鶴賀城
大分市大字上戸次利光

戸次公民館から細い路地に入ると成大寺がある。
戸次川合戦にて戦死した長宗我部家750人の称えた
石碑があり、地元では信親戦死の十二月十二日の命日に、
毎年墓前で法要を行い、異境の地で果てた若き武将の霊
を弔っている。
また、鶴賀城主 利光 宗魚の墓がある成大寺
の裏山に標高195メートルの城山鶴賀城があります
(別名:利光城)

天正十四年(1586年)

戸次川の合戦前に島津軍は鶴賀城の二の丸、三の丸を落とすが
本丸を守る城将の利光宗魚の守りにて苦戦
島津軍は撤退した。
利光宗魚は櫓に上り、 敵情見ていた時に
不用意にも敵の矢により、(説により鉄砲)に
狙撃され 死亡した。
一族は城主の死を隠して、島津軍と激戦を繰り広げた。