福岡県粕屋郡新宮町
福岡市東区の境にそびえる 標高367m立花山
戦国時代 大友軍、毛利軍の激しい争奪繰り返した山城
立花城築城は元徳二年 1330年豊後守護職の大友貞宗の
次男 貞載(さだとし)が築いた。
地名の立花から名を立花氏と名乗り以来 大友家の拠点となり
西の大友と呼ばれ 立花城は博多を守る重要な拠点となる。
立花鑑載が大友に叛き毛利氏に内通したため、立花山城合戦
となり、立花鑑載は自害、後継ぎが無いため戸次鑑連(道雪)は
豊後の家督(鎧ヶ岳城、藤北城)を嫡男宗義に相続し、筑前立花
山城主となり、名を立花道雪に改め、後に後継に高橋鎮種の長男
宗茂を娘婿として城主に、宗茂は後に豊臣秀吉の信頼を得て、
柳川藩の城主となる。
慶長五年 1600年 黒田長政が筑前入国博多に舞鶴城を築城し
立花城は破却となり270年の長い歴史に幕を閉じた。
立花山麓の梅岳寺の境内裏に立花道雪の墓があります。
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