◆立花鑑載、薦野氏・米多比氏ら両将を襲う(−)
 薦野宗鎮と米多比大学を討った立花鑑載は、これらの一族に
トドメを刺すべく安武民部・藤木和泉守ら八百を差し向けた。
これに対し薦野一族三百は西郷原で立花方を撃退した。
その後薦野一族は御笠郡に布陣している臼杵鑑続の軍と合流
した。
◆毛利の将、清水左近将監、立花鑑載援護に来援(4/6)
 毛利元就の命を受けた清水左近は、毛利勢八千余と兵船百
余艘を率いて立花鑑載支援のため筑前糟屋郡に来援した。
また怡土の原田了栄の五男の原田親種と、高橋鑑種の家臣の
衛藤尾張守らも手勢を率いて立花山城に参陣した。
立花山城内とその周辺は、立花・毛利・原田・高橋らの混成軍
一万余の兵が満ち溢れた。
◆大友軍、立花山城を包囲する(4/24)
 立花鑑載謀反すの報に接した大友宗麟は筑後在陣中の戸次
道雪・臼杵鑑速・吉弘鑑理・志賀道輝ら大友四将に立花攻めを
命じた。
◆立花山崖下の合戦(7/4)
 大友勢は坂を登り立花山城に肉迫した。立花鑑載の軍勢は坂
の上からこれを迎え撃ち、戸次道雪隊の先手の高野出雲・十時
摂津ら両将に手傷を負わせた。
この事態に憤激した道雪は自ら押し出し陣を進めた。道雪の接近
に気づいた立花勢は激しく反撃を開始した。道雪の危機に十時
右近・小野和泉・安達宗円ら三将が奮戦し、立花勢二十八人を討
ち取った。しかし福井玄鉄の部隊も苦戦を強いられ敗色が濃厚で
あったが、戸次刑部・戸次治部らが駆けつけ、立花勢を追い払った。
しかし、立花方の兵の一人が道雪隊の脇に回りこみ、弓をもって
道雪を狙撃した。だがその時、内田玄怒の兄が狙撃手と道雪の
間に割って入り、道雪の身代わりに矢を受け戦死した。
◆立花山城、陥落する(7/23)
 戸次道雪の調略により、立花氏の家臣の野田右衛門大夫が
裏切り戸次隊を城内に手引きした。これにより立花山城は陥落
、立花鑑載は家来十余人を連れて古子の城に退き、残兵をまと
めようとしたが、一向に兵が集まらなかったため、諦めて新宮方面
におちた。逃亡する鑑載を発見した野田右衛門は、この事を道雪
に報告した。道雪はこれを追って松原で鑑載一行に追いついた。
進退極まった鑑載は裏切った右衛門を大声で罵りながら十字に
腹を斬り果てた。また、鑑載の妻は乳飲み子を抱えて城から落ち
たが、麓の原上村付近で大友方の追っ手に追いつかれたため、
橋の下に身を隠した。この時急に幼児が泣き始めたため、母親は
一心不乱に観音経を念じた。すると不思議な事に幼児は泣き止ん
でしまい、無事追っ手をやり過ごす事ができた。現在新宮町に夜
泣き観音という祠が建っている。
一方、原田親種・衛藤尾張守・清水左近将監ら三将は中国地方
に落ち延びた。
その後、大友宗麟は立花山城に津留原掃部助・田北民部丞・
臼杵進士兵衛ら三将を入れた。
◆大友宗麟、吉弘鑑理を激賞する(7/29)
 立花山城を攻め落とした大友勢は反大友勢力の残党狩りの
ため、戸次道雪は野田に、臼杵鑑速は小竹に、吉弘鑑理は青柳
に在陣し掃討戦を行った。
この時の吉弘鑑理の功績を重く見た大友宗麟は、筑前那珂郡の
内平地四十丁と内比恵三十丁を鑑理に加増した。
◆清水左近将監、立花山城奪回にのりだす(8/2)
 原田親種・衛藤尾張守ら両将は立花山城奪回のため、遠賀庄
芦屋に在陣していた清水左近将監に合力を要請し、五千の兵で
