戸次氏

立花道雪肖像画
柳川立花家「お花」所蔵

戸次鑑連(道雪)のちに立花道雪

安東氏の直上司
豊後大野郡鎧ヶ岳城城主
後に筑前立花山城城主となり立花姓を名乗る。
嫡男戸次鑑載は鎧ヶ岳城主を継承するが、耳川の合戦に
敗戦後には、島津軍に内応して戸次川原の合戦は島津軍に
ついてしまう。
豊後安東家は立花宗茂(道雪猶子)が筑前立花山で島津軍と
戦っており、また大友義統公に仕える身上、戸次鑑載に従わずに
大友軍に従って、主君の汚名を晴らさんが為に戸次川原で多くが
討死した。

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戸次鑑連として、永禄4年に大内氏の旧領を制圧し、大友氏の加判衆となる。
翌年に出家して麟白軒道雪と名乗り、臼杵鑑速、吉弘鑑理とともに大友氏の
「三老」と呼ばれた。元亀2年に吉弘鑑理の急死に伴って筑前・立花山城の
城督となり、立花を名乗る。大友氏の反勢力と戦いながら領国の維持に努め
たが、筑後・高良山の陣中で病死した。
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父 戸次親家   母 由布惟常の娘  幼 名 八幡丸
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1513年(永正10) 誕生。
1526年(大永6) 馬岳城の大内氏を攻撃、家督を継ぐ。
1550年(天文19) 3月、2階崩れの変、大友義鎮に従い入田親誠を征伐。
1553年(天文22) 菊池義武を肥後・相良氏のもとへ送る。
1555年(弘治3) 秋月文種を征伐。
1561年(永禄4) 門司に出陣し旧大内領を制圧、大友氏の加判衆となる。
1562年(永禄5) 5月、入道、大友宗麟より麟伯の号を与えられ麟伯軒道雪と名乗る。
1565年(永禄8) 大友宗麟の命により筑前・立花鑑載を征伐。
立花城を攻略し入城。立花姓を名乗る。
1568年(永禄11) 古処山城の秋月氏を攻撃。
1569年(永禄12)佐賀・龍造寺氏を制圧。
1571年(元亀2) 立花家の家督を継ぐ。
1581年(天正9) 高橋統虎(宗茂)を娘・ァ千代の婿に迎え、家督を譲る。
1584年(天正12) 8月、大友氏の筑前制圧に出陣。
1585年(天正13) 9月、病死。享年71歳。