。
 だんだん痛みが進み、母やダンナに腰を押してもらって、しのいでいました。眠さと痛さでボーっとしている間に、間隔は4〜5分になり、ダンナの

『そろそろ病院に行ってもいいんじゃないか?』

という一言で、もう一度病院に電話をすることになりました。その時はダンナが電話をしてくれたのですが、

『もう痛くて死にそうって言ってます。』って伝えていて笑ってしまいました。

 でも、確かに腰は砕けそうに痛いんですよね。

『すぐ来てください』と言ってもらえたけど、どのくらいの痛みになったら病院に行ってもいいのか検討がつかないので、本当に行ってもいいのかな?なんて心配している私でした。

 そして母の運転で、ダンナに付き添われ、父に見送られて病院へ。車の振動も辛いほど、お腹は痛くなっていたのでした。


12月6日(日):いよいよ出産!

 病院に着いたのは午前10時30分頃だったでしょうか。簡単に手続きを済ませ、陣痛室で分娩監視装置をつけてお腹の状態を見ました。そして、分娩着に着替え、ショーツも分娩用にかえました。
 一度先生に診てもらうと、子宮口は4〜5p開いているとのことでした。しかし、看護婦さんの言われるままに陣痛促進剤を飲み、子宮口が開く注射を一本打ちました。

 

浣 腸

 そして、何よりも恐れていた浣腸。やっぱりやられてしまいました。これは本当に辛かった。陣痛の痛みと浣腸での腹痛と吐き気でトイレに倒れてしまいそうになるほど、冷や汗ものでした。かなりの時間、トイレから出る事ができなくて、看護婦さんが心配して様子を見に来てくれたほどです。しばらくしてトイレから出る事はできたけれど、再び陣痛との戦い。陣痛の波が来ると腰が砕けるように痛いので、母とダンナに交代でさすってもらいました。あまりの痛さに「そこじゃない!」「もっと強くさすって!」なんて注文をつけてしまいましたけど。
 あの痛さの中で、冷静に落ち着いていられる人はすごい人だと思います。ホント。
 陣痛の何が辛いかと言うと、痛みが来たときにいきみたくなるのを我慢することです。子宮口が全開にならないうちにいきんでしまうと、その周りの筋肉が充血してしまって、赤ちゃんが産道を通りづらくなってしまうのだそうです。私は一生懸命呼吸を整え、赤ちゃんに酸素がいくように気を使っていました。

 

やっと分娩室へ

 時計は午後1時をまわっていました。
 
再び先生の内診を受けると、子宮口は7〜8p開いているとのことでした。陣痛促進剤の錠剤を3錠飲んでいたので、進行が早まり、いい感じに出血もしているようでした。その時、先生が人工的に破水させたようで、生温かい感触がありました。そして分娩室へ移動。
 いよいよだ、と思いました。
 分娩室へ移動したのは午後1時40分頃。分娩室はすぐ隣りの部屋なのですが、分娩台へ移るだけでも一苦労でした。先ほど破水させたので、どんどん羊水が出てきます。何とか分娩台に寝る事ができましたが、子宮口がまだ全開になっていないので、いきませてもらえません。痛みは更に増し、自然といきみたくなるので、いきみ逃しが辛くなってきました。
 すると、助産婦さんが

『いきみたくなったら、お尻に力を入れてもいいよ』

と言ってくれたので、そのお陰で随分楽になりました。

 

いよいよ出産です

 子宮口が全開に近くなり、自分の力ではどうする事もできないほどのいきみが体を襲うようになってきました。いきみ逃しができなくなってしまったのです。下半身に勝手に力が入り、腰が浮いてしまうほどでした。
 もうダメ〜っと思っているところへ先生が様子を見に来てくれて、子宮口全開を確認すると、両足を台の上に乗せられました。(股関節の硬い私は、上手く台に足が乗せられなかったのですが・・・)

『いきみの波が来たら、深呼吸をして頭を持ち上げ、目はおへその辺りを見て、お腹に力を入れて大きな硬い便を出すように、お尻を上に向けて力を入れるように。』

と指導されました。酸素吸入をして、分娩に挑みました。

 1回目・・・。う〜ん、といきむ私に先生が、

『全然できていない!』

と、いきむのを止めさせられました。1回の陣痛の波で2度いきむよう指導され、その2度目のいきみが大切らしく、少しでも長くいきみ続けられる様に深呼吸をしました。

 2回目・・・。今度は一回目よりも、真剣にいきみました。頭に血が昇るほどいきみ続けました。

 3回目・・・。だんだんコツをつかんできました。赤ちゃんの頭が出たり入ったりしているので、もっと頑張って!1回目である程度まで頭を出して、2回目で更に出すんですよと言われ、それを頭でイメージしました。

 4回目・・・。だいぶ頭が出てきている感じが私にもわかりました。

 5回目・・・。産道がとても熱く感じるようになり、「さあ、次で出してしまうよ」と先生の言葉が聞こえました。

 6回目で私にも赤ちゃんの頭が出てきたことがわかりました。頭が出てきたその瞬間「バチン!バチン!」と2回、ハサミの音が聞こえ会陰切開をしました。そして赤ちゃんの肩、体が引っ張り出されました。

 『おんぎゃぁーーーおんぎゃぁーーー!』と元気に泣いて、我が子が誕生しました。
 午後2時36分誕生、分娩室へ入って約1時間後でした。

 赤ちゃんはすぐにへその緒の処置をされ、血まみれのまま私のお腹の上にやってきました。そして一度、この腕に抱くことができました。言われていた通り、ちゃーんと男の子でした。あなたがお腹の中にいたんだね、生まれて来てくれて有難う、という気持ちでした。

 

出産直後

 赤ちゃんは身長や体重を測ったり、体をきれいにするために看護婦さんが連れて行きました。
 私は後産の処置を受け、会陰の傷を縫ってもらいました。麻酔を何ヶ所にも打ち、(痛い。)中は溶ける糸で、外は後で抜糸する糸で縫ったようです。麻酔をしていても、麻酔が効いていないのではと思うほど痛かったです。出産も痛いけれど、産んだ後も痛いことが待っているんだな、というのが感想でした。
 お腹を見ると、あんなに大きかったお腹は見事にペッタンコになっていました。子宮収縮を促すために、アイスノンをお腹の上にのせられましたが、12月でとても寒く、腹痛をおこしてしまいそうだったのでとってもらいました。
 その後、看護婦さんに体を拭いてもらい(これがとても気持ち良かったです)ホッとしてしばらくベッドで休みました。

 

気になる赤ちゃんのサイズは?

 身長 52.2p、体重 3734g、頭囲 34p、腹囲 34.6p。

これが我が子の生まれた時のサイズ。

体重3734g?! 骨盤のレントゲン撮影をした時に、先生が「産道をぎりぎり通れそう」と言った意味がやっとわかりました。
 それにしても、いつの間にお腹の中でこんなに大きく成長したんでしょう・・・。謎です。看護婦さんからは、『二人目は4000gを目指す?』なんて言われたけれど、次は2800gくらいでツルっと産みたいと思っている私でした。


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