立花山城下に迫った。これに対し、戸次道雪・臼杵鑑速・吉弘鑑理
ら大友三将は迎撃し、物量で反大友勢を圧倒した。
尾張守は筥崎付近で討ち死に、親種は馬を射られ冑を打ち落とさ
れたが家臣に守られ高祖山城へ落ち延びた。この時、親種救援の
ため原田親秀ら三千と道雪隊は遭遇し、激戦となった。この戦いで
原田勢は親種の一子、小次郎秀種(12歳)と、大田・池園・笠・上原
らの家臣が討ち死にした。一方、清水左近は新宮の浜より船で長門
へと落ち延びた。
◆大友宗麟、立花山城攻略の軍功に対し、戸次道雪に感状を送る
(8/7)
◆斎藤鎮実の別手、秋月方の夜須郡下淵、弥永の砦を攻める(−)
 斎藤鎮実の別手は秋月方の夜須郡下淵、弥永の砦を昼夜にわた
り激しく攻めたてた。
◆臼杵鑑速・吉弘鑑理ら両将、宝満山麓の内山城に入る(−)
 戦闘を終えた臼杵鑑速・吉弘鑑理ら両将は大宰府に引き上げ、
吉岡宗勧・
田原氏らの軍勢と合流し、内山城に入り高橋鑑種に備えた。
◆秋月種実、降伏する(8/19)
 立花山城近辺の反大友勢力を掃討した戸次道雪は次の標的に
秋月種実に狙いを定め秋月に軍を進めた。これに恐れをなした種実
は田原親宏に大友宗麟へのとりなしを願い出た。和議の条件は亡父
文種の旧領に復する事と、弟の元種を人質に差し出す事であった。
秋月氏が降伏した波紋は大きく、城井氏・長野氏・千手氏・宗像氏
などが大友宗麟に降った。これにより大友氏は全戦力をただ一つ
残った反大友の高橋鑑種の宝満城に集結させた。
この時、鑑種は大友氏に降ったともいうし、篭城しつづけたともいい、
諸説ありわからない。もしかしたら降伏したフリをしてのらりくらりと
言を左右にして時間を稼いでいたのかもしれない。
◆大友宗麟、硝石輸入の斡旋を依頼(9/15)
 大友宗麟はマカオに滞在しているニセアのカルネイロ司教に、
印度総督への硝石二百斤輸入の斡旋を依頼する。

◆島津義久、菱刈隆秋の大口城を攻める(秋)
 島津氏は総力をあげて大口城を攻める事になったが、反島津勢力
の協力体制も緊密で、大口城攻めの最中、日向の伊東義祐が桶平
に布陣し、飯野城攻めの挙にでた。
そのためやむなく、島津忠平隊のみ大口城攻めから離脱し飯野に
帰陣した。義祐は万全を期すため肥後の相良義陽に、島津攻めの
連携作戦要請の密使を送った。しかし、この密使が口を滑らせたため、
忠平の耳に入った。忠平は早速、義陽の動きを抑えるため、大明司の
砦に中野越前守と伊尻神力坊ら両将を入城させ守らせた。義陽は、
そのため大明司の砦を警戒して、動く事ができなかった。
次に忠平は伊東の陣地に流言を流した。忠平が鶉を狩に小勢で外出
するという流言を流したのである。この流言を信じた伊東勢は木地原に
出陣したが、島津鉄砲隊の奇襲により撃破された。この時、忠平は伊東
勢に狂歌を送った。
「伊東奴が真幸の陣は桶平に飯の欲しさに帯のゆるさよ」
◆毛利元就、水軍を動員し立花山城を偵察させる(11/)
 立花山城奪回に燃える毛利元就は、飯田義武・吉井平右衛門らの
水軍衆を動員し立花山城を偵察させた。
◆戸次道雪、山隈城に入城する(11/25)
◆戸次道雪、問注所鑑豊の娘、西姫と祝言をあげる(11/28)
 かねて再婚相手を捜していた戸次道雪は耳聞きの城戸主人正から西姫
の話を聞き、
主人正に仲介してもらい後家の彼女の男女二人の子供も連れていく事を
条件に道雪は西姫と祝言する事となった。