スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」  安心と安全の国づくりとは何か

 


各章のサマリー


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<裏表紙>

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はじめに

「化石燃料の使用により大気中のCO2濃度が増えると、地球が温暖化する」という仮説を最初に唱えたのはスウェーデンの科学者スバンテ・アレニウスで、1896年のことだった。この110年間に「世界の経済状況」と「私たちの生存基盤である地球の環境状況」は大きく変わった。110年前にスウェーデンの科学者が唱えた仮説がいま、現実の問題となって、私たちに「経済活動の転換」の必要を強く迫っている。その意味で、この本は21世紀の国づくりの話である。

 2005年1月1日、スウェーデンで世界初の「持続可能な開発省」が誕生し、環境省が廃止された。この改革は20世紀の「福祉国家」から21世紀の「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」への転換政策をいっそう加速する目的で行われたものである。

第1章 21世紀の日本が初めて直面する「二つの大問題」

 人類の歴史はつねに「経済規模の拡大」の歴史であった。これからの50年、私たちは否応なしに人類史上初めて直面する二つの大問題を経験することになるだろう。
 一つは「少子・高齢化問題」、もう一つは「環境問題」である。

 環境問題解決への具体的な行動は、経済的に見れば地球規模での「経済の拡大から適正化」への大転換であり、社会的に見れば20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量をできるだけ抑えた社会)」への大転換を意味する。

第2章 フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン

 スウェーデンの未来予測レポートでしばしば使われる「バックキャスト」は、日本では耳慣れない言葉だが、「将来のあるべき姿を想定し、それに基づいて、いま、何をしたらよいのかを判断する」といった意味だ。環境問題の解決にあたっては、この方法が有効である。

 バックキャストの方法で、近い将来の、主な環境問題を解決した持続可能な社会を描いてみると、人間の経済活動のあり方を、自然法則に逆らう度合いの少ない方向に変えていかなければならないことが見えてくる。このような、環境をこれ以上破壊しない、さらに、できれば人間が安心して暮らせる環境を創造するような技術開発と投資のあり方を、「持続可能な開発」と呼んでいる。

第3章 環境問題は日本でどのように位置づけられているか

 日本の「環境問題」への対応は1960年代以来、「公害」への対処の域を出ていない。公害は、「大量生産・大量消費・大量廃棄」の結果生じた環境汚染の、一部の地域に生じた個別的な現象にすぎないにもかかわらず、いつのまにか「公害」と「環境問題」が同じものであるかのような意識が形づくられてしまった。

 私の環境論は、このような問題意識に異を唱えるものだ。私の環境論は、「人間は動物である」という生物学的事実を踏まえ、「経済活動の本質は資源とエネルギーの利用であり、経済活動の拡大の結果必然的に生ずるのが環境問題である」と理解するところから始まる。

 したがって、「一人一人ができるところから始める」という日本の環境問題への取り組みとも、立場を異にしている。

第4章 今日の決断が明日の環境を決める

 環境問題への理解は経済活動を「資源・エネルギーの流れ」としてとらえることから始めなければならない。判断の基準は、「社会全体の資源・エネルギー消費量を減らすかどうか」である。このような見方に立つと、日本で行なわれている開発、省エネ、廃棄物などをめぐる議論はおかしなところだらけだ。

 たとえば、エネルギー効率を上げることはかならずしも省エネではないし、自然エネルギーを導入すればCO2が減るわけでもない。また、大規模開発はすなわち、大量の廃棄物を新しくつくりだしていることでもある。さらに、IT革命にも、かえって環境負荷を高めかねない要因がある。

第5章 経済成長はいつまで持続可能なのか

 環境問題は世界のほぼ全域に広がった、市場経済社会を揺るがす「21世紀最大の問題」と位置づけられるが、主流の経済学者やエコノミストの多くには、そのような認識はほとんどない。第3章で見たように、これまでの経済学は人間と人間の「貨幣による関係」を扱い、貨幣に換算できない関係を無視してきた。経済学の枠組みのなかに、経済活動の本質である「資源・エネルギー・環境問題」の基本的概念が十分にインプットされていないからである。

