系図2 大神姓戸次氏 |
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1.戸次氏は大神惟基の7代惟隆を祖に戸次荘を所領、後の惟澄に 後継が無かったため大友親秀の子、重秀を 養子に迎え家督相続、 国東、速見、大野に所領を持ち、鎌倉幕府の鎮西評定衆・引付衆等 の要職を務めるまでに繁栄した。 2.室町期南北朝時代には惣領家は北朝方、庶家の戸次朝直、頼時は 南朝方に付き、1347年に同盟を結び惣家と庶家との対立となった。 その後足利幕府より、戸次朝直の所領日出荘を田原直貞に藤原荘 里屋名を竹田津詮之に所領没収となった。 3.十一代親家の代には大野荘藤北名、戸次荘になっていたが、鑑連 後の道雪は武勇盛んなり、豊後大友の筑前、豊前、筑後進攻の中心 となり、毛利元就の筑前進攻の押さえとして、筑前立花城主となり、 立花姓を相続、家臣団も移動した。これを「西の大友」という。 |