安東氏の時代別移動図 |
![]() |
![]() |
藤原常遠御所禁門の護衛をする。後、天徳三年(959年)関東下野国の乱 平定に発向して、村上天皇より安東の姓を賜う。安東左衛門尉と称す。 |
![]() |
保元・平治の乱にて源氏敗北の折、京都に住す。後、頼朝蜂起の節は 関東に戻り、義経軍に付いて平家追討に各地に参陣。 |
![]() |
源義家の奥州討伐(清原清衡、家衡)に安東景秀、興秀が参陣し、平定後、 興秀は「奥州に留まり、藤原清衡に属して余賊を鎮め後に帰国」 |
![]() |
頼朝鎌倉に幕府を置くに、鎌倉に屋敷を賜い住す。 |
![]() |
芳秀の五男常輝、大友能直公豊後下向建久七年(1196年)に随身して、 豊後に住す。九州安東氏の祖となる。 |
![]() |
調査中 |
![]() |
岡山の安東氏も情報収集中です。土橋安東氏が同じ家紋を使用しておら れますので、興味あります。 |
![]() |
調査中 |
安東氏豊後入国以後の移動経緯 | ||
![]() |
||
![]() |
豊後から筑前へ | 立花道雪が立花城主として筑前に任ぜられ 安東氏も随身 |
![]() |
豊後から豊前へ | 安東市次郎重秀が宝山城主として任ぜられ たのが最初、後に耳川・戸次川の合戦に敗北 の為、細川氏の家臣になった安東五助。 |
![]() |
筑前から筑後へ | 立花宗茂が柳川藩に移動になったのに随身 |
![]() |
豊前から肥後へ | 細川氏が肥後に任ぜられたのに随身、安東小 平太ほか |
九州での安東氏分布 | ||
福岡 | 239 | 詳細 |
大分 | 1,237 | 詳細 |
佐賀 | 10 | 詳細 |
熊本 | 26 | 詳細 |
長崎 | 15 | 詳細 |
宮崎 | 26 | 詳細 |
鹿児島 | 12 | 詳細 |