 こうした、いまとなっては間違った前提に基づき、「持続的な経済成長」というビジョンから抜け出すことのできない経済学者やエコノミストの言説を無批判に受け入れるのではなく、「資源・環境・エネルギー問題」に配慮した、自然科学者の明るくはない未来予測に、耳を傾ける必要があるのではないか。

第6章 予防志向の国

 スウェーデンと日本の違いは、「予防志向の国」と「治療志向の国」、言い換えれば、「政策の国」と「対策の国」といえるだろう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国だから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題であった。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力が入ることになる。

 一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようである。90年代後半になって社会制度からつぎつぎに発生する膨大な社会コストの「治療」に、日本はいま、追い立てられている。

第7章 進化してきた福祉国家

 90年代後半以降のスウェーデン経済は「GDPの推移」「一般財政収支の対GDP比」「国際競争力」などの基礎データを見るかぎり、きわめて好調であった。21世紀前半のビジョンである「緑の福祉国家」の社会的側面と位置づけられる「新公的年金制度」がいま、国際的に注目されている。経済のグローバル化や国際競争の激化が、20世紀後半にそれぞれの国が築いてきた年金制度の前提を変え、制度の維持をきわめて困難にしてきたからである。新公的制度の特徴は「年金受給世代」に優先権を与えていた「旧制度」とは違って、21世紀の社会を生きる「現役世代」に優先権を与えたことである。

第8章 「緑の福祉国家」をめざして

 「科学者の合意」と「政治家の決断」によって、スウェーデンは1996年9月、21世紀前半のビジョンとして「緑の福祉国家の実現」を掲げた。

 スウェーデンが考える「持続可能な開発」とは社会の開発であって、日本が考える経済の開発、発展あるいは成長ではない。「緑の福祉国家」には、社会的側面、経済的側面、環境的側面の三つの側面がある。高度な「福祉国家」を実現したことにより「社会的側面」と「経済的側面」は基本的に満たしているが、環境的側面はまだ十分ではない。そこで「緑の福祉国家の実現」には「環境的側面」に政治的力点が置かれることになる。

第9章 なぜ、先駆的な試みを実践し、世界に発信できるのだろう

スウェーデンでは、「よい環境は基本的人権である」という認識が、広くゆきわたっている。だから、環境をこれ以上損なわず、できれば改善するためのさまざまな施策が、利害関係を超えて受け入れられるのだろう。また、政治が強いリーダーシップを発揮して明確なビジョンを打ち出し、その実現のための制度を整えていく条件も伝統的に整っている。そのような土壌に支えられて、スウェーデンは、独自に考え出した先駆的なシステムを、国際社会に向けて発信しつづけているのだ。

 本書のむすびであるこの章では、これまでに紹介した、スウェーデンの先駆的な試みが、どのような考え方や制度に支えられているのかを考える。

おわりに

 「スウェーデンをまねしろ!」というのが本書のメッセージではない。21世紀のグローバルな市場経済の荒海を、先頭を切って進む「スウェーデン号」の「行く先」と「操船術」を真剣に検証してほしいというのが、本書を書いた第一の目的である。国際社会の動きにたえず振り回されている感がある日本の「21世紀前半のビジョンづくり」のために。

1996年9月17日、乗員・乗客884万人を乗せたスウェーデン号は、「21世紀の安心と安全と希望」を求めて周到な準備のもとに目的地である「緑の福祉国家」へ向けて出港し、現在、順調に航行を続けている。航行中予期せぬ難問に遭遇し、場合によってはグローバル化の荒波に呑み込まれ、沈没してしまうかもしれないが、順調に行けば、目的地に到着するのは2025年頃と想定されている。

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